表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神は俺を奪還する  作者: UDG
第七章 キノーワの女神
77/94

五十一 衛星都市の衛生を改善しよう(水道)

※第七章の目標は脱ナーロッパ? 元から違うと思うけど。

 地球育ちの二人は、異世界で夫婦になった。

 そして女は神の代行者となり、男はそのオマケとなった。


 地球の知識や技術が、断片的に、そして誤解だらけのまま伝わった星で、主に横代美由紀が孤軍奮闘する物語のはじまりはじまり~。


「弘一の主役としての成長を、みんなで見守る物語でしょ?」

「実現不可能な目標は立てるだけ無駄だな」







「お姉様、これはいったい?」

「地球では蛇口と呼んでいたものよ」


 ヨナイと呼ばれる星のイデワ王国。王都グローハから少し離れた都市キノーワの旧子爵邱、現在は我が家の庭先に、いつもの三人が集まっている。

 この屋敷をキャッシュで買い取った横代美由紀、近くのモリーク伯爵家の御令嬢イズミ。そして俺は小牧弘一っていうケチな野郎でござんす。


 一ヶ月ほど前。美由紀と俺は、この星の危機をどうにかするという名目で、一時的に地球に帰還した。

 危機そのものは、わりとあっさり解決したのだけど、俺たちがもはや地球に住めない存在なのだと、嫌になるほど実感できた。だからこの星に戻ってきた。

 ただし、手ぶらで戻るはずはない。何でも突っ込めるアイテムバッグに、冗談抜きに何でも突っ込んできた。どう活用するかは、帰ってから考えればいいのだし。


「魔道具なのですか? これは」

「ただ栓を緩めると水が出るだけ。というか、名前が違うだけで普通にこの世界にもあると思うんだけど」

「それはそうですが…」


 薄紫色のブラウスにスカート姿で、およそ貴族とは思えないラフな格好のイズミがじろじろ眺めているのは、美由紀が説明した通りの蛇口。日本の水道を、キノーワで再現してみたわけだ。

 この世界でも水を溜めて用水に流す設備は普通にあるし、給水栓も存在する。イズミが疑っているのは、井戸も水がめもないただの蛇口から、なぜ水が出てくるのか、という点になる。

 なお、イズミの服装は最近キノーワで売り出されるようになった最新ファッションだ。ファッションに関心のない俺が、なぜそれを知っているかって? 元々は、美由紀がイズミにプレゼントした、地球の衣服だったからな。

 気に入ったイズミが伯爵家の出入り業者に見せて、いつの間にか方々で売られるようになった…と、まぁこれは余談である。

 もう一つ余談を続ければ、地球での限られた滞在時間で、衣服を買う予定はなかった。俺としては持ち込む意義を感じなかったし、やたら値段も張るし…と事前に話し合ったのに、店の前を通りかかった美由紀は猛ダッシュで駆け込み、引っ越し屋が来たみたいに買い占めた。後で聞いたら、最初から店の前を通りがかる予定だったらしい。




 話を戻して…、キノーワは常時水不足の町だ。

 元々イデワ王国は雨が少ない気候で、大きな川も近くには流れていない。タマスや王都グローハなど、多くの町は比較的水の豊富な場所に作られているのだが、キノーワは周辺の鉱山経営の拠点として生まれただけに、水源が町の大きさに見合っていない。

 町の北にある貯水池に国内の魔法使いが集められて、水魔法や氷魔法を使わされたのは、今から十年前だったという。キノーワはイデワ王国の経済を支える拠点の一つなので、国王のアイディアで十人ほどが派遣されたらしいが、三日かけてもほとんど溜まらず、ただ魔法使いが消耗しただけで終わった。


「貯水池の裏手に泉を造らせたのは知っているでしょ、イズミ」

「ええ、それは伺いましたわ」

「そこから町に水を流すようにしたの。地中に管を通してね。この下にも通ってるわよー」


 水不足の町で水道整備。それなりの水量は必要だから、管理者――俗に言う「神」だ――に無理矢理水源を造らせた。無理矢理というけど、造れと言われて造れるんだから、奴は確かに神と呼ばれるだけの力をもっているんだよな。

 水道の原理は別に複雑なものじゃないので、地球を知らないイズミにも容易に理解できる。ただし、町中に水道管を通すという大規模事業を、知らない間に済ませていたという事実に、理解が追いつかないだけだろう。いや、普通は地球人でも理解できないよな?

