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女神は俺を奪還する  作者: UDG
第六章 お前と俺は奪還する
49/94

四十五 アラシの光と影

 管理者あれを交えた四者会談が終わって数日。我々三人は、再びキノーワ嵐学園に出掛けることになった。

 目的は二つ。俺の記憶回復について、何かしら情報を得られないかというのが一つ目。もう一つは、イズミの編入手続きだ。

 行ってみなければ分からない前者はさておき、編入手続きは予定通り。既に書類は提出されているようなので、今日は面接と簡単な試験がある。いや、簡単なのかどうかは知らないけど、「簡単な試験」というものをするそうだ。まぁ俺が受けるわけじゃないし、大丈夫なのでは…。

 そもそも、イズミの件に俺たちがつき合う必要はない。ただ単に、心細いと泣きつかれてしまったので、美由紀が二つの用件を同じ日に合わせただけだ。

 まったく、心臓に剛毛が生えている伯爵令嬢とは思えないですなぁ…と口にしない俺は、紳士の仲間入りを果たしたといえよう。

 嘘だ。イズミは例によって父親同伴、さすがに伯爵の前で娘をからかうほど、俺は豪気な男ではない。


「着替えなら用意させたのだが…」

「お父様のお選びになった服装は、どれも正装です。そんな格好で押し掛けて、私に何をさせる気ですか?」

「……いや、その」


 娘に叱られる伯爵という構図も、だんだん見慣れてきた。

 なんだかんだと、あの無茶な街歩きでイズミは多少の自信をつけた。そして、イズミはキノーワ嵐学園の学生になる予定であって、社交界で活動するわけではない。伯爵が用意した衣装では、校内で浮きまくるのが目に見えている。それに、創立者の孫がそんな格好をすれば、無言の威圧になりかねない。

 というわけで、この間よりだいぶ楽しそうな声が聞こえて、しかし時間は同じぐらいかかった。

 確かに、試験と面接の予定時間まではだいぶあるけど、女性の着替えというのは長い。ただ長いだけでなく、短くしようと全く思っていないから、結果として伯爵と二人っきりという地獄のような時間が続いてしまう。


「コマキ君、君はイデワ文字をかなり読めると聞いたが」

「え、ええ…。自覚はありませんでしたが、どうもそのようです」


 そこで伯爵に振られた雑談。

 こちらとしては雑談のつもりだった…が。


「学園の講師をしてみないかね」

「はぁ………って、な、何をおっしゃるのですか?」

「イデワ文字の授業を増やしたいが、教師が足りていないらしい。ヨコダイ様にも頼みたかったのだが、どうやら他の話があるようだ。君はどうだ?」

「冗談でしょう? 私は孤児院出で学校に通ったことのない衛兵ですよ」


 話がおかしな方向に。美由紀の言っていた件がこれか。

 しかし、美由紀が無理矢理押し込もうという話ならまだ分かるが、伯爵が頼むのはおかしいだろう? 自分の娘が通う学校の教師なんだぞ。いくら何でも話が飛躍し過ぎじゃありませんかね。


「君がそんな肩書きに見合わないことは、私でも少しは知っているぞ。我が父に似た存在だと言うことも」

「…………」


 我が父という言葉に、さすがに緊張する。

 伯爵は太郎兵衛さんをどこまで知っていたのだろうか。そこが分からないから、うかつに反応できない。

 ――――とはいえ、俺と太郎兵衛さんの共通点なんて、来訪者以外にあるはずがない。後継者指名されなくとも、そのぐらいは教えられたということなのか。


「こう言っては失礼だが、普通の衛兵に我が娘が心を許したりはしない。それに…、ヨコダイ様が関われば、嫌でも君も学園に通わざるを得ないだろう。心配しなくても、衛兵の合間に少し時間を作る程度、大きな負担にはならない」

「そこまでして、イデワ文字を習わせたいのですか」

「ああそうだ。我が父は言っていたものだ。イデワ文字には無限の可能性があるとな」


 太郎兵衛さんと伯爵の関係も、よく分からないな。太郎兵衛さんが孫のイズミを後継者にしたのは、その親、つまり息子の伯爵に理解されなかったからなのかと思っていた。しかし目の前にいるのは、亡き親の悲願を継いだ息子の姿だ。

