三十二 指輪物語
王都の最終日。外は雨が降っていた。
グローハは雨が多いという。だから農作物の生産量も多く、豊かな土地をこの国の王は選んだ。そんな神話もあった。
朝八時過ぎに、ハンライ殿下に見送られて俺たちは馬車に乗った。
そうして何事もなく馬車鉄道の乗り場に着いたが、まだ出発まではだいぶ時間がある。着替えも、正装から身軽なものに替えるのだから大して手間はかからない。
旅に出たら忘れてはならないもの、それはお土産だと人は言う。さっさと着替えた俺たちは、近くの市場を覗くことにした。
実のところ、お土産は既に大量にある。
行く先々で勲章らしきものや謎の許可証などを受け取ったし、帰りの旅で必要だろうと、携帯食糧や衣類も大量に積まれている。ただ、それはお土産ではないという説もある。というか、お土産じゃない。まさかワイトさんに携帯食糧を渡せないだろう。まぁ、喜ぶだろうけどさ。
かといって、俺には気の利いた何かを選ぶ力はない。そもそも、お土産なんて立派なものをもらった記憶もないけど、イズミには常識みたいに言われたからな。
「貴方の同僚に贈るなら、こういう店がいいと思うの」
「そうかなぁ…」
どんなものでも売ってそうな巨大な市場。美由紀はそこで適当に見繕うのだろうと予想していたが、彼女は人混みの中を通り抜け、奥まった路地に立つ一軒の店に入っていく。
そこは何というか、俺が一人で入っても不自然ではない場所。キノーワなら、ラヒータ地区に似たような店がある。そう、呪具を扱っている。
「呪具の種類はどこでも変わらないだろう?」
「普通に使うものはそうでしょうね。衛兵の神眼で、頑張って掘り出し物を探すのよ」
「無茶言わないでくれ」
店の中は意外と広い。と言っても、呪具を手にとって確認できるわけではなく、用途別に陳列されているのを眺めるだけ。客は俺たちしかいない。
目立つように並べてあるものは、だいたい見たことがある。衛兵が使うような呪具は、簡単なモンスター除け、方位計、魔法で水が補充される水筒などが並ぶ。どれもキノーワで入手できるから、お土産にはなりそうもない。
……………と。
「気のせいか? とんでもないことが書いてあるような」
「これにしたらいいじゃない? ワイトさんもカワモさんも喜ぶわ」
「いや、喜ぶのか?」
片隅に陳列された、うす汚い指輪。そこには「結婚運が開ける」と大書してある。在庫多数!
さすがにこれを買うのは、人としてどうだろうか。いくらカワモ相手でも、冗談が過ぎるだろう…と呆れた時には、既に美由紀が店員を呼んでいた。
「この指輪を…、そうね、十個いただこうかしら」
「いやいやお目が高いですな。なるほど、貴方様からは隠しても隠しきれない気品を感じます。いえいえ、何もおっしゃらなくて結構、きっと事情がおありなのでしょう。このことは私の心の中に留めてまいりますのでご心配なく。さて、この指輪はさる高名な魔法使い様が、かつて人界を揺るがす大事件を解決なさった後に、これからの人々の未来に幸福が訪れるよう、一つ一つ心を込めて造られたという品です。おお、もうちょうど十個しかありません。奇跡の指輪を最後に貴方にお譲りするのも、何かの御縁というものでしょう。あるいはこれもまた、奇跡の出逢いと言えるかもしれません。ええ、貴方様がどなたかは詮索いたしませんのでご心配なく」
…………まさか買わないよな?
詐欺師の手本みたいな長台詞に呆れた俺の前で、美由紀は当たり前の顔で金貨を取り出した。金貨? このインチキ指輪に金貨?