 本来なら浄水設備を設け、蛇口から出せるだけの水圧をかけなければならないが、その辺もすっ飛ばすために、専用の水源を造らせている。最初から飲用可能な水が、高水圧で噴き出すというご都合主義の水源だから、あとは町に水道管を敷設すればいい。


「その作業はお姉様がなさったのです…ね?」

「まぁそうよ。私も素人だけど、あれよりは水道を知ってるから」


 この星の管理者は、管理する星であれば地形も生物も一瞬で創造できてしまう。俺たちが管理者と呼ぶ存在は、そうした能力をもつ唯一神だった。

 しかし、いろいろあって今はその能力の半分を横代美由紀に譲った状態。管理者と美由紀は、星の管理を分担する同格の存在になっている。

 といっても、現時点では星のほとんどが管理者の管轄のままだし、奴は基本的に何も管理などしていない。怠惰な指示待ち人間…ではなく指示待ち神でしかない。


 美由紀に移譲されたのは、俺やイズミなど。つまりキノーワの町とその住人という範囲のようだ。

 ――――そう。

 キノーワにとっては美由紀が神に相当する。だから、造りたいと思えば水道管を一瞬で張り巡らせることだってできる。生殺与奪を握られている状況だぜ。


「うちにはいつ蛇口ができるのですか? お姉様」

「一応、それぞれの希望を聞いてから設置するわ。勝手にやるわけにもいかないでしょ?」

「勝手に穴掘った時点で今さらじゃないのか」

「私が勝手にやれるのは貴方のことだけですけどー」

「頼むから勝手にやらないでくれ」


 イズミが引きつった笑顔を向けていることに気づき、慌てて払いのける。地球から戻って「夫婦」になって、美由紀は遠慮なしに抱きついたりそれ以上やったりするようになって………。

 お見苦しいところをお見せした。

 まぁ俺は美由紀の伴侶だが所有物ではないと、密かに宣言しておく。声にすると後が怖いので。

 ちなみに、美由紀もイズミと似たような格好なのだが、胸の谷間が全く隠れていないので、いつも通り目のやり場に困る。いや、俺たちはどっぷり夫婦だし、お互い見たことのない部位なんてないけれど、公共空間でチラリズムされるのはまた別問題だと思うだろう、なぁ君たち! 誰に訴えてるんだ俺は。


「伯爵家は井戸があったよな? ここにもあるけど」

「井戸は水量が安定しませんわ。だいたい、これも涸れ井戸でしょう?」

「中を見ずによく分かったな、さすがイズミの名をもつ女」

「使われた形跡がなければ、その辺の子どもでも分かると思いますわよ。キノーワの看板さん」

「看板はしゃべらないと先生に教わらなかったか?」


 キノーワの看板というのは、衛兵仲間が俺に面倒な作業を押しつける時の決まり文句で、俺の二つ名ではないので念のため。相変わらず、二言目にはイヤミを欠かさない伯爵令嬢だぜ。

 まぁそれはさておき、この町の井戸があちこち涸れているのは事実。キノーワの人口は、この百年で十倍近くに増えて、井戸頼みの生活は遠からず破綻するしかない状況にある。


「ということは、新しい水源に水を取られたら、この辺の井戸はみんな涸れてしまうんじゃないか?」

「いくらあれがバカでも、それぐらい分かってるでしょ。この辺の水を掻き集めてるわけじゃないわ」

「この辺の水じゃないものをどうやって噴出させるんだよ」

「ゲートを造ったんでしょ。簡単なことよ」

「それを簡単って言うな」

「…今さらでしょう? 弘一」


 ゲートは、要するに離れた二つの地点をつなぐもの。あれだ、どっかの青いタヌキみたいな奴がテッテレーとか言いながら用意するドアを想像すればいい。

 一応、新水源の位置はギリギリ美由紀の管理下になかったので、水道管とは違って本当に管理者が造っている。ただし美由紀が細かい注文をつけて造らせたせいか、完成するとすぐに管理者は、その土地の管理権を美由紀に移譲した。ただ働きをさせられた上に、今後の管理まで任されてはたまらないと逃げ出してしまったわけだ。

