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女神は俺を奪還する  作者: UDG
特別編:美由紀の過去
66/94

十二 異世界で名誉回復

「ミユキちゃん、定食二つ追加ね」

「はーい」


 それから三ヶ月経った。

 現在の宿の主人に頼まれて、食堂の仕事を補助するようになって一ヶ月。

 自分がまさか、カレーのおじさんと同じような仕事をするとは思わなかった…というのは嘘だ。

 むしろ、自分も一度はこういう客相手の仕事をしてみたかった。

 病院のベッドにいた私にとって、夢のような時間。生きていること自体が夢みたいなものだけど、地球でもできる仕事をしているから嬉しくなる。


 そして宿屋の食堂なら、要するに短期のアルバイトが成り立つ。その上、客から情報も引き出せる。今の自分にとって、メリットは多い。

 無駄に目立たないよう、気配をうまく調整しながら、毎日夜の数時間は働いた。



「お兄さんたちも、冒険職なんですよねー」

「そうさ。これでもちょっとは有名なんだぜ」

「へぇ…」

「つれないなぁ。美人で料理の腕もいいのに」

「それとこれとは関係ないと思いますけど」


 滞在中の宿は、それなりの格だ。

 冒険職がよく顔を出すが、三級か二級に限られる。この四人組は三級で、ちっとも有名ではないという情報も得ているので、適当にあしらっておく。

 料理の腕は…、別に大したことはない。ミユキの身体に、調理能力は特に備わっていなかった。

 まぁ私も、病気になる前はバイトぐらいしたけど、その程度の素人だ。



 相変わらず身分は最下層のまま。それでも長くいれば、いろいろ手段はある。町の平均以上の宿に、身分を半分隠して移れる程度には。

 別に、誰かを騙しているというわけではない。身分によって宿が変わるのは、法律で決まった規則ではないのだから。

 それなりの身なりで、それなりに金払いが良くて、あとはそれなりの愛嬌?

 マオンの頃に戻るわけにはいかないけど、全く魅力を感じさせないのも、人付き合いでは困る。なので現在は、看板娘の一歩手前ぐらいに調整している。何が一歩手前なのかは企業秘密…というより、深く考えていないので追及しないでほしい。


「最近はよく来られてますね、皆さん」

「そりゃあ、ミユキちゃんが…」

「いい加減にしなさい、サチュー」

「痛ぇな、これだからルチカはいつまでたっても…」

「その先を口にしたらどうなるか分かってるわね?」


 こちらは常連さん。全員二級で、そこそこ名は知れている。パーティ仲も良くて何よりですね、と。

 全く恋愛に発展する気配はないそうだけど。


 それはさておき、彼らが暇そうにしている理由の一つは、私にあった。

 要するに、私がいろいろ実験のためにモンスターを狩っているため、その手の依頼が激減したらしい。

 あんな状態の怪物でも、経済活動の一端を担っていたわけだ。反省反省。


「でもさぁ、ミユキちゃんって、本当は冒険職でしょ?」

「え? 違いますよ?」

「そう? 一人旅なんでしょ?」

「それはまぁ…。いろんな人の世話になりましたし」


 そこそこ筋肉質で、地球の表現なら健康的な美人という感じのルチカさんは、最初に会った時から私を疑っている。

 別に問い詰める感じでもないし、適当に受け流しているけど、なぜか確信しているらしい。

 一人旅ができるのは、それなりに身を護る手段をもっているから? まぁその発想は悪くないけど、別に冒険職である必要はないよねー。


「いいよなぁ。俺もミユキちゃんの世話なら喜んでやるぜ」

「下心見え見えの方はお断りしまーす」

「し、し、下心なんか」

「あるでしょ。諦めなさい、バカ」


 サチューさんも、そこまで本気ではなさそうだが、冒険職説を疑っていないようだ。


 私の見た目は、どう考えても村娘。実は最近、コピーという反則的な魔法が使えることが判明したので、一張羅の「上等な服」をコピー、現地調達の服と組み合わせている。だから、街を歩けば、そのまま紛れてしまうぐらい普通の村娘。

