第一章 ムリゲーな世界へようこそ! ただし大抵死にますが?
そもそもゲームとは、クリアできるように出来ている。
プレーヤーは序盤こそ最弱であっても冒険を進めるにつれ、様々なヒントを貰い、段々とレベルが上がり、いずれは敵幹部と渡り合える力を手に入れることができる。それがゲームのセオリー。だが、そのルールが、どうもしっくりこない。何故なら敵さんはどうぞ殺してくださいって言っているようなものだ。俺は圧倒的に難易度の高いゲームを望んでいる。はたから見れば病的なゲーム中毒者なのかもしれない。
季節は夏真っ盛り。歩くだけで汗がでるというのに、この日もグラウンドでは運動部の連中が惜しげもなく全身から大量の水分を放出させながら青春を謳歌している。
「おい、伊賀。お前、ラグビーやらないか? お前が入ってくれれば絶対に花園にいけるぞ」
俺を運動神経が良いと勘違いしているやつらが、いつものように誘ってくる。
スポーツは科学である。食事、トレーニング方法を研究し、いかに効率よく肉体改造を施し、敵を研究するか、それにつきる。あまり興味がないので、苦笑いを返しておいた。
ここは桜第三高等学校の東校舎。
俺はゲーム研究部と張り紙をした部室へ入ると、パソコンを立ち上げた。この日もいつものように難易度の高いゲームを探していた。キーボードを叩き、ネットサーフィンを続けていくと、このようなタイトルが目に張った。
『デス・アライザ』
闇を連想させる不気味なグラフィックに、骸骨をかたどったタイトルロゴ。書かれてある文字はすべて英語である。海外のオンラインゲームのようだ。続いて『almost died?』とボールドのかかった文字でそう記載されてある。直訳すると、ほとんど死んだが? か。
俺はクスリと笑った。要するに、このゲームは相当の高難易度なゲームだと言いたいのだろう。そうやってゲームマニアの心をくすぐっているのか。おもしろい。
画面をスクロールさせ、課金のくだりを見た。まずは体験版で吟味したい。これまた英語で記載されており、特に金額は書かれていない。『このゲームに参加するには、あなたの人生が必要です』とだけ書かれてある。外国人らしいうまいキャッチだ。このゲームを始めたら最後、一生のめり込むと言いたいのか。だが、バカバカしい。業者が作ったものがタダのはずがない。少々の課金ならバイトもしているし、払えなくもない。本当に面白いものであれば課金してもいいと思っていたが、きっとここはいかがわしいサイトに違いない。
ウィンドゥをクローズさせようとしたその時だった。部室の戸が開き、部員たちがぞろぞろと入ってきた。
「伊賀君。それ! めっちゃ面白そうじゃん!」
ディスプレイを覗き込んできたのは、部員の一人、愛沢ひなただ。夏色の涼しげなブラウスに赤いスカートがよく似合う、ちょっぴり癖のあるショートヘアの天然系おバカ少女。彼女はいつもトラブルを巻き起こす。百歩譲って良い点を上げれば部のムードメーカー的存在。まぁ、そんな底抜けに元気な女の子。その明るさと愛らしい容姿でクラスでは人気もあるようだが。
溜息をもらす俺に、彼女は目を輝かせて猛烈にまくし立ててくる。
「伊賀君、超面白そうだね、コレ。RPG系のゲームだよね? 英語だらけでよく分かんないけど超楽しそう! やってみようよ!」
そう口にするや否や俺の手にあったマウスを奪い、ログインボタンをクリックした。
「お、おい。バカ。やめとけよ。なんか怪しいぞ」
ひなたは俺の話を全く聞いていない。
「んー。なんだ、このボックス? えーと……メ……ン……バ? あ、そっか」と、勝手に一人で頷き、部員全員の名前を書き込んでいった。まぁ、住所やカード番号なんて記載する欄が無かったので、やれやれといった気持ちで止めずに眺めていた。
だが、ひなたが『log in』のボタンをクリックした瞬間――
さっきまでゲーム研究部の部室にいたはずの俺達五人は、暗闇の世界に立たされていた。
「キャー!? な、何? 何?」
最初に悲鳴をあげたのはひなた。続いて他の部員達もパニック状態に陥る。
「な、なんですの、ここは? ひなた先輩、いったい何をやらかしちゃったんですか?」