 なお、水源の元はどこかの海水らしい。どうせ飲用に加工する必要があるから、元の水に塩分があっても問題ないし、海なら大量に汲んでもさして影響はないという判断だろう。まさか、余所の国から奪うわけにはいかないからな。


「お姉様、元が海水なら、塩も作れるのですか?」

「作れるでしょうけど、今はやめてるわ。余所の商売の邪魔しちゃいけないでしょ」


 ゲートを通す前に塩分は除去しているらしい。もちろん、その気になれば除去した塩を手に入れることも可能というけど、除去法が反則なのだし、闇に葬るべきだな。

 ともかく、道路下に上水と下水の配管はしてしまった。そこから各家庭への配管は、蛇口設置の希望地に目印をつけてもらい、同じ規格の蛇口を一気に設置するそうだ。一応、すべては「神の厚意」として。

 設置場所は家の中でも外でも良いが、あくまで一箇所だけ。ただ、配管自体は特殊な方法ではないので、工事をすれば増設はできる。現時点で、工事業者はいないし、水道管を造っている業者もないわけだけど。


「メーターも設置したのよ、すごいでしょ?」

「あえて美由紀に聞きたいが、ここで量って誰に料金を払うんだ?」

「おー、神よ!」

「お、お姉様?」

「何も考えてないってことだな」

「模倣は形から入るって知ってるでしょ?」


 上下水道の運営主体は、本気で何も決まっていない。「神の厚意」は一方的な見切り発車なのだ。自慢することじゃない。

 とりあえず「神の厚意」を、美由紀は目に見える形で示す。そして各国には、神――管理者――が奇跡を起こしたと広める。なぜなら神、つまり管理者と美由紀が同格なのは、ここにいる三人だけの秘密だから。表向きは、唯一神の御心を、美由紀が代行者として伝えることになっている。



 管理者との対話というだけなら、俺やイズミにも可能だ。

 そもそも管理者には肉体がないから、向こうが話したいと思わなければ、こちらから存在を確認する術はない。とはいえ、お高くとまってる奴でもない。


 美由紀に力を分け与え、管理者と完全に同格な存在にしたのは、管理者自身だ。

 管理者は、圧倒的な能力のわりに人類並みの知能なので、俺たちに接するうちに感化されてしまい、その職掌を捨てたくなった。

 神のくせに、人間社会で生きる楽しさに気づいてしまった。

 つまり奴の本音は、美由紀一人に管理者を押しつけること。ただし、いきなりそれを実行すれば、美由紀と押し付け合いが始まるだけだから、等分で妥協しているわけだ。

 美由紀は美由紀で、事情があって管理者の力がなければ生きることができない。それに、地球から持ち帰ったものを扱うにあたって、自分たちが持ち込んだという事実は隠したい。

 だから力の半分を押しつけられたことは受け入れる。その代わり、名目上は上下関係を維持することにした。それが代行者の正体だ。


 要するに、この枠組みはほぼすべてが嘘だ。地球の物をもたらしたのは美由紀、奇跡…という形で能力を使うのも美由紀で、管理者は何も理解すらしていない。

 それでも、現状ではこれ以上の方法は思いつかない。

 美由紀は女神の美貌で、見た者を気絶させることだってできるが、その辺の衛兵の伴侶だ。そう、俺がいる時点で、彼女を神だと言っても伝わるわけはない。

 まぁそれ以前の問題として、町を普通に歩き回って、円月殺法で主をからかいながら飯を食う女を、創造主だから崇めなさいというのは無理だろう?



