第七章 すべてが許される自由なる世界フリーダム・それがこの無秩序(デス・アライザ) 3
「……よ、洋介……」
まさしく目の前にいるハードナックルは、洋介そのものだった。
「こいつの名は、ヨースケってのか?」
洋介は、いったい何を言っているんだ?
「よっし! レベルがひとつ上がったぜ!」
「お、おい」
「俺の方がレベルは上だから、これはアシスト行為にはならない。だからお前が何を言おうが、もうひっくり返らねぇんだよ!」
「お前は誰だ!? 洋介に何をした?」
「ふふ、もう俺を忘れちまったのか? 俺はお前のことを片時も忘れてねぇってのによ。てめぇのことをしらみつぶしに調べ上げ、てめぇが見殺しにしたダチの情報を調べ上げ、そしてだなぁ――」
――この口調。まさか……。
「偉そうな受験者共を片付けた時、俺はナイトメアからネクロマンサーへと昇格できたんだわ! そのおかげで、死者を操ることや憑依すること、死者から死者へと転移することできるようになったのさ」
よくも洋介の体を!! もう許さなねぇ。どこだ!? どこにいやがる!?
――見えた! 俺の瞳孔に、奴の影が映り込んだ。それと同時に俺の小太刀が、奴の喉元を捉えた。
「ガナン!! この腕が伸びきったと同時に、お前の首は胴体と分離する」
「ふん。いいのかよ!? 俺を殺すと、ヨースケはドロドロに溶けて崩れ去るぞ」
――グッ!?
俺が一瞬躊躇した隙に、ガナンは姿を消した。
「あはははははは!!」
遠くから、野郎の笑い声がこだましている。
俺はガナンを追うことができなかった。だって目の前に洋介が……。俺はガクガクと震えた手を、洋介の方へ伸ばした。洋介を抱きしめようとした刹那、その体はチリとなって消えた。
「よ……洋介えぇぇ!!」
消えゆく黒いチリは、まるであざ笑うガナンのようだった。俺は命を賭けてまで戦ったというのに、結局、最悪な結果を迎えてしまった。とてつもない怒りと苛立ち、そして無念の想いが、言葉にならない咆哮となって俺の口からとめどなく吐き出されていく。やっと見つけだしたドラゴンだった。時間にして五時間以上。帰りの時間だって、そろそろ考えておかなければならない。もし見つからなかったら……。そんな気持ちが、無意識のうちに俺を頂上へと向かわせていく。神クラスの敵が眠る場所に――
足元には少しずつ雪の塊が見え始めた。
隙を見せた方が死ぬ。それがシャドーの戦い。そう口ずさんだ矢先の出来事だった。突然の事件だったから……。目の前に現れたのが洋介だったから……。それは体のいい言い訳だ。ガナンはすさまじい成長を遂げている。おそらくレベル9の連中を殺ったに違いない。更にドラゴンを狩ったことで、レベル十に到達しているのかもしれない。だから、もっともっと強い奴とぶつかって、俺の殻をぶち破りたい。それが、クリスタルドラゴン……。今の俺には、前進することしかできなかった。レオンがこの事を知ったら、なんと言うだろう。ひなたなら、きっと止めるな。ターニャだってきっとそうだ。ユーチェンも。
黒瀬先輩なら、どうする?
洋介なら、きっとこう言うだろう。どうせゼロかイチなら、イチに賭けてみようぜ、と。
クリスタルドラゴンは、普段眠っている……。だったら先制攻撃を仕掛けて、一気に仕留めてやる。今度こそ、絶対に隙を見せない。極限状態のバトルで、俺の本能を磨き上げる。
雷鳴閃を唱え、小太刀に電撃を宿したまま慎重に進んだ。足元の雪は次第に厚くなる。雷鳴閃は、地に足がついていなければショック死する。だから使用する際は、雪を小太刀で一掃する必要がある。この行為、戦闘中だと一手無駄になる。
敵の存在を感じた。心臓音は穏やかだ。眠っているのか。距離にして約八十メートル先。道は複雑に入り組んでおり、ここからだと目視できない。小太刀はまだ黄金に輝いている。この感触、あと二十秒以上は持続する。いける! 仮に奴が目を覚ましても、攻撃に転じる前に、クリーンヒットを放ってやる。俺はつま先だけで音を立てずに雪原の上を走った。
――これがクリスタルドラゴンか!?