最初にひなたを非難し始めたのは、一年の島津ターニャ。昨年ロシアから日本にやってきた小柄で長い金髪の両サイドにクルクルと縦ロールのカールが入っている美少女。武士道ばかり語る偏屈で日本かぶれなロシア人の父と日本人の母を持つハーフ。
ひなたは逆ギレ。
「わ、分かんないわよ。ターニャはいつもあたしのせいにばかりするんだから。あたしがいつおかしなことした? ちょっとどうなったか誰か説明してよ!」
説明しろと言われても……。足元には石畳の道が続いている。ところどころ光源があり、それは建物の中から窓越しにこぼれている。どうもここは真夜中の街中のようだ。
行動力だけが取り柄の熱血格ゲーマニア――佐伯洋介は、血相を変えて走り出した。鼻の高い外国人風男性を見つけると、猛烈に話しかける。しばらくの間、熱心に会話を続けていたが、息も絶え絶えに戻ってくると、
「やばいぞ、伊賀! まったく言葉が通じねぇ。ここはどこなんだよ!?」
長い黒髪でいつも顔の半分を隠している三年の黒瀬先輩が、切れ長の目で辺りを見渡した。彼女はいつも言葉数少ない。だがゲーム研究部でまともな人間なのは彼女だけだ。
「おい、ターニャ、おちつけ。喧嘩をするな。佐伯も考えずに行動するな。無駄に体力が消耗するだけだ。すべてひなたが悪い。すべてひなたのせいだ。ひなただけを責めればよいのだ。ひなたが懺悔する記憶の一ページが、また一枚増版されただけだ。それよりか、現状把握を急いだ方がいい。周りは世界史の教科書で見たような建物ばかりだ。もしかして、ここは外国なのか? でも、どうして我々が唐突もなく海外に……」
額に指を添えて考えていた黒瀬先輩は、その指をピシャッと俺に向けると、「おい、伊賀。お前英語得意だったよな? 話してこい」と命令してきた。黒瀬先輩はいつも冷静沈着だが、このように人使いが荒いところが残念な点だ。
「英語ならわたくしも出来ますわよ」「私だって」と、ターニャとひなた。
二人はいつもくだらねぇことで張り合って喧嘩する面倒なタイプである。確かにターニャは青い目の金髪美少女。英語も話せそうだが、とにかくこの子は痛い。口を開けばところ構わず毒を吐く。人を傷つけるために生まれたしゃべる小型戦闘マシーンなのかと錯覚してしまうくらいだ。逆に、ひなたは海外のオンラインゲームで覚えたらしいインチキ英語使い。通じるか通じないかは、その日の気分と運次第だ。
黒瀬先輩は、「お前達二人は、コミュニケーション能力に著しく問題がある。黙っておけ」
しゅんとした二人をしりめに、俺は外国人の男性に英語で話しかけてみた。
「すいません。ここはどこですか?」
「君達もデス・アライザへの挑戦者なんだろ? さっき転送ゲートが開かれたのを見たから、そうじゃないのかと思ってやってきたんだ。ここは危険だ。とにかく早く移動した方がいい」
男は何度も「Here's a danger zone!(ここはやばいぞ)」と繰り返すので、部員達にもそれを伝えた。
「伊賀がそういうなら移動しよう」と、黒瀬先輩もうなずく。
男の後を、足早に歩いた。古代の西洋を連想させるレンガ造り街並みが続いている。
その間、男はいろいろ教えてくれた。
ここは『デス・アライザ』と呼ばれる世界。だけどヴァーチャルのようで、どうもそうでもないようなのだ。この世界でメシを食えば腹は膨れるし、大怪我をすれば命だって落としてしまう。目の前に広がるこの空間は、つまり、もうひとつの現実……ということなのだろうか。ただはっきりと言えることは、マジでやばいことになってしまったということだ。果たして俺たちは、元の世界に戻れるのだろうか。
「ここまで移動したら大丈夫だろう。やつらも追ってこないようだ」
男はそう言うと急に立ち止まり、こちらに振り返った。
「――で、君達は自殺志願者なんだよね?」
「え? え?」
何を言っているんだ? まさか俺達を殺す気なのか!? 男は口元に微笑を浮かべて続けた。
「身構えなくても大丈夫だよ。僕は人殺しに興味なんてないから。だけどそういうのが好きな連中が、この世界にはゴロゴロいる。君達が初心者だと分かると、大抵の奴らは襲い掛かってくるからね」
その言葉に面食らったのは言うまでもない。どうして初心者は襲われるんだ?