 ……ただ一つ、身長だけは隠せないけど。

 この世界の女性は、今の日本よりかなり背が低い。平均150cmあるかどうか。冒険職のルチカさんが160、サチューさんでも170ぐらいなので、私は下手すれば見世物小屋に売り飛ばされそうだ。はなちゃんになっちゃう。あれは違うか。

 もちろん、この世界でも身体が大きければ強そうに見える。その意味では、背が高いから冒険職という、風が吹けばなんとやらの連想ゲームだったりする可能性はある。少なくとも、桶屋よりは簡単な連想だ。


 ただ…。

 ミユキは「冒険者」だ。その辺が何か同業者に分かってしまうのではないか。それも多少は疑っている。疑ったところで、こればかりはどうしようもないけど。

 え? お前のやってることは冒険職そのものだろうって?

 確かに、彼らの仕事を妨害しているのだから同業みたいなものだけど、あれは仕事じゃないから…。


「それにしても、ここの肉はうまいな。余所とは全然違う」

「沢山頼んで、稼いだお金を置いてってくださいねー」

「天使の笑顔、たまんねーなー」


 ちなみに、この時の私は営業スマイルの裏で叫んでいた。

 うまくない!

 ここの肉はうまくない!




 コリエ王国のヨウダイは、世界中のグルメが集まる街…ではない。むしろ、近隣諸国と比べても、メシがまずいことで有名だという。

 わずかな異世界人生のなかで、三ヶ国を食べ歩いて流浪している私も、自信を持って言える。この国の食事は最悪だ。


 そもそも食材が酷い。

 冷蔵庫もない世界で、海からも遠いヨウダイ。タンパク質は、川魚か肉から摂取することになる…はず。

 ちなみに、この星には豚も牛も鶏もいる。異世界の星なのになぜなのかは全く理解できないが、地球の三大家畜――そんな言い方するんだっけ?――は揃っている。

 ところがヨウダイの人々は、牛と鶏を食べない。

 なぜか? なんと、信仰の問題だった。

 地球にもいろいろあるから、驚くような話じゃないけど。



 この世界では、牛を食べる地域は少ないという。

 宗教的な理由以前の問題として、牛や馬は家長の所有物。つまり家財の扱いなので、殺して食べることはできないという考え方のようだ。

 全く食べないわけじゃない。けど、毎日食べているとか、焼肉屋があるとか言い出したら、ちょっと驚かれる。あ、さすがに言わないよ。


 鶏は、コリエ教と関係がある。神の言葉を伝えた生き物が、鶏の姿をしていたらしい。

 地球にも、鳥が何かを伝える神話は腐るほどあるから、それ自体は驚かない。けれど、それは金色の鶏とか、要するに特別な鳥だということにして、家畜とは区別するのが普通だと思っていた。だって、そうしないと鶏肉が食べられないし。

 卵は食べてもいいが、肉はダメ。だからというわけでもないだろうけど、コリエ教はこの王国の一部でしか信仰されていない。王国の別の地方では無視されているから、もちろん国教でもない。


 いろいろ御託を並べたところで、ヨウダイはその信仰の中心。

 牛も鶏肉も食べない。そして豚は…、ついでのようにあまり食べられていない。どうも、養豚という行為にもあまり好意的ではないようだ。

 結局、ヨウダイの住人は、豚を食える人とそうでない人で大別される。

 ただし、豚を食べない側が菜食主義者というわけでもなく、卵は動物じゃないから大丈夫派、動物は全部ダメ派、そして野生動物は食べても良い派が存在している。最後の派閥は、どう考えても屁理屈だと思うんだけどね。

 冒険職の皆さんは、その最後の派閥がけっこう多い。まぁ、出先で野生動物を食べないわけにはいかないだろうし。


 宿屋のメニューは、豚と卵は扱っているし、野生肉料理も多い。冒険職御用達なのは、彼らが獲った野生動物を扱っているから、という側面もある。

 しかし、ここで問題だ。

 日本でも、野生動物の肉を扱う店はある。そういう店は、野獣の臭みを消すためにいろいろ工夫をするし、客もある程度は臭みを覚悟して来店する。

 ところがどっこい。

 思わず死語が飛び出すほど、この世界の「ジビエ」は過酷なのだよ。



 その典型というべきメニュー。現在、私が主人にカイゼンを呼びかけているメニューがある。

 唐揚げだ。

 カラアゲ。どう考えても日本語。明らかに来訪者が伝えたもの。

 そしてもちろん、私の脳裏にはカレーの悪夢が鮮やかに蘇る。ああ、あのまずいカレー…と思い出そうとしたら、既に記憶はほぼ排泄物だった。食べる前に飲むどころか、食べる前に食欲がなくなる。


