六 どこの世界でも新鮮なお肉はごちそうです
恐竜の生首を部屋に置いて、そのまま帰ろうとした俺たちを、鬼の形相で制止した所長。とはいえ、人目につく場所には放置できないので、事務所裏にある倉庫に投げ込んだ。
というか、その移動にも美由紀の瞬間移動による転送を使った。あれは頭だけで数十キロの重さがあるし、アラカ所長が持ち運べば、絶対に目撃者が現れて大騒ぎになるから仕方ない。
ともかく規定の依頼料は所長室で直接受け取って、裏口からこっそり事務所をあとにした。その時点でちょうど昼飯時だったから、近所の食堂に直行だ。
なお、恐竜の肉は食用になるし、他の部位も利用価値がある。例の壁飾りも五つ作れる。
あの五頭の権利は美由紀にあったから、うまく売却すれば相当な儲けになるはずだが、すべて事務所に寄付するという。気前のいい話だ。
「そのうち、街中に恐竜肉が溢れるでしょうね」
「あれは好き嫌いがあるだろ。臭いし。それにあの距離を運んだら、さすがに肉は腐るんじゃないか?」
「腐ったら意味ないわよ、弘一」
「だから俺もそう言ってるんだが」
野菜の煮込みとソテー。何の肉なのか教えてくれないのが玉に瑕だが、あの恐竜でないというだけでありがたい。
まだ耳の奥には、さっきの断末魔の悲鳴が鳴り響いている。まさかモンスターを憐れむ日が来るとは思わなかった。
「これでも冒険職だし、恐竜の処理ぐらい知ってるわ」
「冒険職だからって、恐竜の処理なんて普通はする機会がないんだろ? 滅多に出ないと、さっき言ってたよな?」
「さすが口から生まれた男、ああ言えばこう言うわね」
「その台詞、そっくり返すからな」
もちろん、恐竜といっても血の通った獣。首を斬った直後に血抜きして、そして鮮度が保たれるよう処置するという点では、特に違いはない。モンスター化によって肉質が変化するわけでもないようだし。
首を切断して殺すのは、理にかなっている。鶏だってそうやってしめるのだ。もちろん、きれいな竜頭を手に入れるという意味でも、最善の方法といえる。
とはいえ、その辺は仮定の話でしかない。そもそも、あの巨体をどうやって血抜きするのだ。まさか、竜の身体を逆さ吊りにすることはないだろうし。
「新鮮な恐竜肉なら、高級レストランだって扱うのよ」
「申し訳ないが、その店には行きたくない」
いずれにせよ、あんな狩りが日常化したら、人類がモンスター指定されるだろう。
首の切断面は、そりゃもうきれいなものだった。
いくら何でも、あれが手刀でできるわけがない…と、一応美由紀に確認したら、なぜか呆れられた。あれは指先から発生させた風刃で斬った、と。目の前で見ていたんだから分かるだろう、と。
分かるかよ。
わ、か、る、か、よ! そんな技があってたまるかって!
……あるらしいが。
「弘一は案外味にうるさいよね。昔から」
「俺の知る昔におま…美由紀はいない」
「別にお前でいいのよ。俺とお前と大五郎って言うし」
「大五郎はどこから来た」
先に言っておく。ここから先は想像だ。そして妄想だ。
美由紀はどうやら、あの場で五体の処理を終えている。生首から血が抜けていたのが証拠といえるだろう。そしてあの五体を、冒険職事務所の倉庫に運ぶのだろう。いや、もう運んだかも知れない。もちろんすべて、彼女の魔法使いとしての力で。
言っておくが、魔法使いの一部なら瞬間移動という技を使える。それは美由紀だけの固有技ではないのだが、俺の知る限りでは移動の距離も質量にも、かなり厳しい制限がある。制限というか、能力的な限界だ。
魔法というものは、使うたびに体内に貯えられた魔力を消費する、と聞いている。複数の人体を一度に移動できるほどの魔力を持っているのは、人類全体でも数人いるかどうか。それも、一度使ったら回復に何日もかかるはずだ。
美由紀は、俺と竜の首五つを抱えて、しかも徒歩で数日の距離を一発で移動した。その時点で、この世界で一番の能力者と断言できる。
それが、頭ではなく胴体すらも移動できるならば――――。