 とりあえず、俺がどうこうという話はいったん保留に。まぁ伯爵も、己の権力をかざして命令するわけではなく、あくまで私的な要請だ。いやまぁ、俺も一応は五段冒険職の伴侶だから、そもそも権力をかざせる関係にないのか。


 やがて着替え終わった女性二人が現れる。

 美由紀は、この間と似たような格好。横縞模様のシャツが、相変わらず破れそうなほど膨らんでいる。そして、スカートの丈が短くなった気がして、目で追ってしまう。

 はっとして顔をあげると、勝ち誇った顔。

 仕方ないだろ、お前はどこをとってもすごいんだから。ため息をつく。


 一方のイズミは、チェック柄の長いスカートに、白いゆったりめのシャツ。ちなみに、これはブラウスと呼ぶらしい。髪には小さなリボン。

 上から下まで美由紀が詳細に説明してくれるが、正直言って頭に入らない。たかが服装に、なぜこんなに多くの専門用語が必要なのかと嘆かずにはいられないが、そもそも美由紀は、俺が理解できないのを承知の上でべらべらしゃべってるんだからな。


「どうでしょうか。これぐらいなら、学校に通う娘の格好でも問題ありませんよね?」

「ど、どうかしらお父様」

「う……うむ、いや、その、なかなか似合っている」


 正直、似合っているかどうかの問題ではないが、伯爵の気持ちは分かってしまうので、笑いをこらえるしかない。ついでに、伯爵もあの説明が理解できなかった事実が判明して、妙な連帯感すら生まれている。なんだか申し訳ない。

 イズミの服装は、美由紀と二人で、あのカバンに入っている衣装から選んだ格好だ。美由紀の七割強の大きさの部分も、この間は見せつけた生脚も、今日はうまく隠れている。地味な学生の服装という意図は十分実現している。

 ただし、地味な服装を意図したのは間違いないが、キノーワで売られているものではない。つまり、誰も見たことのない、地味な服装。いろいろ矛盾を感じる。


「お姉様。同じような衣装を作らせても構いませんか?」

「気に入ったなら、好きにすればいいわ。珍しい素材は使われていないし、私が作ったものでもないから」


 まぁ、二人の話を聞く限り、異世界でしか作れないものではないようだ。実際のところ、似たような服はあるのかも知れない。貴族の御用商人たちは、いろいろ変わった衣装を作って売りに来ると、イズミが言っていたのを思い出す。

 とにかく、いつもの御令嬢とはがらりと雰囲気が変わったが、二度見してしまうぐらい似合っている。イズミが毎日こんな格好で通ったら、学生を威圧はしないが、普通に魅了してしまいそうだ。