「それでお姉様、あの、ト…ト…」

「トイレはいつ作るんだって言ってるぞ、美由紀」

「イズミ。蹴ってもいいわ」

「よろしいのですね、お姉様」

「俺を殺す気か!」


 そして、さっきトイレのあれのように流してしまった話題だが、美由紀は下水管も通している。ただし、こちらはすぐに動く予定はない。

 イズミは地球が誇る大発明、そう、おしりシャワー付き水洗トイレの設置をねだり続けているが、そのためにも下水処理が必要だ。やる気はある。


 ちなみに我が家のトイレは、美由紀の魔法で無理矢理シャワー付きトイレを再現している。そしてイズミは、自分の部屋とここをつなぐゲートを使い、毎日我が家で用を足しているわけだ。

 そもそも自室から直接行けるから、伯爵家で用を足すより早いという事情もあるが、その伯爵家のトイレというのは「おまる」なのだ。

 天下の御令嬢が他人の家にトイレを借りに来るという酷い状況も、他人に自分の糞尿を運ばせるよりはマシなのだろう。



 きれいな水を通せばいい上水道と違って、下水道はいろいろ面倒くさい。そもそも、家ごとに排水管を通す必要があるが、台所の排水はその辺に垂れ流しだし、トイレは溜めるだけだ。屋外に甕が並ぶトイレのままでは、水洗化などやりようがない。

 それに、汚水処理の設備も簡単にはできない。いや、美由紀の能力で地球並みの設備を作れる可能性はあるけど、完成した設備はこの世界の人間に管理してもらう必要がある。他の町にも作れるよう、すべてを理解する人材が必要だ。

 ただ――――。

 地球と違って魔法の存在するこの星には、何か違った方法もあるのでは。その辺も含めて、この星の専門家に研究開発してほしいと美由紀は考えているようだ。


「汚水処理できるモンスターとかいない? イズミ」

「そ、そんなモンスターがいたら大騒ぎになっていますわ、お姉様」

「イズミの部屋にも一匹飼っておけるぞ」


 死なない程度に蹴られた。うむ、男の子は下ネタが大好きなんだ…って、小学生か俺は。

 地球の上下水道も、微生物の世話になっている。異世界では異世界ならではの生物にお願いするのが筋だと思う。




「トイレはさておき、イズミの準備はもう済んだのか? あと一週間だろ?」

「ご心配なく。というより、小牧先生はなぜ他人事なのかしら」


 屋敷に戻って優雅に茶をすする。

 向かい合ってみると、イズミは確かに御令嬢だ。同じ茶をすするにしても、何というかポーズが違う。


「正直言えば今はそれどころじゃない。それと小牧先生って言うな」

「今から練習してますのよ。学校で呼び捨てなんて許されませんから」

「さすがイズミ、殊勝な心がけだわ」

「あぁんお姉様」

「お姉様呼びはいいのかよ」


 せっかく褒めたのに、御令嬢は美由紀の胸に埋もれて恍惚とした表情。いい加減にしろと言いたくもなるが、別にどうでもいい気もする。まさか、俺の女をとるなとか言えないし、そういう感情は全くわかないし。

 というか、そんなことはどうでもいいんだ。


 これからしばらくは、怒濤のスケジュールになる。

 祖父の太郎兵衛さんが創立したキノーワ嵐学園に、孫のイズミが編入するのが一週間後。同時に俺と美由紀も、学園の兼任講師となる。

 二人ともイデワ語…と呼ばれる日本語の授業をもたされるのだが、美由紀が週一コマで俺は三コマもある。地球ではただの大学生だったのに、そして衛兵をやめたわけじゃないのに、いきなりイデワ語講師の主任だ。あり得ないだろ。

 ――――――しかし。

 このトンデモ事態すらどうでも良くなるほど、この先の俺たちは大変だ。


「イズミに講師を任せられればなぁ」

「小牧先生の授業が楽しみですわ」


 神の代行者計画。俺たちが地球から持ち帰ったものを、神の恵みと称して小出しにしていく作業が、二週間後には本格化する。

 上下水道はその「恵み」の一つ。キノーワは町そのものが巨大なショールームみたいな形になる。


 まず第一段階として管理者は、この星のすべての国に対して、神の恵みを受け取るよう呼びかけた。

 白装束で杖を手に持ち、何となく神っぽい姿を見せて声色を作った管理者は、「君たちに接触する場はイデワ王国キノーワ、そこの嵐学園に美由紀を代表とする本部を置くぞ」と一方的に告げた。「各国に転移の魔法陣を作り、神の力で運んでやるぞ」とも。