体を丸めて眠っている。全身は白い鱗でおおわれており、まるでその装甲は氷のように美しい。視界に入ったと同時に、両方の小太刀で首元を目掛けて振り下ろした。首を切断できなかったが、奴の鮮血が雪原のキャンバスを赤く染める。
「グゥルルルルゥ!!!!」
ドラゴンが目覚めた。体を起こし、首を高く上げようとしている。この速度なら、戦闘モーションに入るまでまだ0.2秒はかかる。激しく剣を旋回させ、全速で切り刻む。剣身を殴りつける。切断を繰り返す。瞬時に肉塊へと変わっていく。俺の雷鳴閃は、この神クラスと言われていた強敵にだって通用した。
さすがは神クラス。先程のドラゴンよりも数段守りが固い。さっきは二発で致命傷を与えたのに対し、今回は相当数の剣打を叩き込んだ。だが、どちらにせよ、先制攻撃さえ決まれば一気に片付けられる。油断さえしなければ、神殺しだって可能だ。少々あっけない幕切れだったが、戦いとは常にそういうものだ。もちろん、その逆だってありうるのだから。
レベルがひとつ上がった。ここに至るまでの極度な緊張があったせいもあったのだろう。ほっと胸を撫で下ろして、まぶたを閉じてステータスウィンドをのぞいたその刹那――
俺には、まだ隙があった……。それは僅かなる隙だった。まさか察知スキルに反応しないなんて想像の外だった。――いや、敵は神クラスと謳われているのだ。常軌を逸脱していて当然である。足元が大きく揺れた途端、地面が割れ、全身光沢で覆われた巨大な蛇が上空へと舞い上がったのだ。
「……誰だ? ワシの眠りを妨げる者は――」
俺が倒したのは、いったい……。
「ほぉ……。ホワイトドラゴンをいとも容易く倒すとは。久々に骨のあるヤツがやってきたようだな。それとも、命知らずの大うつけか?」
――こ、これがクリスタルドラゴン……なのか……。
その強大過ぎる存在感に圧倒される。まず、その大きさだ。一目で全貌を収めることができない。とぐろを巻いて螺旋状に伸びている奴の全長は、山の頂上から雲を突き刺すかの如く大きさ。続いて、低く重厚感のある声音。まさに天空から神が話しかけているかのように、全身に重たくのしかかる。勝機があるとすればこの一瞬。奴が話を続けているこの今を逃して他はない。小太刀はまだうっすらと光を宿している。一気に走り寄り、背中に飛び乗り首元まで駆け上がった。
いったい全長何メートル、いや何キロあるんだよ!? それを全速で走りきる。奴が戦闘姿勢に入る前が、唯一のチャンス。首とあごの付け根――鱗と鱗の切れ目を目掛け、刃を叩き落とす。
雷撃を帯びた高速の剣は、クリスタルドラゴンの太い首元に命中した。両腕に激しいしびれを感じる。そのしびれはほんの一瞬だった。腕を振り抜くことができたからだ。それは障害物が無くなった証拠だ。
だが――
破損したのは俺の武器の方だった。刃は放射状の霧となって消滅していく。奴の首には、かすり傷ひとつない。クリスタルドラゴンには、雷鳴閃が効かない。
「威勢の良い小僧だな。ククク。山の声が教えてくれたが――。どうも、この山に住むドラゴンを皆殺しにした者がとな――」
――何の話だ?
