閑話 娘とその父
その日の朝、我が家では奇妙な光景が繰り広げられていた。
いや、我が家はだいたい奇妙だろうとか言わないでくれ。
「どう? 目鼻立ちもくっきりして、いい男になったかしら」
「その意図は否定しないが、他は何も言いたくないな」
「き、きちんと否定してください、弘一」
「しゃべるな。化粧がずれるでしょ!?」
美由紀は地球の化粧品を大量に持ち帰っていた。それらを惜しげもなく使って――――、この星の管理者、神、またの名をスケキヨさんが変身しつつある。
正直、見るに堪えない。
そもそも、今となってはなぜこれをスケキヨと呼ぶのかも思い出しているわけだが、記憶にあろうとなかろうと、ゴム顔男の目や口が動くのは恐怖だ。そして、どんなに厚化粧しようと、ゴムはゴムなのだ。
一応記しておくと、化粧するのは「お出掛け」するため、だそうだ。うむ。仮にも全世界にその姿を見せて人民を跪かせた唯一神がこれでいいのか。とりあえず、俺は考えるのをやめた。
管理者が神を名告って全世界の人類の前に現れ、横代美由紀を代行者に指名した事件。その時の神は、どこかで見たような白装束の男の姿だった。恐らく、いろんな所に飾ってある自分の像の中で、一番格好良さそうなヤツを選んだのだろう。
つまり管理者は、それなりに自分の見た目にこだわりがある。なのに今はスケキヨ。いくら小説のスケキヨには恋人がいたと言っても、というかネタバレになるのでそれ以上書けないと言っても、思いつく中で最低最悪のビジュアルだ。
別に今は、美由紀も管理者にさほどの悪感情はもっていない。だったら、そろそろ許してやれよ…と思うのだが。
で、とにかくゴム顔神に化粧までさせて、どこへ行くのか? 実は、近所のモリーク伯爵邱だ。伯爵令嬢イズミの家だ。
イズミはもちろん、スケさんとは顔見知りだから、化粧の手間は要らない。いや、御老公の手下一号みたいに呼んでもゴムはゴムだし、相変わらず化粧する意味は分からないな。
今日は彼女の父親、伯爵に面会する。そこでイズミが、美由紀にも匹敵する超常の身体、つまりレベル300となってしまった経緯を説明するのに、管理者というか神の権威を使う。
いや、権威とかいう以前に、その身体を用意してイズミに渡した張本人なのだから、説明責任はある。まぁ、イズミに押しつけた俺の方が責任重大なのだけど。
イズミはショックで二日ほど部屋に籠っていたらしい。さすがに、人間を捨てたようなあの身体を受け入れるには時間がかかるということのようだ。
美由紀とは違って、拒絶反応はなかった。それに、管理者の力で増幅されているわけじゃないから、美由紀のように神の領域に達してはいない。そんな感じで宥めようにも、押しつけた俺では説得力が皆無。
結局、美由紀がどうにか落ち着けた。美由紀がその気になれば、管理者の力で抑えつけることはできるらしいので、普段はそのようにしつつ、立ち会いの下で訓練をする話になった。まぁ穏当な線だ。
嵐学園で実験材料にするつもりも、たぶんあるんじゃないかと思うけど、その辺はイズミがもう少し身体を受け入れてからだろう。
「ようこそお越しいただきました、横代様、小牧殿」
「ふふ、今日の主役はこの方ですよ」
「え………」
きちんと正面の門から入るのは久々だ。少なくとも俺は、イズミが操られたあの日以来。何も懐かしくはないけど。
伯爵は、美由紀を格上の客人として扱う。美由紀は一応は公爵相当なので、格上なのは事実だが、今回は彼女が手に持つ謎の物体の方が敬われるべき存在である。それなのに、見た瞬間に伯爵の動きが止まってしまった。
常識人には、このセンスは刺激が強すぎるのだろう。
「モリークよ、大儀である」
「ははー。本日はこのような場に顕れいただき、誠に恐悦至極に存じます」
「苦しうない。そこにかけよ」
そうして、応接間で対面の儀となった。
当主を差し置いて、中央に美由紀が立つ。その手にはスケキヨ。
ゴム顔がぬめぬめ動きながら、時代劇口調で話し始めると、伯爵は五体投地か土下座かという勢いで頭を下げた。
腐っても神。
俺たちにとっては、何の信仰心もわかないし、イズミも立ったまま。伯爵と、入口にいたコーデンさんだけが敬っている。
