02 柳橋美湖 著 『アッシャー冒険商会 04』
第4話 繁栄と引き換えに
――従者アランの日記――
魚臭ささが漂う中、河の畔から、一匹の猿のような生き物が、ピチャピチャ音を立てて、野宿をしていた我々の幌馬車車列に近寄ってくるではありませんか。
寝ずの見張り役が、急を知らせつつ、焚き木を奴らの方へ放り投げてやる。そのとき、
「見て見て、アラン。こんな子と、私、一度、お手合わせしてみたかったのお!」
「はしゃがないでくださいませ、マデラインお嬢様」
「二人に任せる。僕は幌馬車で応援しているよ」
ロデリック若様は、義理の妹にして、婚約者であらせられるお嬢様を前に押し出し、幌馬車の隅にお隠れになった次第。
「それじゃ、アラン、行くわよ!」
「ですからお嬢様、先頭を切って突っ走らないでくださいませ」
「老いましたわね、アラン!」
インスマス市は、マサチューセッツ植民地エセックス郡に属すマニューゼット河の河口にある港町で、アーカムの町からニューベリーポートの町に向かう街道の途中でございました。
お嬢様がいうところの、「こんな子」が、こちらに迫って参ります。
「隊長、アランさんとお嬢様が前に!」
「やみくもに撃つな、自分のところに真ん前にきてからら撃て」
若衆の皆さん、今宵もお疲れ様です。
前衛に躍り出たお嬢様と私は、両手に持ったナイフで、モンスターを斬り刻み、続いて若衆の皆が一斉射撃をして倒した次第。――なかなか屈強で、しぶとうございました。
新大陸での郵便業務は、イギリス本国からやってくる商船が、たまり場であるマサチューセッツ植民地首都ボストンの居酒屋フェアバンクス亭に持ち込み、そこにいた客たちが自分の家や、友人の家に届けるのが始まりでございます。一九六三年に制度化。以降、新大陸で、いくつかのイギリス系植民地が創設されるに伴い、各拠点にはタウンがいくつも建設されるようになり、交易商人が陸路往来するようになりました。町の人々は遠方にいる親類縁者宛ての手紙を彼らに預け、最寄りのタウン居酒屋郵便局に配達されるようになったわけです。
わが、アッシャー商会の業務内容の一つに、こういった地方都市への郵便配達業務がございます。
当商会の積荷と旅客を乗せた幌馬車隊は、北部拠点都市のアーカムから、ボストン。あるいは、植民地南部の港町インスマスへと向かいます。
実は、今回の幌馬車隊は、商会傘下の一隊が、何者かに襲撃を受けたため、真相究明のために送り込んだ調査隊。幌馬車を護る馬上のカウボーイに、幌馬車内部には、猟師あがりの狙撃兵を潜ませております。
そんなこんなで、幌馬車隊を襲った賊の一部を撃退した次第。
インスマスは広く、ぎっしりと石積みや木組みでできた切妻屋根の建物が密集した港町で、時計のついた三つの高いゴシック風尖塔が、海岸と水平線を背後に佇んでおりました。
町は、中国やインドとの中継交易で潤っていたのに加えて、異様なほどに、豊漁が続いていたため、町の中央には広場があり、放射状に広がる街路には、バプテスト教会やフリーメイソン集会所が一端を占め、また、港湾北部には高級住宅街もあったりして、ボストンに迫るほどの賑わいが感じられました。
中央広場に臨んだ市庁舎の横にある自警団詰所に、例のモンスターの遺骸を置き、事の次第を団長に話しますと、
「あの事件には、こんなモンスターが関与していたのか! だが、町の評判に関わることだから、参事会が言いというまで、他言無用に願いたい」
今回の旅では、若衆の皆さんの給与を出す程度の積荷と郵便物を載せていましたので、自警団を出た私共は、インスマスの郵便業務を引き受けているホモンド亭に立ち寄り、二階と三階にある宿部屋に、各自手荷物を置いて参ります。
「だから、お兄様、私とのお部屋が別々なのはどういうことでしょうか?」
「マデライン、結婚前の男女が、同じ部屋とはふしだらだろう」
「アランと二人、殿方同士でお泊りするほうが、よほどふしだらです」
