第二章 サバイバルスタート1
ロイを埋葬したとき、彼の日記に気づいた。それを読み、彼が想像を絶するくらい苛酷な世界で生き抜いてきた事も知った。そして俺達が迷い込んだ世界がどれほどまで悲壮なのかも、思い知らされた……。
陽が顔を出してくれたおかげで、街の全貌が明らかになった。
レンガ造りの家が連なるその数軒は先には、剣や鎧の模様が描かれた看板が風で揺れている。見上げると霧に包まれたチャペルがうっすらと視界に入る。その向こうには塔を何重にも連ねた雄大な城がある。その光景は、まさに西洋を舞台にしたRPGそのものだ。ゲーマーたちの心を熱くたぎらせるくらいの圧倒的な存在感がここにはある。だが、ここは過酷なサバイバル。ゴブリンすら倒せないプレーヤー達が、初心者を狙い、路地裏で息を潜めている。
ゲーム研究部のメンバー達は、路頭に迷っている。みな、表情に活力がない。暗く肩を落とし、トボトボと歩いている。そんな中、最初に声を発したのは黒瀬先輩だった。半日歩いてやや艶を失った長い黒髪を軽く撫で、気丈に振る舞う。
「帰れないと知った以上、くよくよしても仕方がない。ロイのおかげでこの世界が救いようもない凄惨なところとだけは分かったが、それでも私達は生きて活路を見出す必要がある。まずはリーダーを決めておきたい」
そこまで言うと、どういう訳かこちらにガンと視線をぶつけてくる。
――俺?
「悪いけど、俺はリーダーに向かない。行動力や決断力が優れている訳でもないし、チームをまとめる事が得意なわけでもない。言っちまえば、ただのゲームオタクだ。独りで行動するのが性に合っている。決断力なら黒瀬先輩、行動力なら洋介の方がある。二人のうちどちらかが、みんなを引っ張っていくべきだと俺は思う」
「それは知っている。伊賀、お前は根っからのゲーマーだ。リーダーに向く資質を持っているとは到底思えない。だがロイの話から推測するに、この世界はRPGの要素を含んでいる。お前、攻略したRPGの数を言ってみろ?」
は? 知らねぇよ、と言いたいところだが、こういう事だけはしっかりと記憶している。
「昨年の攻略数は三百十二本。うち神ゲーは三本。アイテム取得率百%は二十三本。レアキャラをゲットしたのは五十二本。やり込む価値が無いと判断して速攻でクリアして叩き売ったのは二百十二本。あと――」
「もういい」と黒瀬先輩が止めるが、ひなたは首を傾げる。
「ねーねー、伊賀くん。一年三六五日しかないのにどうやって三百本以上もクリアしたの? 一本一日ペースじゃん? 学校サボっている様子だってないのに」
「簡単だろ? ゲーム機三台と、PC二台、それとタブレット端末を使えば簡単じゃねぇか? 格ゲーと違って、RPGは敵は待ってくれるものが大半だ」
黒瀬先輩はふぅと嘆息を吐き、議題を戻す。
「伊賀のRPGの経験数は半端ではないことだけは知っている。攻略サイトはもちろん、説明書がなくとも容易に攻略できるんだろ?」
まぁ最近のゲームは、序盤に親切なハウツーがついているからな。今回はロイとの出会いが、そいつに相当するわけだが。だから首を縦に振った。
「だからリーダーを伊賀に抜擢するが、文句のある奴はいるか?」
いつもすぐ揉めるゲーム研究部の連中は、誰も首を横に振らない。満場一致かよ。
そんな俺は、今、別の違和感を覚えている。どうもさっきから、誰かがつけているようなのだ。姿こそ見せないが、俺達の足跡に混ざって、別の気配を感じる。次第にその足跡は増えてくる。黒瀬先輩も気付いているのだろう。切れ長の目で視線だけをこちらに向け、
「走るか?」
「いえ、脅しましょう。キリがないですから」
俺は振り返り様、物陰の方へピストルを向けた。
