五十九 キノーワ重役会議(下水道)
最近、会議ばかりやっている小牧弘一、もうすぐ二十四歳です。
年齢的には大卒二年目、実際には大学中退で社会人四年目…と、日本とこちらの経歴を合算してみれば、まぁ会議に借り出されるのは分からなくもない。
ただし。
会議と言っても、そこに会社はない。
この星で初の国際会議、次はその事務方折衝、そして今回は地方行政のトップ会議。入社数年の若手が下働きするならまだしも、会議を主導する側にいる。無茶苦茶だろう?
それに、主導したくてしているわけでもない俺の立ち位置は、極めて微妙だ。
そもそも神の恵み案件は、当初からこの世界の秩序を無視している。
元々、人々がうっすらと信仰していたそれぞれの神の位置に、管理者を滑り込ませる。いわば本地垂迹の形で、在地の神の本地は管理者であると表明させた。その一方的かつ正気の沙汰とは思えない表明を、超常の力を見せつけることで無理矢理信じ込ませた…というのが現状になる。
もちろん、大半の国は信じなかったわけだが。
代行者に指名された美由紀も、超常の力を有していること。それを知る国々が、美由紀を野放しにできない事情から参加したという側面は大きい。
つまり、本質的には美由紀も信用されていないのに、その伴侶がしゃしゃり出ているわけで。
「あー、そこの者はなぜ出て行かないのだ」
「そこの者とはどなたでしょう。えーと、名前を存じ上げない御方?」
「そ、失礼な。我をゲンジ・オヒカと知らぬと申すか」
「ふふっ。それぞれ立派なお名前をお持ちなら、その名で呼び合えば宜しいのではありませんか、伯爵殿」
「………」
キノーワの行政トップによる会議。出席者はモリーク、ゲンジの両伯爵家と、経済界の代表三名、嵐学園理事長。オブザーバーとして、冒険職事務所のアラカ所長と、衛兵支部長。そして美由紀と俺だ。
そこで黒ヒゲの老人…ゲンジ伯爵が俺の退出を求め、美由紀と応酬してあっさりと敗れた。
代々伯爵を継いでいるゲンジ家にとって、どこの馬の骨とも知れない美由紀の地位など、認める気はない。とはいえ、美由紀は神の代行者という以前に、四ヶ国の公爵相当なので、イデワ王国の爵位でも上位という扱いになる。それも一代爵位ではなく世襲可能らしいし、さらに上の位を用意する話もある。表立って反抗もできないわけだ。
で、とりあえず俺は今は公爵家の一員扱いになっている。あくまでも、ここではそういう立場を名告るのが手っ取り早いというだけだが。
「皆さんお忙しいでしょうから、早々に始めようではありませんか。ゲンジ殿もよろしいですかな」
「う……うむ」
モリーク伯爵――イズミの父親――が音頭を取り、まずは定例の内容を進めていく。美由紀と俺はその部分に関しては部外者なので、眺めているだけ。特にもめる要素もなく、一応は淡々と進んでいる。
もっとも、ゲンジ伯爵は不機嫌なままだ。
そもそも、俺たちを除いたとしてもまだ面子に不満がある。恐らく今までも不機嫌なまま会議に参加し続けていただろう。
古い領主であったゲンジ家としては、会議など自分の意向を披見する場であれば良かった。かつて爵位をもつ家が四つだった頃なら、モリーク家を成り上がり者と侮りつつ、二つの子爵家を子分に従えていたわけだ。
しかし太郎兵衛さんが会議に町の代表を加えた。その提案がなされた時、ゲンジ家の前の当主は鼻で笑ったらしいが、子分だと思っていた子爵家はどちらもモリーク家についてしまった。
当たり前だ。
隣国との戦争がすべて終わったこの百年、イデワ王国は貴族の官僚化を進めている。爵位は以前なら領主としての地位を意味していたが、代替わりの際に領地を取りあげて、日本でいうところの知事みたいな職を与えた。
それができたのは、だらだら続いた戦争の間に、領主が有していた兵権を取りあげていったおかげ。その意味では、数百年にわたって中央集権化を進めていたことになる。今となっては、キジョー公爵が率いる国軍に対抗できる勢力は残っていない。
複数の貴族がいる町では、交代で代表を務めるから、ますます領主という地位からは切り離される。キノーワに四家もあった時点で、もうゲンジ家は衰退に向かっていたわけだ。