ともかく、伯爵が崇める神は、伯爵の娘が超常の身体を得たことを告げた。
一応これは、太郎兵衛さんに迷惑をかけたことへのお詫びで、本来は太郎兵衛さん本人に渡すべきものだったが、後継者に委ねた。神はそのように、厳かな態度で述べた。
「む、娘は神になってしまうのでしょうか」
「そのようなことはない。我に比すれば微々たる力である。その世話については、この女に委ねておる」
「はは、横代様。娘をよろしくお願い申し上げます」
……………。
伯爵も、もう少し人を疑った方がいいと思う。というか、スケキヨ神を捧げている美由紀の百面相を見て、何も思わないのがすごい。
恐らく美由紀は今、腸が煮えくりかえっているだろう。犬猿の仲の管理者に「この女」呼ばわりされたのだ。
まぁ管理者も、それを分かって言ったんだよな。俺の記憶を消して異世界に拉致した罪を認めたから、美由紀の罵倒にも耐えてきたわけだが、一応その件は俺たちの地球往還で手打ちになっている。だから今は、神の分身同士がじゃれているようなものだ。
「今からでも戻せないのですか? 私は別に望んだわけでは…」
「イズミよ。お前にはこの女の抑えになってもらいたいと考えておる。この女は人間としては強すぎる。我が抑えようにも抑えきれぬゆえ、身近にあって我に代わって見張ってもらわねばならぬ」
「お、お姉様を見張る…のですか」
管理者め。自分で力を移譲したくせに、よくもまぁヌケヌケと言ったものだ。
おーおー、美由紀の顔色が変わってきたぞ。さーて。
「イズミ様。神さまのご要望、実に理になかったお考えかと存じ上げます」
「弘一?」
「貴方様は、この女の信頼厚き御方。他の者では、抑えることなどできますまい」
「む、そこな男の申す通りじゃ。イズミよ、よろしく頼むぞ」
「え、えぇ…」
我ながら酷いと思うが、ここで乗らなければまずい、やっぱりお前にやるわ、とか言われては困る。
俺は美由紀が、その能力でいろいろ面倒な目にあっていることを知っている。もちろん、それに見合った恩恵もあるし、イズミに渡された身体はあそこまで常人離れはしていないが、受け取りたいとは全く思わない。
…………。
しかし、これで女性二人を敵にまわしてしまったのも事実。そして、俺が普通の人間である限り、今の二人から逃げることは不可能。さぁどうする。
「弘一。さっきは見事な忠臣ぶりだったわね」
「お褒めにあずかり光栄だ、伯爵令嬢様」
「イズミ。とりあえず、明日の訓練の的にしましょう。大丈夫、死ななきゃ何とでもなるから」
「そんな脅しに屈する俺と思うなよ」
イズミの部屋で、不遜な台詞を吐く俺は、美由紀にプロレス技をかけられている。うむ、あれだ、サソリの毒がまわるやつだ。
ちなみに、今は痛くない。痛みが脳に届かないよう細工されていて、後で一気に襲う仕掛けだ。鬼だ、悪魔だ。神だ。
「…これで弘一が学園の先生なんてやったら、いったいどうなるのかしら」
「不適格の烙印を押されれば、それで構わないんだ。俺は」
「分かってませんわね、貴方は」
ため息をつきながら、優雅にカップを手にするイズミ。
レベル300の怪力女になったわけだが、現状は美由紀が力を抑えている。なので、お約束でカップを割ったりはしない。
「学園は貴方を手放さないでしょうね」
「んなわけあるか。素人だぞ、ただの」
イデワ語の教師になる件は、既に確定してしまった。来月にイズミの編入、そして俺と美由紀の授業も始まる。
ここに来る前の俺は、単なる大学生。家庭教師のアルバイトぐらいならやっていたけど、そこからいきなり国を代表する学園の講師というのは、どう考えても無茶だ。
「そちらの…、地球の素人は、みんなこうなのですか?」
「心配しなくていいわイズミ。本物の弘一は、できる男だった。それだけよ」
「せめて、そういう台詞はサソリを解いてから言ってくれ」
というか、イズミにそこまで評価される理由が分からないな。
記憶が戻った俺が、イズミの知っていた俺と違っているのは確かだろう。何より、美由紀との関係は大きく変わった。主に、ここで口にするとアウトな方面で変わったわけだが。
