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女神は俺を奪還する  作者: UDG
第四章 イデワ王国の地平
30/94

二十九 学校ダァ! 覗きダァ!

※文字数多め

 王都滞在三日目。ちなみに、何日滞在するのか知らなかったが、どうやら五日で去るらしい。

 昨日まででだいたい挨拶まわりは済ませた。今日は体を動かす一日だと、美由紀は笑う。嫌な予感しかしないぜ。


「君がコマキコーイチ君か。よい顔立ちだな」

「いえ…その…、実技はそれほど…」

「隊長がみじめな姿を晒す前に、こちらの良い所も披露しなければなるまいっ!」

「余計なことを言うなチガラ。俺はやる!!」


 予感は当たる。朝九時に衛兵本部に着いて、美由紀がコーセン隊長と約束通りに手合せ…だったはずだが、目の前には筋肉ムキムキの大男。チガラ副隊長と俺が木剣を持って対面している。見事に騙された気分。

 というか、隊長が負けるのが前提になっていて、その恥を俺で取り返すという発想があり得ないだろう。

 チガラさんやコーセンさんは、剣技を競う大会の上位常連だという。それに対して、参加したことがない、いや、正確に言えば参加資格のない俺は、二人の名前すら知らなかった。戦うことに何の意味があるのだ、と声を大にして言いたいが、相手は雲の上とはいえ上司。立場的に断れない。


「なかなか筋はいいな。キノーワにはワイトってヤツがいたか」

「…私の上司です」

「あれに習うのは悪くないぞ。スケベなヤツだが」


 まぁ当然相手にならない。向こうもそれは分かっているから、ほぼ稽古をつけてもらう形になった。ちょくちょく脇腹や太ももに当てられて、稽古にしてはずいぶん痛い。それと、副隊長の筋肉が気になってしょうがない。明らかにおかしな動きしてるし。どうやって動かしてるんだ?

 ここではワイトさんも駆け出しみたいな扱いなんだな。世界は広い。しっかり性癖だけ暴露されて、ちょっとかわいそうだが、これも自業自得というものである。自分も気をつけたい。

 いずれにせよ、俺はもちろん前座だから、訓練場の隅でしばらく手合わせして終わる。それでも、わざわざ見物する酔狂な面々がいた。筋肉好き? まぁいいや、どうか無様な姿を目に焼き付けて帰ってくれ。



「ではこれよりっ、特別試合をーっ、行います!!」


 そのチガラさんが大声で開会を宣言する特別試合。「をーっ」が長い。チガラさんの本職は司会者? それとも宴会部長? 疑問は尽きないが、わりとどうでもいい。

 ここは訓練場ではなく、客席のある闘技場である。訓練場は闘技場の附属施設みたいな関係だから、どちらでやろうと大差ないのかも知れないが、客席にはちゃんと客がいる。王都の衛兵が勢揃いして座っている。見世物か!

 颯爽と現れたコーセン隊長は、客席に手を振る。銀色に光る胸当てと、白く染められた飾りが目立つ、ものすごく派手な鎧姿。ただし見た目だけの鎧ではなく、あちこちに皮も使われていて軽量化されている。なかなか実戦向きだと思う。

 で、高々と掲げたのは、真剣だ。マジかよ。


「俺がこの姿で立つ、それは勝利の時だ!」


 ……………聞かなかったことにしよう。

 客席は沸いているけれど、ちょっとこのノリは耐えられない。本当なら、笑いを堪えるのが辛い場面だが、その相手が美由紀、しかも真剣、さすがにこれは真顔になってしまう。

 はぁ…。

 対する美由紀は、やや遅れて現れる。

 手には…木剣。木剣? ツッコミを入れようとして、声が出ない自分に気づく。

 ……………。

 女神だ。

 そこにいるのは、どうしようもなく女神だった。


「せっかくの拝領品ですから着けてみましたが、やっぱり派手過ぎますねー」

「いやいや、貴方にしか似合わないお姿。ああ、これを見られただけで私は幸せだっ!」

「相変わらず大袈裟な人ですね、コーセンさん」


 唖然としていたのは俺だけではなかったようで、客席も静まりかえっている。

 美由紀が着用しているのは、コーセンさんと同じ組み合わせの鎧。拝領品と言っているし、恐らくそういう形式なのだろう。

 ただし、赤い。どこからどこまでも赤い。胸当てであそこが隠れる分、長い脚が目立つ。そしてまだ兜を脱いだ状態だから、当たり前のように魅了する微笑。真紅の戦士は、あまりにまぶしすぎる。戦場にいたら無条件降伏だ。

