焔の器とあかいひと
私は、長い時を祠の奥で過ごしていたよ。
この地に生きる者たちの息遣い、土の匂い、風の流れ、火の巡り……
すべてを感じ、静かに見守ってきた。
ときに思うのだよ。
「器」とは、ただの空っぽなものではないのだと。
あの夜――
私は現世に降りるため、ひとつの身体を選んだ。
それは、久しく土に還った者の亡骸。
もう誰にも名を呼ばれない、ひとりの男の身体だった。
生きていたころ、彼は陶芸を生業としていた。ずっと、火のそばにいたのだよ。
私の祠の前を通る時、感謝を捧げることを忘れなかった。
彼は生涯、私に名を呼ばれなかった。
神にとって「信仰」は力となるけれど、それ以上に――
「無名の祈り」というのは、とても重いものなんだ。
私がその身を借りたとき、魂はもう遠くにあった。
けれど、かすかに、胸の奥で火のぬくもりが残っていたよ。
それはね、「ありがとう」と言っていた。
言葉にはならなくても、そう伝わってきたんだ。
……不思議なものだね。
私が力を貸すつもりだったのに、
私の方が力をもらってしまった。
大樹には、まだこのことは話していない。
いや、話す必要もないのかもしれないね。
彼は前を向いて歩いている。
私は、その背を静かに見送るだけで、十分だよ。
それでも、ときどき――
祠の裏に咲いた名もなき花を見て、思い出すんだ。
「ありがとう」と、言葉にならなかった声を。
人の祈りは、消えない。
神の中に、いつまでも、火のように灯り続けている。
【つづく】