 現に伯爵も、すっかり父親の顔になっている。娘が立派に育ったと感動している。

 あ、涙をぬぐい始めたよ。思わず実況してしまったぜ。


「ではお父様。行ってまいります」

「き、気をつけるのだぞ、イズミ」

「夕方までには帰りますわ」

「ヨコダイ様、コマキ君、よろしく頼みますぞ」

「はい。美しい娘さんを、今日もしっかりお護りしますよ」


 最後ににっこり笑う美由紀。ちゃんと自身の魅了の気は出さないようにして、父親の琴線に触れる言葉を吐きやがった。

 伯爵は「美しい娘さん」に目を奪われたまま、玄関扉の前に呆然と立ち尽くしている。大丈夫だろうか。そろそろコーデンさんが迎えに来てくれると思うけど。




「ということで弘一はどう思う?」

「何を?」

「イズミの今日の格好よ」


 そうして三人で学校へ向かう道すがら。

 美由紀は何というか、非常に答えにくい質問をするのだった。


「いいんじゃないか?」

「惚れそう?」

「それをお前が聞いてどうするんだよ」


 幸い、イズミも困った顔をしているので、それ以上の追求はなかった。

 美由紀はまぁ、あくまで自分が選んだ服装を褒めてほしかっただけ。それならそれで、普通に褒めさせてくれればいいのに、余計なことを混ぜるから口にできない。

 ――――――で。

 答えられるわけないだろう。

 今日のイズミは可愛いさ。ものすごく似合ってて、惚れてしまいそうさ。そう。

 お前がいなければ、な。

 もう俺が惚れていて、今日のイズミも霞むぐらい似合ってて可愛い女が隣にいなければ、な。




「では行ってきます。お姉様、弘一、二時間後にお会いしましょう」

「俺に応援されてもしょうがないだろうが、健闘を祈る」

「お昼は校内で食べさせてもらうから、楽しみにしてね。イズミ」


 校門を入ったところで、イズミとはしばしの別れ。ホシナさんがやって来て、イズミを会場に連れていくのを、二人でぼんやり見送った。

 当人はそれなりに緊張していたけれど、今日の試験も面接も形式的なものだ。何事もなく終わるはず。


「ミユキさん、お久しぶりでっす。あ、そちらはコマキコーイチさんですね。はっじめまして!」

「えーと、ケサキさんですね? よろしくお願いします」

「一週間ぶりですねケサキさん。今日は相談に乗ってくださいね。うまくいけば、いろいろ協力できると思いますから」

「ええ! …あ、いやっ、それが目的じゃありませんよ」

「互いに意味のある話だから協力し合う。これ以上の関係はないと思います」

「はは、ミユキさんは正直な方でっすね」


 俺たちを呼びに来たのは、白衣を着た女性で、名前はケサキさん。鎖のついたメガネをかけていて、背はイズミより低いから、美由紀と並ぶと親子のように見えてしまう。

 もっとも、イズミはこの国の女性としては背が高い方なのだ。すっかり感覚が麻痺しつつあるが、ケサキさんぐらいが普通なんだよ。背丈は。

 青白い顔にぼさぼさ髪、こちらは普通…じゃないと思われる。栄養が足りているのか不安になる細身も、たぶん痩せたい願望ではなく、食事が面倒くさい系じゃないかと推察される。ワースさんの同級生に、そんな人がいたと何度も聞かされた記憶がある。

 なので何歳ぐらいなのか判断に困るが、俺たちよりだいぶ年上なのは間違いない。言葉遣いはところどころ、いや、かなり妙だけど、一応は研究者っぽい雰囲気の人だ。

 わざわざ「一応」と加えたのは、ドタバタ走って来るのを見てしまったからだ。しかも、俺たちの視界に入ってから、急に歩き方を変えていた。たぶん、あっちが素なんだろう。


「どう? 嵐の予感がする?」

「どんな予感だよ」


 イズミが籠る校舎の左手に進み、突き当たりから右に折れて進んでいく。

 美由紀は既に会ったことのある相手だし、どうやら校内の地理もだいたい分かっているらしい。だから特に気兼ねもなくぶらぶらしている。

 俺は俺で、学校の中を歩く非日常をちょっと楽しんでいる。

 ……まぁ、美由紀が言うには、俺は何年も学校に通っていたらしいが。

 それはそれで、今日の実験のうち。思い出したら儲けもの、なのだ。


「コーイチさん、ここが我らが研究施設です」

「我ら…」


 ケサキさんの言う「ら」に、俺たちが入ってないことを祈りつつ、中に入っていく。初対面で下の名で呼ぶ相手には気をつけろと、じっちゃんの遺言だ。うむ、そう言ったら爺さんの記憶でも甦るかと思ったが、さすがに唐突すぎるか。

 なお、自称研究施設は、三階建の白塗りの壁の建物。白塗り…というのは、新築時の想像であって、実際には薄汚れた灰色だけど。

 そう言えば、我が家みたいに状態保存の魔法がかかっているのは珍しい、というより他にないんだよな。そろそろ、あの異様さに気づく人が出てきそうだ。あ、イズミはもう知っているから、それ以外で。


