第四章 自由への迷走2
ポトリと俺の鼻梁を濡らした。雨のようだ。次第に雨足は強くなり、俺の髪を重くする。ザパンの白いマントは豪風に煽られ、千切れそうなくらい激しく揺れている。スライムがいた場所には金塊が散乱しており、雨に打ちつけられている。俺はその中央に突き刺さっているロングソードを引き抜く。
「おい、小僧。レベルが上がったんだろ? たった今、お前のHPが覗けなくなった。さぁ、いつまでも逃げていないで、来いよ」
ザパンは挑発的に指でクイクイと手招きしている。
「お前、かなりムカつく部類に入るが、最期にちょっぴり役にたったぞ。まさかスライムの弱点が電撃だったとはな。俺も天気が悪い日に、スライムに向かって鉄の棒でも投げてみるか」
「この戦法、お前には無理だ。とろすぎる。雷に打たれて死ぬのはお前の方さ」
ザパンはタコのように真っ赤になり、唾を撒き散らしながら怒声を吐いた。
「な、何を! 貴様! おのれ! フフ。アハハハ」
怒ったと思えば、今度はケタケタと笑いだす。
「……ククク。ハハハ。まぁいいさ。弱点さえ分かっちまえば、あとはゆっくりと熱いコーヒーでも飲みながら、ジャパニーズコミックからヒントを見つけ出せばいいだけのこと。俺はこの世界にリュック一杯のジャパニーズコミックを持ってきたんだ。そして俺の奴隷には漫画家志望だった日本人もいるんだぞ。今、そいつからジャパニーズコミックの描き方を教わっているんだ。画力とアイデアの引き出しかたさえ習得できれば、俺はジャパニーズコミックをいくらでも量産できるようになるからな。そうなれば俺の弱点は皆無だぜ!」
こいつ、マジで言っているのだろうか。顔は三十過ぎのおっさんなのだが、思考回路はどうしようもないガキと同じだ。こんな大馬鹿野郎が、強大な力を手にしたその末路が、目の前の惨状って訳か。これ以上、野放しにはできない。きっちり葬ってやる。
新スキル――雷鳴閃。HPがほとんど削れてしまうようだし、更に失敗するとショック死というとんでもないハイリスク付き。だが、それだけに威力があるってことなのだろう。
やってみるか。
たったこれだけの会話をしている内に、俺のHPは全快した。
雷鳴閃の発動まで二秒かかる。ほんの僅かだが隙ができてしまう。俺は後方に飛びのきザパンから距離をとると、地にしっかりと両足をつけ、天に剣を掲げて「雷鳴閃」と叫んだ。
――ちょ、……マジかよ。
とんでもないことが起こったのだ。雷鳴閃とは、脅威なる奥義だった。まず、俺の心臓音が止まった。続いて全身の筋肉が金属のように固くなっていく。同時に、遥か上空に暗雲が集まって色濃く染まりピカリと光る。そのまま俺目掛けて一直線に稲妻が落ちて来たのだ。体は完全に硬直している。まったく身動きが取れない。稲妻は剣先へと到達し、そのまま物凄い波動が俺の体を貫いた。一瞬で電気は俺の胴へと伝わり、つま先から大地へと抜けていく。
痛いとか熱い、痺れる……、そのような表面的な痛覚を通り越した壮絶なる衝撃が、俺を貫いた。HPは、思いっきり削り取られた。残りHP、15。
ふと、右手に掲げてあるロングソードに視線がいく。剣身が金色に輝いているのだ。バチバチと放電状態が続いている。
なるほどな。雷鳴閃とは――剣に一定量の電撃を宿し、保ちきれない余分なエネルギーを足から地へと逃がす肉体酷使系奥義だったのか。金属化したのは、電気を逃がす為に伝導率を上げるためなのだろうが、逆にそれが隙にもなる。体が金属化するタイムはわずか二秒。無茶な設定の技だ。一歩間違ったらマジでショック死してしまうじゃないか! ツボの時といい、今回のもそう。どうして俺の奥義は、自分の体を痛めつけるものばかりなのだ。このボディーは繊細なんだぞ。