爵位はいずれ、ただの飾りになって消える。そこで最後の拠り所となるのが、自分たちの家は神に選ばれた特別な血筋という主張になるが、本地垂迹として現れた管理者は、貴族を無視して美由紀を代行者に据えた。ならば管理者を否定するしかないけれど、現にその力を示している以上それも難しい。
まぁ今のところ、美由紀は積極的に身分制度を否定しているわけではない。
日本の四民平等だって、実際には百五十年経っても世襲だらけ。突然すべてを否定するのは、社会の不安定要因になる。
貴族が人間宣言しても、身分制度を信じ込んでいる側がどう受け取るかは別問題。たとえ生物としての貴族と商人に違いがないと証明されたとしても、魂がどうとか言えるからな。
管理者は、魂の輪廻に関して何も制約は設けなかったと言うし、目の前のゲンジ伯爵の魂が特別なものという主張は、いつでも否定できる状況にある。ただ、それを主張することは、今度は俺たちが神に選ばれているという新たな信仰につながりそうだ。
もう既に、美由紀信仰らしきものはおこりつつあるらしい。女神のような、というのは比喩であって、女神じゃないってことなんだが…。
「では通常の議題は終わりましたので、あとは横代様からお願いします」
「ありがとうございます。それでは資料を配付します」
ぼんやり考え事をしている間に、俺たちの出番になった。
俺は美由紀が作成した資料の配布係。今日の議題は鉄道とかじゃないので、説明役は美由紀一人になる。うむ、いなくてもいいだろ俺。
「はじめに申し上げますが、神の恵みは決定事項です。こちらとしては、その恵みで支障をきたす箇所についてお願いすることしかできません」
「むむ…」
この世のものとは思えないほど美しい印刷物に皆が驚き…ということはない。配ったのは、カーボン紙を使ったうす汚い複写である。
神の恵み案件の場では、あくまで神から与えられたという形で印刷物を配ったが、この会議の主催は神ではない。
カーボン紙らしきものは、一部の国に存在する。どうやら錬金術の副産物のようで、発明されても秘匿され、ほとんど流通していないらしい。
協定の場でも試しに使ってみたので、あそこに集合していた各国の商人には価値が伝わった。遠からず量産が始まるだろう…と、そんなことはどうでも良かった。
「つまり…、この処理場とやらで、これまで通りに働かせよということですかな」
「汚泥とは何だ。要するにあれでいいのか?」
しばらく、資料を手にゲンジ伯爵らは話し込んでいた。
美由紀が用意した資料は、下水道に関するものだ。
キノーワには既に上水道…というか蛇口が設置された。ここでも本来なら、水の利権を調整する必要があったわけだが、一切無視した。まぁ井戸の使用料など些細な利権だったし、そもそも井戸を潰していないのだからと屁理屈を通した。
しかし、下水道はそうもいかない。
下水に汚水を流すためには、それぞれの家や施設側が能動的に対処しなければならない。つまり、汚水をその辺に流してはいけないと、みんなが思って行動してくれない限り、排水口を用意しても無用の長物のままだ。
そして一番の問題は、糞尿だ。
ゲンジ伯爵家と一部の商人が難しい顔をしている理由である。
「一応、神には現物を早めに造ってほしいと頼みました。机上の空論って言葉もありますから」
「確かにそうですな。ゲンジ殿も自らの目で確認なさったら良かろう」
「わ、私にあのような汚物を見ろと申すのか!」
「そこまで汚いものではないと伺いました。まぁ…、信頼できるどなたかにご確認いただけばよろしいかと思います」
「う、うむ…」
糞尿は一つの産業だ。共同便所から回収して運搬して、肥料として売却する。どこの町でも伝統的に行なわれており、かつての領主が元締めという場合が多い。この町の場合、ゲンジ家がそれにあたる。
これはまぁ、日本でも長らくそうだったわけで、異世界だからという問題ではない。二十世紀になっても、某東京の鉄道が糞尿輸送で儲けようとした歴史があるのだ。
下水処理場の汚泥を、代わりの資源とする。同時に、処理場や下水設備の管理も任せる。新たな技術習得を必要とするが、人糞で商売するより格好はつくし、町をきれいにするというポジティブなイメージも得られる。
