三十六 とりあえずの叛乱準備
今朝の屋敷は、少し寒かった。
最近陽が昇るのが遅くなって、めっきり寒くなりました…ではなく。
「なんで今ごろ不機嫌になるんだよ」
「女の子は理不尽なものなんです!」
なーにが女の子だ、とは決して口にしない男の子である。
そもそも美由紀の機嫌が悪いのは、昨夜イズミと一緒に眠ったためだ。そのせいで、俺の寝起きを眺められなかったという、口にするのもどうかと思われる理由だ。どう考えても、それは昨夜イズミを帰さなかった当人の責任であって、俺は全く悪くない。むしろ良かった。
すぐ隣のベッドで、絶世の美女二人が抱き合って寝ているというのは、普通なら耐えられない状況だ。それでも、こちらに来ないと分かるだけマシ。あとは目を閉じて耳を塞げば実害はない。おかげで安眠できてしまった。
恐らく、そんな御機嫌な俺の様子が、美由紀を時間差不機嫌にした要因の一つなのだろう。
「さぁ、今日もキノーワの町のために頑張るぜ」
「今夜は私のために頑張ってね」
「ぐぁっ…」
気が遠くなった。こいつ、わざと気を強めただろ。責めようにも、振り向いたら気絶しそうで身動きが取れない。
頼むよ。俺だって少しずつ変わっているんだ。相変わらず情けない野郎だけどさ。
「ワースさん一人で良かったのでは?」
「こんな厄介事に当事者を呼ばないわけがないだろう」
いつものように詰所に出勤した俺は、ワースさんと仲良く町を歩いている。ああ、こう表現すると美由紀に怒られるんだろうか、気になる。
行き先は衛兵のキノーワ統括支部。町の中央にある、例の一年に一度しか行かない場所だ。ワースさんから上司に内々にあの件が伝えられ、本日は晴れて二人が呼び出された。呼ばれなくともキノーワは晴れてる…とか、冗談は要らないって? そうか?
「で、どうなんですか? 怒られそうなんですか?」
「別にそんなことはない……ような気がするな」
「聞かなきゃ良かった」
「そういうのは心の声にしておけ」
呼び出しという点で、嫌な予感しかしないからな。まぁグチグチ言っても仕方ない。
南門から中央の支部までは、一箇所に噴水広場があって、あとはまっすぐに街路がのびている。道幅は広い。そのまま中央広場まで、この町の行政上の重要施設が続く。
「ワースさんは、どこをどう変えればいいと思ってるんですか?」
「えぇ? ああ、あれか、うむ」
一瞬驚いた表情のワースさんを見て、言葉が足りなかったと反省。
だが、すぐに気づくと、あちこち指差しながら急に雄弁になった。
戦記ものの物語を読むのが好きなワースさんにとって、町とは、防衛戦のために作られなければならない。そう考えた時に、キノーワは全く使えない都市だ。城門から大きな街路がまっすぐ中央まで続けば、敵の大軍がそのまま突っ込むことも可能。これでは防衛戦も何もない…というわけだ。
ワースさんの理想は、迷路のように入り組んだ路地に、隠された拠点を設置して…と、まぁ俺でも思いつきそうな感じだ。そして、その理想が実現されれば、この町はものすごく不便になる。
「商人とワースさんは相性が悪いんでしょうねー」
「戦記小説と商人は相容れないものだな」
「ものは言いよう…というか、もう着きましたよ」
「お前が無駄話ばかりするからだ、コーイチ」
いつの間にか中央広場を過ぎて、支部の建物に着いていた。
まぁいいか。ワースさんのおかげで、余計なことを考えずに済んだ。いや、ワースさんのおかげなのか?
…………。
……………。
支部で何があったか、別に細かく聞きたくもないだろう?
