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女神は俺を奪還する  作者: UDG
第六章 お前と俺は奪還する
53/94

四十九 帰れない二人

「大丈夫か?」

「何とかなりそうよ。それで…、どこまで思い出せたの?」

「お前の姿がミユキだってことぐらいさ」

「そう…」


 廃棄物のPCにこびりついていた、管理者の力の一部。目の前では、それを分離した美由紀が、自分が持つ力に融合しようと試みている。

 それが成功しつつあるのか。美由紀の口調からどう判断していいのか、俺には分からない。


 そして、俺はここまで隠されてきた過去を思い出した。

 小牧弘一が地球を離れた契機。

 いや、別に俺は、管理者のいる星に行きたいと思った記憶はないが、地球の将来に絶望したことならあった。

 そう。

 俺の大切な美由紀が、不治の病に冒されたその時だ。



 高校の同級生だった横代美由紀。

 女子と話すのも苦手だった俺にとって、女神のような彼女は、文字通り別世界の住人だと思っていた。

 触れあうこともないはずの二人は、なぜか放課後の図書室で語り合う関係になり、やがておつき合いに発展してしまった。

 そう。

 美由紀と俺は釣り合うはずがない。そう思いながら、だけど俺はこの女神と一緒にいたくて仕方がなかった。そんなどうしようもないモヤモヤばかりを感じながら、二人は大学生になった。


 大学生になっても、俺と美由紀の関係は変わらなかった。

 なぜか同じ大学の文学部に入り、講義に出席して、いつも一緒にいた。社交的でどんどん友だちを増やしていく美由紀と、数人の男友だちができただけの俺。たぶん、いつも俺は自信がなさそうに席に座っていた。そんな記憶。

 そして二年になり、美由紀は休学した。


 美由紀は一年の頃から、体調が悪いという時があった。

 高校の頃は、なぜか柔道部に顔を出していた彼女。細身の身体で、勝負強かったわけじゃないけれど、子どもの頃に習っていたという彼女は楽しそうだった。だから元気だと思い込んでいたのに、気がつけば入院して、そして医者は首を振った。

 若く体力のある美由紀だから、進行も早い。そんな病気だった。

 俺は毎日見舞いに行った。こんな男を自分の彼氏と呼んでくれる女神に対して、何ができるだろうと思いながら。

 だけど、何もできることはなかった。

 彼女が痩せ細っていく姿を、毎日目に焼き付けているだけの日々だった。


 そして、俺はゲームにのめり込んでいった。

 現実逃避で始めたゲーム。そこで俺は自分が動かすキャラに、ミユキと名前をつけた。もう元気に走り回ることもできない彼女の名を、勝手につけた。勝手につけて、勝手に育てて、勝手に動かした。

 元気でいてほしいから、ゲームで遊ぶだけなら必要のないスキルもすべて取ったし、取れるアイテムも取った。当然、レベルも限界の300まで上げた。恐らくは、あのゲーム内で最強の一角にいただろう。それはもちろん、育てる必要がないゲームで、ただ意地になったバカがいたというだけの話だ。

 いくら育てても、ミユキは美由紀じゃない――――。

 今にして思えば、そんな俺の虚脱感が、あれに誘われてしまったきっかけなのだろう。いや、それでも俺は、決して地球を捨てたかったわけじゃない。少なくとも、まだ美由紀がいる地球だったのだから。


「こんな奇跡もあるんだな、美由紀」

「ふふ。…貴方の思った通りの私になってる?」

「俺のスマホ、勝手に触ったな?」

「当然でしょ。貴方の彼女なんだもの」


 そして今、目の前にいる者。

 その思考、その魂は、確かに横代美由紀。だが、余命宣告を受けた身体ではなく、健康そのものの肉体。それは恐らく、あのミユキが具現化した姿だ。

 …なるほど。そう考えると、管理者の言い分も理解できる。

 管理者の能力は、地球では弱められる。だから管理者の力だけで行動する奴にとって、地球は危険な場所だ。しかし美由紀がレベル300のミユキと一体化しているならば、ミユキがスキルとして獲得した武技も魔法も使える。

 それにしても…。


「こんなに大きかったか?」

「貴方が願ったことでしょ。しぼんだって聞かされて」

「………あんな一文が適用されるのか」


 巨大な胸。それは確かに、俺がミユキの紹介文に書いた、唯一の特徴らしい部分だった。

 そしてもう一つ。女神のような美女…と、これも何も思いつかないまま書いた文。恐らくはそれも適用されたはずだ。地球の美由紀は間違いなく、俺にとっては世界一の女だったが、目が合っただけで気絶するようなことはなかった。そうだったのか。



