六十 峠にない我が家
横代美由紀と小牧弘一が暮らす旧ウミーヤ子爵邱。
美由紀がキノーワに押し掛けてきた当時、たまたま売りに出されていた物件で、俺に至っては拉致同然の入居だったが、もう一年近く住んでいることになる。
一年前は美由紀という女の素性も分からなかったし、自宅というより監禁先みたいなもの。当然、旧子爵邱の全容を確認する気にもなれずにいた。
記憶を取り戻して、美由紀が謎の女でなくなった頃、ようやく隅から隅まで探険した。そして何というか、ちょっと感動した。無駄に広い土地に、トラップのようにいろいろ隠れている。憧れの秘密基地を作りたくてしょうがないほどに。
旧子爵邱は、キノーワのシラハタ地区北端にある。
シラハタ地区は、キノーワの中では新市街というべき区画。新しいと言っても五十年前だけど、新しい城壁建設で城内に取り込まれた地域になる。
キノーワに住居を構えていた四つの貴族は、新都市計画を主導する側なので、それぞれ自分の土地が増えるように画策した。しかし、それらの要望通りにすると町は滅茶苦茶になってしまう。モリーク家の当主になって間もなかった太郎兵衛氏は、中心部にあった屋敷を新市街地に移す代わりに、広い土地を得たいと提案。キワコー、ウミーヤ両子爵家もそれに乗って、そうしてシラハタ地区ができたらしい。
残るゲンジ伯爵家は、旧市街の邸宅を手放さなかった。周囲の数軒を新市街に立ち退かせたが、結果としてウミーヤ子爵家より手狭という状況になった。
………もっとも、ウミーヤ子爵は広い敷地を完全に持て余していた。通りから離れた西側は使い道がなく、一部を使用人が畑として利用していたが、ただの藪と化した箇所も目立っている。
嵐学園に転用されることになった旧キワコー邱も、裏側は畑と荒れ地だ。傘下の商会に一部を貸しているモリーク家以外にとっては、移転する必要があったのか怪しいけど、何かの用で土地が必要になった時のための先行投資だろうから、まぁそれはそれで良かったのだろう。
旧ウミーヤ子爵邱の土地は、東西に長い長方形。東は通りに面していて、旧キワコー邱に向かい合う。二つの土地はほぼ面積も一緒で、いかにも計画的な縄張りという感じだ。
北と南は、計画の時点ではそれぞれ少しだけ空き地を設けていた。貴族の邸宅が、路地を挟んで下賤に囲まれるなどとんでもないという配慮だったそうだが、今は民家が建ち並んでいる。
モリーク家の周囲は、最初は使用人など関係者の家が建ち、徐々に埋まっていったという。対して他二つは、ただ無関係に宅地になった。ただしシラハタ地区は地価が高めなので、ほどほどに小綺麗な家が並んでいる。
日本でも立派なお屋敷が並ぶエリアは、高級住宅街になったりする。高級とまでは言えないにしろ、結果としては環境は悪くないようだ。
で。
俺たちが暮らす建物は、土地の東半分に固まっていて、中央部が畑。ただし常時水不足のキノーワで、畑の水やりはどうしているのだろうと思っていた。
なんと西側には、小さな川が流れていた。それも、驚くべきことに城内を水源とする湧き水の川だった。
というか、源流はモリーク家の中。城内ではここだけという水源の存在を太郎兵衛さんは知っていて、真っ先におさえた。だから移転先がここになった…らしい。
お主もなかなか悪よのぉ、とか言ってやりたかったぜ。本当に言えたら、それをきっかけで太郎兵衛さんの記憶が蘇ったかも知れないな。
ちなみに、キノーワに全く水路がないわけではない。城市の東側には一応川があって、その扇状地の外れに位置しているため、細い水路はいくつかある。あくまで、城内で始まる川が一つというだけだ。
と言いつつ、東にある川は――今はキノーワ川と呼ばれているが――、普段はほとんど水が流れていない。扇状地からしみ出す湧き水は、井戸と並んでキノーワの生命線。それを独占した太郎兵衛さんは、やっぱり悪い奴だ。
ともかく、我が家の畑は、その川のおこぼれをいただいていた。
まぁ正直、水問題はもはやキノーワには存在しない。
現状は各家に一つだけど、蛇口から水が出る環境が作られた。遠い将来は分からないが、当面は無料。勝手に設置したのだから当然だろう。