「何だか危険な臭いがしますね、ケサキさん」

「危険? 素晴らしい芳香ではないですか」

「いや、それはさすがに」


 謎の薬品の異臭が漂う部屋。吸い込んで大丈夫なんだろうか。まぁ大量に吸い込むとケサキさんになれる? まぁ、なりたくありませんね、全く。

 ケサキさんは学園の講師で、十代の学生の授業も担当しているから、イズミが入学すれば教わることもあるだろうが、本業はあくまで研究者だという。

 学園は二十歳まで。そして卒業後、研究者を志す優秀な学生は助手として残り、それぞれの研究室に配属される。ケサキさんは、そこから生き残った本物なのだ。


「今日は助手のみなさんはお休みですか?」

「コーイチさん、なっかなか言いますね」

「弘一。ここには最初から助手なんていないのよ。あまりに素晴らしい研究室だから」

「なんか息ぴったりですね。まっさかイヤミの練習なんてしてませんよね?」

「残念ながら、俺たちは練習しなくとも息ぴったりですよ」


 口の悪さだけはな、と顔を見合わせて、ちょっとだけ息が止まりかける。いたずらに成功した時の美由紀は、困ったことに可愛いんだ。あ、いつだって可愛いけど、特にな。




「ここから先は、部外者は立入禁止でっす。我々も入ることは禁じられていまっす。今日は学園長の許可を得ました」

「他言無用でっすか?」

「無理に真似しなくていいでっす」

「真似してほしそうに見えまっす」


 ああ楽しいけど、鬱陶しい。ちなみに他言無用は当然でっす。

 ここは無人の研究室を通り過ぎた先にある、分厚い扉。ケサキさんが慎重に鍵を開けると、そこには地下に降りる階段があった。

 それはやたらと深く、二層、三層と続いているようだ。素人目にも異様な施設だと分かる。

 先頭のケサキさんがランプを手にして、俺たちが後に続く。煤の臭いと滞留した空気が混じったなかを、三人の足音が反響して、どうにも気味が悪い。


「えーと、ケサキさんは俺と美由紀の共通点を…ご存じ…なのですか?」

「来訪者ということなら、伺っています」

「…………」


 今日の用件を考えればそうなんだろうが、やはりそこは不安になる。

 なぁ美由紀…と促そうとすると、今さらのように手を握ってくる。お前とは歩幅が違うから、階段は歩きにくいんだよな。


「学園の信用できる人には伝えたわ。太郎兵衛さんの秘密を共有していた人たちに」

「信用していただけて嬉しいですよ」

「まぁ、いざとなれば忘れてもらいますけどねー」

「ええ、そんな…」


 ………ケサキさん、本気にしてないな。どこまで美由紀の能力を知っているんだろうか。

 美由紀がその気になれば、関与した全員の記憶を抹消できるだろう。なんたって管理者と同じ力なんだから、俺みたいにデタラメな過去を植え付けることだってできるはず。

 まぁやらないだろうが。実行したら、奴に対する怒りが意味を失うからな。



「進むも地獄、退くも地獄…って」

「ミ、ミユキさん!」

「え、何ですか?」

「読めるんですね!?」

「ええ、まぁ」


 地下五階の壁に書かれた文字は、学園入口のあの文字と似ている。たぶんこれも、太郎兵衛さんが遺したものだろう。

 なぜそんな言葉を書き残す必要があったのかは、深く考えたくない。

 大袈裟なほどに驚くケサキさんの様子も、あまり考えたくないな。というか、実は俺にも読めたんだ。キノーワ嵐学園にはイデワ文字の授業があり、ケサキさんは当然それを受けていたはずだが、それでも読めてはいけないイデワ文字があると気づかされたわけだ。


「到着しました。最後の鍵でっす。できればミユキさんに…」

「何か特殊な扉なんですか?」

「たぶん、そんなことはないと思いまっす…」


 目をそらしながら言ったら、説得力皆無だと、誰か教えてやってくれ。

 ちなみにケサキさんは、美由紀が冒険職五段だと知っている。だから何があっても大丈夫だろうと、全幅の信頼を寄せているわけだ。まぁ俺も、全幅の信頼という点だけは共通するけどさ。