 しかし、意を決して私は注文した。

 一人の旅人として、現地の名物にはチャレンジしなければならない。使命感に燃えてはいないが、使命感ぐらいもたないと耐えられない。


 ――――――そして。

 出されたものを見て、まさしく一同驚愕した。

 この世界で二度目の驚愕!


 唐揚げ。それは、茶色くなった何かを油に漬けたようなシロモノだった。

 全く食欲が湧かないまま、しぶしぶ口に運んで…、危うく吐き出しそうになった。ああ、これも二度目!

 噛んでみても、原材料が分からない物体。ぬるっとした食感の奥に、胃液のような酸っぱさが襲ってくる。さらに強烈な野獣の臭み。グルメレポートは戦場なのよ。

 …………。

 誰がこんなものを…と、息も絶え絶えに聞いてみると、冒険職には人気があると答えが返ってきた。要するに、粗末な野外の携帯食を思い出させる味なのだという。

 携帯食に似ているのは、まぁそうですか、としか言えない。しかし私は黙っていられない。



 唐揚げという名前から考えて、日本に住んでいた人が伝えたことは確実。

 そして冷静に分析すれば、肉料理で、茶色っぽく、調理に大量の油を使うなど、日本でよく食べる同名料理と共通する。これを肉とは呼びたくないけど、この際その辺は深く問わないでおく。

 そう。

 例によって来訪者は、料理名とあやふやなイメージだけを記憶して、肝心の味を忘れていたのだろう。その結果、名前だけが同じというトンデモ料理が発明されてしまった。


 まぁ別に、この唐揚げがヨウダイ名物になるのは構わない。

 本当にこれをうまいというのがこの町の味覚なら、それは私がとやかく言うことではないだろう。ただでさえメシのまずい町として有名なのだし、この料理もその一端を担っているに違いない。

