17 王都での出来事2
ディエスの氷の矢と雷の魔導によって、逃走を図った男は声を上げる間もなく気絶して地面に倒れ伏した。
その一連の流れを見ていたガイゼルは驚愕した。ディエスがこの男を簡単に無力化したことにではなく、その魔導の技量に。
確認できただけでも風の強化付加系と雷の放出系、矢を造り出したのは水の召喚系だろう。属性も系統も異なる三種類の魔導を淀みなく連携して発動して見せた。
威力こそ、ガイゼル率いる騎士団に所属する魔導士には及ばないが、そもそも十歳の少年と騎士団の魔導士を比べられるだけでもこの少年の凄さが分かる。だがそれ以上に。
「氷の魔導だと……?」
そう、氷の魔導を自由に使える者などガイゼルは知らない。歴史を振り返ってもその名は残っていないのだ。
かつてガイゼルも、部下の魔導士と共に氷の魔導について研究したことがある。
火とは逆に冷気を持つ氷を作り出すのに、火の魔導は魔力を込めるのだから水から魔力を抜いたらどうかと試した。結局魔力を持たない水になっただけであった。
それなら魔力を込めて押し固めたらどうかと試した。結局魔力を込めるほど水の温度は上がり、ただのお湯になっただけであった。
魔力を込めても抜いても実現できない氷の魔導を現在も研究中である。
それをこの少年が当たり前のように使いこなして見せたのだ。
魔導にも長けるガイゼルはその発動方法を教わりたいところだが、今はこの男を抑えるのが先決である。ちゃっかり氷の矢を回収しつつ男を縛り上げた。
ディエスと他の魔導士との違いは、偏に『科学的知識の差』である。
他の魔導士が火の魔導を使う場合、燃え盛る炎をイメージして象るように魔力を込めるのだが、ディエスの場合は分子の運動を魔力で活性化させ、『炎』そのものを作り出すのだ。
その結果、曖昧なイメージで発動する魔導とは異なり、消費する魔力量もさることながら威力も段違いとなる。
また、それは『氷』にも言えることで、氷をイメージしても魔力から氷を生み出せることは無く、『火』と同じように魔力を込めても『火』と同じ結果を与えるのみである。
一方のディエスは、魔力により水分子の隙間を埋めることで疑似的な分子運動の停止を作り出し『氷』の魔導を確立できた。
ディエスの前世の記憶があってこその術のため、ディエスの魔導の師匠であるカミーリアでさえ驚愕の表情を隠せずにいたのだ。
「お、おっ?お前さん回復魔導も使えるのか」
ガイゼルが捉えた男を縛り上げるのを確認しながら、ディエスは刺された男に回復魔導を施す。みるみる傷口が塞がっていく様子に、体格のいい男は驚愕の表情を浮かべる。
回復魔導自体にというより十歳のディエスがそんな魔導を扱ったことに驚いているのかもしれない。
「助かった。俺はファブロだ。この街で鍛冶屋をやってる。その歳でこれ程の魔導とは、初めて見るぜ」
ファブロと名乗った男は立ち上がり、ディエスに手を差し出す。筋骨隆々とした体に浅黒い肌と少し潰れた耳。どれもドワーフの特徴だ。
ドワーフは一般的に土属性の魔導に適性が高く、鍛冶師などの生産を担うことが多い。
見た目や体格なども人間と変わらないのだが、ファブロは身長が2mぐらいありそうだ。ディエスの小さな手はファブロの手にすっぽりと収まった。
「俺はディエス。間に合って良かったです……。とは言え失った血は戻らないので、しっかり栄養と休養をとってください」
「ガハハ!俺の体はそんな柔じゃねぇよ。それより、お前さんは未来の魔導士か?それとも……いや提げてる剣を見れば騎士志望か。どちらにせよ将来有望だな!騎士官学校に入るなら俺が力になるぜ」
騎士官学校か。やっぱりそういうのあるんだな。
「ファブロと言ったか。この男は知った顔か?なぜ刺されるようなことに?」
縛り上げた男を抱えたガイゼルが戻ってきた。男の服は矢が刺さった部分が黒く焦げ、未だに目を覚まさない。少し電力が強かったかもしれない。