隠れていた男たちは壁の影から躍り出て、俺達に向かって銃口を向ける。髭だらけでボロを着た浮浪者風の男が三人。おそらく反対側の壁にも数人のグループが潜んでいるに違いない。きっと俺達は、初心者としてマークされているのだろう。
俺は空に向かって威嚇射撃をした。凄まじい衝撃が、肩を抜けて全身へ突き抜ける。
男たちは、真っ青になって慌てて逃げていく。
貴重な弾丸を使ってしまった。残り五発……か……。
「お、おい、伊賀。どうして攻撃を仕掛けた。勝てる見込みはあったのか? あいつらも銃を持っていたぞ。一歩間違っていたら私達の方が――」
「やつらの銃には弾は装填されていません。使い果たしています。じっくり様子を見ていたのはそのせいです。だから、こちらの戦力を教えてあげたんです」
「は?」
「まともにぶつかると戦闘の素人の俺達に、勝てる見込みはない。だから腐るほど弾はあるんだっていう誇示をしてやったのです。威嚇射撃という名の無駄撃ちをしてね。だけど、いつまでもこんなハッタリが通じるとは思えない。それに俺達は狙われやすい。この世界に来た新参者だとすぐにバレてしまう。生活感のない清潔な学生服を着ているし、それ以外にも――」
そこで言葉を詰まらせてしまった。
「どうした? 伊賀。今はお前がリーダーなんだ。ハッキリ言ってくれ」
「このパーティは女が三人もいる。だから狙われやすい」
ひなたとターニャが真っ青になる。
黒瀬先輩は小物入れからハサミを取り出すと、長い黒髪に刃を向けた。
「分かった。お前らも男装しろ。髪をバッサリ切って、それからスカートは……」
俺はそれを制し、
「先輩、待って。髪と服は売れるかもしれない。みんなも何か売れそうなものを持っていないか? 身に着けている物はそのままこの世界に持ってきている。それを売却し、この世界の通貨を手に入れて、古着屋を探して目立たない服を購入しよう」
俺達は茂みに隠れ、所持しているものをすべて出してもらうよう指示した。
学生証、財布、カードに現金などが出てきた。黒瀬先輩の持っていた小物入れからは、どういう訳か『極薄君』と表記された未開封のコンドームの箱がでてきた。
「あ、そ、それは……。姉さんの……」
「あれ? 先輩。確か一人っ子と聞きましたが」
「……い、生き別れた姉がいるのだ」
真っ赤になる黒瀬先輩。意外と可愛い。
「へぇ~。生き別れのお姉さんの持ち物をどうして持っているんですか? もしかして形見なのですか? この極薄君と命名された謎の物体が、まさか思い出の品とか?」と毒づいてみる。
「お、おい、伊賀修二。疑っているのか? 私は正真正銘の生娘だ。なんなら試してみるか?」
生娘?? それ、いつの言葉だよ? それに試すってどうやって?? まぁ、保健体育のときに先生がコンドームの必要性をこれでもかってくらい熱弁した後、『数分未来には何があるか分からん。幸せな将来の為に万全を期せ。チャンスは何度もやってこない。油断した方が負けだ。あっはっは!』と言っていたもんなあ。黒瀬先輩は、これでいて真面目だからねぇ。
「とりあえず全部俺が預かります」
ひなたは真顔で、「伊賀くん。極薄君を何に使うの?」
「おい、決まっておろう。聞くでない!」と黒瀬先輩は即答。
おそらくあなた達の考えている使用目的とは程遠いと思いますが。
アイテムをすべてかき集めると、ひなたが持っていた手さげ袋にすべて投げ入れそれを預かると、今度は店を探した。看板の出ている建物を見つけると、片っ端から入って、売られている物を調べて回った。
金がなければ相手にしてくれないとロイが言っていたのは本当らしい。店にはNPCと呼ばれている店主や店員がいて、それは頭の薄くなった男性だったり気の良さそうな老人だったりと様々な容姿で表情も豊かだが、関係のない事は一切応じてくれない。
「やぁお客様、わざわざわしの店に寄ってくれるたぁ~、うれしいねぇ。今日はお買い得だよ!」と気さくに話しかけてくれるが、それは一辺倒で、まるでテープレコーダーのようだ。