 しかし、個人的に唐揚げの名誉を回復したいという思いもある。いや、そんな仰々しい話じゃなくて、先生、まともな唐揚げが食べたいです。



 そこで厨房に入って、改めてヨウダイ風唐揚げを確認した。

 謎に満ちた材料は、近郊で冒険職が狩ってきた獣だ。届けられたものを見ると、四つ脚の小型獣で、日本ならイノシシの子どものような姿だった。名前はムルガ。

 しかし、一目で分かるほどに状態が悪い。あちこち変色して、そして臭い。

 持ち込んだ四級の冒険職に聞いてみると、弓で殺したものを、そのまま引きずって来て、事務所の裏でさばいたという。

 さばいたというのは、内臓を取り出して、あとは一部の皮を剥がしただけ。後日、実演も見たけど、普通に吐き気がした。

 この世界に来て、私も動物の解体をやる羽目になった。それがなければ卒倒していたと思うが、そんな経験があってもあり得ない処理だった。

 明らかに腐敗した内臓が散らばり、毛をむしれば白くなりかかった肉。血抜きをするとかしないとかいう以前に、なぜこれを食べ物として認識できるのか。

 いくらこの世界があれでも、これが普通なんて酷すぎる。


 話を聞くと、この手の肉を食べる人々は限られているらしい。

 どうせ高くも売れないから、腕の悪い冒険職の仕事になって、さらに品質が低下する。絵に描いたようなスパイラル。

 そして宿屋には、あれを平気で食べるような味覚の麻痺した連中が集まってくる。



 埒があかないので、ルチカさんに声をかけて、二人で一頭狩ることにした。

 サチューさんにすればいい? そんな選択肢はない。

 別に、女性として狙われているかどうかはどうでもいい。サチューさんは、あの唐揚げオブジェクトをうまいうまいと食べていた。その時点で失格だ。

 ルチカさんは顔をしかめていたから、一応まだ信用できる…はず。


 ルチカさんは二十八歳独身。別に知りたくはなかったけど、探知で余計な情報まで分かってしまうのが悲しい。

 確かに、ゲーム内の情報としては年齢というのもよくあるけど、リアルにそんな機能は欲しくない。まして「独身」は余計にも程があるでしょ。


「後学のために伺いますが、サチューさんとは、おつき合いは?」

「するわけないでしょ! ミユキちゃんにあげるわ。のし付けて」

「丁重にお断りしまーす」


 この世界にものしが存在することに感動…はしない。贈答品に紙を貼っているのは、何度か見たことがある。

 地球に比べても紙は貴重だから、のしはあるだけで高級って感じになる。


「というかサチューさんって、モテますよね? 二級ですし」

「二級なんて大した肩書きじゃないわ。ミユキちゃんだってすぐになれるから」

「厨房手伝いに無茶言わないでください」

「厨房手伝いには全く見えないから」


 ………。

 どうやら歴代の厨房手伝いには、客の冒険職とお近づきになる目的の人が多かったらしい。だから、全く興味がなさそうな私は逆に目立っているわけだ。

 なるほど。

 じゃあ、これからはサチューさんに色目でも使おうか。

 ……無理。

 サチューさんの見た目とか性格とか、そんなものはどうでもいい。私は小牧弘一の恋人なんだ。弘一しか好きになれないんだ。



「ミユキちゃん、いつまで冒険職やってたの?」

「やってませんよ。ただの厨房手伝いの旅人ですから」

「厨房手伝いが、こんな速さで移動しないと思うなー」

「最近の手伝いは分かりませんよー」


 ということで、二人でお出掛け。

 さすがにミユキの力は使えないので、女性で二級の凄腕冒険職に任せてのんびりしようと思ったが、ルチカさんと同じ速さで走っただけで驚かれてしまった。

 木を隠すには森の中…という意味でも、いずれ冒険職になるつもりの私だけど、なかなかその道は険しいのかも知れない。


 到着した場所は、町から二十キロぐらい離れた山の中。

 常緑の広葉樹が茂る森で、日本なら照葉樹林帯という感じ。谷筋の道はじめじめしていて、頭の上からあれが降ってきそうで嫌だなー……っと、本当に落ちて来た。

 脛に付着したのは、山蛭。

 普通の人間なら、蛭に血を吸われても気づかない。だけどミユキの身体は、攻撃とみなしてしまう。

 仮に、直接肌に触れたなら、その瞬間にスキルが発動するだろう。小さな山蛭一匹で、周囲が更地になりかねない。


 山蛭は肌に触れることはなく、足元に落ちた。

 身体に張ってある結界に弾かれ、結果としてミユキに危害は加えられなかったので、何も発動しない。無数の山蛭をいちいち視認して対処していられないので、助かる。これなら大杉谷でも大丈夫。