ザパンは俺を指差して大笑いをしている。
「いきなり自爆とは笑えるぜ。こんな天候なのにカッコつけて剣を空に向けるからだ。アヘヘ。最高だぜ、お前! 超、面白れぇ。これは新コミックのネタに使えるぞ。主人公の真似事をした悪役に天罰が下りおっ死ぬって最高だぜ。お前をその憐れな雑魚キャラとして俺のコミックス第三巻あたりのちょい役として登場させてやる。ありがたく思え」
バカも休み休み言えと、口にする時間すら勿体ない。俺はロングソードを強く握りしめ、ザパンの間合いに駆け入る。それと同時に、ザパンの胴体目掛けて縦一文字に剣を鋭く突き上げた。ザパンの装甲はデタラメに厚い。相手は鉄だ。だが、鉄である以上、たとえ斬撃で装甲を砕けないにしても、鎧を通し、電撃は奴の肉体を貫くはず。
この奥義は、俺の想像を遥かに凌駕していた。光を帯びたロングソードは、鋼鉄もろとも縦一線に亀裂を入れたのだ。あれ程固かったザパンの肉体に、赤い線が入り、ワンテンポ遅れて血が吹き上がった。
「ぐああああ、ど、どうして!? いでぇ! 無茶苦茶いでぇじゃねぇか! 鍛冶スキル97の野郎に特注して作らせた俺様専用のジャスティスアックスマンの鎧が破損するなんてどういうことだ!? それに俺の体は防御力7500もあるんだぞ。なのに、おい、どうなっているんだよ!? HPが800も減っちまったじゃねぇーか!」
良くしゃべる野郎だ。自分の内部事情を事細かく暴露して、何かいいことでもあるのか? でも、おかげでよく分かった。なるほど、今の攻撃で800ダメージか。
ザパンは斧で迎撃してくる。ロングソードのモーションはあまりにも遅い。二連撃は無理か。一旦飛び退き、次の一撃の為に体勢を低く構える。先ほど同様。突っ込みながら攻撃モーションに転じ、間合いに入ったと同時に剣を叩きつけてやる。鎧越しにウィークポイントを探す。
一秒経過。
HPは15から28まで回復。これでダメージのツボを攻撃できる。ザパンの中心、心臓の右下の大きく光る赤い点を確認。さらにあの箇所は、鎧が大きく破損している。守りなしの直撃を入れることができる。一点に向かって斬撃を向けた。
ザパンは斧を大きく振りかぶる。
「まさかさっきの自爆、てめぇの技だったとは……。ちぃとばかしてめぇを舐めていたようだ。だがな! 俺様を誰だと思っている。バトル系のコミックをすべて読破した戦闘王ザパン様とは俺の事だ。ジャパニーズコミックのヒーロー達は言うだろ! 同じ攻撃は二度と通用しねぇってな!」
斬撃の軌道は読まれていた。俺が振り抜く先に、ザパンの左拳があった。突風交じりの豪快な掌底を繰り出してくる。激突と同時に、奴の籠手は派手に崩壊した。
だが、負けたのは俺のロングソードだった。刃が真っ二つに叩き割られた。大木のような奴の腕は黒く変色している。これが防御力三百倍の『アイアンガード』を併用しての攻撃なのか。奴は腐ってもレベル七の重戦士タイプ。
俺はロングソードを捨てて飛び上がると、ザパンの頭部を蹴り抜き距離をとった。
俺に残された武器。それはザパンが、マークの目を潰す為に投げつけた短刀のみ。マークの無念を晴らす為に、最後の一撃はこいつで――そう思って拾っておいた。
「ククク。そんなチャチなガラクタで今更何をするつもりなんだ? またさっきの雷ズドーンをするのか?」
「あぁ。そうだ」
「言っておくが、俺は一度見た技は通用しないぞ」
そう言って、ザパンは既に勝ち誇ったような含み笑いを浮かべ、斧を上段に構える。
どうせ何の根拠もなく、漫画で覚えた台詞をのたまわっているだけ。だったら遠慮なく使わせてもらうぜ。あんたの大好物を!