 実のところ、管理者はガラにもなく緊張していた。誰も自分の話を聞いてくれないだろうと、とても神とは思えない自信のなさだったので、美由紀と二人でアドバイスをした。

 相手のことなど考えるな。一切無視して、言いたいことだけ一方的に告げろ、と。

 超越神には超越神の流儀がある。人類とコミュニケーションをとろうとするのが間違いだと言ったら、管理者の力を譲るから代わりにやれと泣き付かれたのは、今となっては良い思い出だ。嘘だ。良くないし、現在進行形だし。


 未だ正確な世界地図のないこの星。誰一人把握していなかったが、実は二百近い国が存在するという。

 そのすべてから代表が集まれば、学園はパニックに陥るだろう。それをどうにか処理する役目は、さすがに超越神の流儀では対応できないので美由紀に委ねられ、俺も補佐役として否応なしにこき使われるわけだ。

 幸か不幸か、現時点で使者を派遣する国はそれほど多くはないらしい。二百の半数かそれ以上は、イデワ王国の存在すら知らないのだ。管理者が超常の存在らしいと認識できても、得体の知れないどこかに使者を派遣する決め手にはならないようだ。


「学生に手伝わせるのは許されるのか? 美由紀」

「それは、使えそうな人材を小牧先生が厳選してくれるってこと?」

「良かったですわ。それなら私はまさか選ばれませんわね、小牧先生?」

「だから小牧先生って言うな。ますます気が重くなる」


 ここまで深く関わっているイズミが逃げられるわけないだろう…と軽く睨みつけるが、視線を合わそうとしない。あんまり見つめると、隣の怪人に睨まれるし、踏んだり蹴ったりだぜ。

 …………。

 管理者から特別な身体を譲渡されたイズミ。人智を超えた怪力と、幾つかの魔法を使えるようになったが、今のところは持て余している状況だ。ついでに日本語の読み書きができるようになれば良かったのに、譲渡された身体に含まれていなかったらしい。

 美由紀とイズミが保有する、ゲーム「願いの楽園」プレイヤーの身体には、この星でコミュニケーションをとるための言語能力がある。だからイズミも、存在すら知らない国の言葉だって理解できるようになったが、日本語はこの星の言語じゃないから含まれていないわけだ。


 一応、イズミは少しずつ日本語を学んではいる。うちに遊びに来る近所の子どもたちに、日本から持ち帰った小学生用ドリルをやらせているが、イズミも同じもので勉強中だ。

 十七歳が小学生用ドリルというのもあれだけど、現状では他に教材がない。留学生用テキストなら大人向けなのでちょうど良いのだが、地球の別の言語を学んだ人向けだから使えないし。

 結局、留学生向けみたいな教材を、この世界向けに作るしかない。ただし、それを作るのは俺だ。そもそも美由紀と俺しか選択肢がないのだから。

 いくら何でも荷が重すぎる。だからこそ、俺より遙かに頭のいいイズミに助けてほしいんだがな…。


「言っておくけど弘一。別に急ぐことはないのよ。たぶん伝え終わるには数百年はかかるだろうし」

「子孫に託すって話になるのか」

「子孫? 私たちが責任をもつでしょ?」

「いや、だって…」


 …………。

 そこで衝撃の事実を伝えられる。

 管理者の片割れになった横代美由紀は、当然のように不老不死。だから数百年後も今のまま。また特別な身体を得たイズミは、不老不死ではないが寿命をコントロール可能。そこまでは知っている。

 で、俺はただの人間だから、老いて死ぬはずだったのだが。


「私一人を遺して死ねるわけない、と思うでしょ?」

「思うからどうにかなる問題じゃないだろ」


 美由紀の管理下にある俺は、美由紀の都合によって不老不死、だそうだ。無茶苦茶だろ。

 というか、仮に長生きしようが、仕事は他に任せて俺は逃げたい。困ったことに、美由紀は絶対に逃げられないから、俺が完全に逃れる手段は死ぬことしかないわけだが。



 イズミが帰って一時間以内に、伯爵家には蛇口が設置された。

 一応はキノーワの協議会が認めた公共事業なのに、私物化しすぎって気もするが、まぁ数日の差だしごまかせるだろう。

 そして翌日には、伯爵家にトイレも設置されてしまった。こちらはイズミが父親を説得した。というか、無理矢理うちに連れて来て、我が家のトイレを体験させたわけだ。

 伯爵も、慣れ親しんだおまる生活に未練はなかったようで、扉を開けて出て来た時には、生まれ変わったような表情だった。なんだろう、アイドルじゃないけど、貴族はクソしないとかいうファンタジーがあっても良かったような…。


