83 女神 アイリーン・エクレシアス
翌日、いつものように聖神学院に登校したディエス達は、ミース学長に呼ばれて応接室へと向かった。
白を基調とした大理石の廊下を歩き、一際大きな応接室をドアをノックする。
「入ってください」
「失礼します」
「やぁ、全員揃ってるかな?」
クロムを先頭にして全員が応接室に入ると、出迎えたのはミース学長とグラシエル校長、そしてマルフィであった。
「都合がついたのですか?」
「そうだね。解呪をするから来てくれと、デルマニエル枢機卿から連絡が来たよ」
グラシエルが人差し指と中指で一枚の封筒を挟み、ピラピラと揺らす。
開封済みだが、印璽がしっかりと押されているのを見ると、然るべき立場の人物であることは容易に想像がつく。
『枢機卿』という言葉を聞いて、クロムやアリゼ、レヴァルまでもがゴクリと唾を飲み込んだ。
「枢機卿ってそんなに偉いの……」
「あなたまさか知らないの?枢機卿といえば教皇のすぐ下、つまり王国で言う宰相みたいなものよ。ものすごく位の高い人よ」
「そうなんだ……」
ひそひそと話をするディエスとアリゼはさておき、グラシエルは話を続けた。
「行くのは解呪を受ける人、つまり僕、クロムくん、アランくん、ディエスくん、ロゼくんの五人だね。アリゼくん、リーリエくん、レヴァルくんは申し訳ないけど今日も研修は続行してくれ」
「ま、仕方ないわね。行ってもやることないし」
「それで、いつ行くのですか?」
「急で悪いんだけど、このあと向かうよ」
「今からですか?」
「うん。枢機卿には悪いけど少し無理を言ってね。呪いをかけた相手が相手ってことで予定を開けてくれたんだ」
「分かりました。それでは早めに済ました方が迷惑にもなりませんね」
「というわけで、ミース、マルフィ先生」
「えぇ、元々解呪を目的とした訪問でしたし、そちらを優先してください」
「それに彼らは本当に優秀ですので、解呪が終わったあとでも十分追い付けるでしょう」
「ありがとう。また、終わり次第こっちで勉強の続きをさせるよ」
「えぇ……解呪、上手くいくといいですね」
ディエス達はミース学長とマルフィ先生に一礼し、グラシエルの後を追った。
グラシエルはどうやら王宮に向かっているようで、ディエスはともかくクロム達は緊張しているようであった。
グラシエルについてしばらく歩いていくと、比較的すぐに王宮へとたどり着いた。
そもそも学院自体が王宮に近いというのもあるが、グラシエルやクロムに土地勘があるのが大きいようだ。
エクレシアス聖国の王宮はエーデリット王国のものにも劣らない程大きく、かといって白を基調とした豪華すぎないデザインである。
「止まれ、入城の許可証はあるか?」
「これでいいかい?」
「む……こ、これは枢機卿のっ……!どうぞお通りください!」
枢機卿からの手紙を見せただけで、警戒していた衛兵が手のひらを返したように下手になって門を開けた。やはりネームバリューが凄まじい。
城に足を踏み入れたディエス達を待ち構えていた使用人らしき男性に案内され、枢機卿が待つと言う部屋に到着した。
「あぁ、なんだか緊張するわ……」
「相手は枢機卿だからね。ディエスは緊張してなさそうだけど」
「枢機卿って言われてもピンと来ないし……」
「みんなそんなに緊張しなくていいよ。なんせ彼も……まぁ見た方が早いね」
「「「ちょっ!」」」
続きが気になるディエスだが、グラシエルは時間がもったいないとばかりにいきなり扉を開いた。
しかもノックもせずに。
枢機卿相手に何てことをするんだと全員が青い顔をする中、部屋の中央には恰幅のいい大男が立っていた。
彼こそ、この国でトップレベルの権力を持つ一人、デルマニエル枢機卿であった。
身長が190cmをゆうに越えていそうな巨体は、横にも大きい。
ただでさえ見た目でなかなかの威圧感があるのに、枢機卿という立場も相まってさしものクロムでも身体を強ばらせているようだ。
そんなデルマニエル枢機卿はグラシエルを見てニヤリと口元に微笑を浮かべた。
「よく来たね、グラシエル。貴方が学校を運営しているなんて、珍しいこともあるものだ」
「そういうデルマニエルこそ。枢機卿なんて、いつの間に出世したんだい?」
名前で呼び合い、親しげに言葉を交わすグラシエル校長とデルマニエル枢機卿。
予想だにしなかった二人の反応に、ディエスはポカンと二人を見つめた。
「まさか、二人はお知り合いなのですか?」