「どうにか力は取り込んだわ。ちょっと強くなったかも、私」

「これ以上強くなられても困る」

「そう…ね。で、どうする? 貴方は地球に残る?」

「何のために」

「決まってるでしょ。それ…」


 咄嗟の行動だった、と思う。

 俺はただ、お前のそういうありきたりな台詞を聞きたくなかった。それだけだ。


「どうして…」

「お前は俺のために、俺が望んだ姿で現れて、そして俺を見つけてくれたんだ。こうするしかないだろ?」

「化け物よ、私は」

「怪人さ」

「何が違うの?」

「そうだなぁ…。例えば、子どもができたら大五郎って名前にするか」

「バカな人」


 小さな机越しに、美由紀を抱きしめている。

 体温も匂いも、心臓の鼓動だって聞こえる。そして震えている。何もかも、お前が俺のためにやったこと。そして、俺はそんなものをずっと受け入れている。今さら過去を追加されたぐらいで、何が変わるわけじゃない。

 そうして何分過ぎただろうか。

 彼女の震えは治まっていた。

 少しだけぼーっとしていた俺は、気づいて腕の力を抜いた。


「美由紀」

「はい」

「一緒に生きて行こうぜ。プロポーズの言葉は要らないだろ? もう新婚なんだ」

「そうね、大好きよ。弘一」

「先に言うなよ」

「貴方はいつも遅すぎるの。高校生の頃だって、なかなか告白してくれなかった」

「そ、それはそれ、これはこれ、だ」

「何が違うの?」

「そうだなぁ」


 落ちつくどころか、やばいぐらいに心臓の音が聞こえてくる。

 それなのに、こんな間近で見つめ合っても気絶しないぜ。

 お前がどんなに気を放ったとしても。


「あの頃より今の方が、ずっとずっとお前が好きだ。美由紀」

「そう…」


 柔らかさと温かさと。

 俺とお前はいつだって、互いを肌と唇で感じていくのさ。いや、いかせてください。本当に、本当に大好きなんだ。美由紀。




 ゲームの運営元だったフロアを出て、再び日の光を浴びる。

 たぶん、あれから二人は三十分ぐらい抱き合っていたと思う。

 ……正直、その先まで行きたいと思った。たぶん美由紀も、そう思ったはずだ。

 だけど、こんな汚い、そして思い入れもない場所で初めての瞬間を迎えると考えたら、冷静になってしまった。いくら勢いに流されようと、せめてベッドの上にいたい。

 まぁ、キスはしちゃったけど。


「じゃあ、今日のうちに実家に行こうか。お前の…墓にも」

「無縁仏かも知れないわよ」

「どっちでもいい。どうせ何もないんだ、そこには」


 手をつないだまま、隣の顔を見てしまう。

 …………。

 そこには女神がいた。

 誰が何と言おうと、俺の女神。まだちょっと頬が赤くて、それがもう、とんでもなく可愛い。大きな目を見開いて俺を見つめる表情もたまらない。

 はぁ…。

 きっと俺の方が頬は赤いだろう。競ってるわけじゃない。

 不思議な気分だ。

 言っておくけど、俺たちは別に今日がファーストキスじゃないんだ。

 仮にも、告白して三年はつき合った二人が、まさか手もつながないわけないだろう? どっかの赤い花の歌じゃあるまいし。




「キノーワに新幹線が通るのはいつだろうな」

「さぁ…。車輌だけ運んだって動かないでしょ?」

「魔法で動かすのは?」

「まさか全部、私にやらせるの?」


 再び東京駅に戻り、新幹線に乗った。

 俺たちの実家は、ここから乗り継いだ先。美由紀の瞬間移動で進むには遠すぎるけど、日本なら数時間で着いてしまう。馬車だったら何日かかるだろうか。

 車内では、さっき美由紀が何をしたのかを教えてもらった。

 こびりついた管理者の力。それを自らに取り込むことは、ありていに言って異物の混入だ。しかも、かけらでも管理者の力となれば、人間に耐えられるものではない。

 しかし美由紀は、それをほんの十分足らずで済ませてみせた。

 簡単に終わった理由は二つある。一つは、既に美由紀が保持している力が大きかったこと。残存していた力は、管理者の力の三パーセントほど。対して、美由紀は三十パーセント近い力を持っている。仮に暴れようとしても、押さえ込めるだけの力の差があった。