できれば、それは無理だと言ってほしいが、問いただす勇気は湧かない。こういう時は、そうだ、忘れてしまおう。この食堂の飯はうまい。円月殺法という店名をどうにかしてくれたら、もっといい。他人に薦める時に困るじゃないか。
「なぁ美由紀」
「なぁに? 新婚さんごっこ?」
「するか!?」
「してもいいのに。ごっこじゃなく新婚なんだし」
どう頑張っても、「五段」ならやってしまうだろう、そう確信する自分をごまかせはしない。諦めて話題を変えるのではなく、ずらす。
それにしても、魔法を使いすぎだろう。一応、行きは門番から見えないところまで移動したけど、所長の前に瞬間移動って時点で、全く隠す気ないよな。
「監視はいないのか?」
「監視? 誰の?」
「おま…美由紀の監視に決まってるだろ。魔法使いは基本、二十四時間監視だろ?」
「ああ…」
あなた物知りね、みたいな顔で美由紀は俺を見つめている。
やめてくれ。その顔で至近距離から攻撃されたら、相変わらず俺の精神がもたない。
「監視はいないわ。五段だから」
「…意味が分からないが」
「私を監視しても無意味ってことよ」
……………。
急に手持ちぶさたと感じて、ソテーの最後の一切れを口に放り込んだ。
…………。
まぁ、分かった。理屈では。
監視は、監視対象と同等以上の者にしかできない。そして「五段」は歴史上唯一。つまり、美由紀の監視は誰にもできない、ということだ。
「そのかわり、大人しくしてるのよ。だって、何か不可思議な事件が起きたら、だいたい私が疑われることになるから」
「大人しく?」
「つい先日までは、ね」
おどけた調子で付け加える美由紀。一応、自覚はあるんだな…と思うが、それ以前に満面の笑みを浴びて硬直してしまう。
やばいだろ。
いつの間にか、店中の視線が一箇所に集まってるし、みんな鼻の下のばしてるし。いや、俺はそうなってないよな?
「ところで弘一」
「な、……なんだよ」
「何か思い出した?」
「は?」
また真顔になる美由紀。
少しは慣れてきて、一発で記憶を失うことはなくなったが、相変わらず心臓に悪い。そして質問の意味は相変わらず分からない。
「たとえば…、そう、今の自分を外側から見るような感じ」
「何を言ってるのかさっぱり分からない」
「そう…ですか」
明らかに落ち込んだ表情。
そして…、ああ、俺を責める周囲の視線。なんだよ、俺のせいじゃない。というか、覗くな!
「初夜になれば思い出すかな?」
「その前にショック死する自信がある」
「それは困るなぁ」
和やかな雰囲気に戻った店内。再び笑顔を見せた美由紀を見て、いろいろほっとする。
発言内容を考えると、ほっとする要素は何一つないのだが、冗談抜きに世界を敵に回すような気分よりはマシだ。
「なぁ美由紀。その、俺が何かを思い出すことが、近づいた目的なんだな?」
「……何か誤解してない?」
とりあえず、美由紀の事情を知り、どうにか解決の方向に導くしかない。
脱出が不可能と思われる以上、それが最善の策だと思ったのだが。
「私の目的は、弘一の伴侶になることです。んー、もう達成された?」
「いや…、その……」
「目的はそれ一つ。あとはすべて、そのための過程ですから、お間違えなきよう」
「はぁ……」
何だよその意味不明な高評価は。おどけた言い回しだけど、目が笑ってないよ、怖いよ。
午前中に見せたあの能力。
相手は、攻撃されれば城壁だって無事では済まない恐竜だった。しかし、五頭に囲まれても何もさせず、文字通り一方的に虐殺してしまった。
きっと美由紀がその気になれば、一国の軍隊だって五分で壊滅する。
今なら分かる。五段を管理庁が認定しないのは、美由紀が所属した瞬間に、その国の戦力が他を圧倒してしまうからだ。宙ぶらりんにするしかないのだ。
それともう一つ――――、あれは名前を変えただけの災害指定なのだ。
そんな人間に何を求められているんだ。
本当の自分が分かったら、一緒に災害指定でもされるのか? 生物を根絶やしにでもするのか? そんな俺になってほしいのか?
全く理解できない。
いや、彼女の望む俺が災害男でないことぐらい、知っているさ。知っているから理解できないんだ。