黒瀬先輩は、「おい、その外人は、なんて言ったんだ? 早口過ぎてよく分からん。訳してくれ」
「……なんと言いますか、ここ、そうとうヤバイです。とにかく元の世界に戻る方法を聞いてみます」
「折角来たのだ。この世界を調査してみたい気持ちも多少あるが、お前が危険だと判断するのならこれ以上居座らない方がいいようだな」
俺は外国人に戻り方を尋ねた。すると、彼は呆れた表情をするのだ。
「もしかして説明をよく読まずに登録してしまった口なのか?」
「え、あ、はい」
「あちゃぁ~! たまにいるんだよな、こういう子。なんつーかここは、自殺サイトの延長のような世界なんだ。僕はそう解釈している。どうせ死ぬならスリリングにワクワクして死にたいだろ? もしこの世界に製作者ってのがいるのなら、作った意義はそこにあるような気がするんだ。だってこのゲーム、大抵死ねるようにできているからね」
耳を疑った。何かの聞き間違いなのでは、と思いたかった。だが男はハッキリと言い切ったのだ。――almost diedと。
とにかく落ち着こうと、深く息を吸い込んで胸に手を添えた。俺の不安をよそに、男は軽やかに笑ってこちらを見ているだけだった。俺は彼と会話を続けた。
「By the way,what was your name?」「I’m Roy」「Can I ask you some questions……」
男の名はロイ。年齢は二十一歳。ワイシャツとジーンズといったカジュアルな服装。だけど破けた袖の下からは鎖帷子が見え、それは茶色に染まっており、色の正体が錆なのか血痕なのかまでは特定できないが、ただ相当使い込んでいるのだけはうかがえる。
ロイは親切に、この世界の情報を詳しく教えてくれた。彼は生きていることに虚しさと行き詰まりを感じ、難攻不落の自殺ゲーム『デス・アライザ』にやってきたそうだ。最初の説明に書いてあったようなのだが、初期に身に付けているものをゲーム内に持ち込めるようで、ロイは護身用のピストルとサバイバルナイフ、リュック一杯の保存食を持参したらしい。この世界にも武器や食料、そして魔法まであるようなのだが、それらは高額で扱うにはそれなりのスキルが必要らしい。
そして街の外にはモンスターがいるらしい。それはオークやゴブリン、スライムといったゲームではお馴染みの雑魚キャラを連想させる名ではあるが、そいつらはハッキリ言ってデタラメに強いらしい。本格的な戦闘の訓練を積んでいない素人がやりあえる代物ではないという。ゴブリンは野獣そのものである。そもそも野生の熊やイノシシに勝てない奴が、ゴブリンに勝てる訳などない。スライムには、物理攻撃がまったく効かない。そしてオークは強靭な肉体と優れた知能まで持ち合わせているそうだ。
街にはNPCと呼ばれる住民がいるのだが、プレーヤーがどんなに困っていても、絶対に恵んでくれない。決められた行動以外してくれないのだ。仮に攻撃を仕掛けても、彼らには一切の攻撃が効かない。NPCと交渉するにはこの世界の金【リカ】が必要で、それらはモンスターを倒さないと手に入らないそうだ。リアルに作り込まれていると言うのに、妙な所だけはゲームチックである。つまり、よくあるRPGのように街の外に出てモンスターを倒さないと次へ進めない。だからモンスター退治に挫折した人間が、この街に居座って初心者狩りをして食いつないでいるとのことだ。
最後に、もう二度と戻る事はできないと教えてくれた。
会話の間、幾度かゲートと呼ばれる霧状の黒いトンネルが現れた。
トンネルの中から、人が現れる。ロイは走って近づこうとしたが、どういう訳か、立ち止まり草むらに隠れた。すぐに、どこともなく男達が現れた。何日も洗っていないだろう原色がわからなくなるくらいに汚れたシャツを身に着けた髭だらけの男が四、五人。手には棒がある。
それはまるで、ハイエナの狩りを連想させるような出来事だった。状況把握すらできていない新参者達を、あっという間に取り囲み、素手や棒で殴りつけているのだ。女は服を破られ、裸にされて、無抵抗のまま……。
酷ぇことをしやがる。助けるにも、俺は丸腰。草むらに隠れて手を強く握りしめることしかできなかった。ひなたやターニャは、手で目を塞いで泣いている。
ロイは悔しそうな目で「ごめん。助けてあげられなかった」と漏らした。
もう戻れないのなら、今できることは情報収集。だから、とにかくロイに聞きまくった。ロイはいいヤツだった。この世界では常識的な事をも多々質問したと思う。だけど面倒な顔ひとつ浮かべずに、丁寧に教えてくれた。
東の空が赤く染まってきた。そろそろ夜明けなのか。
「これで僕の知っている事は全部教えたよ」
「ミスターロイ。親切にありがとうございます。あなたがいなければ、俺達は今頃どうなっていたか想像もつきません。良かったら、もうしばらく一緒に――」
初心者を助けて回っていたから、てっきり彼は正義の味方に属する人だと思っていた。だから彼と同行すべきだ。俺はそう判断していた。
だが、ロイは静かに首を横に振った。
「礼はいいよ。それよりか早く初心者狩りの連中に勝てるくらいの実力を身に付けた方がいいと思う。僕の持ち物は全部あげるから……頑張って……」
「え? ミスターロイ。あなたはこれからどうするんですか?」
「僕? 死ぬよ」
懐からピストルを取り出すと、自らのこめかみに向けた。
「な、何を!?」
止める間もなく引き金は引かれていく。ロイは笑っていた。これから死のうというのに、どうして? 彼の表情は、すべての苦悩から解き放たれたような満面の笑みに包まれていた。
俺は身動きが取れなかった。息すらできなかった。
「この世界に死ぬためにやってきた。なのに、どういう訳か今日まで生きてしまった。こんな薄汚れた世界で落ち込んでいる僕を励ましてくれる女性と出会ったんだ。まるで聖母のような人だった。頑張って生きようと毎日のように言ってくれた。だけど彼女は昨日死んだ。僕が火葬してあげたんだ。僕は彼女と出会うまで、生きる為に大勢の人を殺してきた。……だから、最期にちょっぴり良い事をして死のうと思ったんだ。これで……アンナに会えるかな……」
朝焼けの空に、一発の銃声がとどろいた。