 なお、どこから持って来た…とは言わない。分かってるさ。


「本日の道場破り…ではなくご来賓は、赤の戦姫、ヨコダイミユキ様。迎え撃つは我らが大将、不死の銀狼、コーセン・コーヤだぁ!」


 おおーっと衛兵側から歓声があがる。うーむ、俺もアレか、衛兵だから隊長を応援するのか? というか、ノリが良すぎだろう。キノーワも大概だと思うが、王都の衛兵がこんなお祭り好きでいいのか?

 それと、赤の戦姫って? 本当に呼ばれているのか? 呼ばれてもまぁ…、この姿ならおかしくはない気はするけれど。


「相変わらず馬鹿騒ぎがお好きですね。キノーワの衛兵は地味なのに」

「本部はいつでもお祭り騒ぎ、それが王都を守る力です! それに、貴方と戦えるのですから当然でしょう! 私が一番目ですよ!」

「これは時間がかかりそうねー」


 本部はこれが日常、と。上がお祭り好きってだけな気もするけれど、大会を開くような環境では、自然にこんな感じになるのかも知れない。

 まぁそんな分析は後で。今は美由紀が心配だ。

 対面した姿を見れば、やはり男のコーセンさんの方が身体も大きいし、強そうに見える。美由紀も女性としては上背があるし、赤揃えの見栄えもいいけれど、本当に大丈夫なんだろうか。いざとなれば魔法があるだろうけど、せめて真剣はやめたら…と思う間もなく、勝負は始まってしまう。

 直後、コーセンさんが動く。速い。

 直線に進むと見せかけて、斜めに動き斬りつけた…ようだ。俺には動きが速すぎてよく分からないが、いきなり美由紀が斬られそうになって硬直する。どう見ても殺す気でやってるぞ。

 ………。

 美由紀は無傷。何もなかったような顔で、平然と立っている。いや、今は顔が隠れているから表情は見えないけど、まぁ雰囲気で分かるさ。

 それにしても、あれを見きったのか?

 ほっとしたけれど、もう既に頭が混乱している。これは自分の知っている剣技の世界ではない。お手上げだ。


「一年の成果をお見せしましょう。覚悟!」


 コーセンさんの動きはさらに速くなっていく。上背のあるコーセンさんだから、叩きつけるように上段から攻め込んで行く…と思ったら、いつの間にか横薙ぎ? 全く追えない俺は、ただハラハラしながら見守るしかない。

 美由紀は薄笑いを浮べたまま、すべて交わしている。当たったように見える瞬間ばかりだが、ほとんど動くこともなく傷もついていない。無茶だろ、既に人間じゃないよな?


「私も何か見せないといけませんか?」

「無論!」

「なら…少しだけ」


 今度は美由紀が動いた…が、申し訳ないが全く何をしたのか分からない。

 はっきりしているのは、彼女の姿が残像のように左右に見えた。次の瞬間にはコーセンさんの背後にいて、木剣はその頭を貫くように動いた。コーセンさんはたぶん気づいて反応したと思うが、鈍い音がして、そして…、え?

 うむ。

 コーセンさんの兜に木剣が刺さっている。刺されたコーセンさんは普通に立っているので、どうやら中の頭に突き通ってはいないようだが。

 いやいや。どうやったら鉄に木が刺さるんだよ。あの木剣は中に鉄でも埋めてあるのか?