私はハンカチで汗を拭いました。
若様とお嬢様が、「ちょっと鍛冶屋に用がある」と連れ立って、行かれましたので、残った私は、郵便物をカウンターにいる親爺に渡し、親爺や客たちに、銀貨をチラつかせて、情報収集。ですが、河辺で私ども幌馬車隊が遭遇したモンスターの話しをすると、誰もが口をつぐんでしまいました。
されど、蛇の道は蛇と言いますか、テーブル席で飲んでいた赤髭の男が、目配せするので、そっちへ行ってみると、「モンスターの件かね? ここじゃなんだから、波止場で話してやるよ」と小声で申し出ます。
定期便船が出向したばかりの石積みした波止場には、数羽のカモメが羽を休めておりました。
赤髭が申しますには、
「最近、この町じゃ半漁人が出没し、貧民窟の娘っこが頻繁にさらわれているって噂がある。奴らの巣は海の底にある。自力では繁殖することができず、人間の女をさらって孕ませるのだそうだ。――襲われた幌馬車隊には女が乗っていなかったか?」
――言われてみれば確かに! こないだ襲われた幌馬車乗客には、妙齢の御婦人数名が乗っていたし、今回の調査隊にはお嬢様が乗っていた。
私は赤髭に銀貨を数枚くれてやりました。
「お友達ができましたの。アラン、幌馬車隊の皆様も誘って、みんなでピクニックに行きますわよ」
若様とお嬢様がお戻りになられたとき、私は声を失いました。町にある一娼館に詰めている娼婦全員を、居酒屋に連れて来たではありませんか。その夜は、例の赤髭男以下居酒屋の常連客も加わって、どんちゃん騒ぎ。――男性趣味の若様もそうですが、女性であるお嬢様まで、あのような者たちと親しくするのは意外でございます。
翌日。
荷物を降ろして空になった幌馬車に、娼館の女たちを同伴して、若様とお嬢様、それに私と若衆たちで、マニューゼット河の河べりで、ピクニック。火を焚き、バーベキューをして、酒を酌み交わし、踊る。
あれやらこれやら、口に出せぬ行為が茂みにて。――お嬢様は見て見ぬふり。
日が暮れて宴たけなわとなったころ、河のほうから、数十、否、百ほどの〈奴ら〉が襲ってきたのでした。月光に照らされたのは、蛙のような顔をした鱗のある二足歩行生物、いわゆる半漁人。その群れを従えていたのが、赤髭だと分りました。
「わざわざ、こいつらに手籠めにされに来るとは、危篤だな」
そこで若様が、したりと、笑みを浮かべます。
「赤髭さん、これって、罠だと気づきません?」
「手数が多ければ、小細工など効かない」
「実はですね、昨日、聖母を刻んだ銀貨を弾丸にして、うちの若衆に配ったんです。それからですね、僕はオタクで、ちょっとだけ、〈奇跡〉が使えちゃったりします」
若様が若衆に振る舞っていたのは、ただの水。娼婦たちは〈釣り餌〉。若様による術式詠唱と、若衆による小銃の銀弾一斉射撃で、モンスターの群れは壊滅。操っていた赤髭は捕らえて、いろいろと吐かせるに至ったわけです。
赤髭は邪教神官と契約し、富と引き換えに、インスマスの住人を半漁人と少しずつ入れ替える計画を遂行していたのだとか。
半漁人を荼毘にふすと、お嬢様が、
「あら焼き魚のいい匂い。お兄様、食べてもいい?」
「お腹壊すかもなのでダメ」
私と若衆が、赤髭を自警団に突き出しましたが、日を置かずに釈放しています。どうも自警団や、市の参事会内部に、邪教側の〈草〉が紛れ込んでいる様子。当然のことながら、以後、アッシャー冒険商会は、アーカム‐インスマス区間の交易路路線を廃止することが決定されました。
第4話完
梗概
大航海時代、商才はあるが腕っぷしの弱い英国の自称〈詩人〉兄と、脳筋系妹、元軍人の老従者の三人が織りなす、新大陸冒険活劇オムニバス。
〈主要登場人物〉
アッシャー家
ロデリック:男爵家世嗣。
マデライン:遠縁分家の娘だったが両親死去後、本家養女に。ロデリックの義理の妹にして許嫁。
アラン:同家一門・従者。元軍人。
ダミアン:北米マサチューセッツ植民地・アッシャー庄の差配。
ナオミ:同メイド長。