02 柳橋美湖 著 『アッシャー冒険商会 07』
第07話 永遠
――従者アランの日記――
若様、アッシャー男爵家世嗣ロデリック様が、ペンシルバニア植民地総督の居館にご招待されましたので、例のごとく、義理の妹にして婚約者であるマデライン様、そして私・従者アランが随行いたしました。
ペンシルバニアは、北米大陸東部の五大湖に寄った内陸にあり、同植民地は、英国王室から、海軍の英雄ウィリアム・ペン卿に領地として下賜された地域でございます。
そこに原住民、英国・蘭国系移民が暮らしており、このうち英国系移民は、国教会、プロテスタント系のクェーカー教会、そしてカソリック教会といった信者たちがおりましたので、宗論を巡り、たびたびいざこざを起こしておりました。
「アラン、総督閣下ご自身は?」
「クェーカー教徒ですが、宗論には寛容であるとの評判でございます、マデラインお嬢様」
ペンシルバニアは、同植民地総督ペン卿の御名を戴き、「ペンの森」を意味するところ。馬車は、深い森から先住民や開拓者たちの集落ひしめく渓谷を抜け、総督の荘園に入り、しばらくすると居館が見えてまいりました。
***
事件が起こりましたのは、晩餐の後でございました。
御当主様であらせられる総督から割り振られたお部屋は、本館二階中央通路北側に並んでおり、マデライン様のお部屋を中央に、左側がロデリック様、右側が私のお部屋となっておりました。
午前零時。
お屋敷の執事、家政婦長が、戸締りをしているとき、マデライン様のお部屋で二発の銃声がありました。
「お嬢様!」
お声がけしましたが、返事がございません。
当然のことながら、お部屋は内鍵がなされているのでしょう。
そのためロデリック若様と私は、お屋敷衆の手をお借りして、体当たりしてドアを破って突入。するとお部屋中央床で、マデラインお嬢様がお倒れになっていらっしゃるではありませんか!
また床には、犯人のものと考えられる靴痕、サイドテーブルや椅子がひっくり返されておりました。そして、倒れたお嬢様の背後には、犯人の遺留品と思われる弾丸一発を発砲した痕のある燧石銃、血のついた象牙が落ちていて、さらに壁には犯人が、手に着いた血をなすりつけていったと思われる手形がついておりました。
幸いにも、家政婦長が、荘園の集落にある診療所に走って医師を呼び、応急手当をして戴いたため、別室に運びでお休みになられているお嬢様のお命に、障ることはありませんでした。ロデリック若様が首を傾げられました。御手には型眼鏡がありました。マデラインお嬢様のお部屋に落ちていたものなのだとか。
それにしても――
マデラインお嬢様の武技は相当なもので、並みの男に深手を負わせられるということは、通常、考えられません。
総督閣下は、晩餐会にも招待されていらっしゃいました治安判事殿に事情を説明し、捜査を執り行わせます。
治安判事は、総督が、郡在住の名士を選んで、犯罪者の取り調べと処罰を委託した官吏のことを言います。治安判事一人で捜査はできないので、通常は数名の助手を雇っています。
***
翌朝。
居館玄関の二階上のテラス窓が開いておりました。梯子が掛けられ、庭の外に向かって足跡が森へと向かっておりました。このため治安判事たちは、重要参考人として、森番夫婦を確保。治安判事詰所へと連行しました。
しかしまあ、皆さん、案ずることはありません。証拠が不十分だったので、すぐさま釈放でございます。
捜査の途中で怪現象。
屋敷の下僕たちの間で、幽霊の噂が立っていた、ここのところよく現れる黒い影が、お屋敷を横切ったり、犯人とおぼしき人物が、事件のあったお部屋から逃げて行くのが、捜査陣に目撃されたりしました。その際、T字になった廊下の袋小路になっているのにも関わらず追っ手の前から、その存在が、ふっと消えてしまったなんてこともございました。