俺も面倒くさいので省略する。ただ…。
「衛兵も案外信用できないんですね」
「上司として反論したいが、残念ながら同感だな」
とりあえず、あの件は我々が調べるから、お前たちは任務に戻れ―――。
とても好意的に説明すれば、そういうことになる。
しかも支部からは、業務補助の人員まで派遣される。至れり尽くせりだな。
「あの時も、ワースさんが選んだわけじゃないですよね?」
「俺はお伺いを立てるだけだぞ。中間管理職ってのは大変なんだ」
まさか、あの書類を放り出した奴を再び送り込もうとはなぁ。
というか、あの人は共犯なのか? 違うだろうな。もしも共犯者だったら、あれだけは自分で処理して去ったはずだ。ということは、単なる監視役のつもりなんだろうけど、正直言って役に立つとは思えない。
「気分転換に、キノーワ防衛の方策でも考えましょうか?」
「絶望的過ぎて、気分転換にならんな」
ため息をつきながら街路を歩く。
防衛戦なんて絵空事であってほしいが、衛兵がこれではなぁ…と、却ってモヤモヤする。
その日は結局「業務補助」は来ず、俺たちはいつも通りに仕事をした。
そして六時過ぎに帰宅。
途中で何だか不審な気配を感じたが、気のせいだったかも知れない。
「ただいま。今日は疲れた」
「おかえりなさい。愛しのあ・な・た」
「な、な、なんだよ」
いつも通りに屋敷の扉を開けると、なぜか美由紀は駆け寄ってきて、そして俺の手を取って自分の頬につけた。そのあまりの行動に、俺の頭は思考を止めた。
……………。
語り手が思考を止めると、話は進まなくなるわけだ。
「とりあえず、本日の報告をするぞ」
「はい」
「相手側はもう気づいて動いている。衛兵にも息のかかった奴はいる。以上、報告終わり」
「一日でそこまで分かってしまうなんて、さすが弘一ね」
「当事者なんだから当たり前だろ」
彼女の態度は相変わらずよく分からないけれど、俺は腹が減っていたから、伝えるべきことを簡単に伝えて、スープを飲む。いつもながら、口に入れた時にちょうどいい、絶妙の温かさ。
たかが食事に、こんな大魔法を使っていて、そしてそれが当たり前になっていること。冷静に考えてみれば、とんでもない話だ。
―――――魔法というもの。
そもそも使えもしない俺は、これまでは曖昧に知っていただけだったが、王都でいろいろ教えてもらった。
そもそも王都で会った衛兵隊長や一流の冒険職などは、全員何かの魔法が使える人たちだった。というよりも、魔法が使えなければ、あの地位にはなれないと考えた方がいい。
多くは回復魔法、また暗闇で明かりをともすような魔法、水を出す魔法などで、戦いに使えるような力を持っているのは、イデワ王国全体でも数人だ。基本的には国軍に所属、冒険職は三人の一級だけ。まぁ、美由紀を数えなければ、だが。
不幸中の幸いといえるのは、魔法が使えるかどうかは、必ずしも先天的なものではないということだ。とはいえ、全く脈がなさそうな所から、努力でどうにかするのはほぼ無理と言っていいようだが。
それらを知った俺が、改めて思うこと。美由紀の能力は、完全に次元が違う。
そもそもこのスープ。ずっと、保温だと思っていたが、それは全くの誤解だった。いや、誤解していたままの方が良かったとも思う。
―――――――保温ではない。時間が止まっているのだ。
こんな力を持っていることは、間違いなく俺しか知らないはずだ。時間を操れる能力なんて、あまりに危険。そんな能力を食事に使うなど…。
…………。
「ずいぶん今日は難しい顔ね」
「いろいろ考えることがあるからな」
信頼している。美由紀に対して、それだけは確かだ。
もう俺は普通じゃないのかも知れないな。
昨日に続いて、夜遅くにイズミがやって来た。今日もしっかりネグリジェ。その魂胆が透けて見えるようになったら、衣装の透け具合なんて気にならなくなった…などと口にはしない。要らぬ反撃を招くだけだし。
そして――――。
今夜は自分の部屋で寝るようにと、美由紀に告げられた。その瞬間のイズミが、まるで死刑判決を受けたような表情だったのは、さっさと忘れてしまいたい。
俺の側室だとか適当なことを言ってるが、どう考えても美由紀の正室狙いだろ、こいつは。
そんなわけで意気消沈の伯爵令嬢が揃ったところで、俺からは本日の首尾を、さっきと同じく簡単に伝える。続いて美由紀から。
「とりあえず、こんな感じね」
「お姉様、さすがです」
「お前を敵にまわすとこうなるんだな」
ベッドの上に無雑作に放り出されたのは、キワコー家にあった契約書類一式。どんな盗賊も、こんな手口は使えまい。
そこには、ギケイからの書簡も揃っている。そして、鉱石を売り払った代わりに、彼がショーカから得ようとしたものの名も書かれている。
「弓矢、鎧に盾、武装ばっかりか」
「じゃあ弘一くんに問題。いったいこれらは、何のために購入するのでしょうか?」
「ふざけてる場合かよ」
自国の王族が、隠れて武器を買い漁っている。そこから導き出される推測なんて一つしかない。思ったより事態は深刻なのかも知れない。
しかし、イズミは心配…というよりは、不思議そうに書類を見つめている。
「お姉様。あの無能な閣下に、叛乱なんてできるでしょうか?」
「無能な閣下って、言い方…」
「できないと思うわ。無能ですもの」
「いや、だから」
二人とも言いたい放題だった。
美由紀が心配していないのは、まぁ分からなくもない。いざとなれば自分が乗りだす…というなら、俺だって心配しない。イズミは侮りすぎな気がするが。
で、現時点での美由紀の分析は、以下のようになる。
まずギケイの人脈と人望では、叛乱を起こすほどの人数は集まらない。そして、これらの武器を揃えても、国軍にも衛兵にも太刀打ちは難しい。その上、既にウミーヤが離脱、キワコーもお金を得れば同じく離脱が濃厚で、どちらもギケイが王になることなど望んでいない、と。
さらに、武器を提供しているというショウカの側も、ギケイが王になることは望んでいないと断言する。
「なぁ美由紀。いくら無能でも、もう少し賢く動くんじゃないか? 叛乱できそうもないのに武器だけ集めるって、取りつぶしてくれって言うようなものだろ?」
「そうね。貴方、頭いいわね」
「……やはり弘一は、コーデンの下で働くべきですわ」
「どこからそんな話になるんだ」
誰だってそれぐらい分かるだろう、と美由紀を見る。そして、ネグリジェのすき間からアレが見えそうになっているのに気づき、慌てて天井を向く。悪趣味な竜と目が合って、おかげで萎えた。ありがとう、ついでに安らかに眠れ。
勝算のない、稚拙な戦略。協力者は全員裏切る可能性大。
そこで美由紀は――――、全く予想していなかったことを言い出した。
「一つ、疑ってることがあるの。もしかして、これもイベントじゃないかって」
「イベント…って、イズミがやられたあれか?」
まさかザイセンが夜な夜な抜け出して…って、何だろう、想像すると気持ちが悪い。やっぱりあれか、イズミとザイセンでは好感度が違う? いや、そんな問題じゃないだろ?