 ―――――行けるはずのない場所の話はやめようね。


 ルチカさんは、厚手のズボンに長い靴下で、足元は防御されている。それでも探知能力で確認すると、数匹潜り込んでいた。

 さらに腕と首にもいる。私ならその時点で発狂しそう。こっそり取り除いた。

 山蛭に悪意はないので、殺生はしない。少し離れた場所に動かせば、走って追いかけても来ないから楽な作業だった。



「ムルガはこういう茂みにいるのよ」

「これですか?」

「な、なんで素手で捕まえてるの!?」


 そんなこと言われても、目の前にいたから捕まえただけ。探知能力で、居場所は分かるし、正面から攻撃しなければ危険も少ないようだ。

 まぁミユキが危険を感じるような野生動物は、たぶん存在しないけど。


 ともかく、脚を縛ってルチカさんに渡す。

 暴れないよう眠らせようかとも思ったけど、怪しまれるのでそのまま。悲鳴が森にこだまして、まるで私たちが悪者のようだ。

 …悪者なんだよ。今から命を奪うんだから。


「この手際の良さも、厨房手伝いだから?」

「当然です」

「すごい専門職なのね」

「宿の主人はもっとすごいんじゃないですか。たぶん」


 だんだん会話が大喜利みたいになってきたけど、今さら気にしない。受け取ったルチカさんが、ひきつり気味に笑っているのも、もう気にしない。

 ………。

 そんなおちゃらけた空気も、刃物を手にすれば変わる。


「この星の生き物は、また生まれ変われる。次の生命が良きものとなりますように」

「…………それは本当ですか?」

「え…」


 ルチカさんがムルガの首に刃物を突きつけながらつぶやいたのは、命を奪うにあたっての儀式のようなものだったのだろう。

 それでも私は聞いてしまう。

 来訪者を探す来訪者に、今のつぶやきは重かった。


「不思議な子ね、ミユキちゃんは」

「す、すみません。作業の邪魔でしたね」

「別に構わないわ。そして…、輪廻の話は冒険職ならだいたい信じてるものよ」


 ルチカさんは、ムルガの首を斬って逆さに吊るし、血を抜きながら話してくれた。内臓もきれいに取り除く。とても手際が良いのは、さすが二級という感じ。

 そして、輪廻という言葉も使われていた。前世が動物だった人は、その動物に愛着が湧くとか、そんな話があるという。

 噂話の信憑性はさておき、輪廻という熟語がわりと正確に使われている事実に驚いた。




「ルチカさん、何かいます」

「えっ?」


 帰路。同じ道を引き返すだけなので、何も問題は起きないはずだった。

 しかし、探知能力に大型の何かがかかる。

 モンスターではないが…。


「赤熊だわ。よく分かったわね、ミユキちゃん」

「いえ、何となく…」

「そこの追及は後でさせてもらうからね」


 赤熊。全然赤くはなく、こげ茶色の毛に覆われた、地球でいうところの熊だ。日本のヒグマも赤熊って意味だし、名前の付け方まで似ているらしい。

 距離はまだ五十メートルぐらいある。

 はっきり言って、でかい。ヒグマも見たことないけど、もっと大きそう。


「この場合、どうするのが正解ですか?」

「立ち去るのを待つ、ね」

「なるほど…」


 赤熊は比較的大人しい動物で、むやみに人間を襲うことはない。その代わり、子育て中だったり空腹ならば、執拗に追ってくるという。

 既に相手には気づかれているので、しばらく様子見することになった。

 ちなみに、私は結界が効いているので、恐らく認識されていない。

 ルチカさんは、たぶん気配を消すような訓練も積んでいるのだろうけど、野生動物相手では分が悪い。しかも、背負っているムルガの気配はダダ漏れだ。赤熊にとっては、ごちそうを運んで来たようにしか見えないだろう。


「襲って来たら、倒すしかないでしょうか?」

「逃げるわ。普通の人間では逃げ切れないけど、ミユキちゃんなら問題ないでしょ?」

「ずいぶん厚い信頼ですねー」

「当たり前よ。今が危機だと思ってないでしょ」


 そこまで言い切られると、返す言葉もない。確かに危機だとは思ってないし。

 とりあえず、二人を覆う結界を作っておく。気配を遮断するためだが、襲われた時には防御もできるような形で。

 これ以上は、ルチカさんに内緒ではできないから、あとは赤熊さん、察してくれ。黙って去ってくれたら、森の熊さんと呼んであげるから。


 結局、赤熊さんは数分こちらを眺めていたが、そのまま森に去って行った。

 念のために、さらにしばらく辺りを警戒、戻って来ないのを確認して、早足で通り過ぎた。

 ルチカさんの走りは、行きよりだいぶ速い。ムルガの肉をかついでいるのに、短距離ランナーになれそうなスピード。さすが二級は違う。


「本当について来るのね」

「置いていかれたら困りますから」

「そういう問題じゃないと思うわ」


 今どきの厨房手伝いは、これぐらいできないと務まらないそうですよ、と適当に話を合わせて無事に帰還した。

 ミユキの身体では、パーティーを組むにはいろいろ支障があることも判明した。しかし、今はそれはどうでも良かった。ルチカさんも忘れてほしい。


 宿屋の裏にムルガを吊るして、ルチカさんが一気に皮を剥ぐ。相変わらず、見ていてキツいけど、この間のあれの後なのでずいぶんマシだ。きれいな赤身の肉が見えるだけで、こんなに印象が変わるとは。