治安判事殿は、晩餐会ダンスタイムの折、マデラインお嬢様を誘った招待客の若い紳士に目をお付けになされました。この方は、お嬢様をだいぶ熱心にお誘いになられていらっしゃいました。
治安判事がおっしゃるには、
「かの若紳士は、マデライン嬢を見初め、庭にあった梯子を使ってバルコニーから二階寝室に忍び込む。たまたま鍵のかかっていなかった寝室に侵入。まだ起きていた令嬢に言い寄るも、拒絶されたので、腹を立てて象牙の民芸品で令嬢を殴打。逃走を図る。だが現場に何かを落とすことに気づき、引き返す。我々捜査スタッフに追い立てられるが、何らかの方法で、廊下袋小路から脱出・逃亡……」
いやいや治安判事殿、犯人が二階廊下袋小路で消えた謎、二発の銃声と黒い幽霊の影といった謎も説明されておられません。
***
私の日記帳は見開きで三千字を綴るのがやっと。些末なことは割愛し、結末を述べましょう。――犯人は治安判事殿でございます!――謎は、ロデリック若様が解き明かしました。
総督邸一階ホール。
「妹・マデラインの色香にのぼせ上がった治安判事殿は、彼女に夜這いをかけようと画策。晩餐会お開き後もしばらく総督の居館に残り、庭からマデラインの部屋を確認。夜が更けると梯子でバルコニーに上り、廊下からお嬢様の部屋に突撃する。――このときマデラインは、治安判事殿が挑みかかってきたものの、従者アラン直伝の格闘術で立ち回り抵抗、撃退する。されど悲しいかな妹は、晩餐会でシェリー酒を飲み過ぎて酩酊。サイドテーブルの角に額をぶつけて床に倒れた」
「ロデリック君、では廊下袋小路で犯人が消えた謎は?」
治安判事殿は口髭を生やした気障な、中年紳士でございます。
「だって治安判事殿、貴男が犯人ですもの。恐らくは秘密倶楽部でコスプレをするのが趣味。追っ手が犯人を袋小路に追い詰めたとき、そこにいたのは治安判事殿。そして後からやってきた部下たちに、変装を解いた姿で、犯人が消えたと叫ぶ。貴男に忠実な部下たちは、もちろんその言葉を疑わない」
「ではロデリック君、二発の銃声謎は?」
「二発の銃声についてですね。拳銃は妹の護身用で二連発。一発目は襲い掛かって来る貴男を威嚇するため。それで治安判事殿はびびって逃げ出した。――酩酊した妹は、用心のために部屋に鍵をかけ直後、サイドテーブルの角に額をぶつけて倒れる。その際、壁に飾ってあった民芸品の角が落ち、血がついて、あたかも凶器のように見えた。――貴男が部屋から立ち去ってしばらくすると、たまたま、残りの銃弾が暴発します」
「なるほど、二発目の銃声が鳴ったタイミングで、ロデリック君と従者アラン、それから屋敷の執が、ドアを破って突入。マデライン嬢を別の部屋に移し、介抱したというわけか。――だが、黒い幽霊の影の謎が残っているぞ」
「あれは、たまたま、近くの家に住む人妻が忍んで来て、夜な夜な不倫相手の下僕と逢瀬をしていただけ」
「証拠は?」
ロデリック様が不敵な笑みをお浮かべになられました。そして懐から、例の片眼鏡を取り出し、
「確か貴男は、晩餐会でこれをおかけになっていた。総督閣下やお屋敷の皆さん、貴男の部下の方々も見慣れているものだと思いますよ」
治安判事は、まだ、余裕の表情。
そこで――
額に包帯を巻いたマデラインお嬢様が、階段を下りて来ました。すっかり酔いは冷めたご様子。お嬢様は、治安判事殿の横に立つと、「永遠に寝てろ、変態!」とおっしゃって、チョップをくらわしたのでございます。彼が両膝を床に落とし、泡を吹きながら突っ伏したのは言うまでもありません。
第7話 完
〈主要登場人物〉
アッシャー家
ロデリック:男爵家世嗣。
マデライン:遠縁分家の娘だったが両親死去後、本家養女に。ロデリックの義理の妹にして許嫁。
アラン・ポオ:同家一門・従者。元軍人。