 二人暮しの我が家と違って、伯爵家は使用人なども含めれば常時二十名以上いる。その辺は美由紀が気をきかせて、屋敷内のすべてを水洗トイレに置き換えたらしい。太っ腹というか、まぁ金はかかってないけど。

 貴族と平民は別の生き物という社会だから、イズミたち親子だけトイレが変わったとしても、使用人は文句を言わないかも知れない。ただ、神が直接恵みを与えるという状況が続けば、やがて貴族という身分は有名無実化する。

 既にほぼ実業家といっていいモリーク伯爵家だし、使用人に最新のトイレを使わせるのは、福利厚生ってやつだろう。




 そして町の隅々にまで蛇口が行き渡った頃、イデワ王国と隣国コリエ王国の国境で、神の恵みに関する多国間の協議が開催されることが決まった。

 その場で協定を結んだ後、今度は嵐学園で実務者協議。

 いくら美由紀の口が達者でも、さすがに国際会議を一人で切り盛りするのは無理だ。なので王都からその道のプロを呼んで、補佐を頼むと言うが…。



「あれに作らせた魔法陣の使い心地はどう?」

「お前の力で移動するのと変わらない気がする」

「まぁ…、同じ力だし」


 国境の町メーガ。警備隊の施設が背後に並ぶ広場に魔法陣が設置された。

 魔法陣はまだ他国の関係者には開放されていないが、ホスト役になるイデワ国内については運用が始まった。美由紀と俺も、魔法陣の試験を兼ねて移動してみた。

 すると、目の前で魔法陣が輝き、人影が姿を現わした。ちなみに、光を放つのはただの演出だ。神の凄さをいろいろ感じさせなければならないので、俺がアイディアを出した。言うまでもなく、ゲームの真似だ。


「君は老体を働かせすぎではないか、横代様」

「神の祝福で寿命が延びるかもしれませんよ、まだ五十代の大臣様」


 人影は、やって来るなり美由紀とイヤミの応酬を繰り広げる。まさかの大物、衛兵と冒険職を統括するキジョー公爵だった。

 まぁこのレベルの会議だから、その道のプロというのも限られている。何だかんだと美由紀が信頼している人だし、予想通りには違いないのだが、この国の三番目ぐらいの人を簡単に呼びつけないでくれよ…と愚痴ってもいいよな?


「小牧君も、以前とは別人のようだ」

「別人ですよー」

「えっ?」

「美由紀、頼むからややこしくしないでくれ」


 別人みたいなものだけど、王都で会った記憶はもちろんある。まさか公爵に、そこまで伝えるつもりなのか? 俺にはそこまでの距離感はないが。

 公爵は何か言いたそうな目で俺たちを見つめていたが、姿勢を正した。釣られて俺たちも両手をまっすぐのばす。


「横代様。…今回だけということで良いのだな?」

「ええ。実務者協議にもご参加いただければ、個人的には嬉しいですけど、とりあえず今回だけ睨みをきかせてくださいませ」

「君が責任者なのだろう? 神様の機嫌を損ねないでくれよ」

「まぁ…、そこは善処します」


 …………。そこで俺の顔を見ないでください、公爵。

 はっきり言えば、管理者と美由紀は不倶戴天の敵から始まっているわけで、あれ以上悪化はしないから心配ない。しかし、さすがにそれは口に出せないだろう。

 それ以前に、たぶん管理者はやる気がない。最初から美由紀に丸投げだから、損ねるような機嫌もないわけだが、そういう本音がどこかから漏れないことを願っておこう。

 一応、多国間協議では管理者にもいろいろ演じてもらう予定なのだ。


※窓から糞尿を捨てていたパリのように、なろう世界の街並みも、だいたいは糞尿まみれでしょう。水道は大切ですよね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