「横代様。一つ相談したいことが…」
ともあれ、神と伯爵の面会は無事に済んだので、俺たちは茶を飲んで帰ろうとしたが、伯爵に呼び止められた。
美由紀はしばらくの間、執事のコーデンさんを交えて三人で密談。俺とイズミは遠巻きに眺めている。美由紀はちらちら目くばせをしているし、特に聞いてはいけない会話でもなさそうだけど、密談には決して参加するなという先祖代々の教えに従っている。なお、口から出任せである。
「行かなくていいのか、イズミ」
「え?」
「お前のことだぞ、きっと」
イズミを人身御供に出そうとしている間に、短時間で密談は終わったらしく、美由紀が戻ってきた。
何とも言えない表情の美由紀が、イズミの腕をつかんで玄関前の広場に連れて行く。広場か…。
「お、お姉様。いったい何を?」
「生まれ変わった貴方を見せて」
「え、え…」
「ほどほどにね。大丈夫、指示は出すわ」
「……………はい」
伯爵は、レベル300の身体というものが理解できない。だから少し、その超常の力を披露してほしいというわけだ。
考えてみれば、伯爵は美由紀の力も見たことはないんだな。
「先ほども説明しましたが、今は私が彼女の力を抑えています。まだ彼女自身も、何がどれだけできるようになったのか把握できていませんから」
「把握できる自信がありませんわ、お姉様」
「心配ないわ。私ですら一年もあれば理解できたもの」
そうして、荷物置き場の台の周囲に五人が集まった。
私ですら…って。言いたくはないが、美由紀は元から肝が据わった女だ。イズミも決してか弱い女性ではないけど、さすがに一緒にするのは無理があるぞ。
「横代様、いったい何を?」
「まずは、ご自身で感じるのが一番でしょう」
伯爵令嬢とその父、公開腕相撲!
…というか、あれだよな。美由紀は基本的に貴族という人種を尊重しない。
「では、勝負!」
「むむむ…」
「お父様…」
勝負はあっけなかった。イズミの細い腕が、何の抵抗も受けずに伯爵を押し倒す。全く勝負になっていない。
毎度のことながら、非常識そのものの景色だ。
「じゃあ次は弘一と」
「遠慮するぞ」
「はいはい、余計なこと言わなくていいから」
呆然としている伯爵を無理矢理動かして、俺を連れてくる美由紀。
言いたくないが、俺とイズミが対戦して何の意味があるんだ?
「あら。こんなに弱くてはお姉様の側にいられないのではありませんか?」
「弱いから腰巾着ができるんだよ。というか、いつまで抑え込んでるんだ」
「ごめんなさいね。思わず、積年の恨みつらみを思い出してしまいましたわ」
当然、勝負になるはずはない。が、本気なら握られた瞬間に手が潰されるから、イズミなりに手加減を試みてはいるようだ。イヤミを言い続ける時間を確保しただけ、とも言う。
なお、最近知り合った相手に、どうやって積年の恨みが募るのかは謎だ。
「じゃあ次はこれでいきましょうか」
「よ、横代様?」
美由紀は大きな何かを担いで来た。
……………。
馬の水飲み用に設置されていた桶だ。桶といっても、石をくり抜いて作った、日本でいうところの手水鉢みたいなもの。人間に運べる重さではないはずだが、美由紀は片手で持ち上げていた。
そこからは、びっくり人間大会になった。
石の水桶を手渡されたイズミは、やはりそれを片手で持ち上げた。
仮にレベル1の人間が、片手で十キロを持ち上げたとして、単純に三百倍すれば三トンになる。石の水桶は二トンもないはずだから、イズミが持ち上げても不思議はない。いや、不思議だけどな。
「この瞬間の骨とか筋肉はどうなってるんだ? 美由紀」
「分からないわ。ただ、あれの力が絡むのなら、魔法に近いんじゃないかしら」
「うーむ」
確かにそうなのかも知れないな。当のスケキヨ神は、俺の荷物に放り込まれて、今は何も語ろうとしない。というより、俺の荷物になった時点で美由紀の管理下に入ったから、今は管理者の意識も離れ、ただのゴム顔の石像でしかない。
そして恐らく、奴に聞いても答えは出ないだろう。自分が関与したくせに、ゲームには全く関心のない男だからな。あれ、奴に性別はあったっけ?