「それは、キサマのことだろ? 山が言うには、手すら触れずにドラゴンの肉体を破壊したらしい。どうしてワシにそれを使わん? ははは、まさかスタミナ切れか? そんな状態でワシに挑んだのか?」
――手を触れずに倒す!? ……それはオーラ……。俺はアイテムボックス内にあったナイフをありったけ取り出し、空に投げた。同時に背中を滑り降り、猛烈に走り出した。
「どうした? 今更逃げる気か? 無駄だ」
雷鳴閃を唱えた。ピカリと光った閃光は、宙に舞っているナイフへ向かって突き進む。幾本の電撃の刃が、クリスタルドラゴンに突き刺さる。
「なんだ、その生ぬるい攻撃は。まったく効かぬぞ。そろそろワシも反撃を始めるか」
世界が光ったと同時に、俺の後方が派手に吹き上がる。激しい地響きに足をとられそうになるが、俺は加速をやめない。
「いくら逃げても無駄だと言ったはずだ」
突如、後方にいたはずのクリスタルドラゴンが、再び俺の前方に現れたのだ。それはまるでレトロなテレビゲームのように、画面右へ移動して消えたキャラが、反対方向の左から現れてくるかのような感覚だった。
「ワシに刃を向けた者は、いかなる理由があろうとも逃げることを許さぬ。十キロ四方にアンチフィールドを張らせてもらった。ワシを倒さぬ限り、この空間から抜けることはできぬ」
いいさ。これで覚悟が決まった。俺は逃げる為に走ったんじゃない。一旦間合いを取るために。レオンがドラゴンを皆殺しにしたと知り、ピンときた。おそらくこれはレオンの筋書き。
俺がギルドで情報を掴んでドラゴン狩りに向かったことを知って――いや、そもそも情報操作をして、俺を巧みに誘導していたのかもしれない。クリスタルドラゴンの情報まで与えて。それはクリスタルドラゴンと戦え――そう言いたかったのだろう。その理由は簡単だ。クリスタルドラゴンとやりあうには、あの力を発動させるしかないからだ。あの力を行使すると、翌日は身動きすら困難になる。試験を直前に控えた状態で、それはあまりにも危険行為過ぎる。俺は間違いなく、サイクロプスやワイバーン狩りを選択していただろう。
……でも、それではダメなのか?
レオンは奴隷長試験の一次を担当した。そうすることで試験の全体の流れをコントロールできる。つまりレオンの考えているストーリーに乗せていくことが可能ということだ。レオンはあからさまに合格者をギルド派、革命派に分けた。革命派といっても、アイリーンのように何を考えているか分からん連中だ。今後、敵になるか味方になるか分かったもんじゃねぇ。だが、ひとつ言えるとしたら、ザーパスがこの現象を利用してくるという点。目障りな反対派を潰しに来るだろう。レオンがそうなるように仕向けた。レオンが、やろうとしている聖戦には、俺のこの危険な力が必要だというのか!?
俺はユーチェンから授かったレイピアを、アイテムボックスから取り出した。どうしてレイピアなんかを俺に渡したのだ。ユーチェンだって分かるだろう。俺にはレイピアが不向きな事くらい。俺の特技は、この足を活かした斬撃。敵を正面に抱えやすい突き専門の武器は、足枷にしかならない。だから、このレイピア――おそらくすべての武器を失った時に、一か八かで抜く最後の武器になるはずだ。その時に伝えるべきメッセージが、入っているに違いない。鞘から細身を抜き取った。それと同時に、剣身に巻かれていた一枚の手紙が舞った。それには、こう書かれてあった。
『シャドージェネシスの覚醒に必要な条件は、敵の攻撃のみでHP残量1にすること。自らの意思で覚醒すれば、後遺症は起きない』
これを書いたのは、レオンなのか!? 少なくともこれを渡すように指示をしたのはあんたなんだろ? つまりあんたは、こう言いたいのか。
――この戦いで、シャドージェネシスを乗りこなせ、と。