「拝領品に穴を開けてしまったわねー」

「ハハ、相変わらずお強い。いつか手加減されずに戦えるようになりたいものです」

「か弱い女の子に何を言うのかしら」


 コーセンさんが言うように、美由紀は手加減した。いや、もちろん隊長を殺すことはあり得ないのだが、その隊長が明らかに殺す気で戦っていたのに。

 兜と頭のわずかなすき間を通すなんて、普通に頭を突くよりずっと難しい。冗談抜きで、大人と子ども以上の実力差がなければ不可能だろう。

 審判を兼ねているチガラさんは、呆然と立ち尽くしている。

 そして客席の衛兵は……、ざわついていた。


「まだ試合は終わってないようですよ、コーセンさん」


 その様子を見たからなのか、突き刺さった木剣を引き抜いた美由紀は、隊長に何かを促した。

 隊長は兜を外す。そして無言で脱いだ甲をかかげて見せた。そこにはきれいに穴が開いているのが、客席からもよく見え、さらにざわついた。

 ………正直、客席の声はあまり聞きたいものではない。

 突きのすごさ、隊長が無事だったことへの安堵、そう言ったものに混じって、隊長を殺しかけた非難もわずかにある。冗談じゃないと思うが、ここでは俺の立場が危うい。


「ではヨコダイ様、申し訳ないが以前のヤツをよろしく頼む」

「また殺されそうになるのね。困った隊長さん」


 そんな状況を知ってか知らずか、二人はまた何かを始めるようだ。

 隊長は兜を外したまま、大きく真剣を振りかぶる。

 対して美由紀は……、片膝立ちで、手には何も持っていない。ええっ?


「行くぞっ!」


 コーセンさんの声が響き、ざわつきが消える。チガラさんも急に厳しい表情になった。

 そして真剣は―――――、まっすぐ美由紀の頭に振り下ろされる。

 マジかよ!

 よ、避けろ…………と、次の瞬間には時が止まったように静まりかえる。


「相変わらず力は強いですね」

「……これをやられてその台詞は辛いなぁ」


 美由紀は真剣を素手で受け止めていた。両手で挟む形でも危険極まりないが、まさかの左手、指二本で受け止めている。

 コーセンさんは腕をぶるぶる震わせているから、相当な力で振り下ろしているはずだが…。


「この剣は壊れてもいいでしょう? 仮にも女の子を斬ろうとした剣なのだから」

「貴方に破壊されれば本望でしょう!」


 再び二人は剣を構え、そして次の瞬間には美由紀の木剣が振り下ろされた…と思う。はっきり言って残像しか見えなかったが、木剣が地面すれすれで止まったのが見えた瞬間、コーセンさんの高そうな真剣は真っ二つに切断されていた。


「さすがは隊長、紙一重の勝負でしたねぇ」

「いくら何でもそれはイヤミですよ、ハハ」


 終わってみれば、衛兵隊長が手も足も出ずに完敗。静まりかえったままの客席は、しばらくして再びざわつきだした。

 自分も静まりかえった一人だったと、そのざわめきを聞いて我に返る。

 何だかんだと、俺は美由紀を心配していた。二人が握手するのを見て、ようやく終わったことが確認できて、ほっとした。

 もしかしなくとも、美由紀の心配は不要だった可能性は高いけれど、真剣勝負をのんびり見物できるほど人間ができていないからな。


「いずれキノーワに行くので、またお手合わせを」

「隊長さんが来られるのは、何か事件が起きた時でしょう?」

「なぁに、それなら事件の一つや二つ!」


 もう近寄っても良さそうなので、美由紀の様子を見に行くと、そこには敗北した直後なのに満面の笑みのコーセンさんがいた。

 いや、笑顔は意外に可愛いけど…じゃない。何言ってんの、この人。


「……いずれお招きできる用件を作ります」

「えっ?」

「大丈夫ですよ。衛兵が出動する事態じゃなく、隊長や副隊長を招く必要ができる、という意味です」

「そ、そ、そうですか。何か分かりませんが、御呼びとあらば何をおいても参上しますよ」

「そこは衛兵のお仕事最優先で」

「は、はい。そうですねハハハ」


 どう考えても年上のコーセンさんが、子どものようにあしらわれている。力でねじふせられた直後に会話すれば、こうなってしまうのも仕方ないか。相手は口から生まれた女だし。

