02 紅之蘭 著 『奴隷女に逃げられた元老院議員の話』
偉大なるローマ帝国。
エスキリーノの丘にある自邸から、伴をつけ、ワインを手土産に、友人ティトゥス宅を訪ねる。
途中、ローマ市中を流れるティベリス川の橋を渡ると、中洲が見える。
少し前までそこは主が老いた奴隷を捨てる場所だった。歴代皇帝の一人が、美観を損なうので、貴族たちにその悪行をやめるよう、触れをだした。
二、三階ある町屋の一階は、飲食店や雑貨屋をなしている。町屋ひしめく市井は、石畳が敷かれてはいるが、狭い路地で匂いがする。真ん中の本道と両側に側道とがある。本道が一段低くなっているのは、雨が降ったときの下水道を兼ねているからだ。
私達一行は、そこからフォルム広場に出た。
カピトリヌスの丘を宣した公門書館。建ち並ぶアーチ。そこからウェスパシアヌス神殿、コンコルディア神殿、演説台の前を通り、セプティムウス・セウェル帝の凱旋門をくぐった。
ティトゥス邸に着く。
赤い屋根の屋敷は方形で、噴水の池がある中庭を、列柱回廊で囲んでいる。富裕層の屋敷によくある大理石の彫像、壁は、花をモチーフにしたフレスコ画で飾られている。室内に入ると、床下暖房がよく効いていた。
ローマの市街地を望む部屋で待っていた元老院議員の友は、いささか年老いており、禿げていた。
「どうした、元気がないな」
「美しい奴隷がいた。気に入ったので愛妾にしたいと思い、解放してやった」
「そしたら途端に、若い男と駆け落ちしたというわけだ」
ティトゥスは、両膝を床に落として、子供のように大泣きした。
だから言わんこっちゃない。奴隷女を解放して、愛妾にするときは、背後に男がいて手引きしていないか内偵をかけなくてはならん。――もっとも、初めから奴隷女を愛妾にしようなどと考えぬのが得策ではあるが。
「うちの葡萄畑から収穫したもので作ったワインだ。美味いぞ。まずはこれで落ち着け」
ティトゥスは、家令の初老奴隷に、秘蔵のエジプト産カットグラスを持ってくるように命じた。
家令はガリア人で、子供の頃、先代当主が奴隷市場で買ってきた。賢かったので、先代に気に入られ、ティトゥスの学友になり、キプロスのアカデミアでは、彼と机を並べて学んだ。つまるところは上級奴隷というわけだ。
そういえば、家令が見込んで、常に傍に置いていた青年奴隷の姿が見えない。「どうしたのだ?」と訊くと、直接は答えず、ティトゥスの方へ目をやった。
――まさか、解放した女奴隷と逃げたのは、あの青年奴隷なのか?
後で別の友人から聞いたところによると、ティトゥスが女に逃げられた後、八つ当たりで、青年奴隷を虐待した。
昔日の奴隷には人権というものがなかったが、奴隷に同情的な皇帝の一人が、あまりに酷い主人であるならば、奴隷が神殿に駆けこんで保護を求めても良いという触れを出した。つまるところ青年奴隷は、今、神殿で保護されているというわけだ。
主は、意味なく奴隷を拷問にかけてはならない。奴隷がトラブルに巻き込まれ、官憲が家領の奴隷を逮捕したとしよう。そういうとき、主は奴隷を守らねばならぬ。――ゆえに官憲が奴隷を拷問にかける場合は、家領の主に同意を求めることになる。
ローマの貴紳たるものはスコラ哲学を収める。
スコラ的精神において、主人は奴隷の身体を財産として管理はするが、一般市民同様に、奴隷の魂は自由であるべきである。
過去、その辺をわきまえぬ輩が奴隷たちを鞭打って、憎しみを買い、〈スパルタクスの反乱〉を起こされることになったのだ。
「わが友マルクスよ、次はいつ会えるのかの?」
「カンパニアに行って、それからアフリカへ渡る。アフリカへ渡るとなれば、帰国は来年くらいになるかのお」
第六軍団を退役した私は、イタリア半島南部でナポリの町があるカンパニア地方と、アフリカ属州にある二つの領地を船で往来して暮らしている。二つの領地を管理人に任せっきりにせず、往来するというのは、主がいない領地では、奴隷たちの緊張感がなくなって怠け癖がつき、管理人も不正を働くようになるからだ。そうすると、必然的に、収穫が減ってくる。
家領を健やかに運営するのも、衰えさせるのも主の力量しだいというものだ。
了
引用参考文献
マルクス・シドニウス・ファル著,ジェリー・トナー解説,橘明美訳『奴隷のしつけ方』2015年