商人はわりと乗り気で、ゲンジ伯爵も、当事者がそれでいいというならというスタンスになりつつある。権威主義の頑固オヤジのわりに、案外柔軟な思考もするようだ。
「横代様。この…、公衆便所というものについてのご説明をいただきたいのですが」
「あ、はい。……って、必要ですか? 今もありますよね? あれを置き換えるというだけですよ」
「ああ、そういうことですか」
公衆便所という言い方が存在しないと、会話しながら美由紀は気づいていた。機能としては同じようなものだが。
キノーワでは、トイレは基本的に家の外にある。モリーク家でイズミが使っていた「おまる」は、伯爵令嬢という深窓の君がノッシノッシと排便に励む姿を見せられないためで、極めて特殊なケースに過ぎない。あ、何となく悪意が混じってしまったな。
仕方ないだろう? 他人の家に押し掛けてトイレを使うばかりか、俺が使った後の個室に入りたくないから外でやれとかほざく女だ。今は自宅に同じものが設置されて、ようやく理不尽な要求も止まったが、排便の恨みは…って、何の話だっけ。
「横代様」
「どうしましたか、アラカ所長?」
「その…、いくつ置き換えるのでしょうか?」
「いくつ…ですか? それはまぁ、キノーワのすべて、でしょうね」
「全部!?」
「せっかく神さまにお願いするんですから、欲張らなきゃいけませんよ、皆さん」
そう、全部。家庭排水はともかく、トイレはすべて取り替える。そうしないと糞尿業者の仕事が残ってしまうから、徹底する必要がある。
さすがに、各家庭に設置するサービスはないので、外にある便所をそのまま置き換える。共同便所は、公園の公衆便所っぽく造り替えて、水道の蛇口も設置する。ここまでは決定事項で、美由紀の分身が既に準備を済ませている。
これらは神の恵み案件のモデルケースなので、整備に伴う費用は発生しない。ただし処理場の管理などの経費は発生するので、今まで糞尿処理や井戸水使用などで支払っていた費用を元に、負担にならない程度の支出を求める。たった一度の会議でここまで決まってしまった。
もっとも、下水道設置は覆らないのだから、ごねても意味はない。神さまはいつでも、我々の都合に合わせて動いてはくれないと、疲れた表情で美由紀がつぶやいて、無事に会議は終了した。
……………。
まったく、美由紀の演技は大したものだった。お前が神だろうに。
「弘一の話では、飲んだだけで、ちぎれた手足も元通りになる薬があるんでしょ? どこで売ってるの?」
「そ、そんなお薬があるのですか? 弘一?」
「あってたまるか。イズミも簡単に騙されるなよ」
夜。久々にイズミを交えてお茶会を開いた。
下水道で衛生に気を配るのはいいが、医学や薬学方面の恵みもあっていいのではないか。今さらのように美由紀が言い出して、イズミがそれに乗って現在に至る。
一応、薬局で売っているような市販薬は買ってあるし、その方面の専門書も多少は持ち帰っていたらしい。とは言え、美由紀と俺にとって縁遠い分野なので、今すぐ積極的に動く気にもなれず。
回復魔法が存在するのだから、ゲームのような薬もこの星で生まれる可能性はある。ただし、欠損をどうにかできるのは、管理者と美由紀だけ。要するに、無から高架線を創造したように、欠損部分を生み出せるが、そんな超常の力がお店で売られる日は来ない。
「町の臭いは、少し変わりましたわ」
「お貴族様の部屋まで悪臭は来ないだろう?」
「来ましたわ。だいたい…、ここの屋敷の方からも、以前は臭いがしましたもの」
「え…」
ドブと糞尿の臭い。この屋敷の外観は、ウミーヤ氏が建てた時のままだけど、お洒落な見た目とは裏腹に、結構な悪臭の巣だったという。
俺を連れて来る前に、美由紀がその辺は一掃してしまったから知らなかったが、使用人の小屋の辺りには、当たり前のように肥溜めがあったらしい。よくもまぁ、そんな臭いの中で美術品を収集していたものだと感心する。
「ウミーヤさん本人も、なかなかの臭いだったけど、弘一は忘れたの?」
「え? そ、そんなだったか?」
この町から逃げたウミーヤ氏が、一度だけ戻ってきた時、確かに俺も面会した。爵位を奪われた者が、かつての自宅に戻ってきたということで、多少の警戒をしたのは覚えているが、悪臭については初耳だ。あ、初鼻?