 そしてもう一つは、既に取り込む方法を美由紀は身につけていたからだという。


「つまりお前も、最初は制御しきれなかったのか」

「制御できないというか、意識と身体がバラバラになるような感覚だった。それを完全に取り込むまでに一年以上はかかったの」

「そんなに大変だったのか」

「まぁ、魂が飛んで行きそうだったのは、最初の一ヶ月ぐらいだけどね」


 転移した美由紀は、ゲームのミユキを管理者の力で具現化させて、そこに地球の横代美由紀の意識が入った状態だったらしい。

 ゲームのミユキ自体、実在したらその時点でとんでもない存在だ。現に今、地球での美由紀はその能力を使っているわけだし。

 そして、管理者の三十パーセントは神の領域。そのとてつもない身体に、普通の人間の意識では耐えられないに違いなかった。


「弘一がいい加減だったから、助かったわ」

「何だよそれ。ミユキはものすごく頑張って育てたんだぜ」

「そう。それなのに、どんな女性なのか何も書かなかったでしょ?」


 ………。

 要するに、特徴を何も書かなかったせいで、生まれた身体はほぼ地球の横代美由紀そのままだった。それが、意識を定着できた理由になったわけか。

 一応言い訳させてもらうが、それはいい加減だったわけじゃない。あのゲームでは、自分の姿なんて見る機会がないし、ましてキャラの紹介文なんて披露する場もなかった。何も書かないのが普通だったのだ。

 そして―――。

 最後まで美由紀を悩ませた違和感。それが、こともあろうにアレだった。


「健康であってほしい。弘一からのメッセージとして受け取ったのよ」

「……何だか申し訳ない。俺の趣味嗜好がお前を苦しめたとは」

「でも良かったでしょ? より、貴方好みの私になって」

「重ね重ね申し訳ない」


 何度も言うが、俺は別に、美由紀の胸が「もっと」大きくなってほしいとは思っていなかった。そうだ、キャラ設定の画面を開いた時に、病気で痩せたとつぶやいていたのを偶然思い出しただけ。元の大きさになってほしいと願っただけなのだ。

 ああ、日本語は難しいな。それとも、イデワ文字に変換された時点で、意味が変わってしまったのか? それはないか。今の美由紀は、俺が書いたプロフィール通りなのは間違いないのだし。


「念のため聞くけど、女神も適用されたんだな?」

「貴方自身の反応で分かるでしょ」

「それはそうだが…」


 そこにある違和感。


「日本に戻ってからは感じないな」

「あんなに抱き合ったのに?」

「……思い出させないでくれ」

「じゃあ、もうしてくれない?」

「…………する」


 女神のような…という設定は、設定上はただ単に例え話でしかない。もちろんそれだけのルックスになったということだろうが、正直言えば元の美由紀と変わっていないと思う。

 はっきり言うけど、本当に女神のような女だった。一緒に歩くだけで目立ちまくるのも、別にキノーワで始まった話ではない。具体性に乏しい「女神のような」が、結果として美由紀そのものとして具現化されたのは、当然のことだと思う。

