蛇足:末永くお恨み申し上げます、お義母様。
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王宮ドロドロ姉妹喧嘩シリーズ蛇足編最終話です。
「僕は、薄情なのかな。」
揺れる紅茶中で、笑顔の少年の口がぼそりと動いた。
「薄情って、そりゃまたなんで。」
視線を上げる。キョトンと、どこか間の抜けた顔をしながら食べかけのタルトをそっとお皿に戻して少年はいう。
「…なんも、思えないんだよ。昨日妹がかわいがっていたスナネズミが死んだのに。」
「あ~~イザベラ様の。凄い泣いてたんだろ?噂で聞いた。…それを慰めてあげたお優しいお兄様の噂も。」
「はは、サイモンはいつも耳が早いね。」
「そりゃあんたの未来の執事ですからね、どんと任せてくださいよ。」
ニッと猫のように目を細めて、珍しい赤茶色の頭を揺らしながら笑う彼の姿はどう見ても執事見習いとは思えない。そもそも、執事見習いが仕える主と一緒にお茶をするなんてあり得ないのだけど。
…でも、まだ僕らは子供で、まだ主従というより幼なじみとして過ごした時間が多いからこっそり見逃されている。それも、もう少しだけど。
「……うん、頼りにしてるよ。サイモン。…で、僕って薄情だと思う?」
「う~~~ん、薄情……かぁ?そりゃ…表情が読めないって言うか、完璧すぎて気味が悪いとかは思ったことあるけど薄情とまでは思わないな。」
「君のその素直なところ、大人になっても変わらないでいて欲しいなぁ。」
ふふ、と笑みをはいてまた紅茶を見る。相も変わらず、石像のように表情は変わらない。
「あのスナネズミ、僕も世話をしていたんだよ。名前だってつけたし首につけるリボンだって一緒に選んだ。…なのに、火葬するその瞬間も、今も涙は出ないし揺らがないんだ。」
──自分の歪みを自覚したのはいつからだったろう。一番上の妹が生まれた頃には、多分気がついていた。
出来ないことがほとんどないのだ。大体のことは一度聞いたら忘れないし、見た物はもっと忘れない。マナーの教師を母に紹介された次の日からその教師は来なくなったし、母が見ていた書類の計算ミスを指摘して直したのは四歳の時だった。
護身術とか、剣術や馬術は小さい頃は体が小さくてうまく出来なかったけど今はそれなりに形になっている。
父に連れられていった王領でいくつか事業を任されて、それをこなしたとき父は「失敗を経験させるためだったのにできちゃったかぁ」と苦笑して頭を撫でてくれた。
「貴方、きっと動かない天秤をもってうまれてきちゃったのねぇ。」「私と、おんなじ。」母はどこか影のある微笑みを浮かべながら抱き締めてくれた。
「……揺れないんだ。心も、頭も。なにも。」
表情すら意識しないと変えられない。きっと、母の言うとおり、僕はきっと動かない天秤を胸にもって生まれてきた。なにをのっけてもどちらに傾くことはないし、だから正しいことしか出来ないのだろう。…正解しか、選ぶことができないのだろう。
「……お前さぁ、馬鹿なんだな。」
「は?」
バカ、馬鹿といったか?サイモンが?僕を?初めて言われた言葉に思わず聞き返す。そんなことは、誰にも言われたことがなかったから。
「お前さ、今しっかり傷ついてんじゃん。興味のない、なんも思ってないものにしたことなんて人間そんなしっかり覚えてねーよ。いやお前は覚えてられるかもしんないけど、思い返さないし、それで後悔なんてすることない。」
「ウィルフレド、お前はただただ心が鈍いだけなんだよ昔っから。しょうがねぇからこれからは俺が教えてやるよ、今お前がなに思ってんのかを全部!」
天秤は、揺らがない。でも、
──涙が出るまで笑えたのは、その日が初めてだった。
──優しい、優しい夢を見た。三年前の、幼なじみとしての彼との最後の会話。今、慌てて駆け寄ってきた彼からは想像もつかない頃の、子供の頃の記憶。
「ウィルフレド様!無理に起き上がらないでください!すぐに医師を…!!」
「いや、いい、…サイモン、ペンを………代わりに…」
ゴホリ、咳を吐く。喉から溢れる泥のような血液はもう己が長くないことを如実に表していた。
「サイモン……まともに喋れるのは…もう今日が最後だ……だから……。」
ぐしゃりと歪んだその顔に、結局表情だけはずっと正直者で、変わらなかったなぁとこんな時なのに笑ってしまった。
──あの優しい三年前の出来事からすぐ、母が毒に倒れた。今の自分と同じように血を吐いて、末の妹を産んですぐに亡くなった。
泣きじゃくる二番目の妹と、父、そして三番目の妹の側で、生まれて初めて自分の中にごうごうとやまない嵐が生まれたのは、忘れたくても忘れられない。