「同郷と言うか同窓と言うか、まぁそんな感じだね」
「うむ、共に同じ師を持つ同窓だな。グラシエルも才能があったのに、聖職ではなく教職とはもったいない」
昔を思い出すかのように、顎に手を当てて目を細めるデルマニエル枢機卿。懐かしい友に会えたのか嬉しそうな様子で、枢機卿なんて立場の人物には見えない。
「さて、昔話はあとでもいいだろう。グラシエル、まずは話を聞かせてくれないか?」
デルマニエル枢機卿はディエス達五人を座らせると、手ずから紅茶を淹れて差し出した。
さすがにそこまでしなくても、とクロムが止めようとするが、呼んだのは自分だからと、結局全員分用意されてしまった。
「ありがとう。じゃ、順番に説明するよ」
内容をよく知るグラシエルから、アルテマに関する一連の騒動が説明された。
もちろんロゼの洗脳に関することも説明され、ディエス達を傷付けてしまったことを掘り返されるロゼは少し涙目になりながら俯いて震えている。
ロゼの背中を優しく擦ってやると、『ありがとう、ごめんね』と小さく返ってきた。
もう終わったことなんだから気にするな……と言っても難しいか。ロゼは十分取り戻せるから大丈夫だよ。
「で、その時に受けたのがこの呪いさ」
グラシエルが袖を捲り上げると、そこには墨を滲ませたような真っ黒な痣が染みついていた。徐々に侵食が進んでいるのか、最初に受けた時より痣が広がっているように見える。
闇が染み出したような深黒の痣を見て、デルマニエル枢機卿は眉間に皺を寄せて目を細めた。
「随分強い呪いだな……」
「まぁ、魔王にもなっている相手にかけられた呪いだからね。一筋縄ではいかないよ。実際、僕も解呪出来なかったからね」
「ふむ……しかし、グラシエルともあろう者が解呪できないとなると、私でも難しいと思うが」
デルマニエル枢機卿の消極的な言葉に、ディエス達の表情が曇る。
「グラシエル校長はもちろん、デルマニエル枢機卿も相当な魔力を持っているように感じますが……」
ディエスの言葉に、デルマニエル枢機卿は申し訳なさそうな表情で首を横に振った。
「魔力の問題ではないのだ。悪魔にも『格』があるのは知っているだろう?基本的に、『格』が上位の者は下位の者の魔導を簡単に弾いてしまう。魔王級と言えば、悪魔の中で最上位に位置する者だからな」
つまり、あれだけの強さを誇ったグラシエルや、同等と思われるデルマニエル枢機卿でさえ、『格』の差で解呪の魔導は弾かれてしまうのだと言う。
「それは困ったねぇ。この呪いは今もなお命を削っている死の呪いだ。僕はともかく、一刻も早く生徒達の呪いだけでも解除したいところなんだけど……」
「そこで、解呪が可能な人物に助力を求めようと思ったのだ」
デルマニエル枢機卿が徐に懐から取り出したのは、中心がほんのりと光り輝く野球ボール大の水晶であった。
凄まじい魔力が込められていることが分かるが、アルテマと違い神聖で神々しい気配を感じさせる魔力である。
デルマニエル枢機卿はその水晶をグラシエルの目の前に持ってくると、何かを企むようにニヤリと口元を歪めた。
「久しぶりに、我らが師に会ってみたくはないか?」
「っ!……なるほど。確かにあの方なら何の問題も無く解呪できそうだねぇ」
「実を言うと、最初からそうするつもりで話は通しておいたのだ」
「そのせいで時間をかけていたんだね?」
コクリと首肯するデルマニエル枢機卿に同調するように、グラシエルは面白そうに笑みを浮かべる。何の事だか分からないディエス達は、ただ成り行きを眺めるしかない。
グラシエルがデルマニエル枢機卿の持つ水晶に手をかざすと、水晶の光がより一層強いものになる。
「我が師、慈愛の女神アイリーン様。今ここに降臨し、我らを導き給え」
デルマニエル枢機卿の言葉に反応し、水晶から放たれた強い光が部屋を包み込んだ。
その光が徐々に人の形を象ると、その姿が明らかとなる。
穢れなど一切存在しない純白の衣に包まれたその女性の背中には、同様に穢れの無い純白の翼が四枚。
内包する魔力は凄まじく濃密であるが、アルテマのように攻撃的でなく、心から安心感を与える温かい魔力であった。
見紛うわけがない。
彼女こそ、魔神ゼクセクスと双璧を為すこの世界の最強格。
女神――アイリーン・エクレシアスその人であった。
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