<朽ち果てて、そして>
「本当によろしいのですか?」
ブラッドレイと馬に乗り、ベタンクール王国へと向かいながら私は尋ねました。
赤い髪を揺らして彼が振り向きます。
裏庭の厩舎で飼われていた馬は優秀で、木の根に覆われた森の中でも危なげなく蹄を進めて行きます。
「なにが?」
「私をベタンクール王国へ連れて行っても、です」
「あれ? 行きたくなくなった? 元婚約者君に、従姉やお爺さんにはベタンクールから手紙を出すって言ってたのに」
ジルベール様があの小屋を訪れる前から、私がブラッドレイと一緒にベタンクール王国へ行く話は出ていました。
だからあのとき、とっさに口から出てしまったのです。
「行きたくないのではありません。……ブラッドレイの迷惑になるのではないかと思って」
「王太子暗殺未遂の冤罪は晴らされたって、あの元婚約者君が言ってたじゃないか。そうじゃなくても物証も女神への宣誓もなしに押し付けられた罪なんか、うちの国でまともに受け入れる人間はいないよ」
「そうでしょうか」
貴族社会では噂が大きな力を持ちます。
まだはっきりしたことは聞かされていませんが、ブラッドレイはベタンクール王国の貴族だと思います。何日か一緒に暮らしていたときの立ち居振る舞いで感じました。
あんなところに小屋を建てて暮らしていたのは大暴走後の森の変化を観察するためだったのではないでしょうか。生き残りの魔物が暴れたときに対抗出来るだけの武力、いざというときに近くの人里で民に指示出来るだけの権力を持たない人間に任せられる役目とは思えません。
ブラッドレイがそんな風に強い力を持つ貴族なのだとしたら、私と関わったというだけで足を引っ張られる可能性があります。
冤罪は晴らされましたが、私には彼の役に立てる要素がありません。小屋の生活でもなにも出来なくて、一から十まで教えてもらいました。
私はもう罪人ではありません。でも侯爵令嬢でもないのです。
「まあベタンクール王国でも武官貴族と文官貴族は対立して汚い政権闘争を繰り広げてるし、君の経歴を利用して俺を貶めようとする輩は出てくるだろうね」
「……そうですよね」
ブラッドレイがどういう方なのか、わからない自分が恥ずかしくなります。
婚約を破棄されたとはいえ、ジルベール様は元王太子殿下の側近だったのです。
侯爵令嬢でもある私が隣国の貴族についてまるでわからないだなんて。この前の大暴走が長引いたため、魔物相手に協力していた武官と市井の商人達以外での隣国との交流が止まっていたという言い訳はあるのですが、それでも情けなくてたまりません。
「だけど仕方がないよ。俺は君にひと目惚れしちゃったんだから」
「え?」
「あの日、泥だらけなのに綺麗なカーテシーをして挨拶をしてきた君にひと目惚れしたんだよ」
俺が笑い上戸なのは確かなんだけど、と彼は言葉を続けます。
「あのとき吹き出したのは……照れ隠しだったんだ。ああ、無理に気持ちを押し付ける気はないから安心して。ベタンクールに連れて行くのも、ドレス姿の君を見たいだけだからだしね」
「え、え、ブ、ブラッドレイ?」
「なんだい、ラウラ」
ブラッドレイが優しく微笑みます。
そういえば、ベタンクール王国の国王陛下には燃える炎のような髪を持つ弟君がいらっしゃるという話を聞いたことがあります。兄弟で派閥が出来ないよう、あまり表舞台にはお出にならない方だと聞いています。
ブラッドレイという名前に覚えはありませんが、愛称かなにかなのかもしれません。
いいえ、彼が王弟かどうかだなんて、どうでも良いことです。
私は、私の気持ちは──私は口を開きました。
「あのね、ブラッドレイ。私は……」
どこかで鳥の声がします。
あの小屋に辿り着く前、彷徨っていた私には大暴走で傷つき野獣や魔物の気配さえ失った森は朽ち果てているように見えました。だけど、いつの間にか森は生き返っていたようです。
折れた枝や幹を養分にして新しい植物が芽吹いているのがわかります。
朽ち果てたように見えても、それが終わりではないのです。
私の胸の中にも新しい祈りがあります。
今度はだれかになにかを求めるだけの祈りではありません。自分で努力していくことへの決意表明に近いかもしれません。私は祈りました。
──この人を愛する資格のある自分でいられますように。