水道水は、ただ家庭に設置しただけではなく、ドブ川のような水路にも流した。おかげで、街中の悪臭が幾分薄らいだ。
もちろん公衆衛生の面では大きな変化があるはずだけど、その辺はすぐに結果が出ない。いずれにしても、一部の水は堀に流れ込んで、そこから取水する近隣の田畑にも影響は出つつある。今さら、ちょろちょろ小川一つに目くじらを立てる人はいない。
「で、そこの少年…は何をしているの?」
「少年は荒野を目指すんだ」
「ずいぶんやさしい荒野なのね」
最近気になっているのが、この小川に何が棲息しているのかということだ。
モリーク家も我が家も、この川は畑の水やりにしか使っていない。そして、今のところは無農薬だし、家庭排水も流れ込んでいないので、ここは牛渡川も真っ青な清流に違いないのだ。
え? 牛渡川を知らない? 地球人なら勉強しておかなきゃ。
「まぁ見ろ、美由紀」
「………………どじょう?」
「似ているのは確かだな」
ザルで掬えば、何やら動くものが見つかるので、バケツに入れてみる。残念ながらアクリル水槽はないので、皆さんにお見せできないのが残念だが、日本で見たことのありそうな生物が次々と発見された。
「お前の鑑定能力で、地球の生物との関係は分かるのか?」
「分かると思う?」
「来訪者は分かるんだろ?」
「たぶん、特定の生物にしか対応してないのよ。ゲームの能力なんだし」
残念ながら俺たちは生物学者には程遠いし、仮に学者を連れて来ても、この星の貧弱な器材では簡単に成果をあげられないだろう。
嵐学園の講師に、地球の進化論の話をしただけで大騒ぎになったのはつい先日。さすがに、神さまが全生物を創造したという説には懐疑的だったけど、この星の生物学はアダムとイブからそう隔たっていない。
「管理者の力なら何でも分かるんじゃないか?」
「それほど万能じゃないわ。生き物の時間を遡らせれば、生まれる前後の様子までは辿れるけど」
「まさか創世まで遡れないか」
なんだろうな、この痒いところに手が届かない感覚は。
管理者の能力で、時間を巻き戻すことは可能。ただし、例えば星そのものの時間を四十億年巻き戻せるかといえば、それはできないようだ。
それがなぜなのか。管理者に聞いても何も分からない。そもそも管理者は、百年前の記憶すら曖昧だ。神なんだから全知全能でいろよと言いたくなるが、残念ながら神を自称したのは今回が初めてだし、そんな自覚を求めるわけにもいかないだろう。
たぶん、管理者は星が生み出した存在だ。なので、星の破壊につながる能力は排除されていると考えるのが無難な回答ではないか。
「生き物観察で創世まで話が飛ぶなんて、さすが弘一ねー」
「とりあえず、褒められてる気はしないが」
しゃがんでいる俺の頭にでっかいアレを押し当てて、美由紀はいつも通りのイヤミ。童心に返るって感じではないけど、今の俺たちの平穏ではある。
まぁとりあえず、どんなにドジョウやミズスマシみたいな生き物でも、ここは地球ではないので、違う生物と考えるべきだ。その上で、俺たちに危害を加える生物かどうかだけは知っておきたい。
冒険職事務所には、一応は危険な生物のリストがあるらしいし、衛兵の詰所にも一冊おかれているが、はっきり言って全く学術的価値はない。
素人の俺が読んだ限りでも、その特徴があまりにバラバラで、数種の情報が混じっていそうな箇所が見受けられた。
一方で、薬学的見地からまとめられた書籍は、嵐学園の図書室にあるらしいが、門外不出だった。薬の知識は利権に結びつくので、せっかく調査した内容が隠れたままになっている。
この先、日本から持ち帰った本を、神の恵み案件としてこの星の学者に読み解いてもらえば、地球の生物学の知識も多少は伝わるだろう。
二つの星の違いを考えるのは、その後になる。きっと数十年どころじゃない時間が必要だろうな。
※更新時間が遅れてしまった。次の61まで公開して、一度休みます。62と63もだいたい書けているけど、何か足りない気もするので少し貯めてから続ける予定。




