閑話 泉と太郎兵衛
「イズミって名前は、太郎兵衛さんが名付けたんだよな?」
「何をいきなり。……そう教えたと思うけど」
茶飲み話は続く。
美由紀が作ったクッキーを食べて、高級なお茶を飲む。俺ってもう貴族じゃん。いや、公爵相当の伴侶なんだから当たり前なんだよな。
「来訪者の名前は、何となく他と違う気がするんだが、どう思う? 美由紀」
「何? まさかそれを来訪者の私に聞くの?」
「イズミより知識豊富だろうに。で、俺が思うにイズミという名は来訪者の名前じゃないか?」
「……お祖父様が、それらしいことを言っていましたわ。イデワ文字で書ける名前にした、とも」
美由紀、弘一、太郎兵衛、そして泉。名前もそうだが、名字がイデワ文字で書けるなら、さらに来訪者の可能性が高まる。横代、小牧。
「ここだけの秘密ですけど、私には中間名がありますわ」
「………中間名が秘密ってどういう意味なんだよ」
「伯爵家が認めていない、お祖父様と私だけの中間名ですから」
「それは私たちにも内緒なの?」
「お姉様になら打ち明けます。お祖父様とお祖母様と私しか知らない中間名は、藤原、です」
「びっくりするぐらい来訪者なのね」
俺も聞いたがいいのか、と思うが、まぁお姉様のオマケだからいいのか。
フジワラ。
イデワ文字での表記方法も教えてもらったが、これをそう読むのかという感想になる。でも、もしかしたら読めるかも知れない。
「イズミ。これはお祖父様の元の名字なのかしら?」
「違うと言っていましたわ。お前の名前を考えていたら、こう、あの」
「ガーッと、だろ」
「…………そうやって思いついたそうです」
「太郎兵衛さんって、友だちづきあいしたら大変そうねー」
仮定の話とはいえ、思っても言うなよ美由紀。
まぁしかし、ガーッと思いついた名字を孫に名告らせようとする発想は理解できないな。なるほど、秘密になるはずだ。
モリーク・藤原・太郎兵衛。特に意味は分からないが、恥ずかしさを覚えずにはいられない名告りだ。
藤原が思いつき、そして実は、太郎兵衛も思いつきだった…らしい。
「お祖父様は最初、ガラワウドにいたそうです」
「まさか孤児院だったり?」
「はい。……だからどこかの衛兵さんのことも、最初から疑っていましたわ」
孤児院出身というだけで疑われるのもどうかと思うぞ。
もちろん、たとえば「どこ」の孤児院にいたのか分からないとか、いろいろ条件はつく。悲しいことに、自分自身の記憶を語るだけで、来訪者の疑いがある事例になってしまう。
そんな太郎兵衛さんは、ガラワウドで職につくことなく、放浪してキノーワにやって来た。最初はとある商会に拾われたそうだが、そこから一代の成り上がり人生が始まったわけだ。
「雇われて一ヶ月で、仕入れの責任者になったそうです」
「とにかく数字にうるさい人だったって、学園の人たちも言ってたわねー」
単に計算が得意だっただけではなく、経営者としての能力が抜きん出ていたという。その頃に、思いついたのが太郎兵衛という名前。何となく格好いいとか、そういう理由ではなく、覚えられやすいからそう名告ることにしたらしい。
やがて一年後。商会のお得意先の一つだったモリーク伯爵家の娘と出逢い、婿入りを果たしてしまった。
「どうやって孤児院から伯爵家につながるのか、想像もつかないが」
「貴方がそれを言うのはおかしいのではありませんか? キノーワの看板さん」
「う…」
傍から見れば、俺もそういう一人なのか。そりゃそうか。
ちなみに、太郎兵衛さんはメロアさん――イズミのお祖母さん――に一目惚れ。いや、そんな甘っちょろいものではなかったらしい。
「初対面で、お前に逢うためにこの町に来たと叫んだそうですわ」
「何だろう、どこかで聞いたような」
「運命の相手を見つける時ってそういうものなの、なのよ」
「なるほど、太郎兵衛さんの気迫は美由紀すら動揺させる、と」
他人事のように言えた立場にはないが、挙動不審の美由紀を見ると安心する。
とはいえ、俺たちの場合とは逆で、太郎兵衛さんは圧倒的に立場が弱い。門番の俺が公爵相当の女に求婚すると考えれば、無謀どころか自殺行為だ。危険人物として抹殺されても不思議ではない。
実際、太郎兵衛さんも危険にさらされたらしい。
それでも、なぜか運よく生き残り、気がつけばメロアさんを味方につけた。そして「三つの試練」に耐え抜いて見事に婿入り成功となった。
うむ、そこまで聞いてもなぜそんな奇跡が起きたのか理解できない。いや、理解できないことが現実になったから奇跡なんだろうが。
「聞かれる前に答えておきますが、三つの試練が何だったのかは知りません。お祖父様がおっしゃるには、とても人に言えるようなものではないそうです」
「蜈蚣と一緒に寝るとか、草原に連れて行かれて、周囲から火をつけられるとか、そんな感じ?」
「お、お姉様。恐らく違うと思います」
というか、何だよそのやたら具体的な試練は。
まぁモンスターと戦ってこい、みたいな試練はなかったはず。太郎兵衛さんと俺が同じ世界から来たというなら、太郎兵衛さんだけ無茶苦茶強いなんてことはあり得ない…と思う。美由紀みたいな例外じゃなかったことは間違いないし。
「お祖父様からは、お祖母様がどれほど美しくて魅力的で可愛くて素晴らしい女性なのだと、どれほど聞かされたことでしょうか」
「運命の人に出逢ったら、そういうものよ。ねぇ弘一?」
「そこで同意を求めるのは卑怯じゃないか」
「いいえ、お姉様の言う通りでは?」
「イズミ?」
急に立ち上がって、妙な格好でこちらを指差す御令嬢であった。
ああいけない、俺の中の伯爵令嬢の理想が崩れていくなぁ、なんちゃって。カワモに見せてやりたいぜ。
「弘一はもっとお姉様の素晴らしさを語るべきですわ」
「誰に語れって? イズミに?」
「それは…」
「太郎兵衛さんは誰にでも自慢していたのか? イズミだから特別だったってことはないのか? 俺だったら、大切な相手のことをベラベラしゃべったりしないな」
「ふーん、そうですか、弘一はそうですか」
「い、いや、あの…」
「私は誰にでも自慢するわよー。弘一の髪の毛から足の指まで」
「足の指は勘弁してくれよ」
正直言って、やっぱり俺が美由紀を誰かに自慢するというのはないな。
それは自慢したくない、という意味ではない。たぶん、そんな自信がないだけだ。
太郎兵衛さんの自信は、どこから来たのだろう。
俺と同時代を生きていたらしい人間は、どうやって運命の人を見つけたのだろう。本人と今もしも話せたなら、友だちにでもなれたんだろうか。
※本編再開前のリハビリで書いてはみましたが、個人的には微妙な出来だなぁ。
まぁ次の45は、だいぶ前に書き終えているし、以前のノリのままだと思います。