この感情をなんというのか、この涙はどうすればいいのか、そんなことを頭の片隅で思いながら妹と抱きしめ合って、今にも死にそうな末の妹を守ろうと約束できたことは、自分で自分を褒めてあげたいと今でも思う。
犯人は分かっている。でも、それを示す証拠はない。毒の経路だって僕にはすぐ思いつくが、それを立証するには力も時間も足りなかった。
「……まず………犯人は側妃…目的はエリザベータを…側妃の娘を王位に立てること……。毒は……飲み合わせの悪い薬を複数個……飲ませる……。」
愚かなことだ。…本当に愚かなことをしている。だって、こんなこと意味がない。分かっているのに毒を飲んだなんて、滑稽極まる。……でも、
僕が飲まなければ、イザベラが、オリヴェイラが、サイモンが、僕の代わりに殺される。それは──公平ではない。
あの女は狡猾だが詰めが甘い。一番の壁である母と僕さえ消えればどうとでもなると思っている。……本当に、愚かな女。
「わたしと…はは……ふたりのいのちで……まんぞくするおろかなおんなだ………きはある………それを……まて……」
そうだ、僕一人が生き残ることなど許されない。
「さいもん………おまえは…おりう゛ぇいら………おうに…しろ……あのこは…………よわいが……つよい…さといこだ……いい…おうに…なる………いざべら…は……じゆうに……あのこの……のぞむように……それが……くにのために………なる……」
オリヴェイラ、僕の、唯一母を同じくする妹。毒に蝕まれた母から生まれ、己も命をむしばまれながら生きてきた強い娘。幼いながら人の機微に聡く、勘所はけして外さない。なにより、警戒心の強さは素晴らしい。支えてくれるものがいれば、僕以上の王になれる。
イザベラ。僕と、唯一同じ景色を見た妹。彼女の嘘を本当にする力は天賦の才だ。僕への執着だけが欠点だったが、どこに向かうか分からないそれを僕の死で方向付けることができたなら安い命だ。なにより、あの子は嘘つきだが義理堅い。きっとオリヴェイラの助けになる。
そして、サイモン。
「きみは………おりう゛ぇいらが………おもてにでるまで……せんぷく………ほかの…こたちもつれて………いろんなところで………きを……いざべらが…きっと………せっしょくして…くる……かのじょのしじ……したがう……に……」
生きて欲しい。できることなら、王宮から離れて、全てを忘れて幸福に生きて欲しい。王族である妹達を利用するのは構わない。…でも、彼らは本当は違う。僕が死んだら、好きに生きたって構わない。でも、
「たのむ……ょ………きみしか……たよれない……だ……しんゆう………」
「さんねんまえ……きみ…が…いって……くれた……こと……ほんとうに………うれし、かったんだ………」
どうか僕のわがままに付き合って欲しい。一緒に──地獄を作って欲しい。
目を真っ赤にして、唇を震わせて僕の両手を握って頷くサイモン。…可哀想に。こんなことに利用されて、未来を奪われて。
僕が吐く言葉なんて、全部君を巻き込むために紡いだただの音なのに、こんなありきたりな台詞で君の瞳は憎悪に濡れている。…申し訳ないと思う。
各地に彼と彼の部下を潜伏させれば、人のいい彼のことだ。色んな所に知り合いを作って、貴族達の情報を…強いては弱味を沢山握って戻ってきてくれるだろう。それは、とてもオリヴェイラの役に立つ。
──側妃には娘がいる。一番上の妹、エリザベータ。彼女は頭はいいけれど、楽観的で自己中心的。目の前にギリギリ越えられる程度の壁を複数作ればきっと視野狭窄に陥って、近くにいる誰かに傾倒するだろう。そのためにわざと手つかずの仕事を残しておいたから、わかりやすく僕と比較される。
そしてサイモンが退けば、次期王の執事としてサイモンの弟が推薦される。一度あったことがある。家業を継がせられないからと騎士にして、腕がよければ傍に置いてくれないかと紹介されたから。
正義感が強くて、優しく、まっすぐ、とても──御しやすい子供だった。
兄に対する劣等感と、自分はいらない子供なのだと思い込みのせいで酷く小さく体を縮こませて、あぁ、この子はきっとエリザベータの支えになる。そう、確信した。
追い詰められたエリザベータはきっとあの少年に、ジョシュアに恋をする。高貴な守るべき姫に懸想されれば、あの子は応えるだろう。そうなれば、側妃は娘のキャリアを守るためにイザベラかオリヴェイラとの間にジョシュアの婚約を整えるだろう。──許されない恋ほど、燃え上がるものはない。我慢の効かないエリザベータはきっと自滅する。それを、オリヴェイラはどうか分からないけれどイザベラが見逃すはずがない。
…唯一の懸念点はサイモンがジョシュアの味方に回ることだけど、ここまで火をつければ大丈夫だろう。