「最後に魔法を使ってもらいましょうか」
「お、お姉様」
「なあに?」
「使ったことがありません」
…もうやめたら良さそうなんだけどな。伯爵は既に魂が飛んだみたいな表情だし。
父親向けのデモンストレーションと、当人への指導が混じっているのは仕方ないのか。
まぁ…俺も、ちょっと興味がある。レベル1の魔法とはどういうものなのか。
「難しいことはないわ。あれを見ながら、凍りつけと念じるだけよ」
「え、えーと……、こ、凍りつけ!」
「おお…」
「で、できましたわお姉様」
氷魔法を選択したのは、この国に使い手がいて、比較的安全だからだろう。イズミが水桶に向かって叫ぶと、確かに凍った。魔法使いであることは確かめられた。
ただし。
水桶は濡れているが、ここに運んできた時点で空だった。その濡れている部分の一部が凍った。たぶん、手のひら程度の面積だ。
どうやらこれがレベル1のようだ。
「びっくりするほど使えない魔法だな」
「そんなことはないわ。人の頭を狙えば、この程度でじゅうぶん死ぬのよ」
「ええっ」
そこで驚いてしまうのが伯爵令嬢なんだろうな。
俺だって、レベル1は工夫次第でいくらでも役に立つとは分かっている。ただし、巨大竜のように相手が防御能力を有している場合、この力でははね返されるはず。
そして巨大竜は、話を聞く限りレベル300でも相手をするのは厳しい…って、あれか、俺もだいぶ基準がおかしくなっているぞ。
「この力を自分で扱えるようになるまで、私が責任をもって指導します。それが神との約束ですから」
「横代様、娘は神になってしまうのだろうか」
「お父様。ならないって言ってますのよ!」
今度は伯爵が部屋に籠りそうだ。
正直言えば、イズミの能力はこんなものではない。初期スキルのみだというから、美由紀の半分ぐらいしか持っていないけど、魔法だけではなく武技スキルも使えるはず。
武技は手加減が難しいらしい。今の身体で対人戦をやったことのないイズミが、下手にスキルを繰り出したら、さすがに危険だ。レベル1のスキルなので、威力は知れたものだと美由紀は言うけど、実例もないからな。
―――――。
――――――。
「お姉様、ど、ど、どうすれば良いのですか?」
「脚を少し広げて立って、左手を右上、肩の方にまっすぐのばして…」
「真面目にやってくれ、美由紀」
残念なことに、俺が危ぶむようなことは美由紀もそう感じるのだ。
伯爵家から帰宅した後に、今度は裏からイズミを我が家に呼び出した。そして家の前の空きスペースに向かう。
外から見ればただの空き地だが、美由紀が結界で覆っているので、何が起きても外側に影響はないし、目撃されることもない。そこまで厳重な結界が必要なのかはさておき、その上で俺の身体にも結界を張って、イズミと対面している。
そうだ。また俺が相手をさせられている。実は強かったとか改造人間だったとか、そんな裏設定などない地方都市の衛兵に、いったい何を期待しているんだと言いたくなるけど、断われる状況にもないのでしょうがない。
互いの手には、練習用の木剣。ただし、武器にも美由紀が結界を張っていて、斬れない代わりに折れることもない。要するに、極限まで壊れにくくしてあるが、力を抑えるような細工はなし。わりと冗談抜きに、改造人間の悲しみを味わえる状況だと思う。もちろん、イズミが、だ。
「目を閉じて集中して、斬撃1と唱えて。声に出しても出さなくてもいいわ」
「は、はい…」
「斬撃1ねぇ…」
イズミに使わせようという武技は、「願いの楽園」のプレイヤーキャラが最初に憶えるものだ。チュートリアルの一部になっているから、全員が所持している。もちろん「ミユキ」も持っていた。ちなみに、技としては「強く斬りつける」としか説明がなかったし、アバターのないゲーム画面では実見する機会もなし。ただ「ミユキが斬撃1を使った」と、時代錯誤な文字列が表示されただけだった。