というか値段が……、水筒の十倍するぞ。頼むから無駄使いはやめてくれ…とは言えず。
その後も幾つかの店をまわったが、結局買ったのはあの店の怪しい…というかまるっきりインチキなガラクタばかり。どう考えてもゴミとしか思えないものを、美由紀はゴッソリ買い込んでいた。
「どうするんだよ、それ。まさかイズミにあげるのか?」
「あの子に土産は要らないでしょ。来てるんだし」
「表向きは留守番だったはずだが」
「弘一はなかなか切れ者ね」
「冗談きついな、さっきから」
と言いつつ、美由紀は袋から何かを取り出した。
それも指輪だったが…、薄汚れているのは同じだけど、明らかに違う。何だろう? 得体の知れない感覚。
「これは本物の呪具よ。それも宝物級の」
「…本当か?」
「何のためにあんなインチキに乗ったと思ってるの?」
…………この策士め。
美由紀は店に入る前から、探知能力でこの指輪の存在に気づいていた。そこで店内に入ると、投げ売りの箱に紛れているのを確認して、わざと物の価値の分からない客になったわけだ。
つまり、この指輪の価値を店の主は見抜けなかったというのだが。
「何も気づかないなんてことがあるのか? 俺が見ても異様な指輪だが」
「それは弘一がただ者じゃないからよ」
それこそ無茶言うなと思うが、反論すると長引くので黙っておく。
その上で、いずれイズミにこれを贈るつもりだという。と言いつつ、何の呪力があるのかは教えてくれなかった。正確に言えば、美由紀にもはっきりは掴めないらしい。
そんなものを他人に贈っていいのかと思うが、恐らく危険なものではないだろう、と美由紀は笑った。今は真面目な会話中だから、その程度で記憶は飛ばないが、これ以上の追求をやめてしまう効果はあった。
「王都グローハはいかがでしたか? またお越しください!」
「またお越しください!!」
まさかの衛兵の大声で見送られ、馬車鉄道は出発した。
王都の衛兵はみんなしかめっ面なのかと思ったが、これはキノーワより上だ。キノーワでも取り入れた方がいいのか? でも、かなり恥ずかしいよな。
直立不動の衛兵は、ものすごい作り笑いだ。同業だから分かる。あれは訓練を受けている。
ワイトさんの苦行も、彼らに比べればずいぶんマシなようだ。この辺の情報を伝えていいものか迷う。下手に伝えて、ワイトさんが張り切ってしまうのが恐ろしい。
「それにしても馬車鉄道はすごいよな」
「行きと同じこと言ってない?」
「何度でも感動すればいいだろ?」
キノーワにも通じたなら、町は大きく変わるだろう。そもそも、城門の仕事が一変するわけだし。
タマスまで開通したのは、まだ一年前らしい。それから一年で、両都市間を移動する人数は倍増して、まだ増えると予測されているという。
キノーワは遠いから、馬車鉄道でも時間はかかる。タマスまで一日で着くぐらいと予測されているから、王都まで一日半。今より一日は短縮されるけど、面倒なことには変わりはない。
もちろん、馬車鉄道の利点は速さだけではない。馬車は壊れにくくなるし、輸送量も増える。要するに今の俺たちは、世の中がどんどん変わって行く世界に生きているわけだ。おう、なんかそう言うと格好いいな。
「不確かな情報を広めるのが、管理者の役割かしら!?」
「…貴方は誰かに話しかけるのに、挨拶もしないのですか」
「管理者にそれは必要ないでしょ? ここは管理下にあるのだから」
「お、おい美由紀…」
あっけなく到着したタマス。さすがに二度も滝に行かなくとも…と思った俺の手を引いて、よそ見もせずに坂を登った美由紀は、いきなり滝に向かって怒鳴った。
周囲に沢山人もいるのに、何をやってるんだと見まわす。しかし、怒鳴り声に反応する様子は全くない。どうやら最初から認識阻害の魔法を使っていたらしい。いや、相手側が使ったのか?