「ザパン。俺の攻撃はもはや効かないとかぬかしたよな? 本当に見切ったのか? この技を見切れたものはいまだかつて誰もいないというのに」
「ん? あー。そうだぜ。だって、てめぇの攻撃なんざ、もはやまったく効かないぜ。さっき見せた魔法剣にも重大な欠陥がある。構えてから雷が落ちるまで、僅かなタイムラグがある。だから、技が完成する前にやっちまえばいいだけのことだ」
「ほぉ。あんたのウスノロな足で、技の発動を止めることができるかな?」
「アヘ、アヘヘ。俺はまだ真の実力を出していないからな。この鎧は厚い鉄板でできている。それは決して防御の為ではない。この強大過ぎる力をセーブする為によ。普段から重たい鎧を着込んで鍛えているのさ。俺から鎧を脱がせた敵は、すべて十秒以内に絶命した」
ザパンは鎧を脱ぎ始めた。ガシャン、ガシャンと重たいパーツを地面へ投げ捨てていく。そのような設定、スポ根系やバトル系の漫画で幾度となく目にしたことがあるが、このゲームはステータスに書かれてある数字がすべてだ。いくら筋肉に負荷をかけても、筋力が上がることはない。だが重量のある鎧を脱ぎ捨てたおかげで、素早さは多少上がったか。
「後悔させてやる」
ザパンは俺目掛けて突進してくる。
ザパンと一定間隔を空けながら後方へ移動する。ザパンはわりと速い。レベル7の戦士タイプだけのことはある。それなりの脚力があるのか。俺とザパン、二人の距離が約三十メートルまで近づいたところで、俺は短刀を上空へ掲げた。
『雷鳴閃』と唱える。
空がまぶしく光る。
そして稲妻が降り注ぐ。
驚異的なシャドーの身体能力が、俺の目を獣のように研ぎ澄まさせた。光の軌道がはっきりと見えるのだ。それは短刀の先に向かってくる。ザパンも猛烈に突進してくる。
「させるか! 死ねぃ!」と咆哮をあげながら、暴風交じりの掌底を繰り出してくる。
俺はザパンの頭上目掛けて短刀を放り上げた。雷は進路を変える。同時に俺は、地面に突っ伏す。ザパンの掌底から生み出された暴風は、俺の背中スレスレを通り過ぎていく。同時に、鼓膜が破けそうなくらいすさまじい落雷音が地を揺らす。
雷ってのは、高いところをめがけて落ちるもの。
そう、俺の目的は短剣に稲妻を宿すことではない。俺が顔をあげると、そこにはザパンが突っ立ったまま、まっ黒焦げになっていた。白目をむいて、背中から倒れていく。これはサンダーボルトと同等、いやそれ以上の大自然の特大魔法だ。ザパンは魔法が苦手だと自らの弱点を暴露していたから、リクエストに応えて浴びせてやっただけだ。
さすがHP8万、まだ生きてやがる。ただし虫の息って状態のようだが。仰向けになったまま、ピクピクしてやがる。
俺はザパンの横に転がっている短刀を拾い上げた。
「おい、ザパン。いつまで寝ているんだ? 立てよ」
「……へ? あひ? あひっ? ひ、ひぃ~。ま、待ってくれ! 俺、動けねぇんだよ。それなのに殺ろうっていうのか? そりゃ、あんまりだ」
分が悪いと判断したのだろう。ザパンは半身を起こすと、手のひらを返したようにペコペコと頭を下げ始めた。
「そうやって命乞いをしてきた奴隷を、お前はどうしてきたんだ?」
「あれ? あれれ? どうしてきたんだっけ? 忘れちゃったな。アヘヘ」
「まぁいいさ。そんな醜悪な過去、思い出す必要もない。俺がきっちり終わらしてやる」