 美由紀が鍵穴に大きな鍵を通し、やがて小さな金属音が鳴る。

 取っ手のない扉をゆっくり押すと、いかにも錆び付いていたという感じの不快な摩擦音が響く。

 ……………。

 だが、それだけだ。別に何かの気配はない。いや、俺の感覚なんてあてにならないが、美由紀の探知にも引っかからないようだ。


「何もないって知ってたでしょ? ケサキさん」

「え、ええ。情報としては知っていましたが」


 ランプを手に、中に一歩を踏み出す。

 暗い。かなりの広さがあるようで、全く見通せない。


「あのー、ケサキさん」

「は、はい? 何でっすか、コーイチさん」

「美由紀が魔法使いだってことは知ってますよね?」

「え、ええ。一応、うかがっています」

「じゃあ頼むよ」

「何を偉そうに。今日は働いてもらうからね、弘一」


 美由紀が軽く手をかざすと、一瞬視界が真っ白になる。

 慌てて目を閉じて、それからゆっくり細目を開けていく。地下室は既に、昼間のような明るさになっている。


「こ、こ、こ、これはいったいどんな大規模魔法ですか!?」

「本当に驚いた時は、あの口調が消えますね」

「そ、そんなことは今指摘しないでください!」

「空間を照らす魔法は、魔法使いならだいたい出来たと思いますけどー」

「ど、どう考えてもそんな魔法ではありませんよ!」

「そう? 目的が同じならそれでいいでしょ? さっさと作業を始めましょう」


 部屋を照らす魔法は、我が家では当たり前のように使われている。照らす範囲も明るさも自由自在、とても便利なものだ。

 そして俺も、魔法使いならだいたい出来るのだと思っていた。身近に他の魔法使いがいないから、比較したことはなかったが。


「もしかして、ケサキさんも魔法使いなんですか?」

「最近認定されました…」


 何だか自信をなくしたような顔をしている。

 俺が言うのも何だが、美由紀と比較して落ち込む必要は全くない。ただし、今はそれを口にしたくない。無駄に機嫌を損ねたくもないからな。


 立入禁止、地獄の地下室は、結論からいえば、ただの研究室だった。

 大きな長机が並び、奥には書棚。一階のケサキさんの部屋と、見た目は大差がない。ということは、書棚に何か見せられないものがあるんだろう。


「ここは初代理事長っが、限られた教員を集めて実験をするための部屋でした」

「それって、ケーホとかですか?」

「ケーホ? 何でっすかそれ」

「え、……あ、あの、遠くの人と会話する魔道具」

「ああ、それはそうでっす。しかし、その変な名前は?」


 変な名前だってよ、イズミ。というか、ここでも呼ばれていなかったのか。

 ケサキさんは卒業生で、十年前から研究室に出入りしていた。太郎兵衛さんがケーホの製作を言い出したのもだいたい十年前だから、時期的には重なっている。


「コーイチさん。私は担当が違うのでっす」

「そうよ。ケーホの話を聞いたって、貴方の役には立たないわ」

「そりゃそうだが…」


 ケサキさんは、生物の身体が専門らしい。いろんな生き物をさばいて、ケラケラ笑いながら臓物を持ち上げているような感じだろうか。


「なっにか失礼なことをお考えではありませんか?」

「…いえ、美由紀とウマが合いそうだと思っただけで」


 仕方ないだろう。解体処理が得意な魔法使いがいれば、生物を瞬時に傷一つなく標本にできてしまう。美由紀にとっては天職だな…と、いない?


「ミ、ミユキさん、勝手に中に入らないでください。私が怒られます」

「どうせ誰も見てないから大丈夫よ」

「だからそういう問題じゃなくて…」


 勝手に書棚を漁っている美由紀に、何を言ったところで無駄だと思う。まぁケサキさんもこれで学習することだろう。

 そもそも我々の侵入を許した時点で、こうなることは分かりきっている。それに、太郎兵衛さんの関係なら、伯爵の許しも得ている………よな?