「管理者は万能ではありません。それは貴方にも理解できているでしょう、ミユキ」
「ここにミユキはいない!」
「貴方がどう言おうと、私にとっての脅威は貴方ですよ、ミユキ」
「この星の脅威なんて、管理者以外にどこにいるの!?」
そして二人――相手を一人と数えていいのか分からないが――は喧嘩している。
正直、その会話は何を言っているのかさっぱりだ。
「小牧弘一。貴方には聞かせたくない話題です」
「聞いてもらうわ」
「彼は善良な市民として…」
「善良かどうかなんてどうでもいい! 貴方には責任を取ってもらう。管理者という名の愚か者として」
「な、何を…」
「過去に送ったのも、貴方がわざとやったことでしょう? 太郎兵衛さんの件は。それとも、いちいち個人の名前なんて覚えてないかしら」
「わ、私は!」
「つまらない言い訳は要らない。管理者が管理者だというなら、その責任を果たしなさい!」
二人の言い争いは、時間にすれば数分にも満たない。
この場では、美由紀は俺に全く会話の意味を伝えようとしない。対して、なぜか相手側からは名前を出されている。聞いて欲しくないわけではないようだし、俺に配慮するだけの余裕がないのだろうが、奇妙なねじれを感じる。
「落ち着けよ。お前にカッカされたら俺は途方に暮れるしかない」
「…そうね。相変わらず弘一はいい男ね」
「何の話だ。投げ銭でもするか?」
「貴方がすればいいわ。私がやれば粉々になるから」
「石像に投げる奴がいるか」
流れ落ちる滝の音と、町の喧噪。戻ってきたことを確認して、仕方ないので銅貨を一枚、石像のたもとに投げ入れた。何の興味もないという表情で、美由紀は背を向ける。
そして再び手を引いて。
「今さらかも知れないが、太郎兵衛さんの墓前で謝ってほしいもんだな」
「弘一はもっと怒っていいのよ」
さっきとは違う感触で、二人は手をつないだまま川沿いを歩いて行く。
そういえば、行きもつないでいたんだな。
「遊びに来ましたよ、フーヤさん」
「おおヨコダイ様、コマキ様、よくいらっしゃいました」
川沿いの繁華街を歩いてしばらく。二人が見つけたのは、行きの馬車で一緒になったフーヤさんの店だ。タマスの中央通り、川に面した一等地にあった。
看板はあるけれど、店内に商品が並んでいるわけではない。フーヤさんの商会はあくまで卸売で、余所から買い付けたものをタマスの店に流しているようだ。
俺たちは、もちろんただ顔を出しただけ。だが、フーヤさんは応接に通してくれた。ご夫人にも二人で挨拶をした。初老の紳士とお似合いの小柄な女性だった。
「噂通りのお美しいお方ですわねぇ。そちらの旦那さんも、まぁ凛々しいお顔で」
「ご夫人のスカーフは、ワガイラのものですね」
「あらぁお気づきですの? これは職人の手織りでねぇ、なかなか手に入らないんですわ」
会話は…、まぁ俺の加わる余地はなかった。凛々しいとか、生まれて初めてそんな形容をされた気がする。これも旅の記念というヤツだろうか。
しばらく四人でお茶を飲んで、そろそろ出ようかという頃になって、フーヤさんが一つの箱を持って来た。その瞬間、美由紀の表情が変わったのが見えた。
「実はこのようなものがありまして…」
「拝見してもよろしいのですか?」
「一流の方にぜひ見ていただきたいのです」
箱の中に入っていたのは、またもや指輪だった。今日はつくづく指輪に縁のある日だな。
銀色に光っていて、見た目は今日見た中で一番立派だ。ただしそれは、フーヤさんがそれなりの扱いをしているということであって、価値があるかどうかは別だろう。
役に立たない俺の感覚では、さっきの指輪のようなものではない。インチキでもなさそうに見えるけど。
「この国で造られたものではありませんね。効力は…、よくあるモンスター除けでしょう」
「なるほど。珍しいというほどのことはなさそうですな」