美由紀が言うには、鼻の感覚を一時的に遮断しないと耐えられないほどに酷く、歩く生ゴミのような扱いだったらしい。その場で同席した俺が「らしい」と言うのもお恥ずかしい話だが。
「私たちの装束も、あまり洗えないので臭いますわ」
「お香でごまかしていたのが、貴族をやめてその手間も面倒になったんでしょうねー」
「聞きたくなかった裏情報だな」
「あら衛兵さん。貴方の皮鎧姿も酷いものでしょう?」
「いや…イズミ、皮の臭いはいいだろ? 何も足さない。何も引かない。ありのまま!」
………いつの間にか矛先が俺に向いていた。何だよ、皮は新しくても臭うんだからな。剣道部や柔道部の部室と一緒にしないでほしいぞ…と主張したが、二人の同意は得られなかった。
それどころか美由紀には、逆に指摘されてしまう。衛兵の制服は、その道着なみに臭いと。
普通の洗濯ではどうにもならないので、美由紀は能力を使った成分分離できれいにしたという。
「生まれた時から嗅がされていれば、ある程度は慣れるってことねー」
「自覚はしていませんでしたが、その通りですわ。お姉様」
……………。
自覚というか、それがこの世界の普通だった。他でもない、俺自身の変化で確認できる。
はっきり言えば、記憶を取り戻すまでの俺は、糞尿やドブの臭いを気にしていなかった。南門の近くのドブ川も相当な臭いだったし、外の畑には当たり前のように肥溜めがあった。何よりも、衛兵用の共同便所が、とんでもない刺激臭をばらまいていたのに、側で平気でメシが食えるほど麻痺していた。
麻痺していた…は正確ではない。
俺の頭に植え付けられた「この世界の常識」は、地球の記憶を忘れさせた代わりに、管理者が押しつけた記憶だ。
日本で生きた記憶を回復してしまった今、ウジ虫がたかる共同便所は生き地獄。
スマホから臭いが出せたら、どんなに画面がきれいでも「願いの楽園」で遊ぶ奴なんていなかったはず。
え? 制服の臭いに麻痺していたのは管理者のせいじゃないだろって? 細かいことにこだわっていると抜け毛が増えるらしいぜ。
「それから…、お姉様」
「なぁに? 可愛い顔しちゃって」
「え? えっ?」
「照れるなイズミ。何か用があったんだろ?」
「え? あ、ああそうでした。あの、父上から…」
……………。
モリーク伯爵からの提案を、娘はキラキラとした瞳を向けながら美由紀に伝え、美由紀の表情は一瞬ひきつって、そして救いを求めるようにこっちに視線が集まった。
曰く。
お二人は結婚式をなさっていないと聞いたので、キノーワで盛大にお祝いしたい。
……………。
「イズミ、俺はその方面の知識が乏しいから教えてほしいが」
「はぁ?」
「どうすれば結婚したことになるんだ?」
「ええっ?」
考えてみれば、俺たちの「結婚」は自己申告だけ。と言うよりも、俺は認めていなかったから、最初はただ美由紀が一方的に主張していただけだ。
もちろん、だから誰も認めていないわけではない。
王都で国王や貴族にお披露目した以上、二人が結婚していることは事実とされているはず。あの場で、俺の態度に不審を抱いた人はいたけれど、契約が嘘だという話は出なかったし。
「一応…、届けを出すらしいですわ」
「どこに? そもそも戸籍ってあるのか?」
「弘一。何でも他人に聞くのはやめなさいよ」
「いや…、すまん」
で。
「マジで!?」
「マジ」
「……………」
戸籍は一応は町が管理している。そして結婚届を出す義務はないが、戸籍の書き替え依頼の形で届自体は存在していて、美由紀はとっくの昔に届け出ていた。マジ?
「本人が知らないうちに結婚したってことだよな」
「何言ってんのダーリン。ちゃんと貴方の拇印を押してるわよー。寝てる間に」
「それは、ちゃんとしてないよな!?」
お祝いの会は検討課題ということにしてもらう。無茶苦茶過ぎるだろ、この世界は。いや、無茶苦茶なのは美由紀か。
それからわずか数日で、キノーワは下水道完備の町になった。そして世界で唯一、水洗便所の町だらけにもなった。
この世界のトイレは、まだフルパワーで戦っていない。残念ながら、温水洗浄の暖房便座の実用化には、電気が必要なわけで。
それでも、発想が既に伝わっているのだから、電力供給さえ始まれば、きっとその道のプロが死に物狂いで開発してくれるはず。
モリーク家にサンプルを設置した翌日には、商会の幹部が視察に訪れたらしい。ほほぅ、ここでお嬢様が用をお足しになられた…と確認したかは定かでないぞ。
※職業柄、中国の本草書を読む機会は多いのですが、医学に縁遠い自分にはその是非はさっぱり分かりません。たとえ李時珍が机上の空論の人でないとしても。
ポーション関係は論外で。お風呂の水を売ってた人と変わらないじゃん。