錬金術師の店もあり、店内に座っている魔女の恰好をした老婆のNPCが「金属をおくれ。換金してやるよ。ケッケケ」と不気味に繰り返しているだけである。同じことしか言わないので間抜けでもある。ひなたは最初怯えていたが、おちょくりだした。髪を引っ張ったり、鼻を摘んだり、頭の上にハンカチを置いてみたりと、それはもうお子様のいたずらのように。されど「金属をおくれ。換金してやるよ。ケッケケ」としか言わない。
「ひなた、もういいだろ? 婆さん、これ、いくらになる?」と、財布から五百円玉を取り出して老婆の前に置いた。
「おやおや、イイモンを持っているね。ケッケケ」
どの材質がいくらになるのか相場が知りたいので、ひとつずつ換金していった。意外にも十円玉が、比較的高値で売れたのだ。高値といっても十円という価値しかない物を換金した割合の話なのだが。十円一枚の売却値が、三リカになった。ところどころ点在している喫茶店のコーヒー一杯が二十~四十リカだった。つまり十円玉に三十円程度の価値があるってことなのだろう。確か十円硬貨の素材は青銅で、銅が九十五%、亜鉛が三~四%、スズが二%以下だっけか。百円硬貨は白銅を使っており、銅が七十五%、ニッケルが二十五%。日本の紙幣はやっぱりゴミ当然だった。買い取ってくれない。こんなことならもっと十円玉を持っていればと思いつつも、使えないものはすべて売却した。もちろん携帯電話もばらして、すべて鑑定させた。
「あのさ、婆さん。髪とかも買い取ってくるのか?」
「かつらを作っている工房なら、この先にあるよ。ケッケケ」
老婆はしわだらけの細い指で方角を指示した。やはり髪も売れるみたいだ。嫌な思い出なのだが、先日女性を襲っていた男達が、殺した相手の髪を切り落としていたのを目撃したから、もしかしてそうではないのかと思っていた。
売却が終わると、今度はかつら工房へと移動した。
大柄な店主の親父が「よく来たな。良質な髪なら高く買うぜ」と威勢よく出迎えてくれた。
「おや、お嬢さん。こいつはすばらしい黒髪だ。こちらの金髪もなかなかのもんだ」と褒めちぎっている。黒瀬先輩の黒髪は千五百リカ、ターニャの金髪は七百五十リカの値段がついた。俺のも売りたいが、手入れが悪いからゴミと言われた。NPCのくせにはっきりいう親父だ。
「あははは。あたしの髪はもっと高額になるよ。鑑定、お願いします」
ひなた、お前、すでにショートカットなんだからやめとけ。ハゲになっちまうぞ。俺の心配をよそに、親父に「染めているからゴミだ」と言われ、ひなたはしゅんと下を向いた。
店主はハサミを持ってきて、黒瀬先輩とターニャに、椅子に座るように指示をする。
二人とも自慢の髪の毛だったと思う。ターニャは何だか寂しそうにうつむいている。女の人が髪を短く切り落とすってどういう心境なのだろう。
「すいません」
「どうして謝る? 伊賀の助言で、有効活用ができたのだ。別に気に病むことはない。それに動き回るのに髪は邪魔だ。さっぱりしてよいわ。美容院代だってタダで済むしな。あははは」
そう言って笑っているが、彼女の内心は分からなかった。
ターニャは肩まで。そして黒瀬先輩はワイルドにウルフカットにまで切り落とした。
雰囲気はガラリと変わったが、二人ともよく似合うと思った。例えるなら黒瀬先輩は長い黒髪の弓道部からボーイッシュな空手部へ、ターニャはお姫様から、お転婆娘への転身。自分で言っていてもよく分からん表現なのだが。
最後に古着屋に向かい、それぞれの服を買い、制服を売却することにした。
ひなたは、「あたしの写真をつけて売ったら高値がつくよ」とか言っているが無視だ。外から来たばかりの初心者プレーヤーって事がばれないように服を新調するのに、足がつくことをしてどうする?
