いつも月夜とは限らない
その夜はね、雨だったよ。
大樹は傘も持たずに、不浄の気配を追っていた。
街を行き交う人々には見えない、細くたなびく煙のような影を追って、その路地裏へ。
そこにはね、抱き合っている男女がいたよ。
「……!」
大樹は足を止めた。そして一瞬、引き返そうとして、やめたんだ。女を抱いてる男も、抱かれてうっとりしてる女も、纏っていたんだよ。不浄のものの影を。
男の方が、大樹に気づいた。女の頭ごしに、にやりと笑ってみせる。大樹は身構えた。
男の両腕が女から離れる。手のひらを上に向けて、ゆっくりと弧を描いて上へ。すると、女の身体から、煙のような不浄のものが溢れ出てきた。女は気を失って、男の足元に崩れ落ちる。
「噂には聞いてるよ。……赤い目の男」
男はそう囁いて、女を踏み越えた。両腕に不浄を纏わせて、ゆっくりと大樹に近づいてくる。
あの男。不浄を操っている。
人間のように見えるけれど、只者じゃない。
油断しないで、大樹。
「これは挨拶がわりだよ」
そう言って、男はその両腕を大樹の首に回した。不浄のものたちが騒ぎ出し、大樹の身体を取り巻く。だけど――大樹は、両腕に炎を纏わせて、それらを鷲掴みにした。不浄のものたちはごうっと燃えて、雨の空へと昇っていく。
「ずいぶんな挨拶だな」
大樹は低い声でそう言った。
「何者、なんだ?」
問われて、男はくすくす笑った。
「さてね。君は自分が何者か、わかっているの?」
「……」
「僕の名前は黒塚縁 ――以後、お見知りおきを」
舞台俳優のように大仰な身振りで、男は挨拶をした。
「また会おうね。真城大樹」
そして、すれ違い様に大樹の肩に手を置いて、夜の街の雑踏の中へ消えて行った。
大樹はそれを見送って――
「ううん……」
後ろで女のうめく声がした。
大樹は倒れた女の身体を抱き起こして、声をかける。
「大丈夫ですか」
「私……どうしてこんなとこに……助けてくれたんですか、ありがとう」
「さっきの男は知り合い?」
「男……? なんのこと?」
「クロヅカエニシと名乗った」
「知らない。……知らないわ」
女は記憶が混乱しているようだったよ。
大樹は彼女が家に電話をかけて、家族がそこへ迎えに来るまでそばにいてあげて、それから帰路についた。
「……ホムラ、あの男……」
大樹、すまない。私にもわからないよ。
人間が不浄を操るなんて、初めて見た。
彼が何者で、何の目的でそうしているのかは知らないが、油断しないで。
「……わかった」
また会おうねと言っていたね。これが最後ではないのだろう。
雨は上がっていたけれど、雲は月を隠していた。
【つづく】