 ムルガさん、次はより良い生物になっておくれ。


 解体された後は、宿の主人にバトンタッチ。私は素人なので手出しはしない。魔法を使った解体は、今は全く必要もないし。

 新鮮な、そしてちゃんと処理された肉は、臭くない。

 見た目も豚肉…というか猪肉に似ている。薄切りして並べれば、いつでもぼたん鍋が作れそう。

 肉の準備が出来たところで、調味料や衣の材料を用意する。なんと、こちらに用意したものがございます、なんちゃって。前日に市場で探して集めていただけだ。

 塩はある。芋のデンプン粉も見つけた。胡椒は見つからないが、似た感じの香辛料も発見。その上で、やっぱり醤油がほしいなぁ…と思ったら、魚醤が売られていた。醤油と同じではないけれど、まぁ代用品にはなりそう。生姜は、ほぼそのまんまのものを発見。糖分はハチミツがあった。本当に異世界なのかと思うぐらい、材料は集まった。


 ちなみに日本の皆さんはご存じの通り、唐揚げは一般的に鶏肉を使う。豚肉っぽいムルガ肉よりも、本当ならここでも鶏肉が望ましい。

 鶏はこの世界にもいるし、町で卵も売られている。できればそっちを使いたい…けれど、宗教上の理由で引っかかるから、今はムルガ肉の「唐揚げ」を名誉回復させなくてはならない。

 この妙な使命感は何だろう。誰も日本なんて知らないんだから、名誉も何もあったもんじゃないはずなのに。


 ともかく、豚の唐揚げもないわけじゃないから、少し薄めに切った肉をたれに漬けて、粉をまぶして揚げることにした。

 そう、油に漬けるのではなく揚げると……。

 素人料理だけに、見栄えは今一つ。だけどまぁ、来訪者の記憶の条件を満たしている。一方で、日本でこれを見せたら、下手くそだけど唐揚げのつもりなんでしょうね、と分かってもらえる程度の試作品が完成した。


「おいしいじゃない。ムルガの料理で一番だわ」

「そ、そうですか?」

「ミユキちゃん、本当に何者なの?」

「見ての通りの厨房手伝いです…」


 味の方は…、私個人の感想は、微妙だった。やはり鶏肉の方がおいしい。ムルガの肉はかためで少しぱさつく。

 もちろん、それでもあの自称唐揚げとは雲泥の差だ。店の主人も味を気に入ったので、試行錯誤しながらメニューに加える方向になった。


 そうして半月ほどで、新唐揚げ二種類は食堂の名物になった。ムルガ肉と鶏肉の二種類だ。

 鶏肉の方は御禁制の品なので、コリエ教信者以外の常連にこっそり提供する裏メニュー。そう、常連だけの裏メニューって、響きがいいよね。

 …まぁ、そのうち教会関係者が押し掛けそうだけど。

 実際のところ、教会内にも鶏肉解禁派は少なくないらしい。命を賭けない程度に戦うきっかけになるのかも。


 素人の提案にプロが手を加え、それに常連が感想を伝える。

 調味液の材料も少しずつ変え、漬け込む時間も調整し、油の種類も変えた。そして何よりも、現地で血抜きした腐っていない肉しか引き取らなくなった。

 来訪者がもう少し確かな記憶をもっていれば、最初から唐揚げはまともな姿になったのだろう。

 相変わらず、「あの」唐揚げもうまいとほざく連中もいるんだけどね。そう、サチュー、お前だよ。思わずガラが悪くなってしまう私を許してほしい。




 ―――――――で?

 私は何をしに来たんだっけ?

 大丈夫、いよいよ避けていたアレの話だから。


※牛を食べない人は今でも世界中にいるわけですので、美由紀が驚くのも認識不足と言えるでしょう。

 国際線の機内食で「ジャイナ教信徒用機内食」をわざわざ食べた筆者としては、異世界だろうと屁理屈は屁理屈、何も変わらないと思うわけです。

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