弟想いのいい兄で、気のいい善人だが、サイモンは一度敵と認識した相手を切り捨てることにためらいのない残酷さをしっかり有している。でなければ王宮の、王太子の執事になどなることはできない。すでに、サイモンはエリザベータを敵と認識した。そんな相手に与する反逆者を守ることはない。
分かるよ、側妃のお義母様。貴方がエリザベータを女王にしたかった理由。貴方の願いもあるだろうけど、お家のためだね。
いま、この国は王とを中心とする王権国家だけど、貴族がどんどん力をつけてきていて、王家の力は弱ってきている。だから、本来なら一夫一妻制のこの国の王室に貴方がねじ込まれてしまった。…そして、夫である僕達の父に夢見る乙女だった貴方は愛されることを願って、望んで……夢破れた。
貴族が力をつけたのは高位貴族だけではない。下位の、民草に近いもの達も力をつけた。──だからこそ、下位貴族の男爵令嬢が王太子だった父に近づけてしまった。
これからこの国はもっともっと力をつける。王家の次は貴族が、貴族の次は民草が、その次は──奴隷か家畜かな?彼らに力をつけようとするものがきっと現れる。
きっと、僕ではその流れを止めてしまう。僕は、大抵のことなら熟せてしまうから、きっとついてきてこれる人は庇護を求めて成長できなくなってしまう。サイモンとイザベラがいい例だ。僕の言葉一つで、たやすく人生をねじ曲げてしまう。これは、これが続くのは、本当によろしくない。
過ぎた安寧は停滞と同じと思考する。僕らが停滞している間、きっと他の国は沢山沢山成長する。そして、いつか踏み潰されて飲み込まれる。それは、本当にあってはならない。僕は多分、この国を愛しているから。
「ごめん………ね………」
この毒はほんとうにすごい。最初に手足がしびれて、体が動かなくなり次に言葉が喋れなくなる。母と同じように進行するなら、次は目だ。目が見えなくなって、耳が聞こえなくなる。ドンドン体が老化して、死に近づいていくのに思考力だけは衰えない。きっと、死ぬその間際まで苦痛と思考は止まらないのだろう。
「お前が………謝ることなんて一つもないだろう……!!」
……本当に、優しい男だ。僕は恵まれている。僕がここまでこの国を愛せたのは、この国のためにその天秤を傾けようと思えたのは、彼のように優しい人達に囲まれたからだ。
どれ程苦しくとも、どれ程悲しくとも、彼らには生きていて欲しい。できれば、彼らの子孫にも、安寧ではなくとも平和な世界で、優しいということだけで尊ばれるような、そんな世界で。
「ぼくは………あまりいいにんげんじゃ……ないよ……だって……うらんでるから……」
そう、恨んでるのだ。疎んでいるのだ。ごうごうとなる嵐はまだ胸から消えない。本当ならば、エリザベータもジョシュアも巻き込まないですむ方法だって沢山あった。
母が死んだあの日から、僕の天秤は壊れてしまった。でもそれは母が死んだことにではない。母が死んで、壊れてしまったもの全てがあまりに多くて、あまりに取り返しのつかないものが多すぎて、僕の天秤は歪んで、ちぎれて、残骸だけを残して消えてしまった。
生まれて初めて自覚する自分のためだけの行動が報復だなんて、本当に自分は彼らとは根本から違う。
だって、確かに国の未来を考えて、僕が王になるより妹が女王になる方がいいと判断したのは本当だけど、……ただただこの怨毒を正当化したいだけなのだ。はち切れんばかりの、生まれて初めての激情を、持て余しているだけなのだ。
僕が死んだら、皆悲しむ。皆悲しんで……僕が考えるより悪辣で、醜悪で、そしてひどく惨たらしい復讐を全力でしてくれるだろうという、甘い期待で毒を飲んだんだ。
「当然だろ!!あんなことされて……こんなことされて!恨まないわけがない!」
でもね、サイモン。僕は少しだけ嬉しいんだ。
この感情はあんまりいいものではないけれど、僕は薄情でも、心がないわけでもなかった。……君は正しかった。僕は、本当に、ただただ鈍いだけの、人間だったんだ。それを、ようやく心から思えた。そのことだけは感謝している。
正解しか選べなかった人間擬きが、ようやく間違いを選ぶことができた。それが、なんて幸福なことか。
王族としての責務を放り出すなんて、昔の自分ではあり得ない。王となりうるものとして育てられた者が、自殺だなんて許されない。だから、僕は地獄へ行く。必ず。きっと。だから、
「…も、し………そくひ、に……あえたら……いって、ほしいこと……あるんだ……」
ぐっと、喉からせり上がるものを吐き出した肩で息をする。それでも手を離さないでいてくれることに、ほんの少し罪悪感を覚えながら笑って見せた。
「すえ、ながく…………」
お恨み申しあげます、と。
地獄の底で、いつまでも待っていると、そう。
これにて完結です!!おつかれさまでした!!!!!次はウルトラハイパーミラクルハッピーな話で会いましょう!!