「だから待てって。そうだ! 俺と手を組まないか?」
何をバカな? 考えるだけでもおぞましい。ザパンはへらへらと作り笑いを浮かべて続ける。
「だってよ。昨日まで敵だった奴と手を組むって、ジャパニーズコミックだったら最高に盛り上がるシーンだろ?」
「じゃぁ聞いてやる。もしマークが手を組もうと話を持ちかけてきたら、あんたはどうする?」
「ああ? 誰が組むかよ。相手は格下の奴隷だ。バカバカしい」
「それが俺の答えだ」
「アへ? アヘヘ? いやだなー、旦那。なんかさっきの誘導尋問みたいだったぜ。俺もあんたも奴隷じゃないんだ。強い者と弱い者は別枠で考えなくちゃ、テヘペロ。それよかジャパニーズコミックだとこうやって敵が頭を下げていると、真のヒーローは、一回くらいは許すんだぜ。あんた、ヒーローになりたかったんだろ? だから頑張ってマークを助けようとしたんだろ? だったら俺も許そうぜ。うん、それがいいと思う。そうしよう」
「俺はヒーローではない。ただの弱い人間だ。俺が戦っている理由は、彼が命を張って守ってくれたから。俺はその恩に報いたいだけだ」
「アヘヘヘヘヘヘ! 何カッコつけちゃってんの? バカか、おめぇ。誰がてめぇなんかと手を組むか。俺にはオートヒールスキルがあるんだ。これは単に体力が回復するまでの時間稼ぎだったのよ。ばーか。俺の天才的な策略にまんまと引っかかりおって。結局最後に笑うのは俺なんだよ!」
「そうかい。はっきりと悪党と名乗ってくれてありがとう。これで心置きなく八つ裂きにできる」
「アヘアヘ」と下品な笑いを浮かべるザパンだったが、急に顔を硬直させる。
「てめぇ。いつの間に!?」
ザパンの目には、俺の握る短刀があった。それは金色に輝いている。野郎がHPを回復している間に、俺は『雷鳴閃』を発動させていた。さっきズドーンと、でかい音がしただろ? どうして気付かない? ……まぁいいか。
「遠慮なくいくぞ」
「ま、待て。いえ、待ってください。さっきのは冗談ですよ。そう、おちゃめな悪戯なんです。俺は旦那と手を組みたいんです。アヘ。アヘヘ。あれ? 許してくれない? 俺はカッコイイ旦那に惚れちまいました。マジで愛しているんです。証拠にチューしてあげます。ほら、ぶちゅうぅ」
ザパンは唇をタコの口のように尖らせて、俺に迫ってきた。
「アヘアヘ。顔を反らしたな。隙あり! これぞ今、俺が描き途中のコミックで登場する天才策士が用いる最上級姦計奥義――デスチャームだ。死にさらせ!」
ザパンは起き上がると同時に、拳を高く掲げてきた。オートガードを発動させ、体を黒く変色させていく。
俺は短刀を握りなおした。こいつは俺の腕に良くなじむ。仮に一発1ポイントでも構わない。一呼吸で一万発ぶちこんでやればいいだけのこと。てめぇは八秒後に沈む。いや――正確に言うならば、八秒の間、壮絶なる悲痛に耐えなければならない。その間、懺悔しろ。
赤く点灯したウィークポイントに、容赦ない連打を突き刺していく。
「ぎゃえぇえぇ!! いでぇ!! むじゃぐぢゃ、痛ぇじゃねぇがあああ!! 許じでえええええ!!!」
ザパンの体は木っ端みじんに弾け飛び、肉塊へと変わった。ザパンを倒したことで、俺のレベルはひとつ上がった。俺は血のりがべっとりとついた短刀を見つめた。
――マーク。あんたの仇はとったよ。