 ところが、そこに管理者の力が加わると、「のような」が脱落してしまう。女性の管理者の呼称として、女神はごく自然なものだ。美由紀はあの星の女神になってしまった。

 で。

 今は地球にいるから、女神じゃない。女神じゃない。本当のことなんだってさ。




 東京を出て約五時間。俺たちは見慣れた、そして懐かしい駅に降り立った。

 三年ぶりの故郷は、駅前を見渡した限り大きな変化はないが、幾つか店が入れ替わっていた。


「どっちから行った方がいいと思う? 美由紀」

「弘一の家にしたら? 貴方には辛い現実だろうけど」

「…………分かった」


 来訪者となった者たちは、地球からその足跡を消されていく。美由紀が言っていたことを思い出す。

 既に、俺がいなくなって四年近く経過した。

 たった一ヶ月足らずで、大半の人間は俺を忘れていたという。だからもう期待はしていない。ただ、他人としてだろうと、故郷の姿を目に焼き付けたいと思った。


 駅から実家までは、歩いて三十分かかる。だけど、タクシーに乗る気にはなれず、二人で歩く。

 学生の俺も、金がなかったからいつも歩いていた。

 もう二度と見ることもなさそうな景色。せっかくだから…、手をつないで歩く。


「あの橋、塗り直してるんだな」

「行く?」

「もちろんだ」


 少し遠回りして、町を流れる川沿いの土手を歩くと、車が通れない細い橋がある。

 両岸にそれぞれ高校があって、いつも朝夕は生徒が行き交う道。今は午後四時を過ぎているから、久々に見た学生服の後輩たちがちらほら見える。

 そうだ。俺たちが昔着ていた制服。何も変わっていない。あの時の俺たちと。


 あえて認識阻害を使わずに、橋を歩いてみる。

 中央部が少しだけ高くなった橋の、その真ん中で立ち止まって下流側を見れば、何となく海を感じる。


「俺の記憶はどの程度戻ったと思う?」

「ここを憶えてるなら、大切なことはだいたい思い出したんじゃない?」

「お前の胸がしぼんだことの方が大切じゃなかったか?」

「一つでも欠けたら困るわ」

「そうだな」


 高校二年の夏。俺はここで美由紀に告白した。

 あの日の暑さも、海猫の鳴き声も、お前の笑顔も憶えている。

 そうだ、それは確かに大切なもの。お前と俺が奪還しなければならなかった過去。


「えっ…」


 そんな感傷は、あっさり壊された。

 明らかに俺たちに向けられた声。振り向いてみれば、そこにはどこかで見た顔…というか、かつて担任だった先生がいる。

 ものすごい顔だ。

 まるでお化けでも見ているかのような。


「お久しぶりですね、松嶺先生」

「き、君は…」

「横代美由紀です。隣は小牧弘一。懐かしくなって、ここで景色を眺めているんですよ」

「そ、そうですか……。はは」


 フレンドリーに会話を交わしながら、松嶺先生は青ざめた顔で立ち尽くしている。ああ、何だか四年前より生え際が後退したような気がする。ジャージの上下は何も変わってないけど。


「横代さん、君は確か」

「お墓の中に戻れと言うのなら、それは拒否します。だいいち、誰かの歌じゃないけど、あそこに私はいませんよ」

「それはいったい…」


 先生はさっきから、俺には全く関心を示していない。

 言いたくないけど、松嶺先生は俺のクラスの担任だった。対して美由紀は別のクラスで、教わったこともない。そりゃまぁ、美由紀は高校の有名人だったし、憶えているのは当然だと思うけどさ。