「ああ、騎士団長の旦那か。毎度助かるぜ。それがよ、どうにも面倒ごとに首を突っ込んじまったみたいでよ。旦那がいるのは丁度よかった」
「何があった?」
「そいつの持っている剣なんだが、持ち主はそいつじゃないんだ。ここ半年ぐらいに俺が新人の冒険者に合わせて作った剣だから覚えてるんだよ。
で、その剣を持ったこいつを少し前に見かけてな。剣の長さも重さも、柄の握り具合にも拘ったから他人に渡すなんて思えなくて…」
「必要に迫られて売ったか……それとも奪ったか、か」
「あぁ、どちらにせよ俺の剣をそんな風に扱うのは許せねぇ。そんな武器を巡って争うのはもっと許せねぇ。
で、その冒険者の情報を調べたら一か月ぐらい前から行方不明って言うじゃねえか。だからどこで行方不明になったか調べようとしたら……」
「なるほど。知りすぎたあなたも消そうという訳か。この辺りに蔓延っている盗賊グループの可能性が高いな。奴らはなかなか尻尾を見せなかったが、あなたのおかげで漸く一網にできそうだ。すぐに隊を編成して討伐に向かおう。協力感謝する」
「そんなんじゃねえよ。ただの鍛冶師のプライドだ。魂込めて打った剣で悪さする奴らなんざ許せねぇからよ」
「……そういう訳だ。私はすぐに王宮に戻らなければならない。残念だが、王都散策もここまでだな」
ガイゼルはセレーネではなくディエスに向かってそう言い、頭を下げた。
「俺は構いませんよ。セレーネもそれで……セレーネ?」
「はぅ……ディエス君は魔導もすごいのですね」
セレーネが浮かされたようなぽーっとした目でディエスを眺めていた。ガイゼルは、セレーネの気が他に向いている今がチャンスだ!と言わんばかりに速足で先導して王宮へ向かう。
「まあ、確かにセレーネ様が魅入ってしまうのも頷ける。それほど君の魔導は見事だった。どうだろう、エーデリット騎士管学校への入学を考えてみては?君なら卒業してすぐにでも魔導士として名を馳せるだろう」
「俺はどちらかと言ったら騎士として名を馳せたいのですが。それについては母さんも言ってましたよ。確か十五歳から入学できるんでしたよね」
「ああ、そうだ。そして三年間剣と魔導を中心に学び、十八歳の成人と共に卒業。成績が良ければ俺が騎士団に引き抜くこともあるぞ」
なるほど、学校にもガイゼルの目はあるのか。実力さえ示すことができれば、『勇者』に大きく近づくことも出来るな。
ディエスの様子を見ながらガイゼルは更に言葉を繋げる。
「しかし、騎士として名を馳せたい、か……よし、どうだろう。私が一仕事終えたら模擬戦でもしてみないか?君の力を量るのならそれが一番なのだが、もちろん本気でやり合おうとは言わない。未来の騎士の地力を見たいだけだからな」
それはありがたい。ガイゼルは騎士団長と呼ばれる人物だ。つまりこの国で一番の剣士と言ってもいいだろう。だが……
「ありがたい申し出なのですが、実は今日同い年の女の子に剣で負けたところでして……その心の傷を癒しつつ、しばらくは鍛え直そうかと思っています」
ガイゼルは口を噤んだ。
戦場でなければガイゼルぐらいの年齢の男が女に負けたのであれば笑い話ぐらいにはなる。
だがディエス少年が同い年の少女に負けたとなると、幼気な少年の心は思うより傷つくのだ。ガイゼルはかつての記憶を思い出していた。
「ならこうすればどうだろう。君が五年後、騎士管学校に入学したら改めて君に試合を申し込む。そこで成長した君の力を見せてくれ」
「それなら構いません。今よりもっと強くなって団長に挑みます」
「ふふ、団長か……気が早いぞディエス。腑抜けた姿を見せたら叩き直してやるからな」
男同士の約束だと言わんばかりに青臭い雰囲気を醸し出すディエスとガイゼルの耳には、『あれ?なんだか王宮に向かってません?外出は終わりなのですか?』というセレーネの声は届いていなかった。