古着は安かった。日本円換算で百円前後。学生服を売っても釣りが出るくらいだ。
俺は黒いベストに紺のズボンを選んだ。ターニャはマリーアントアネットのようなゴージャスな服を選んでいる。やめとけ。これからゴブリンやスライムと死闘を繰り広げるんだ、すぐにボロボロになる、ボロ着でいい――と心で訴えてはみたが、女性陣のおかげで資金が豊富になったのだ。俺が指図すべき立場ではないので、黙っておいた。
手元には、日本円にして三万円弱が残った。だが、五人で三万円という軍資金は果たして多いのだろうか。おそらくすぐに溶けちまうだろうが、当面の資金調達に成功した。これでようやく武器屋に行ける。この調子なら今日中にゴブリン狩りに乗り出せそうだ。
金を分配して、俺達一向は武器屋へ向かった。一人当たりの所持金は、六百リカ。日本円換算して六千円相当。
剣をかたどる看板が見えた。スイングドアを潜り、店の中へと入る。カウンターの奥には、ロングソードやダガー、バックラーといった冒険者初心者向けお馴染みの武器がズラリと並べられていた。――わりとするんだな……。
ロングソード如きが日本円換算で六千円もする。まぁ考えようによっては、それだけの金で刀が買えること自体がお得なのかもしれないが、こいつを購入すると素寒貧になってしまう。こういった高額な買い物は、敵がどの程度の強さなのか調べてからじっくり検討するべきであろう。
とりあえず店から出ると、高い木に登って、洋介から預かった双眼鏡で町の外を確認しておいた。あれが、ゴブリンか。数匹の群で徘徊している。背丈は俺の腰くらい。手にはこん棒がある。強さは野生の猛獣と変わらないって話だ。俺達がライオンや虎に戦いを仕掛けて勝てるかと言われたら答えはNOである。ロイの日記によると、この世界の敵はこの世界の武器しか通用しない。ピストルが通用するのは、プレーヤーだけである。そしてゴブリンを倒すことができるようになったら、ひとまず脱初心者と言えるらしい。だが大抵のプレーヤーは、ゴブリンやスライムに殺されてきた。宿屋の価格は一人当たり五千円だった。結局のところ、今日中にゴブリン退治を成功させないと野宿になってしまうわけだが、町にはご覧のとおり浮浪者が徘徊している。野宿はあまりにも危険だ。――そうこう考えているうちに、格ゲーマニアの洋介は、鉄の爪を購入して虚空をジャブしながらはしゃいでいる。
じっくりと武器を見分していく。武器はカウンターの向こうにあるガラス戸の中に立てかけてあり、値札と名称が書かれているだけで、購入しないと触らしてくれないのだ。手に取って気に入らなければ、三分の二の金額で下取ってくれると店主は言う。サービス精神皆無の不親切極まる設定。散々迷ったが、結局最初に目をつけたロングソードを購入した。ベルトがあり、背中に背負える仕様になっている。俺は金を払い、店長からロングソードを受け取った。両手に凄まじい重量を感じた。なんて重さだ。持っているだけで精一杯だ。
ロイの日記には、確かこう書いてあった。
『武器によっては筋力が必要なものもある。初期にボーナスポイントが二十あったので、それを筋力に振り分けることで装備することが可能になった』
目を閉じると、まぶたの裏に青い画面が広がった。これは自分のスキルを確認したり、能力を割り振ったりするためのステータスウィンドゥだ。タッチパネルの要領で、指でタップすると各パラーメーターに数字を振り分ける事ができる。
ロングソードを装備するために、一ずつstrength(筋力)の数値を増やしていった。
ついには十投入してみたが、それでも重すぎてまともに振れない。引くに引けなくなり、挙句の果てには十五も投入して、ようやくそれなりに扱うことができるようになった。
黒瀬先輩は、ロングソードより遥かに重そうな鉄の槍を選んでいた。ふと気になって、彼女の方へ視線を向ける。なんと風を切るように虚空をぶんぶん振り回しているではないか。
「せ、先輩、筋力をいくら上げたんですか?」
「きんりょく? なんだ、それは? そんなことより、この武器はおもしろいな。あはははは」
もしかして武器には相性があるのだろうか。例えば戦士とか魔法使いといった設定があり、それに応じて装備できるものが異なるというのなら、俺は初っ端からミスダイブしたことになる。苦手な武器を選んだ可能性があるからだ。ロイの日記を熟読していたのだが、職業のようなくだりはなかった。『早い段階で強力な武器を使いこなすことが生き残る秘訣』とだけ書かれてあった。