あの野郎。相変わらず強引な手法で、平然と無茶な注文ばかりしやがる。この力は、あまりにも危険過ぎる。敵味方、見境なく攻撃してしまう、一度は封印を誓った能力。だが、目の前には思いっきりぶつかっても勝てるかどうか――いや、今の俺のままだと全力をもってしても絶対に勝やしねぇ強敵。いいぜ。やってやるさ。それしかないんだろ? あんたの聖戦を成し遂げる方法は。
足元の雪は厚い。ゆっくり歩いていると足が埋もれてしまう。だけど俺にとってはさほど問題ない。踏込まず、流れるように走れば良いだけ。ブレーキこそかけられないが、これだけのスピードで急に止まれば、そこが一番の隙になる。どうせフィールドの端が存在しない十キロ四方をくるくる回るしかできない空間なのだ。障害物が少ないので、むしろ走りやすいくらいだ。クリスタルドラゴンは、白い放電状の弾丸を飛ばしてくる。それが地面に激突すると、雪が飛び散り、薄茶色い岩地が見える。敵の弾丸を交わすたびに、足場が悪くなる。次第に地面の形状がデコボコに変化していく。このままでは埒がない。時間と共に、状況が不利になる。どこかで勝負に切り出していかなければ。
それにしても、これ程までの強敵相手にHP残量1にするのはかなり酷な話だ。敵の放つ弾丸に軽く触れただけで、俺の四肢は吹き飛ばされてしまうだろう。俺には残された切り札は、ボーナスポイント901。これを防御力に入れるべきか。過去の成長を見ても、かなり厳しいものがある。クリスタルドラゴンの攻撃を耐えうるハズもない。
一段と大きいエネルギーの弾丸が飛んできた。だけど俺は瞑目し、ステータスウィンドを開いた。敏捷性に200突っ込む。
『シャドージェネシス スキルレベル21』『オートヒール レベル561』『雷鳴閃 レベル68』
基本値は上昇したが、新しい技の習得は無かった。アイテムボックスから新しい小太刀を取り出して抜刀した。そして敵の飛ばしてくる弾丸に向かって一直線に走った。
「ようやく逃げることをやめたか。だが真正面から突撃してくるとは、はたまたどういうつもりだ? 何か隠し玉でもあるのか?」
敵の放つ弾丸の軌道を小太刀でさばき、直撃スレスレでかわす。小太刀は木端微塵に破壊される。俺は間髪入れず、小太刀をアイテムボックスから取り出して構える。迎え来る弾丸は3つ。すべての軌道を変えて、クリスタルドラゴンの真正面に躍り出た。
「潔し! この至近距離からワシの攻撃を浴びて、絶命するがよい」
クリスタルドラゴンが大口を開けて、口内にエネルギーを集めていく。俺は奴の顔面まで接近した。これは、奴の注意を俺に向けるため。俺は計算していたのだ。このフィールドは10キロ四方しかない。北へ向かった攻撃は、必ず南から現れる。そろそろだ。てめぇの放った弾丸が反対方向からやってくるだろう。てめぇの攻撃が強大であればあるほど、そいつは鋭くてめぇに突き刺さる。敵が攻撃する直前、俺は敵の頬を蹴り、回避に転じた。続いてクリスタルドラゴンの後頭部、背中に、次々と奴が放った弾丸がヒットしていく。
「グルルゥ!? 小僧ォォ! 小賢しいマネを! だが、もはやその稚拙な小細工は通じぬぞ!」
残念ながら、小細工はもう完成したんだよ。先ほどの衝撃で、クリスタルの鱗が少しばかり剥がれ落ちていった。俺はその一枚を抱きかかえ、再び距離をとった。
小太刀ではあの固いクリスタルを貫くことができない。だったら、クリスタルから武器を作り出せばいいのだ。俺は『罠生成スキル』を発動させる。ウォールカッターを生成した。この罠は、あらかじめ壁や木などに仕掛けておいて敵を察知するとナイフが飛びかかる仕様のものだ。だが、今回は罠として使用しない。俺が欲しかったのはこれだ。俺はウォールカッターを分解して、クリスタル性の簡素なナイフを手に取った。小ぶりなのに、かなりの重量がある。俺は飛んでくる弾丸を交わしながら、筋力を強化していった。筋力に250投下したところで、ようやくクリスタルダガーがまともに扱えるようになった。
