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自作小説倶楽部 第26冊/2023年上半期(第151-156集)  作者: 自作小説倶楽部
第156集(2023年6月)/テーマ「大願成就・神の祝福」
25/26

04 らてぃあ 著  『幻の蝶』

〈梗概〉

 何故がジャングルの話になった。


挿絵(By みてみん)

挿図/(C)奄美「妖精」

 濃い緑と色とりどりの植物が生い茂り、その隙間に昆虫や爬虫類、両生類など大小さまざまな生き物がうごめく密林に2つの異分子が紛れ込んでいた。人間だ。

 一人は女。細かく編み込んだ黒髪に黒曜石のような瞳、それよりは茶に近い肌。短いスカートから伸びた若い女鹿のような脚はけもの道を迷うことなく進んでいく。

 もう一人は男。短く刈った灰色の髪を帽子に押し込み全身を探検用の装備で固め、右手に折り畳みできる虫取り網を握ってる。帽子のつばと白い髭の間から覗く瞳は曇り空の色をしていて、わずかに露出した肌には深いしわが刻まれていた。男は案内人の女の背中、そして足運びを交互に見つめ、女が踏んだ場所に自分の足を下ろし、必死にその後を付いていく。それでも草木は男の歩調を乱し、木々の間に響く鳴き声は男の思考を迷わせようとする。


 男の思考はかつて見た蝶の幻影を追い求めていた。それが現実でないことを自覚し、過酷な現実に向き直る。しかし男の体力は急速に衰えつつあった。

 幾度目かに足をすべらせ、男がついに片膝をついた時、女が後ろを振り向いた。男の場所まで戻り、声を掛ける。

「少し休憩しましょう」

 男は首を振る。歳を重ね。分別を身に着けたはずなのにその仕草は我儘な幼子のようであった。

「今のペースでは蝶のいる湖にたどり着く前に夜が来てしまう」

「夜は恐ろしいものではありません」

「50年前、大きな獣に襲われたんだ。あの時の恐怖で何度も夢にうなされた」

「でも貴男は生きています」

「君の同胞が助けてくれたんだよ。気絶から目が覚めると柔らかな藁の上に寝かされていた。神と黒い肌の友人に心から感謝した」


 立ち上がろうとしたが男の膝は主の意思を裏切った。両ひざが崩れて地面に両手をついてしまう。それでも顔を上げると、心配そうに覗き込んだ女と目があった。吸い込まれそうな気がして少し逸らすと女の頭に巻かれた飾り紐が目に入る。見覚えのある柄だった。その編み方は代々受け継がれると聞いた。もしかすると女は命の恩人と単なる同族ではないのかもしれないと考える。


「情けない」思わず口にした言葉にため息をつく。言い訳のように付け足した。

「昔は君と同じように歩けたのに、すっかり身体にがたがきた。ジャングルは昔と変わらないのに私だけが老いさらばえてしまった。こんなことならもっと早くここに戻ってくるんだった」

「休憩しましょう」

 女は鉈を取り出し慣れた手つきで近くにあった大きな葉を数枚切り取ると数枚を木の根元に敷き、残りを覆いにしてたちまち簡易的なテントを作った。そして男をテントの中に座らせると言った。

「よかったら、さっきの話の続きをしてくれませんか? わたしは物語るのは下手ですが、人の話を聞くのは好きです」

「大したことはないよ。浮き沈みはあったけどね。苦労知らずの若者が調子に乗ってこのジャングルの踏破を計画した。失敗して、親に叱られて、親の言うままに就職した。年老いてこのジャングルで見た美しい蝶のことを思い出してどうしてもそれが欲しくなった」

「美しいかもしれませんが、たがが虫ですよ。たまに子供が捕まえます。少し翅が破れているかもしれませんが、子供から買うことも出来ます」

「自分の手で捕まえたいんだ。どうしてだかわからない。これでも自分の国では成功者だったんだ。大きな仕事を担当して新聞に「大願成就」という文字とともに載ったこともある。ビジネスの才能があったらしい。でも、疲れた時、いつも蝶の幻を見ていたような気がする」


 ふいに男の視界の隅に白いものがよぎる。目を凝らすが緑のひさしと隙間から差し込むわずかな光しかみえなかった。

「このあたりの住民では想像もできないような豊かな生活をされて、人々に尊敬されたのでしょうね」

「そうかもしれない。孫が5人もいる。でももう仕事も引退してすべて子供や後継者に譲ってしまった。妻も3年前に癌で死んだ。私の役目は終わったんだ。だから最後の願い。美しい幻の蝶をこの手に収めたいんだ」


 少しの沈黙。ややあって女が口を開いた。

「蝶が人間の魂だという話は知っていますか?」

「聞いたことはある。よくある迷信だ」

「ここではそうではないんですよ」

 再び女と目が合う。今度は逸らすことが出来なかった。黒い瞳に写る己の姿を見て思い出す。

かつてジャングルで自分を救ったのはこの女だと。


               ***


 かつて男が無知な若者だった時、無謀にも密林に分け入り、猛獣に襲われた。自慢のライフルを構える暇もなく大きな前足に押し倒され。大きな牙と爪がその身体を切り裂いた。魂だけになった男は己の不運、不孝、無知蒙昧、短い人生のあらゆることを嘆き、祈った。もっとまともな人間になります。だから僕を生かしてください。僕の身体を返してください。やり直す機会をください。

密林に潜んでいた気まぐれな女神によって願いは聞き届けられた。


 そして魂は古びた肉体を脱ぎ捨てて密林の奥に帰って行った。そこには蝶の姿をした無数の仲間がいる。


                         了

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