そして…、持っていたと過去形なのは、レベルアップで変化するからだ。「ミユキ」は七回レベルアップした斬撃8、習熟度マックス。あれと比べれば、相当弱いという計算になるが…。
「………行きますわ、弘一」
「お、おう」
相手が文字通りの必殺技で殺しにかかる。その意味での緊張感はもちろんあるが、たぶん今はイズミの方が緊張している。なぜかって? そりゃあ、美由紀の殺気に比べれば屁でもないからな。
やがて、イズミの口元が動く。
その次の瞬間、人間離れしたスピードで前に出たイズミは、右上から袈裟斬りに斬りつけた。慌てて自分の木剣で防ごうとすると、一撃はギリギリ間に合ったが、振り下ろされた剣が、今度は真下から上に戻ってきた。その軌道を予想していなかった俺は対応できず、真っ二つに斬られた。プラナリアの実験のように…。
「こ、弘一! 大丈夫ですかっ!?」
「……心配するなイズミ。無傷だ。ただし衝撃は伝わったけどな」
「あれ? 痛かった?」
「そりゃあ、殴られて痛くないわけないだろ」
青ざめた表情のイズミと、とぼけた美由紀に適当に軽口を叩きながら、自分の身体を見る。
美由紀は、あえて痛覚はそのままにしていた。だから今感じている痛みは、斬撃1の痛みそのものだ。だから――――。
「これじゃあ人類最強には程遠いな」
「そうねー。ワイトさんでも対応できそう」
「そ、そんなものですか!?」
「そんなものよ。イズミ、人類をなめちゃいけないわ」
美由紀の話もなんだかおかしいが、今の武技が一流相手なら防御されることは事実。ワイトさんではギリギリだと思うけど、王都のコーセン隊長辺りには通用しないはず。ままごと程度の心得しかないイズミが、キノーワの衛兵と対等に戦えるだけでもすごいのは確かだが、腕利きの刺客に襲われた時は頼りにならないな。
「なぁ美由紀。斬撃8使ってくれよ。どの程度の差があるのか知りたいだろ?」
「知りたいのは山々だけど、違いが分かる程度に力を入れたら、イズミが細切れになるわ」
「えええ…」
さすがに親友を肉屋に卸すわけにもいかないので、威力だけ落として、速さそのままで比較することにした。俺の合図で、二人が同時に武技を発動する。
それはあっという間。というか、早過ぎてほとんど視認できない……が。
「お姉様に数十回は斬られましたわ」
「甘いわイズミ。軽く数百回は斬ったはずよ」
唖然とするイズミにはかける言葉もない。とはいえ、レベル300の身体には頑丈で、心配する必要もないようだ。
なお斬撃8は、美由紀がコーセン隊長に使った技だと、今になってはっきり分かった。確か、一回斬っただけで何度も斬った形になり、それを連続で十数回高速で繰り出す。何度斬った扱いかはランダムで、運が良ければ百回以上になるとか書かれていたはず。もちろん、それは書かれていただけであって、効果が発動したのを見たことはないし、そもそもそんな技が必要な相手がいなかった。
「問題は、イズミの武技が成長するかどうかだな」
「そうね。その成長をどうやって測るかが問題だけど」
「え? 成長っていったい…」
練習すれば上達するのは普通の現象。ただし武技はそもそも擬似的なもので、管理者も深くは考えていなかった。
もっとも…。管理者は身体を持たず、ゲームのデータに似た存在だ。ゲームの管理画面にあったという「アバターを転移させる」も、いわばデータにデータを重ねるようなもので、人間の姿で実体化することを想定していたわけではない。美由紀が無茶をしたら出来てしまったことの方が問題なのだ。