迫りくる高速弾丸の嵐。そいつをかわしながら、クリスタルドラゴンに接近していく。気を抜くと、敵の攻撃が体をかすめてしまう。息をつく間もない。とにかくスタミナ切れが怖い。スタミナはHPのように瞬間的に回復してくれない。胸が苦しい。このまま最大速度で走り続けると、心臓が破裂してしまいそうだ。それでもスピードを乗せて、クリスタルダガーで斬りつけた。敵のボディーに亀裂が入る。行ける! 俺の斬撃が通じる。敵の攻撃をかわしながら、次々にクリーンヒットを入れていく。敵の動きが鈍くなってきた。そろそろか。だが、こちらのスタミナはもはや限界だ。完全に息が上がっちまった。これ以上の高速移動は困難。無茶できて、ラスト一回。次で、シャドージェネシスへと覚醒する。
失速した敵の弾丸――そいつを敢えて、ほんの僅かだけ触れた。一瞬でHPが削り取られていく。この肉体は脆弱過ぎる。ひとつ間違ったら即死だ。だから俊敏性を上げていたのだ。
激しく消耗するHPの減少状況を、スローモーションで感じ取るためだ。
HP、15……14……13……12……。痛みという感覚は完全にマヒしていた。ここからが正念場だ。己を冷静に操作し、HP残量1で食い止めなくてはならない。薬草やオートヒールだと、回復に時間のズレが生じて追いつかない。リアルタイムで反応してくれるのは、ステータスの変化のみ。俺はステータスウィンドを開き、体力の項目に指を添える。HP……4、……3……。HPの減少速度は衰えない。このままでは俺のHPはマイナスに振りきれて、肉体が崩壊する。ギリギリのタイミングで、ボーナスポイントを体力へ注入する。最大HP増加と共に、僅かにHPも回復する。だがHPの減りは収まらない。即座に体力にボーナスパラメーターを投下。HPは3と2の間を激しく交差する。一瞬でも気を抜いたら死ぬ。遠のきそうな意識の中、ミスの許されない緻密な操作を繰り返す。HP減少速度が緩やかになった。
おそらくこれで最後。体力に187投下したところで、俺は手を止めた。
ジャストHP1。
俺が用いた手法は、体力強化時にHPが比率分だけ回復をするという現象を利用した荒業だった。相手が強敵だから可能だった。もし中途半端な相手だったら、オートヒールが邪魔をしてうまくコントロールできなかっただろう。だけど、ここからが本当の勝負だ。何としてもシャドージェネシスを使いこなさなければならない。
どういう訳かHPが1になった途端、体力がまったく回復しないのだ。オートヒールスキルがあるのに、どうしてしまったというのだ。瀕死状態の苦しみが、いつまでも継続している。歯を噛み締め、気を失わないことだけに集中した。
……こ、これが俺なのか……。
俺は別人にでもなったのだろうか。自分自身でも、その存在感をまるで感じないのだ。息をしているのか、心臓が動いているかさえもよく分からない。腕を曲げたり体を動かしたりすること自体はできるのだが、なんというのだろうか……骨や関節による、動作の限界がまったくないのだ。それはまるで無形なる影にでもなったような感覚だった。敵の放つ無数の光弾を、音すら立てず、美しくかわしていく。クリスタルのボディーをすり抜けて、体内へと侵入できた。手刀から繰り出す風圧だけで、内部からズタズタに斬り裂いていく。眼界には、無残に切り刻まれていくクリスタルドラゴンが映った。
元の俺に戻れた時、例の副作用はまるでなかった。
どうやら俺は、シャドージェネシスを乗りこなせたようだ。