 だが―――――。

 思いも寄らない形で、俺たちの現状がよく分かった。

 ゲームの罠にはまって連れ去られた俺は忘れ去られ、自力で無理矢理転移した美由紀は、その抜け殻となった身体が葬られた。

 二人の立場は違う。ただ、どっちにしろ、もうこの町には住めないのだ。


「私と弘一は、事情があって遠くに移り住んでいます。死後の世界ではなく、別の世界に」

「そんなことが…あるだろうか」

「七年前の二年生で、私と同級生。小牧弘一は、貴方のクラスにいたんですよ」

「えっ? き、君が?」


 半信半疑…というより、ほぼ疑いの目が向けられる。

 なんだろう、ちょっと傷つくなぁ。そんなんだからはげるんだぜ、先生。


「彼はこの世界から消え、誰もが忘れてしまいました。だけど彼が生きていた過去は残っています。当時の名簿を見れば、小牧弘一という文字が残っているはず」

「…………信じられない」

「信じるも信じないも先生の自由ですよ。どっちにしろ、私たちは元気に暮らしています。たぶん、もうこの町に来ることはないでしょうけど。先生もお元気で」

「あ、ああ、お、お前たちも」


 呆然とたたずむ先生の横を通り、俺たちは元の道に戻った。

 なんだか気が抜けてしまった。

 これでもう、自分の家でどういう扱いになるのか分かってしまったし。


「先生、名簿の俺を探すと思うか?」

「どうかなぁ。名前を見つけても、貴方を思い出すことはないでしょうね」



 母校の前の道を通り、右折、次を左折。これも母校の小学校の前を過ぎると、いよいよ俺の実家が見えてくる。

 もう既に覚悟はできている。できているさ。



「一応、私は気配を消すからね」

「ああ」


 とうとう辿り着いた、自分の生まれた家の前。

 玄関前の小さな庭。カリンの木、コノテガシワ、モクレン。どれも記憶とほぼ変わっていない。思わずふらふらと中に入り、ぼんやりと立ち尽くす。


「………どなた?」


 ふと、声がした。

 目を向けると、そこには母親がいた。まるっきり、不審者に向けられた視線。なんだろう、事前に覚悟していた空気よりはマシかな。


「すみません。立派な木が見えたのでつい…」

「そうですか」


 警戒を解く感じはない。当たり前か、見知らぬ若い男が侵入しているんだからな。

 俺はもう、すぐに立ち去るつもりだった。

 キノーワの衛兵となり、美由紀と暮らす現在は、もう動かすことのできないもの。せめて陰ながら、できなかった別れの挨拶でもしようと思ったのだが。


「美由紀。姿を見せてくれ!」

「えっ!?」

「いいんだ、頼む」


 自分がとった行動が理解できないまま、だけど時は動き出していた。


「お久しぶりです。横代美由紀です」

「え、ええ?」


 母親は、今にも卒倒しそうな顔で、俺の後ろに現れた美由紀を見つめている。

 よく見ると、震えている。そりゃそうだよな。


「母さん。美由紀は訳あって、今は遠くに住んでいます。そして俺も」

「…………」

「そして、赤の他人のはずの横代美由紀がなぜ家に遊びに来て、母さんと一緒にご飯を作ったのか思い出してほしい」

「………それ…は」

「忘れていても構わない。育ててもらったお礼を言いに来た。俺は小牧弘一。ここで生まれて育った、貴方の子どもだ」

「…………」


 母親は唖然として、言葉もない。

 そう。美由紀を憶えているなら、美由紀と一緒にいた愚息の記憶も蘇らないか、そんなことを考えた。

 とはいっても、死んだはずの人間が突然現れた時点で、思考は止まってしまうんだろう。


「私たちはこれで立ち去りますが、その前に聞いてください。信じる必要はありません」


 そこで美由紀が語り出した。

 俺はもう何もできることもないから、黙って任せた。


「四年前、私は余命宣告を受けていました。それはご存じですよね」

「え、ええ」

「この世界の美由紀は、しばらくして亡くなったはずです。誰も気づかないうちに」

「………そう聞きました」

「私は別の世界に、別の身体で移り住みました。それが今目の前にいる、死んだはずの横代美由紀です。そして、私が移り住んだ理由は、小牧弘一、貴方の息子で私の恋人だった人が、その世界に連れ去られたからです。連れ去られた弘一のことを、みんな忘れてしまいました。だけどこうして彼も元気でいます」


 一気にまくし立てた美由紀。

 無茶苦茶過ぎて、きっと相槌なんて返って来ないと分かっているからなんだろう。


「そんなわけで、お騒がせしました。できれば思い出してほしいけど、貴方のご恩は忘れません。ありがとうございました、お母さん」


 結局、俺も言いたいことだけ言って、そのまま後ろを向いて出て行くしかなかった。

 ああ何だろう、やっぱり楽しくないよな。実家がなくなるって。

 …………。

 どうにかして、ここにいた痕跡を取り戻せないのか。そのためには、また地球に来る機会が必要だけど、そんなことができるのか。これからキノーワに戻ることができるかすら、確実ではないのに。