俺が考え込んでいる内に、残り二人も勝手に武器を購入していた。
ひなたは最初、弓を購入したようなのだが持ち上げる事ができず、それを売却して今度はショートソード、それも駄目で、また売却して、挙句の果てには、ムスッと頬を膨らませて座り込み筋力をぽちぽちと20上げてようやくダガーが振りまわせるようになったとかほざいている。ターニャなんて、もっとひどかった。筋力を20上げて木製の簡素な棒がやっとだった。
俺もだけど、この二人はもっとミスを犯したのではないのだろうか。それに引き替え、洋介はすごいことになっている。放つ拳からは、真っ赤な炎が巻き上がっているのだ。こぶしを突き上げ「早くバトルがしてぇぜ!」とか言っている。
それを目の当たりにしたひなたは、洋介から鉄の爪を奪い取って自分の手にはめようとするが、顔をしかめて「何これ! 重たい!!!」とのたまい、地面にドスンと落とした。
皆、初期のステータスは5だと言っていた。やはり武器との相性があるのだろうか。とにかく金が無くなってしまった以上、戦って稼ぐしかなくなった。
ロイの日記には気になる点が多かった。『早くゴブリンを倒せるようになった方がいい』という意図の事が、何行にも渡って書き込まれていた。更に疑問視させる文章があった。結局ロイは、ゴブリンを倒すことができなかったとも書かれてあったのだ。ここからは推測なのだが、ロイはゴブリンを倒しているプレーヤーと接触して、そのようなアドバイスを貰ったのではないのだろうか。ゴブリン退治――きっとこれが、冒険者として一歩前進できるかそうでないかの分かれ道なのだろう。
街外れの門までやってきた。
この門を潜れば、モンスターのいる草原に出る。俺は改めて皆に向かい、注意をした。
「みんな、聞いてくれ。とにかく一匹を確実に倒すことだけを考えよう。単独行動をしている一匹に狙いを定める。日記を読む限り、ゴブリンはとてつもなく強かったとしか書かれていない。だけどこれを突破しないと、街の浮浪者として生きていくことしかできない。作戦通り、黒瀬先輩は武器のリーチを活かして、近づいてくる前に叩く。洋介と俺は間合いに入り込まれたらラッシュをかける。いいな!」
「了解!」「おっしゃ! 任せろ!」
ひなたとターニャに視線を向けた。彼女たちは、戦力にならないだろう。所持している武器はダガーに木。それも辛うじて振ることができる程度。街に置いていくべきか悩んだが、浮浪者達に狙われて勝てるわけもなく、結局のところ連れていく事にした。もちろん「絶対に敵に近づくなよ!」と釘をさしておいた。
背の高い木に身を隠しながら慎重に進んだ。洋介は俺に目配せをしてきた。
「いたぜ。伊賀、二匹だ。どうする?」
「二匹は分が悪い。よそう」
「そんなことはないと思うぜ? だって俺、きっと相性のいい武器を見つけたに違いない。おそらくみんな、自分の属性に気付けなくて失敗したんだろうよ」
俺が制するのを無視して、洋介はゴブリンに向かって走っていく。
――あのバカ!
俺も背中からロングソードを抜いて、洋介を追いかけた。黒瀬先輩も続く。
「ひなたにターニャ。絶対にそこを動くなよ!」
それは一瞬の出来事だった。
ゴブリンもこちらに気付き、顔を向けたと同時に猛烈に飛びかかってきたのだ。二匹のゴブリンは洋介の両脇を潜り抜け、俺の真正面までやってきた。とにかくロングソードを振り下ろした。だけど、まったくかすりもしない。ブンと虚空を斬りつけただけだった。
ゴブリンはこん棒で叩きつけてくる。反射的に剣身で防いだが、遥か後方まで吹き飛ばされた。まるで車にでもはねられたかのような凄まじい衝撃だった。体が宙を舞い、意識が一瞬揺らぐ。次に意識が戻ったのは、草むらに背中から叩きつけられた時だった。
なんとか奮い立ち、目でゴブリンを探した。
二匹は、ひなたに向かっている。ゲームによっては、弱い者を集中的に攻撃してくるタイプのものがある。もしかしてゴブリンには力を察知する能力でもあるのだろうか。
黒瀬先輩はゴブリンを追っているが、まったく追いつけない。彼女はゲーム研究部に来る前は、陸上部だった。その前は剣道部。更に前は柔道部。スポーツ万能で、大会前の運動部からは常時スカウトが来ている。このメンバーの中では、ずば抜けて身体能力が高いはずだ。それなのに、離されていく一方なのだ。それはまるで野生のチーターでも追いかけているようだった。
