38.ずっと前から……
天狗の里から帰ってきた私はブールドネージュ様のお屋敷でオランジェット様と二人きりになった。
そして、二人きりになった途端オランジェット様に抱き寄せられ、私のファーストキスを奪われてしまったのだ。
凄い力……痛い……! オランジェット様からは私への好意というより、これは……怒りを感じる。
イヤッ! 離して!
「……んっ、んぅぅぅぅううううっ!!」
「――ちっ、意外と凶暴な聖女さんだな。だが、すぐに俺の言いなりになる」
私はオランジェット様の拘束を解くため口付けされた唇を噛んだ。
嚙み千切るくらい力を込めたつもりだったが、オランジェット様は少し血を流す程度の傷しか負っていない。竜魔貴族は皮膚も頑丈なようだ。
でも、言いなりになるってどういう事?
「何をするのですかオランジェット様!」
「まぁそう怒るなよスフレちゃん。俺は君のことが好きなんだ。どうだ? 俺の女にならないか?」
「……いきなり乙女の唇を奪うような方と誰が……!」
オランジェット様は悪びれもせず答える。
私のことが好き? ふざけないでよ!
オランジェット様の瞳には愛情なんて感じなかった。その瞳には怒りの炎が燃えていたわ。
「……俺の精神支配が効いてないのか? どうなってやがる……?」
精神支配? 魅了系の魔法を使ったってこと? それはご愁傷様。聖女に状態異常魔法は効かないのよ。
魅了魔法が効かないことにオランジェット様が動揺している間に、部屋の外から軽快な足音が聞こえてくる。
そして、足音の主は応接室のドアを乱暴に開けて入ってきた。
「ちょっと煩いですわよ! ――何がありましたの?」
「ちっ、シャルちゃんか……」
部屋の外まで音が漏れていたのか、入ってきたのは私たちの口論を聞いて駆け付けたシャルロットだった。
私とオランジェット様を交互に見たシャルロットはすぐに冷静になり問いただしてきた。
まずいことになった。この場面を一目で理解できるとは思えない。
シャルロットとオランジェット様は長い付き合いがあるし、私が弁明しても信じてもらえるかわからない。
「はぁ、大体理解しましたわ。ジェット、貴方が原因ですのね……」
「はぁ? 何でだよ。俺は何もしてねえぜ」
白々しくとぼけるオランジェット様の様子にシャルロットは溜息を吐き、全てを理解したかのように項垂れる。
そして、顔を上げて私に向き直った。
「それでスフレ、貴方ジェットに何をされましたの?」
「いきなり抱きしめられてキスされたわ。抵抗して突き放したら私を好きだと。……でも、オランジェット様からは怒りしか感じないし、好きなんて気持ちは伝わってこなかったわ……」
「キスですか……精神支配を使いましたねジェット?」
オランジェット様を問い詰める姿はいつもの我が儘お嬢様ではない。その冷徹な表情には、感情に左右されることなく冷静に物事を見通す意思を感じる。
そんなシャルロットに真っ直ぐ見つめられるオランジェット様は、凄く辛そうな表情を見せる。
「はぁ……私が気づいていないと思っているのですか? 貴方が好きなのはスフレではない。本当に愛しているのは兄様なのでしょう?」
「――なっ……!? 何で……!!」
シャルロットの言葉にオランジェット様は身体を震わせ、息遣いも荒い。明らかに動揺しているようだ。
……ん? 私じゃなくて兄様? つまり、オランジェット様が本当に愛しているのはブールドネージュ様ってことぉぉおおおおっ!! 別に男同士の恋愛だってあるのは知ってるけど、身近ではいなかったから正直ビックリだよ。
私とシャルロットはオランジェット様が落ち着くのを待つ。やがて落ち着きを取り戻したオランジェット様が口を開いた。
「誰にも話したことはなかった……誰にも打ち明けるつもりもなかった。それなのに……気付いていたのかシャルちゃん?」
「ええ、もちろん。何百年の付き合いだと思っているのかしら? 貴方が兄様を好きなことくらい、とっくに気付いていましたわ。そして、なぜ貴方がスフレを狙ったのかも」
私を魅了しようとした理由? 確かに、直接ブールドネージュ様に告白するのではなく、なぜ私なのか気になるわ。
「ジェット、貴方は兄様に愛を告げて拒絶されるのが恐かった」
「……やめろ」
「そこで貴方は兄様が大切に思っているスフレを我が物とし、スフレを通して兄様を感じたかった。違うかしら?」
「やめてくれ!!」
オランジェット様はシャルロットの話しを大声で遮る。
その瞳には大粒の涙が零れていた。
「なんでぽっと出のスフレちゃんなんだよ……? 聖女だからか? あれから何千年立つと思ってるんだ? ……俺じゃ……俺じゃあ、代わりにならないのかよぉぉぉ……!!」
オランジェット様は人目も憚らず慟哭する。
竜魔貴族という地位も名誉も、それに相応しい実力もある大人のこんな姿を初めて見た。オランジェット様とブールドネージュ様の付き合いは、人間である私には想像もできないほど長いものなのだろう。それほどまでに長い年月愛し続けたことを思うと、ファーストキスを無理やり奪われた怒りも少しだけ薄れてしまった。
「あいつには言わないでくれ。嫌われたく……ないんだ……」
「本当に情けない方ですね。なぜスフレなのです。兄様の義妹である私ではダメなのですか?」
シャルロットは呆れたように肩をすくめつつ問う。
私ではダメ? それって、シャルロットはオランジェット様が好きってこと? 初耳なんですけど!
「だが、シャルちゃんは義理の妹だろう?」
「義理だから何だと言うのですか。血より濃いものだってあるはずでしょう?」
「……本気なんだなシャルちゃん。こんな情けない俺をそこまで思ってくれるのか……ありがとう。シャルちゃん、俺と共に生きてくれるか?」
「ええ、喜んで」
シャルロットのプロポーズにオランジェット様の心は動かされたようだ。シャルロットの差し出した手を取り握り返した。
きゃああぁぁああ!! ビッグカップルの誕生だわ!!
「大騒ぎをしてどうしたのだ?」
「何かございましたか?」
婚約の祝福ムードの中、応接室の扉が開かれる。入ってきたのはブールドネージュ様とガレットさんだった。
二人は状況が理解できないといった顔でこちらを見てくる。
「もう、間が悪いですわよ兄様。もう解決してしまいましたわ」
「そうなのか? 全く状況がわからんが……」
間が悪い二人はポカンとした顔をしているが、本当のことは言えない。
だって、横でオランジェット様が人差し指を立ててシーっと、必死に訴えているから……。
こうして、オランジェット様が私に冷たい目を向けていた理由もわかり、ビックリすることにシャルロットと婚約することになった。
血より濃いものか……。王国を追放された今、私も聖女の血に囚われず、愛する人と結婚する未来があるのかもしれない。シャルロットも良いことを言うわね。
そんな幸せな未来を想像しつつ、私は二人の婚約を祝うのだった。