「まさかイベントが一種類だけだと思ってる?」
「思うも何も、あれがイベントだったというのは、お前にしか分からないだろ」
「まぁ、今はそうかもね」
どうやら伯爵令嬢…みたいなものとは別に、王国に危機が…的なやつもあるという。迷惑極まりない話だ。いや、しかし…。
「イベントというのは、こちら側に影響を与えないんだよな?」
「本来はそう。でも今はたぶん、壊れた状態だから」
例の「神」が散々だったと告げたのは、イズミのイベントを美由紀が妨害したからではないらしい。
既に「ゲーム」は壊れている。
壊れているのに、予定されたイベントだけは開催される。そこから問題が生じているのではないか、と。
「ギケイさんが密輸でお金儲けすることと、武装して叛乱を企てることは別だったのかも」
「うーーむ」
「もっと複雑な経緯があるかも知れないけど。どっちにしても、イベントが絡む部分は私が調べてみるしかないわね」
「ということは、またあれとも敵対するのか」
正直言って、あれ――神――と美由紀が関わることはあまり賛成できない。彼女が冷静でいられず、しかも唯一勝てない相手なのだ。仮に同じ能力だとしても、向こうの方が経験豊富。心配だ。
「貴方を本当に取り戻すまで、私はあいつと戦う」
「お前が危険な目にあうなら、取り戻さなくてもいいだろ? だって今の俺は…」
「あのー、お二人とも、もう一人ここにいるのをお忘れではありませんか?」
………イズミが苦笑いしながら、こちらを見ていた。
はは…は…。俺は何を言おうとしているんだ。
「イズミにもお相手が必要ね。探してあげようか? それとも…」
「自分の目で探してみたいです、お姉様」
うまくごまかしたな、美由紀。おかげで余計な目標が一つ増えてしまったが、イズミを籠の鳥状態から解放するのは、既に既定路線だからな。
そして、どうやって解放するのかも、ほぼ道筋は見えている。イズミは太郎兵衛さんの後継者なのだから、太郎兵衛さんが創立者の学校、キノーワアラシ学園に入学すればいい。
一応、あそこは十歳から入学する学校らしいが、最上級生は二十歳。さらに優秀な学生は、研究補助として在籍できるようだ。イズミが二年通って、研究補助まで進む頃には、きっと男女の知り合いも増えているに違いない。
もちろん、創立者の孫でしかも後継者だ。そんなあからさまな権力者が入学したら、学校側が困る気がする。いやしかし、イズミは俺と対等に接するような女だし、その辺は心配ないだろうか…っと。
いつの間にか、女性二人の視線がこちらに向いている。
「昔から、弘一ってお父さんみたいなこと言う人なのよ」
「同感ですわ。なんだか親に叱られてるみたいで…」
そ、そんなことあるわけないだろ…とは口に出せず。心の中で検討していたはずだが、どうやら声に出ていたようだ。
おせっかいか? おせっかいだな、確かに。俺なんか及びもつかない怪人と、聡明な伯爵令嬢だ。俺がぐちぐち考えなくとも…。
「では今夜はこれで戻ります。お姉様、今夜は仲良くなさってくださいね」
「いい子ね、またおいでなさい」
「はい、お姉様」
結局、俺が余計なことをぶつぶつ言ったせいで、話が途切れて終わってしまった。
イズミは特に抵抗することもなく、帰って行く。いや、抵抗はしなかったが、美由紀としばらく抱き合っていたけどな。同性同士って、そんなに抱き合いたいものだろうか。少なくとも俺は、衛兵の誰とも抱き合いたくはない。どうでもいい?
そうだ、どうでもいい。
どうでもいい話をしていることには、もちろん理由がある。
「弘一はやさしいの」
「そんなことはない」
「やさしくしてほしいの」
「………………………」
いったい何を言っているんでしょうか。
キノーワの看板は、ここに置かれているだけなのだよ。
「お……、おやすみ。美由紀」
「ふふ。私より先に眠って大丈夫なのかな?」
何かまだ声が聞こえてくるけど、俺は知らない。そう、先に寝てしまえば何も起こらない。そうだろう? そうであってくれ。
 