「ひなた、逃げろ!」
だが、ゴブリンの右腕が高くかざされた次の瞬間――
ひなたの片方の腕から大量の血が噴き出していた。悲鳴すら発する前に、右ひじから先が、吹き飛ばされたのだ。俺は手さげ袋に詰め込んでいた風船を取り出すと、ゴブリンに投げつけた。それはコンドームの中に砂を入れた簡素なものだ。ロイの日記には、この世界の物質なら敵に通用するとあった。コンドーム自体には攻撃力はないだろうが、その中身はこの世界の砂を使っている。ゴブリンは反射的に、こん棒で風船爆弾を叩き割る。それは破裂し、辺り一面に砂の霧が舞う。もろにゴブリンの目や鼻に入ったのだろう。苦しそうに咳き込む。
ようやくひなたの傍までやってきた黒瀬先輩と洋介は、ゴブリンに向かって槍と拳を叩き込んでいくが、盲目状態のゴブリンに攻撃がかすりもしない。それどころか、黒瀬先輩が猛烈に突く槍を潜り抜け、彼女の腹部を鋭い爪で切り裂く。後方に飛び退き、紙一重でかわしたように見えたが、服の腹部が破れ、五本の赤い筋が生まれた。傷は浅かったのだろう。黒瀬先輩は、間髪入れずカウンターの突きを入れる。回避不能と思えた至近距離の突き。だが、ゴブリンは獣じみた動きで、ゆうゆうとかわした。想像をはるかに凌駕する強さ。まさに化け物だ。
俺は錯乱状態のひなたを背負うと、「駄目だ。勝てない。逃げるしかない!」と叫んだ。黒瀬先輩と洋介も俺に向かって首を縦に振った。俺は迫りくるゴブリン目掛けて、ありったけの風船爆弾をぶつけていった。街の中にはモンスターは侵入できない。それだけを頼りに、心臓がはち切れそうになるくらい全力で走った。だがゴブリンは飛ぶような勢いで足を回転させ、あっという間に距離を詰めてくる。
洋介は俺に、「すまない。俺のせいだ……」と言うや否や、ゴブリンに向かって走り出した。
「おい。バカ。やめろ!」
「伊賀ァ。ここは俺が何とかする! だから……みんなを頼む!」
「おい、待て!! 早まるな!」
洋介を追いかけようとした俺に、黒瀬先輩は、
「伊賀。止まるな。走れ! 佐伯の行動が無駄になる」
だ、だけどよ……。
振り返ろうとしたそのとき……後方から肉を貫くような鈍い音がした。
「い……が……。行け! たの……む……。こいつらは……俺が……」
背中に抱えているひなたが暴れだした。
「洋介君が! 洋介君が! こうなったのはみんなあたしのせい。だからあたしも行く! 伊賀君、降ろして!」
俺は黙って走った。ひなたが行ったところでどうなる!? 既に片腕を失っているのに、利き腕がないのに、武器すらまともに握れやしないのに、いったいどうするつもりなんだ! 行ったところで犬死だ。俺だってそう……。万全の状態で戦っても勝てなかったというのに、俺ひとりで行ったところで果たしてどうなる?
洋介が命を張ってくれたおかげで、俺達四人はなんとか街の入り口まで逃げ延びることができた。街の中に逃げ込めたというのに、ターニャは走る事をやめようとしない。
「おい。止まれ! ターニャ。もう敵はやってこないよ!」
「だけど!」
「ひなたと、黒瀬先輩は怪我を負っている。こんな状態で街をうろうろしていたら、浮浪者どもに恰好の餌食にされちまう。まず応急処置だ」
ひなたの腕を見た。右ひじの関節から根こそぎ持っていかれている。とにかく早く止血しないと。
「きっとあたし、もう助からないよ。あたしといると狙われるから。だからここに捨てて行って」
弱々しく漏らすひなた。
「バカ言え! これは俺の判断ミスだ。お前を死なせやしない。とにかく止血だ。そして傷口を洗って……。それから……」
黒瀬先輩は腹部を抑えて、「うぅ」と苦しそうに膝を崩した。
「どうしたんですか?」
「……ははは、何でもない。大丈夫だ」
俺は服の袖を破ると、ひなたの腕にきつく巻きつけた。そして黒瀬先輩「見せてください」と言い、シャツを捲り腹部をみた。五本の爪痕の周りは青く変色を始めている。
きっと毒に違いない。日記にも解毒剤は、早めに買った方がいいと書かれてあったが、かなりの高額商品だった為、後回しにしていた。毒を使いそうな敵を避けて戦うつもりだった。まさかゴブリンが毒をもっているなんて。安易な判断に後悔する。冒険初日にして、いきなり厳しい現実を突きつけられた。