 その後、美由紀の家にも行った。

 突然現れた娘に、両親は取り乱していた。


「この世界の私の身体はもうないけれど、私はこうして生きています。親不孝な娘でごめんなさい。だけど今は弘一と一緒、幸せです」

「………幽霊、ではないの?」

「幽霊よりわけ分からない状況で、お盆だからって会いに来れるほど近くにはいない。でも、また会えたらいいなと思います」

「そう…」


 そのまま、何となくリビングで茶を飲んだ。

 そこには小さな仏壇があり、「生前の」美由紀の写真が飾ってある。こんな仏壇は見たことがないから、彼女の死後に買ったのだろう。

 その仏壇に、意味もなく手を合わせる本人。両親は、元気な頃のままの姿で現れた娘に、明らかに混乱していたが、泣いてもいた。

 無茶苦茶な状況でも、記憶に残っているっていいもんだな。というか、居心地悪いな。俺は亡霊なのか、ただの怪しい男なのか分かりかねている。


「弘一さん? 貴方も美由紀と一緒に…」

「思い出してもらえないでしょうが、何度もお邪魔しています。今はこの世界から忘れ去られていますが、美由紀とは再会できました。あの…」

「………なんでしょうか」

「美由紀は俺が幸せにします。いや、もうしています。どうかご心配なく!」


 真っ赤になりながら一気に言い切った。どうせ俺は「いない」男、勝手に言いたいことだけ叫んでも構わないよな。

 美由紀の両親はぽかんとしている。そりゃそうか。死んだ娘を幸せにするって、冗談にしかならないか。



「お父さん、お母さん。今日はありがとう。あの時は突然死んだはずだから、お礼が言えて良かった」

「あ、ああ。私たちは心配ない。どうか成仏しておくれ」

「成仏はしないわ。死んでないもの」

「…………」


 にっこり笑う美由紀。その瞬間、少しだけ空気が変わった気がする。

 まさか魅了の気が効いた? いや、地球ではほとんど放出されていないはずだが。


「墓に納まったのは、二十歳までの私。拝んでくれるのは構いませんが、私は生きてます。どうかお身体に気をつけて」


 手を振って、颯爽と歩いて行く美由紀。仕方がないので、俺もぺこりと頭を下げて、彼女の後を追った。

 何だろう。とりあえず、美由紀と口喧嘩したら勝てないだろう…と、どうでもいい感想しか浮かんで来なかった。




「今晩のうちに町を離れていい?」

「ああ。…長居するのが辛いからな」

「お互い、ね」


 美由紀の墓がある寺までは、瞬間移動を使う。勝手知ったる故郷だから、どこに何があるかぐらい分かる。

 そして、横代家の墓の前に立つ。

 ま新しい石版に、物故者の名前が彫ってある。一番端にあるのが美由紀だった。


「こんな石版なかったわ。私の時に買わされたのね、きっと」

「お前の名前を遺したかったんだろうな」

「消しておく?」

「その判断は任せる。両親には伝えたんだし」


 結局、苦笑した美由紀は、石版をそのまま残した。魂が抜け出た身体は、確かに焼却された。それは事実なのだから、拝みたければ拝めばいい、と。


「私がここで生まれ育った記念碑だと思えばいいし」

「俺なんか何もないからな」

「今はそうね」


 さっさと寺を後にして、そのまま駅に戻る。

 辛うじて残っていた特急で、行けるところまで行った。

 そして、見知らぬ街の公園にテントを張った。ホテルに不正宿泊する気にもならないし、ゲームのアイテムとして手に入れた超高級テントは、簡易ベッド付きの高級仕様だったから問題ない。

 ゲームのテントの背後に、よくある郊外の風景。その非日常を堪能することもなく、ベッドに潜る。ちなみにベッドは狭いシングルが二つ。さすがに一緒に寝るのは無理だ。その代わりに、眠るまでは手をつないだ。


「目標が出来た。お前も、だろ?」

「そうね」


 日本で暮らした過去は、もう夢物語の世界。それぐらい遠い昔のことのような気がしていたのに、いざ帰ってみれば、違う感想も浮かんでくる。

 忘れ去られたままで良かったのか。

 死んだままで良かったのか。

 俺たちが日本から消えた事情は違うけれど、このままで良かったのか。心は揺れ動く。


 もちろん、俺たちはキノーワに帰れるという保証もない状況。それなのに、再び故郷を往復する計画を立てるなんてバカげている。

 だけど、こればかりは理詰めで動けるわけがないんだ。




 翌日。

 当初は三日間を想定していた日程を圧縮して、今夜帰還することに決めた。

 管理者の力は、日に日に弱まるという。自覚するほどの変化はないと言うが、元からギリギリの力なのだから、滞在時間は短い方がいい。

 というわけで、朝一番の特急から新幹線に乗り継ぎ、再び東京駅に降りた。


「今日はお前の能力頼みだ。よろしく」

「昨日もそうだった気がするけど」


 今日の予定は、これからのための投資だ。

 せっかく日本にいるのだから、サンプルとしていろいろ持ち帰りたい。

 向こうの世界と地球は、単に科学技術の水準が違うだけではない。だから、日本のものをただ持ち込んだからといって、劇的に何かが変わることはないだろう。それに、異世界のものを持ち込めるという事実は、伏せておきたい。

 しかし、研究材料として、そのためのサンプルとして、現物があってほしい。俺たち自身はただの大学生でしかなかったわけで、何かの専門家にはなれないからな。


 とはいえ、異世界人となった俺たちが、日本で買い物をするのはそれほど簡単ではない。

 まずは金を用意しなければならない。美由紀のカバンには大量の金が入っているが、イデワの通貨とゲーム内通貨ばかりで、日本の金はない。偽造しても逃げ切れるけど、購入先を困らせたくはない。銀行から盗んでも同じ結果になる。

 そこで事前に用意したもの。大量の金の延べ棒だ。

 ゲーム内通貨の「金貨」は、ちゃんと純金だった。俺がミユキを操ってため込んだ金で、ゲーム内では何の役にも立たなかったが、ミユキと共に実体化したそれは、少なくとも立派な素材だ。

 それを、日本で売れるよう延べ棒に成型する。美由紀が魔法を使えば一瞬で出来たので、今からそれを換金することになる。


 ついでに、プラチナ貨もあったので、それも成型しておいた。プラチナ貨は、イベントでしか配布されないレアな貨幣だった。そうだ、伯爵令嬢イベントとか! 今ごろ思い出してしまった。

 ちなみにそれは、特定の令嬢を何日かにわたって目撃するとヒントが与えられ、秘密の洞窟でお宝発見という流れだったはず。そうだ、だからイズミが遭ったように、呼び出されたりはしない。その代わり、伯爵邱ならその敷地まで入り込み、屋敷内をうろつく姿を覗き見するのだ。うむ、正直言えば、呼び出すより酷い。

 そしてお宝は………、何度目かの目玉アイテムが「超レアな短剣」で、多くの同志が脱落したらしい。いや、それ以外のお宝も、ゲーム内では使う機会がなかったし、末期は同じイベントの繰り返しになり、超レアが溢れかえっていた。