だが、結局、時間ギリギリまでレベル上げに費やしてしまった。このままではインターバル抜きで、二次試験を迎えることになる。試験前にはアイテムの確認や準備等もしておきたったのに。とにかく急いで山をくだって行った。途中でユーチェンと出くわした。
「修二! 何してたんだよ!」
「ごめん。急いで向かえば、試験には間に合……。お、おい。なんでアイリーンが……」
「この人が助けてくれたんだよ。それよか、もう試験どころでない状態なんだ」
ユーチェンの肩には、ぐったりとしたアイリーンの姿があった。二人とも血まみれだ。
「……ガナンが暴走を始めた……。街は死者で溢れかえっている。……あいつは規格外の力を身に着けてしまった……。もはや、あいつの独壇場。レオン様が抑えているが、あとどれくらいもつか……」
「なんだって!? 黒瀬先輩は!? ひなたやターニャは!?」
「……分かんない。でも、あいつはもう、誰にも止めることができない。って、待ってよ。どこへ行くつもり? いくら修二でも、あんな化け物……。もう試験どころじゃないだよ!」
「そもそも俺は奴隷長試験に興味なんてない。俺はただ、みんなを助けたいだけだ」
「ま、待って」
ユーチェンは俺の腕をつかんだ。俺はそれを振りほどいて、先へ進もうとした。
「だから待ってって言ってるじゃないか!」
そう言うと、ユーチェンはありったけの小太刀をアイテムボックスから取り出した。
「早くこれをアイテムボックスに格納して、私の肩につかまって!」
「どうして?」
「だって、どっちみち行くんだろ? 私は修二を最後まで応援するって、初めて会った時から決めているから」
俺はユーチェンに目で頷くと、アイリーンに視線を流した。
「……いいから行けよ」
「どうして俺たちを助けた?」
「助けたつもりなどない。私は馬鹿の下につきたくない、ただそれだけだ。……お前が何秒で馬鹿を狩るのかちょっと興味があったが……それを見られないのが少し残念だ」
アイリーンはそう言うと軽く笑った。それは彼女が初めて見せた笑顔だった。俺は彼女にひとつ頷くと、ユーチェンの肩に手を添えた。すぐに景色が変わる。
あのセントヒルズ教会が、真っ赤に炎上している。
その周りを、ボロをまとったゾンビがウロウロと徘徊している。肌がただれた者から蒼白な顔をした騎士まで、その数はあまりにも多い。
教会を見上げた。赤い屋根の上にはガナンの姿がある。対峙しているのはレオン。どうも様子がおかしい。口の周りを赤く染め、苦しそうに腹部を押さえている。レオンの後ろには黒瀬先輩たちの姿もある。
「レオンさ~ん。はーやーくぅ、その女を渡してよぉ。アヤノは俺様の奴隷なんだ~か~ら」
「奴隷長試験に合格していない者に、そのような権利などない」
「試験だぁ? 何を言ってるんだ、バーカ! 俺がすべて始末してやっただろうが! 他の受験者も二次試験を取り仕切っているザーパスのおっさんも、法務官のじいさんも、すべて抹殺してやっただろーが。もう忘れたのか、頭悪いな、お前。どうせシュージもレベル6のまま路頭に迷っていることだろうしよ。だったら、もういいんじゃね? もう俺が奴隷長でいいんじゃね? あんたをぶっ倒せば認めてくれるってか? まぁあんたを倒せば、俺がギルドで一番ヘビーな野郎に繰り上がっちまうけどな。アイム、ナンバーワン! だはっ、だははは!」
ガナンはレオンににじり寄っていく。レオンは一歩ずつ後退していく。あのレオンが押されているなんて。
コーネルが俺のそばにやってきた。壮絶なる死闘を繰り返したのだろうか。服はボロボロに千切れ、全身血まみれになっている。
「ミスターシュージ……。レオン様はあなたと戦った時、すべての力を使い切りました。もはやレオン様には残された時間などなかったのです。それなのに無理を押して、行動されてきました。もはやあの若者を抑える力は、レオン様に残されておりません」