「イデワのものではないし、私個人は興味があります。よろしければ買い取らせていただきますが?」
「そ、そうですか。いえ、ヨコダイ様にお買いいただけるならぜひ」
結局、美由紀が即金で買い取った。けっこう高い。あのインチキ指輪十個より高い…と表現しては価値が分からないな。
まぁ正直、これも美由紀に必要な呪具ではない。余所の国の魔術を知るという目的らしいから、別に反対するわけでもないけれど。
タマスの宿で、買ったばかりの指輪を美由紀は鑑定していた。
思ったよりも真剣な表情で。
「どこの国のものか分かるのか?」
「…どこの国でもないわ。王都のものの同類よ」
「え?」
そう言って、例の不思議な指輪を隣に並べてみる。美由紀が軽く手をかざすと、汚れていた王都の指輪も、一瞬できれいになった。この魔法はまぁ、いつも屋敷を掃除しているから俺も知っている。
同じ条件になった二つの指輪。フーヤさんから買った方は、細工もあまりない。ただ、少なくとも材質は同じように見える。
「この指輪はたぶん、イデワでは手に入らない金属でできている。イデワ以外でも見つかるかどうか…」
「どういうことだよ。どこにもない金属って」
「貴方は知っているでしょう? そんな超常の力を使えそうな者を」
超常の力なんて表現されたら、アレしか思い浮かばない。これも…、神なのかよ。
にわかには信じ難いが、以前から美由紀は怪しいと思っていたらしい。
「そもそもこの指輪は、モンスター除けじゃないの。むしろモンスターを呼び寄せるものね」
「そ、そんな危険な指輪を」
「大丈夫よ。指にはめただけでは発動しないから。たぶん普通の人では扱えないわ」
「お前なら使えるのか?」
「たぶんね」
相応の魔力を注ぎ込む必要のある指輪。そうしなければならないと知っていて、かつ魔力が足りているという条件を満たすのはかなり難しい。
それなら美由紀以外には使えないのでは、と思ったが、彼女は首を横に振った。
「これはたぶん、造られて数百年は経っているわ。その昔の誰かのために造られたと考えるのが妥当じゃないかしら」
「……それは分からなくもないが、神がわざわざそいつのために造ったのか?」
「そいつが誰なのかも知らないから推測にしかならないけど、こうやって人間側に干渉する機会はあったという証拠になるでしょうね」
要するに美由紀には不干渉を迫りながら自分は干渉する。ずいぶん勝手な話だな。
そして今さらだが、神というだけあって長生きなんだな。というか、生きているというのか? 神に生や死はあるのだろうか。しゃべっていると人間にしか思えないけれど。
「なぁ美由紀」
「なぁに?」
「お前、本当は何歳なんだ?」
その瞬間、歴史は動かず記憶が飛んだ。なお、それは彼女の魅力にやられたのではないと付け加えておく。
「貴方と同い年よ。そんなことも忘れたなんて」
「可哀相な女を演じるなら叩くなよ。頭がちぎれる」
とりあえず、イズミにすぐに渡す予定はなくなったようだ。モンスターを伯爵家に呼び寄せられたら困るだろう? いや、王都の方は用途不明のままか。
神がわざわざ指輪を渡すような相手か。
強いて考えるなら、それは何か過去にあった世界の危機に関わるのだろう。
「まさか、神が戦争に加担したわけはないよな?」
「その答えは、当人に聞くしかないでしょ。ただ、モンスターは戦争とは別だと思うわ」
「そりゃまぁ、そうか」
かつて戦乱が続いたこの世界。巨大竜討伐に関わって、美由紀を共同で五段認定した四ヶ国も、泥沼の戦争を続けていた…と、これは吟遊詩人が伝えない過去だ。
勝敗なしの痛み分けに終わって、どうにか平和な状態が続いて数十年。そんなこの星の歴史に、ヤツはどれほど干渉して来たのか。あるいは暗躍したのか。急に嫌なヤツに思えてきた。
※この安直なタイトルを見よ。ということでブックマーク、評価ありがとうございます。