 で、俺は俺で適当に書棚を眺める。背表紙に書かれた文字を読む程度だが。

 書棚はそれほど古びているわけではなく、並んでいる本なども比較的新しい。太郎兵衛さんが亡くなる二年前まで「実験」は行われていたらしいから、最後のそれが終わった後、誰も使っていないとしても、まだ四年ほどしか経っていない。

 ただ、こういうところの書物には、時に呪術がかかっていて、触れると目がつぶれるとか聞かされた記憶がある。あれ、これってもしかして亡くした記憶…じゃないな。ワースさんの歴史小説の話だった。

 まぁここはまるっきり、そういう場所だから、衛兵のみんなが見たら興奮するだろう。きっとお約束で、惚れ薬の研究書を探しまわるだろう。誰が、とは言わないが。


「ケサキさん、ここの鍵はありますか?」

「えーと…………、あの、そこは」

「鍵穴はここですよ?」

「いえ、その、ミユキさん。……開封厳禁って書いてありますが」

「だからどうしたの? 鍵は?」

「私が預ったのは、この部屋に入る鍵ですべてです」

「そう」


 だんだん美由紀の口調が横柄になってきたな。振り回されるケサキさんがちょっと可哀相になってきた。

 …けど、わざわざ美由紀に探らせて、今さら謎の箱は開けなかったなんて話もあり得ないんだよな。太郎兵衛さんの子飼いだったという現在の学園長に、伯爵経由で話を通した以上、行動制限はないはずだ。


 で、床に直置きされたその箱は、黒光りする謎の金属製。いや、黒いのはただの塗装じゃないかと思うが、とりあえず重そうだ。

 鍵穴は…、小さな穴が幾つかあいていて、あまり見たことのない形。どんな鍵を使うのかよく分からない。


「あの…ミユキさん」

「はい」

「恐らく…、この箱そのものが呪具になっていると思いまっす。だから下手に触ると危険でっす」

「確かに」

「で、ですからっ」


 ケサキさんの警告に頷きながら、美由紀はひょいと箱を持ち上げて、長机まで持って行く。

 そして、机の中央に置く。

 と。


「あら大変」

「……………」

「大丈夫ですよケサキさん。美由紀が弁償しますから」


 長机が真っ二つに割れて、箱は床に落下した。ものすごい地響きもした。

 どうやらケサキさんの言う通りだったらしい。箱はただ鍵がかかっていただけではなく、その重量を増すような魔法もかけられていた。つまり、およそ人間に運べる重さではなかった。あるいは、それ以外にも妨害する魔法がかかっていた可能性がある。

 逆に言えば、重量増加を無視して、罠もお構いなしに運べるような化け物が現れる日を、この箱は待っていた。おお、何だか美由紀の横暴が英雄の所業のように聞こえてくるぞ。


「開けていいですね? ケサキさん」

「わ、わ、私は責任を持てません!」

「五段冒険職が全責任を負いますから」


 そう言って、無雑作に蓋を開ける美由紀。鍵は?

 ガリガリと音がして、美由紀の細い指が箱にめり込んでいく。そして悲鳴のような音と共に外れた蓋には、何かがぶら下がっている。うむ、鍵をねじ切ったな。

 分厚い箱の外板が粘土のように歪んでいるのを、ケサキさんが顔面蒼白で眺めている。おかげで、冷静になるどころか笑いをこらえるのに必死な自分がいた。

 ケサキさんは相当変わった人だと思っていたけど、どうやら自分の方が遙かに非常識な世界に身を置いていたらしい。


 そして、箱の中身は――――。

 一冊のノートが入っている。


「またか」

「な、何ですかいったい?」


 表紙には大きく書いてある。「太郎平日誌」と。

 なんなんだよ、なぜ毎度のように偽名に偽名を重ねるんだ?


「これは日記ではない、と」

「どういうことでっすか、ミユキさん?」

「まさか、ここまでやっていたなんて…」

「美由紀?」


 ノートは日誌であって日記ではない。当人が書いたものではなく、どうやら実験に関わった人たちが記したようだ。ただ、時々見慣れた汚い殴り書きも混じっているから、当人が全く関わらなかったわけでもなさそう。

 日付はあるが、何年のことかは分からない。意図的に書かなかった可能性もありそうだ。


 そして、その内容は恐るべきものだった。

 美由紀が読み上げていくと、ケサキさんの血の気が引いていくのが傍目にも分かった。いや、俺自身も似たようなものだったかも知れない。


 太郎兵衛さんの「実験」。

 それは自分の身体、特に頭にさまざまな刺激を与え、何かを思い出させようとするものだった。


 最初は腕や脚に焼き印を押すとか、無難な内容だ。

 え? どこが無難だって?