 キノーワに招くというのはよく分からないな。門番の激励でもさせようというのか? でも、それは美由紀が発案することではないよな。


「ヨコダイ様にはかなわないなぁ。コマキ君、君も大変だろう」

「は、はい!」

「なんで同意するの? 弘一」

「同意しないわけないだろう」


 見物しているこっちの身にもなってくれと言いたい。見物しただけなんだが。

 その後はしばらく、美由紀が臨時講師になって演習が続いた。

 俺は客席でのんびり見学…とはいかず、隊長と副隊長を交互に相手にする羽目に。


「さっきの動きはこうだったか?」

「いや、それではぶれすぎだ。もっとこう上半身を…」

「俺で練習しないでくださいよ」


 あちこち痛いんだけど。どう考えても八つ当たりだよな。だんだん敬語を忘れていく。

 もっとも、客席の連中が相手だったら、もっと殺気立っているに違いない。一応、二人なりに俺を守ろうとした結果…だったらいいなぁ。




「お前はあんなに強かったのか」

「それほどでもないわ。まぁ忘れて」


 隊長たちと昼食をとった後、話しかけてみるが、美由紀は素っ気なかった。これまでも、彼女は自分の剣技を誇ったことはなかった。何か理由があるのだろうが…。


「そんなことより、今から本番よ」

「まさか覗きが本番ってことはないよな」


 午後は二時間ほど予定を入れていない。一応、王都を見物する日程になっている。

 見物先は王宮の西側。イデワ王国を代表する名門の学校がそこにあった。やたら立派な門は、日中は堅く閉ざされていて、しっかり守衛もいる。


「偉い立派な外観だな。これだけで気後れする」

「大した学校じゃないわ。教育内容も遅れてる。キノーワの学校の方が上よ」

「まさか…。そんなことはないだろ?」

「イズミのお祖父ちゃんは、それだけ凄い人だったってことよ」


 キノーワには学校が三つある。そのうち二つは、ここと同じように貴族の子弟用とされている。残りの一つがモリーク伯爵家…というか、イズミの祖父が創立した学校だ。アラシという妙な名前の学校は、教師陣もなかなか個性的で毀誉褒貶が激しいとは聞いたが、美由紀はどうやら評価する側のようだ。

 どっちにしろ、俺には縁のない話だ。二十三歳からやり直せって? それこそ、美由紀のヒモになってしまう――と、そんなことはどうでも良かった。

 道路側から一通り確認した後、いったん遠ざかる。

 そして、なぜか近くの小綺麗な建物に移動。宿屋だった。

 美由紀は少し休憩したいので…と言い、部屋を借りた。受付にいたおばさんは、俺たちの姿を一瞥すると、最上階の部屋の鍵を渡した。


「……目的は分かるんだが、いいのか? 誤解されないか?」

「気にすることないわ。新婚の若夫婦は、暇さえあれば励んでる。いい話でしょ?」


 本当にそうなっても構わない、とか聞こえるのを無視して、部屋に入る。要するに、覗きの間、ここにいると偽装するだけの話だ。

 まぁ…。

 そういう用の男女が使うには、少し高そうな宿だ。それとも、高そうな宿には、それなりの層が用を足しにやってくるのだろうか。帰ったらカワモに聞いてみるか。あいつに聞いたところで、いつもの妄想しか返って来ないだろうけど。


(さぁいよいよ潜入開始。どんな醜聞が見つかるかしら)

(いきなり飛ぶなよ! というか、醜聞集めは目的じゃないだろ)