ともかく、今後どうなって行くかは、イズミで測定するしかない。いや、美由紀の実験でレベル300の上限が取り払われていることが分かったから、美由紀の武技も上達する可能性はある。
「念のため、レベル300同士も試したらどうだ? 美由紀」
「まぁそうね。貴方じゃ比較対象にならないし」
「えっ!? お姉様が二人!?」
そこから驚くのか…と思ったが、イズミは分身が並んでいるのは初めて見るのだった。
というわけで、例によって美由紀300を作成。すぐにイズミと対戦してみた…が。
「さすがお姉様。まるで歯が立ちませんわ」
「イズミ、手を抜いてないか?」
「抜くわけないでしょう!?」
「不思議な話ね…」
スキルを使わないただの力比べは、なぜか美由紀300の圧勝だった。
今さらの話だが、地球での美由紀は、どこにでもいる大学生でしかなかった。柔道を習っていたといっても、選手として活躍したわけじゃないから、体力面で特筆すべきものはない。もちろん剣なんて握ったこともなかった。
対してイズミは、こういう世界の貴族令嬢として、たしなみ程度とはいえ武術を習っている。単純な比較なら、美由紀が勝つ要素はなさそうに思える。
「案外、地球人類が強いということかも知れないわね」
「どう考えてもひ弱だろ? 護身のために身体を鍛えるという発想すらないんだぞ」
「え…、地球ってそうなのですか?」
たぶん日本だって、数百年前の貴族や藩主なら自衛を意識していただろうが。
現在のキノーワの一般市民は、護身術なんて習ったりしない。イデワ王国は治安の良い国だ。伯爵令嬢という特殊な立場がなければ、イズミに武術の家庭教師がついたりはしなかったはずだ。
「お前のベースになったミユキが強いってだけじゃないか? 証明する手立てはないが」
美由紀は転移者ではない。「願いの楽園」のプレイヤーキャラが実体化して、そこに意識が宿っている。実体化した身体はほぼ地球の横代美由紀そのままだが同じではないし、モンスターと戦う設定のプレイヤーキャラに合わせて強化された可能性はある。ただし…。
「えーと…、ゲームの身体の話でしたっけ?」
「そうよイズミ。ベースと言っても、何の情報もないわ。誰かさんも怪力女とか書いてくれなかったし」
「書いてたらお前が困っただけだろ」
「既に十分に困らされたんですけど。えーと、胸がとても…」
「悪かったよ!」
そう。ミユキの身体は、俺がプロフィールに余計なことを書いた箇所を除けば、美由紀そのもの。当人にも見分けられない…というか、基本的に本人のコピーだった。
その上で、余計なコメントはきっちり反映されて、女神のような女になり、とんでもない巨乳になった。いや、俺に言わせればそれは「反映」じゃなくて、悪意のこもった誤認なのだが、困ったことにその結果にあまり不満がない。だって仕方ないだろう…って、話が逸れた。
要するに、怪力を指定していないのだから大学生の横代美由紀のまま。ガタイはいいけど、地球の美由紀は俺より確実に非力だったわけで。
「お姉様にもまだまだ秘密が隠されているのですね」
「モルモットが二体になって良かったな」
目撃者としての俺は、これからも忙しそうだ。美女二人に両手を握手されながら、現実逃避に走る。ちなみに、両手は最低でも複雑骨折しているだろう―――――。
※八月中に更新の閑話はこれにておしまい。第七章相当は、しばらく寝かせて別作品にするので、現状ではこちらに閑話を追加する予定はありません。数ヶ月、数年経って、つまらない話を追加したくなるかも知れませんが。
女神とは別の新作準備中です。異世界は異世界ですが、かなり捻った設定のものを十月までに開始予定なので、どうぞよろしく。