 プラチナ貨も、イベント時のショップでしか使えない上に、売っているのはすべて大量に所持しているものばかり。いやー、思い出すほどに自己嫌悪に陥るなぁ。


 なお「超レアな短剣」は、ファンタジーものでありがちな「ミスリル製」だった。

 で、それも実体化したので、念のために取りだしてみたけれど、何の素材なのか分からず。架空の物質の扱いは謎のままだが、とりあえずそれを売るわけにはいかないので、泣く泣く延べ棒化を断念した。

 というか、架空の金属が現れたら、地球ではどう処理するのだろうか。本音を言えば、あえて残して行き、分析された結果を知りたい。だけど、地球にもう一度戻れる保証は何もないわけだし…と、話が逸れた。




「貴方も一つは分担してほしいわ」

「無茶なこと言わないでくれ」


 そうして、金を扱う店に行く。

 もちろん、二人には身分証明もない。なので対面で美由紀が相手を操り、通常の売買が行われたように操作する。出所不明の怪しい金塊だから、買い取り額は安めに設定して、それでも五箇所ほどまわって大金を手にすることに成功した。

 申し訳ないが、異世界の未来のためだ。延べ棒の品質は問題ない…というか、美由紀が魔法で精錬したから、地球上のどの延べ棒よりも純金だから許してくれ。



 続いて、古書店に行く。新刊より足がつきにくいし、安く手に入るかも知れないという理由だ。

 購入したのは、まずは辞典類。専門書も手当たり次第に買い漁る。古書街を一時間ほどまわって、あっという間に一千万は使った。とんでもないお大尽だ。

 購入した書籍は、その場で美由紀のカバンにつっこむから、店主にはそれを不審に思わない程度の暗示をかけた。そもそも、常軌を逸した大量購入を、そこら中で繰り返している時点で、騒ぎになるのは当然だ。だから今日の俺たちは、最初から最後まで誰かを操り続けるしかない。

 その後、やはり不安になったので新刊書店にも行って、ここでも爆買いした。そもそも、俺たちには専門書の質を判定できないから、なるべく大量に買って、数打ちゃ当たる作戦だ。

 昼までにそれらを終え、昼飯のついでにスーパーに入って、そこでも爆買いだ。サンプルとして向こうに持ち込む形になる。

 食べ物を一つずつ買ってもしょうがないと思うだろうが、キノーワに戻ってしまえばこっちのもの。超常の力を使って、コピーすることができる。ともかく爆買い爆買い。カバンの容量はたぶん無制限だから、何でも買ってしまえ。


 午後は電化製品を大量購入、さらに中古の工作機械なども見てまわる。

 結局、途中で金が足りなくなって、また換金。延べ棒は腐るほどある。後日、相場が大きく崩れるだろうが、その辺は異世界の未来のためなので許してくれ。さっきも同じこと言った気がするぞ。

 最後に中古車を数台、バイク、自転車と一通り入手。太陽光発電の機材も手に入れた。


「で、最後の最後にここなの?」

「サンプルは必要だろ?」


 日も暮れかかった頃、貨物駅の外れに二人はいた。

 そこにあったのは、解体を待つ鉄道の廃車体。さすがに現役車輌はおいそれと買えないが、この辺ならごまかしようもあるだろうとやってきた。

 そこで、電気機関車、ディーゼル機関車、貨車に、電車数輌。カバンには、入れと念じれば巨大な車体すら一瞬で吸い込まれる。真面目な話、このカバンが具現化しなければ、ほとんど何もできなかっただろう。


 多少の現金が残ったので、最後は郊外のホームセンターに行く。

 主に工具を調達する予定が、植物の苗や種子、おもちゃ、洗剤、時計、手当たり次第に買い漁ってしまう。これで最後だと思ったら、金魚の餌まで買っていた。まぁ何がどう役に立つか分からないからな。

 午後八時ぐらい、お店の営業終了で、こちらもすべて終了となった。

 名残惜しいといえば惜しいが、帰れなければ意味はない。それに、無茶な爆買いが方々に影響を及ぼすことを考えると、何日にもわたって買い続ける気にはなれなかった。




「それで、どこから戻るんだ?」

「とりあえず、この住所に行ってみる。貴方にとっては嫌な思い出の場所」

「ああ、なるほど」


 戻るために最適の場所はどこか。そこで思い当たるのは一つしかない。そう、ゲーム内で誘導していた、転移の場所だ。

 東京の郊外。築二十年のマンションの一室に、びっしりと呪具が取りつけられている。入って見ると、うっすらと記憶が蘇る。嫌な記憶だ。

 今にして思えば、なぜここに来ようと思ったのか全く理解できない。恐らくは、一定の基準を満たした者を、管理者の力で操っていたのだろう。それでも、抵抗できた人はいたようだし、当時の自分が情けなくなる。