 もちろん拷問そのものだが、少なくとも死ぬことはない。ただ激痛に苦しむだけ。そしてそうした「よくある」刺激は成果を生み出さなかった。


 記憶を司るのは頭の中。脳と呼ばれる部位なのだから、そこを刺激するのが最も効率の良い方法である。これは俺の台詞ではなく、日誌にそう書いてある。恐らくは、これから行われる実験に向けた覚悟を表わしたものだろう。

 …………で。

 まずは殴る、そして蹴る。

 頭皮に線を引いて、それぞれの部位を殴って変化を観察する。

 冷水を浴びせて、次は火傷を負わせる。

 挙げ句の果てには、キノーワにたまたま滞在していた魔法使いを目隠しして連行し、攻撃魔法をうたせた。幸いというか、ごく弱い魔法しか使えなかったようで、即死はしなかったが、回復魔法がなければ危なかったと記してある。


「いかれてるだろ、これ」

「さ、さすがにこれは冗談でしょう?」

「冗談なはずないわ。というか、冗談でこんな真似はできない」


 そりゃそうだ。冗談で死ぬような真似はしないさ。

 つまり、太郎兵衛さんはそこまで確信していたわけだ。自分は、こことは違う世界の記憶を持っていて、何らかの事情で思い出せなくなっている、と。

 ということは……。


「お、俺は嫌だからな」

「仕方ないのよ、どうしても思い出してほしいから」


 本能的に逃走を図ろうとした身体は、たちまち拘束される。

 そして近づいてくる怪人。


「な、何の話ですかいったい?」

「決まってるでしょ、ケサキさん。次の実験動物について、よ」

「バカ言うな美由紀。いくらお前の願いでも、聞けないことはある!」


 その瞬間、拘束は解けた。

 というかまぁ、俺も口ではああ言ったが、冗談だとすぐに分かったからな。伊達に同居してはいないんだ。

 美由紀は改めて椅子に座り、日誌の続きをめくった。そして、とあるページを開いて、こちらに見せたのだ。


「ケーホ。私は啓示を受けた」

「………本当かよ」

「攻撃魔法を食らった後ね。ただ正直言えば、その刺激と啓示の因果関係はよく分からないと思う。むしろ、それまでの蓄積が、たまたま現れただけだけじゃないかしら」

「ちなみに、その推測はお前の能力で知ったことか?」

「ただの勘と、向こうの世界の知識よ。外部刺激で記憶をどうこうという話は、向こうにもあったけど、結局は頭を傷つけて命を縮めるだけだったはず」

「そうか…」


 向こうの世界では、頭蓋骨に穴を開けて、脳を傷つけるなんて恐ろしい方法もあったらしい。太郎兵衛さんが思いつかなくて良かったと真面目に思う。

 ともかく、俺にこの実験をする気はないようで安心した。


 それからしばらく、ケサキさんを交えて、改めてノートの内容を確認する。

 ケサキさんも、日誌に書かれた実験には否定的なようだ。壊れたものがあった時に、叩けば直ると考えるのは、およそ研究者のやるべき選択ではないという。ああ、常識的な人だ。いや、当たり前だよな。

 だからこれは太郎兵衛さんの意志で、学園関係者は渋々やらされていたのだろう。

 外部の協力者を呼ぶ際には、ここがどこなのかも、攻撃対象が何かも一切知らされないままだったようだ。きっと当人は今も、まさか太郎兵衛さんを攻撃したなんて思っていないはずだ。