「まだ引っかかれて、それほど時間が経っていない。吸い出そう」
俺は黒瀬先輩に横になるように告げて傷口に口をつけて、血を吸うと、草むらにペッと吐く。
「……伊賀。すまない……。佐伯を殺したのは私だ……」
「……何を弱気な。先輩の判断がなければ、今頃全滅していました」
川べりまで走り、シャツに水をしみこませて戻ってきた。シャツを絞ってひなたの口にあてる。ひなたはガクガク震えている。顔に血の気はなく目はうつろだ。
「……も、もういいよ。あたしより、黒瀬先輩の手当てをして……」
みんなを水場まで移動させたいが、平坦な川べりは目立つ。だから少し離れた草むらに身を隠している。――早く次の手をうたなければ……。
ひなたは唇を震わせながら、弱々しく話している。
「……ごめんね。あたしのせいで……。街を出るまで……なんとかなると思っていた……。ゲームって絶対に攻略できるようになっているじゃん。だから……。きっと何とかなるって思っていた……。だけど……げほ、げほ……」
「大丈夫だ。俺が何とかする」
目で力強く頷いてみたものの、実際のところ、マジでどうしたらいいんだ!? 見よう見まねで毒を吸い上げてはみたが、黒瀬先輩もぐったりしている。
「おい、伊賀……。口はゆすいだか? ……私の毒がそなたの体を蝕むやもしれん……」
こんな状態になっても黒瀬先輩は微笑を浮かべながら、俺の心配をしてくれている。
解毒剤は千リカ――つまり三万円相当もするのだ。ロングソードを売ってもとても手の届く金額ではない。もういっそのこと、みんなの武器も売却して……。
「伊賀……。変な事を考えるなよ。武器を売れば、私達だってこの街に巣食う浮浪者同様、路頭に迷う。初心者を狙う盗賊など、したくないだろ?」
そう言って、俺の手を握ろうとする。俺は先輩の手を取った。先輩の手は震えていた。いつも自身に満ち溢れていた黒瀬先輩が……。
熱があるのだろう。頬が赤い。唇は紫色に変色している。俺の想像力が足りなかった。どうして初心者狩りをする連中が、これ程までに多いのか、ちょっと考えれば分かるはずだ。それほどまでに敵は強いってことだ。俺の判断が甘かった為に、洋介は……。怒りにまかせて地面をぶっ叩きそうになったが、やけくそになっては駄目だ。このままだと、夜が来てしまう。暗くなれば、身動きがとれない。時間が解決してくれるわけがない。ひなたは出血多量の重症。先輩は毒。今、俺ができることはなんだ!? わずかな可能性でもいい。
――ひとつある。
俺はターニャにピストルを手渡す。
「ターニャ。残りの弾数は五発しかないが、変な奴が来たら迷わず撃て。いいな!」
「伊賀先輩。どこへ行くんですか?」
「心配はいらない。絶対に戻ってくるから」
俺はそう言って、ある一点に向かって走った。目的の場所は、洋介と別れた地点だ。
街から出ると、木や草陰に身を隠しながら慎重に進んだ。
俺が探しているのは、洋介をやりやがったゴブリンだ。洋介は何が何でも、ゴブリンを食い止めるつもりだった。もしかして、それなりのダメージを与えているのではないのかと思った。その証拠に、あれだけ俊敏な足を持つゴブリンが俺達に追いつくことができなかった。洋介の努力を無駄にしてはいけない。少しでもダメージを与えてくれているのなら、何としても仕留めてやる。そうすれば金だって手に入る。それに洋介は生きているかもしれないのだ。そうだ、あいつがそう簡単にくたばるはずがない。いつも熱く格ゲーの話ばかりしているあのバカが、たかだか、ゴブリンなんかによ! ちょっとばかし怪我をして、足を引きずりながら、いつものように「よぉ、伊賀!」って手を振ってくれるに違いない。
そして、ひなた。
彼女は腕が抉られ、今、生死の淵を彷徨っている。彼女はドジでおっちょこちょい。だけど底抜けに明るくてみんなを心から笑顔にすることができる。でも実は中学の頃、いじめられていた。今からは想像ができないくらい、暗くて地味だった。洋介は喧嘩上等なバリバリのヤンキーだった。真逆の二人ではあったが、彼らがゲーム研究部を盛り上げてくれた。俺の大切なダチだ。二人のおかげで、毎日が楽しくて充実していた。俺は無我夢中で走りながら、あの日の出来事を思い出していた。俺たちが出会うきっかけとなった、遠い日の思い出を……。