「美由紀の見立てでは、ここを使う価値はありそうなのか?」

「呪具はほとんど役に立たないと思うけど、魔法陣は使えそうね。……それに、ここは部屋自体の存在が消されているから、もしも次があった時にも使えそう」


 部屋が消されているというのは、魔法によるものではない。玄関扉が壁で物理的に隠されていて、どうやら表向きは存在しないことになっている。管理者の力で、その時だけ扉を見せていたようだ。

 部屋自体も異様に狭い。ビルを支える柱の周囲にできた、すき間を使っている。どっちにしろ、隠され続けるのなら都合がいいのは確かだろう。



「じゃあ、さっそく始めるわ。いつどうなるか分からないから、貴方も魔法陣の中にいてね」

「うん。よろしく頼む、美由紀」


 美由紀の両手は空けておきたいので、仕方なく俺は彼女の腰に手をまわす。正直、密着した気恥ずかしさよりも、帰還できるかどうかの緊張の方が大きい。


「管理者、聞こえる?」

「………美由紀ですか。聞こえます」

「もう帰れるけど、どうしたらいい?」

「分かりました。こちらから力を流します」


 とりあえず通信はできたようで、やがて部屋の魔法陣が光り出した。

 そして数分。

 光ってはいるが、どうも力が足りていないようだ。


「管理者。それで手一杯なの?」

「そちらに着くまでに、かなり弱まっているのでしょう」

「シンクロもうまく行かないわね」


 美由紀は相当に頑張っている。しかし、どうやら帰還にはまだ足りていない。

 何もできない俺がもどかしい。

 ああ、もうここで暮らすしかないのだろうか。


「管理者。貴方の力を返すわ。それでシンクロして」

「そ、そんなことが…」


 その時、美由紀がとんでもないことを言い出す。

 返す?

 お前はそれで生き延びたというのに? 押し留めようとする俺の手を、ちぎれそうなぐらい強く握る美由紀。

 そして、女神の笑顔。

 信じろ。そう言うのか?

 お前を?

 …………。

 ―――――――――そうか、お前を。


「私を誰だと思っているの?」


 美由紀は不敵な笑いとともに、何かをした。

 次の瞬間、美由紀の横に強烈な光が現れる。


 お前は自分を解体したんだな、美由紀。

 だけど、今度は信じるぜ。

 そう。あの時、ほんの一瞬の気の迷いにつけ込まれて、俺は取り返しのつかないことをした。だから、今度は。




 光はさらに強まっていく。

 そして真っ白になって……、そのまま気を失った。







「お姉様! 弘一! 起きて!!」

「…………ん」


 目を開くと、ぼろぼろ泣きじゃくった女の顔。

 ああ、何だよ、口の悪い伯爵令嬢じゃないか。

 はは、は。


「弘一!」

「おう。ただいま、イズミ」


 そう口にして、ふと横を見た。

 美由紀はまだ――――、目を覚ましていない。


「そろそろ起きろよ、美由紀。帰れたぞ、俺たちは」


 声を掛けてみるが、返事はない。

 はっとして、彼女の手を取る。

 ……………。

 脈はある。


「お姉様、いったいどうしてしまったのでしょう」


 不安そうなイズミの横顔を見ながら、考える。

 いや、理由なんて最初から分かりきっている。まだ目を覚まさない理由なんて。



「管理者。俺たちは帰ってきた。ゲームの残骸は無事に発見して処理を終えた。協力に感謝する」

「……小牧弘一。こちらこそ感謝します」

「それで…」


 のっそりと立ち上がる。

 身体の節々が痛い。墜落したのかというぐらいに。


「あの力はどうなったんだ?」

「…………」

「戻してくれ。管理者、美由紀はこの星の大切な存在だ。お前もそう思うだろう?」

「……………」


 しばらく、互いに無言だった。

 やがて。


「ここにあります。戻せるものかは、私の理解を超えます」


 横たわる美由紀の上に出現した光。俺は乱暴に美由紀の身体を抱き起こし、その光にぶつけた。

 光は身体の中に消えた。

 ……………。

 やがて美由紀の身体が動く。

 目が開かないまま、もがくように身体が動く。

 そして―――――。




 ゆっくり、まぶたが動いた。

 その瞳は、隣で泣きじゃくるイズミの方を向き、そして微笑みながらこちらを見つめた。


「大好きよ、弘一」

「俺もお前が大好きだ、美由紀」


 お前と俺は帰ってきた。

 そして二人はたぶん、「奪還」した。


※次で第六章は終わります。不満はいろいろあるけれど、ここまで書けてほっとした。

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