「一応、私なら手加減はできるわよ」

「お前なら、もっと他の方法を選べるだろう?」

「そうかも知れないけど、私だって専門家じゃないから。ねぇケサキさん、記憶を呼び覚ますための刺激は、何も物理的である必要はないでしょう?」

「え? あ、そ、そうでっしょうね。驚かせるとか、全く知らない知識を与えるとか、むしろそういう方向性が良いと思いまっす」


 恐らく、そういう方法をやり尽くした結果だろうと美由紀はつぶやいた。

 今の俺よりも遙かに条件の悪い太郎兵衛さんなのだ。逆にいえば、俺はそこまでしなくともどうにかなるはず。というか、どうにかなってくれ、頼む。



 太郎平日誌の最後の方には、よく分からない図がいろいろ載っていた。

 美由紀も首を傾げていたが、ケサキさんは身を乗りだして読みふけっている。


「おお、こ、これはすごいですよ!」

「俺たちに分かるように説明してもらえれば嬉しいですが」

「私も…。魂気みたいな話はこの世界独特なので分からない」

「そ、そうですか。ミユキさんにも分っからないことがあるんですね!?」


 嬉しそうに言うなよ。同じことを俺が言ったら、どんな目に遭わされるか分からないぞ。

 それはさておき、図示されていたのは、刺激を与えた際の脳内における魂気の流れらしい。魂気というのは、まぁ要するに脳内を巡っている、目に見えない気の流れで、生物が生きているという根源だという。


「輪廻に関わるものですか?」

「ああそうそう、魂気が他に移って定着した状態を輪廻と呼びまっすね。まぁあれは学術的な言葉ではありませんけど」

「なるほど…」


 美由紀も、しきりに首を傾げながらも真剣に話を聞いている。

 どうも、元の世界にそういう考え方はなく、また魂気が実在するという研究もないという。


「ただ、この世界に来てからは、心当たりがあるわ。たぶん、二つの世界はその点で違うんでしょうね」

「え? その…、お二人が来られた世界には魂気がないのですか?」

「あると信じる人は沢山いるけど、それが証明されたことはありません」

「じゃあ、本当はあるのかも知れまっせんね」

「そうですね…」


 ないものをないと証明は出来ない。だから可能性を問うだけなら自由だ。美由紀自身は全く可能性を感じていないようだが。

 むしろ問題は、美由紀がこの世界では心当たりがあるという点だろう。

 そもそも輪廻自体は、管理者が認めたのだからこの世界の事実だ。日誌に書かれたものも、その事実の裏付けなのだろうが、それと美由紀が個人的に確信した何かは、恐らく違うはず。何があった?


「ともかく、ここです。こっこを見てください」

「はぁ」

「貴方の頭なら、この辺になりまっす!」


 ケサキさんは、俺の頭のやや後ろの方を指で突いた。

 別に痛みを感じるようなものではなかったが、その瞬間に部屋が少し冷えたので、慌てて美由紀の方を向いて、作り笑顔を見せる。これは攻撃ではない。まして、他の女性にどうこうとかいう事案でもないぞ、と。

 真面目な話、ケサキさんをそういう目で見るのは無理。見た目がどうというより、この場でそういう方向に頭が働かないし。


 外部刺激の妥当性はさておき、刺激を与えられた際に、脳内の魂気に変動が認められた。特に、指差された辺りに大きな変化があった。ということは、記憶に関わる場所がその辺にあるのではないか、というわけだ。

 俺にはもちろんさっぱり分からないし、美由紀も特別な知識を持っているわけではない。まして、魂気というこの世界特有の問題がある。貴重な先行研究の成果は、とりあえず受け入れて役立てる、と穏当な結論を導いて視察が終わった。


「これはケサキさんが預ってくださいね。こんな地下に何度も潜るわけにはいかないでしょうし」

「わ、私が預るのですか!?」

「私たち以外に価値はないし、誰も盗みに来ないと思いますよー。まっさか、ケッサキさんを殺して奪うなんて」

「ヒィッ!」

「冗談きつすぎるぞ、美由紀」


 まぁ実際、この日誌が役に立つ機会なんて、学園の外には存在しないだろう。魂気の研究をしている機関は、イデワでただ一つ。他国の状況は分からないが、たぶんやっていないのではないかと、ケサキさんは話していた。

 優秀なのは間違いないんだよな、ともかく。


(美由紀が持っていた方がいいんじゃないのか?)

(今から調べても、貴方の件には間に合わないでしょ? それに、心配しなくても全部記憶してるわ)

(全部?)

(あれの能力を使えば、ね)


 ……………。

 相変わらず非常識な女だ。

 まぁでも、役に立つかはともかく、知識としてはもっていてほしいからな。


※いよいよ「奪還」間近。一気に公開していくのでオナシャス。

 もちろん、イズミの学生生活はまだ始まっていないので、そちらは「奪還」語のお楽しみということで。

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