ガナンの視線は俺へと切り替わった。
「あれぇ? ゴミでヘタレのシュージちゃんじゃねぇか!? どうして戻ってきたんだ~い? 今更帰ってきても、もうどうしようもないぜぇ~? そこで見てろ! これからレオンをぶっ殺して、アヤノを俺の玩具にして、バラバラにぶっ壊してやるからよ。キャハハハ!」
ひなたが俺に向かって叫んだ。
「……伊賀君! この人、無茶苦茶強いよ……」
ターニャも続く。
「伊賀先輩。たった数分で、この教会は陥落してしまいました。ギルド上層部の幹部もまったく歯が立たず、次々にマリオネットにされていきました」
黒瀬先輩が静かに口を開いた。
「ガナンが放つ紫色の光線を浴びるだけで、操り人形のようにされてしまうのだ。ネクロマンサーらしい小賢しいスキルだ」
ガナンは胸を反らし、大笑いしている。
「そうさ。俺のスキルは最強だ。ネクロマンサーこそ、絶対無敵のクラス。もはやギルドは俺のもの。こいつらすべて俺の遊び道具さ。ぶっ壊し放題よ。ククク、最高だぜ!!」
黒瀬先輩が大声で叫んだ。
「伊賀修二! この馬鹿に忠告してやっていいか?」
ガナンは「あん?」と顔をしかめる。
先輩はガナンを指差し、「いいか! お前を伊賀修二が三分で沈める」と言い放った。
俺は静かに目を開いた。
「先輩、三分もいらないですよ。三秒で十分」
「ふ。さすが伊賀だ!」と言うと自慢げにガナンに視線をぶつけ、「だとさ。さっさと謝るんだな」と続けた。
「ククク。アハハハ。ゴミが、悪臭を放った戯言をほざいてら!」
そこまで言うとガナンは血管を膨らまして、俺に向かって怒声を飛ばしてきた。
「覚悟はいいか!? シュージ! 貴様は細切れにしてドロドロのシチューにしてやって、アヤノォー! てめぇに一滴残らず飲ませてやるからな!」
ガナンの後方に紫色の六芒星が浮き上がった。それは無数の弾丸へと変わる。その弾丸は、俺に向けて発砲された。
「食らえ! ダークネス・グロウ!」
レオン、そしてクリスタルドラゴンとの闘いで、俺の中に宿るシャドーの力は極限まで研ぎ澄まされた。目視するだけで、あの弾丸の性能、更には破壊力まで分かってしまう。中心核に触れると破裂し、気化した成分を吸い込んだ者は自我を失いマリオネット化、同時にかなりのダメージを受け、それによって死ぬとゾンビになる、か……。
俺は飛び上がると、その一発を踏み抜き更に大きく飛翔した。奴の放ってきた弾丸を順々に踏みつけ、それを足場にして、俺は野郎のいる教会最上階の屋根までやってきた。
「面白れぇ珍芸してくれるじゃねぇか! だがな――」
ガナンは鋭く手を前に突き出していた。そのまま奴の両手から紫色の閃光が膨れ上がり、凄まじいエネルギーの光線となって前方へと放出された。
「バカめ! シュージィィ!! 俺はこのタイミングを狙っていたのさ! この超至近距離からなら、絶対に回避不能! 死ねや! ゴミィィィ!!」
かわすまでもない。何故なら俺は、影。
さっき野郎の弾丸を踏みつける度に、HPが削られていた。それを利用して俺は、シャドージェネシスへと覚醒していたのだ。調子に乗って何発も飛ばしてきたので、調整は容易だった。俺の髪はゆらゆらと逆立ち、全身は影のように漆黒へと変化していた。ガナンの飛ばしてきた閃光をすり抜け、そして俺の手刀は、音すら立てずガナンの胸板を貫き、それは奴の背中へと貫通する。
「な、何故……。ど、どうして、お前のようなクズが、俺様を……」
「理由なんてねぇよ。俺は約束を守っただけだ。三秒でケリをつけるって言っただろ? じゃーな。あばよ」
俺が腕を引き抜くと、ガナンは白目を向けて屋根から崩れ落ちていった。




