夜の底にも、灯は在る
人の形を借りるのは、心が疼く。けれど、あの時ばかりは、そうせずにいられなかったんだ。
黒塚縁は、もう限界だった。
“それ”――名もなきもの。
空の裂け目から零れ落ちてきた災厄は、彼の身体を媒介にして、こちらの世界へ根を張ろうとしていた。
彼の肉体は蝕まれ、魂は焦げていた。
それでも彼は、顔を上げていたよ。
「まだだ……もう少し……僕が喰らいきる……僕が……」
無茶だ。無理をしていた。
器である彼は、主となる“それ”に呑まれかけていた。
大樹は、不浄を燃やす拳を掲げ、渦の中に飛び込んだ。
「勝手に独りで死ぬな」
その言葉に、“それ”が唸った。
形のない影が、大樹に襲いかかる。
けれど――
「この身は、灯。夜を照らす、祈りのかたち」
私はそう告げて、人の姿で降りた。
雨は、完全に止んでいた。
裂けた空の下、わたしは大樹の横に並び、左手を掲げた。
「……ホムラ……」
「これが、わたしの“意志”だよ、大樹。黒塚を救う。あの子を、闇に還さない」
“それ”は咆哮をあげた。言葉にならない、絶望の音。
だが構わない。こちらは、希望を携えている。
「大樹、合わせるよ」
「ああ」
わたしの右掌に宿した炎は、彼の拳と絡み合う。
聖火と業火、祈りと怒り、対になる光が、夜の深くを切り裂いた。
「……お前は、ひとりじゃない」
「……だから、生きよ、黒塚縁」
その一撃が、“それ”の中枢を貫いた。
名もなきものは、悲鳴すらあげずに砕け、風になった。
黒塚の中の不浄も、穏やかに揺れながら、ゆっくりとその形を手放していく。
彼は、倒れこんだ。
私はそっとその肩に触れ、静かに目を閉じた。
彼の内に巣食ったものを、すべて焼き尽くすために。
「……苦しかったね。
だけど、もう、お前を一人にはしない。
私が見てる。大樹も、ここにいる」
そう囁いたとき、彼の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
灯は消えない。
誰かが見ていてくれる限り、それは絶えない。
だから――彼は、生き延びた。
【つづく】