03 紅之蘭 著 『カエサルブランド』
【概要】
門閥貴族出自のユリウス・カエサルが、古代ローマの実権を掌握できたのは、元老院提出の年報『ガリア戦記』を使者を介して市民層に朗読して聞かせ、強力な支持母体にしたことによる。
挿図/(C)奄美「フォロロマーノ」
――共和制ローマ末期――
法廷や商取引など公的集会に用いられた公共施設を「バシリカ」という。外壁平面長方形、内部構造は、中央に身廊、両側に側廊を配し、身廊の奥に半円形の後陣を張り出している。ローマの都の中央広場「フォロマーノ」は、この国の政治の中枢で、広場縁辺には、「バシリカ」が三つも並んで建っている。また広場中央には、演壇があった。
演壇に登ったのは、パールホワイトの布地に赤い刺繍が入った服をまとった、ユリウス・カエサルの使者だった。使者は、彼を取り囲む聴衆を前に、元老院提出ガリア遠征年報を読み上げる。
「ガリア方面・アレシアの町におけるガリア諸族連合軍との激しい攻防戦は、カエサルと麾下諸軍団の奮戦により、勝利がもたらされた。決戦の翌日、ガリアの王ウェルキンゲトリクスは幕下の将領と軍議を開き、カエサルに降伏を申し出ることにした。敵の王は、降伏に際しては、わが命をもって証しとする。
供を連れたガリアの王が、美麗な装束を羽織り、騎乗して、カエサルの陣城へ出頭。軍団に囲まれたその人の前に下馬、武器を引き渡す。王は護送車に収監。講和により、カエサル麾下の兵士一人につき一人ずつ捕虜が与えられることになったが、反乱を起こした諸族及び敵将は許されることになった。
――ローマ共和国万歳!」
広場を埋め尽くす市民たちは、英雄譚を聞いて狂気した。
「俺は、毎年年末に元老院に送られるカエサル閣下の年報を、ここで聞くのが楽しみなんだ」
「俺もそうだ。去年は、クラッスス閣下麾下の全軍団が、カルラエ会戦でパルティアに全滅させられた。暗い話しが続く中、カエサル閣下の戦果は胸がすくようだぜ」
執政官クラッススは、カエサルの後ろ盾となる実力者で、カエサル、ポンペイウスら将軍二人と反元老院派としての盟約を結び、ローマの実権を握っていた。いわゆる「第一回三頭政治」である。
クラッススは、ローマ共和国一番の富豪であり、若いころには奴隷戦争「スパルタクスの乱」を鎮圧している。苦しい戦いだったが、「もの言う家畜」である奴隷を鎮圧しても、勲功の数には数えられない。このままではカエサルやポンペイウスの風下に立つことになる。そこで、当時、メソポタミアに覇を唱えていたパルティア帝国に、四万の兵力で一戦を挑み、面目を得ようとしたのだ。ところが、パルティアンスタイルという、独特の騎射によって、軍団は壊滅。クラススは討ち死にした。
官庁「バシリカ」から、広場を望んでいた元老院議員たちが表情を曇らせた。元老院の重鎮たちだ。
カトーが、スキピオに言った。
「ポンペイウスの年報は数枚程度だ。カエサルの七年に渡る年報は、もはや一冊の本として出版されているそうではないか。カエサルの増長ははなはだしい。」
「――昨今は元老院派のキケロまで自派に取り込んだというではないか。カエサルの動きは共和制を脅かすものだ。始末せねば」
「刺客を送る? カエサルはあの通り、国民の絶大な人気がある。――今はまずいぞ」
「ならばポンペイウスを我々の側に引き込もう。そのうえでカエサルの叛意を糾弾。単身戻ってきたところを召し捕ればよい」
ヒスパニア遠征、小アジア制服、海賊の一掃と、連戦連勝したポンペイウス執政官は、カエサルの愛娘ユリアを後妻にしていた。ユリアは死産の結果、若くして命を落とす。カエサルは一族の娘を養女にして後釜に据えようとした。だが、結局、クラッススの敗死もあって、ポンペイウスは他の有力者貴婦人を後添えに選び、元老院の篭絡を受け入れることにした。こうして彼は、「ローマの第一人者」となる。
ローマ郊外に、さして川幅の広くないルビコン川というのが流れている。軍団を預けられた将軍は、軍団を率いてこの川を渡るということは、謀反を意味していた。
ここでかの有名な「賽は投げられた」という檄が飛ばされるわけだ。
兵を集められなかったポンペイウス率いる元老院派たちは、いったんローマを逃れて兵を集め、デュッラキウム会戦でカエサル軍に勝利したものの、カエサル軍に決定的な打撃を与えられなかった。
再起したカエサル軍は、ファルサルス会戦での戦いでポンペイウス軍と会戦し、敗走。エジプトへ亡命するが、カエサルを恐れるクレオパトラ七世の弟プトレマイオス一三世に騙されて殺害された。ポンペイウスの首級がカエサルへ贈られる。すると逆にカエサルは、「ローマの英雄になんたる仕打ち」と、この件を利用してエジプトを征服する方向に舵を切ることになる。
カエサルは、倒したポンペイウスを過去の勲功から、国葬で送った。さらに騎士層を主体とするポンペイウス支持者たちを懐柔するため、ポンペイウスの名を冠した劇場を建設。皮肉にもカエサルは、元老院派の残党によって、劇場内に設置されたポンペイウス像の下で暗殺されることになる。
暗殺されたカエサルは国葬で送られ、カエサルの後継者たちは、アフリカへ逃れた元老院派を一掃する。
カエサルの後継者たち、マーク・アントニー、マーカス・アエミリウス・レピドゥス、オクタウィアヌスが第二次三頭政治を行うが、やがて、ブランド価値が高いカエサル家の家督を継いだ甥・オクタウィアヌスが、他の有力者二人を排除して、「第一人者」となった。
以降、しばしらくカエサルの家系が古代ローマを支配。ここに共和制期は終わり、帝制期を迎える。
「インフルエンサー」完