 気がつけば校内にいた。強力な結界で護られていたはずだが、相変わらず美由紀には通じないようだ。頼りになると言うべきなのか躊躇してしまう。

 移動した先は、いきなり教室の中だ。しかも授業中だぞ。せめてご不浄とか食堂とか、もう少しゆるい場所にしてほしかった…と今さら抗議してもどうにもならないな。

 というか、美由紀は当たり前のように椅子に座って、学生と一緒に先生の話を聞いている。教室に学生は二十人ほどで、空いている椅子は中ほどに一つしかない。それはたぶん休んだ学生の席だと思うが、何の躊躇もなく座って、隣の机の教科書を読む姿には、唖然とするしかない。

 ………うむ。あれは美由紀だ。美由紀という生物はああいうものなんだ。深く考えてはいけないぞ。


 ちょうどやっていたのは、古典エラン語の授業だった。

 イデワ王国が誕生する以前に書かれたものを読んでいるようだ。


(どう? ひどい内容でしょう)

(何と比較すればいいのか分からないが)


 やっていることは、古典作品の読解だ。七百年前の詩だという。

 特に非難されるほどの内容でもないように思えるが―――。


(教科書を見て。イデワ文字が使われていないでしょ?)

(え? ああ、そのようだが)


 それが不満なのか?

 そもそもイデワ文字は、この国の名前はついているけれど、あくまで俗字だ。王国が公式語としているのはエラン語なのだから、この形態が当然のような気がする。

 ただし、エラン語は文字が簡単な代わりに読みにくい。門番の仕事でイデワ文字の書類を読まされるのは、記号を兼ねる表意文字の方が、読み違いが少ないという利点による。両方習えばいい、という意見は分からなくもない。


(文字だけの話じゃないわ。詩を読ませて何をしてる? 良いとか悪いとか、それを教えられて何か価値があるの?)

(詩を読んで良し悪しを言うのは普通じゃないのか?)

(もう少し技術論があっていいと思うの。乙女の抒情が…とか言われたって、それで自分の詩作がうまくなったりしないわ。だいいち七百年前の乙女になれって言われたって困るでしょ? 今とは全然違う環境だし、それこそ奴隷もいた世界だというのに)

(むむ…)


 美由紀の愚痴は続いた。

 まぁこれも、言っていることは理解できる。実際、今も教室では教師の個人的感想を聞かされているだけで、身につくものがない。俺が学生なら居眠りする自信がある。それを覗かれて、不良学生だったとか報告されるのはちょっと待って欲しいと思うぞ。

 ……………。

 目的!


(ザイセン殿はここにいるのか?)

(いないみたいね)

(じゃあなぜ俺たちは…)

(ちょっと苛立ったのよ。髪の毛むしってあげようかな)

(あの先生に当たってどうする)


 慌てて教室を移動する。いや、慌てていたのは俺だけだ。

 もちろん移動と言っても、扉を開けるわけにはいかないので、廊下に瞬間移動する。教室の入口には一年と書かれていた。

 ザイセン…殿は三年だという。かすりもしていない。

 校内の教室の位置関係も分からないので、二人で一度玄関口に戻って、全体図のようなものがないか探してみる。来客用に貼り出されたものはなかったが、教員の控え室らしき部屋の近くに、第二校舎三階と書いてあるのを発見。次の瞬間には、その三階にいた。

 知らない場所でも、目的地点の名前が分かるだけで、精確に移動可能なんだな。まぁ最初のモンスター退治の時点で分かっていたことなのだが。


(はい発見した)

(どれ?)

(これこれ、この人よ)

(髪引っ張るなって)


 我々はザイセン殿の顔を知らなかった。ただし、同じ教室の中という狭い空間であれば、美由紀の探知能力で分かる。どうして分かるのかは謎だ。

 で、美由紀はザイセン殿の席の横に立って、その髪の毛を引っ張った。驚いた彼がきょろきょろしている。相変わらず優秀な認識阻害魔法のようだが、いくら何でもやりすぎだ。うむ。自分がかつてカワモにしたことは忘れてくれ。


 ザイセン殿は…、座っているのでよく分からないが、背は高くもなく低くもなく、太ってもいないし痩せてもいない。顔は…、細長い。ああそうさ、俺に他人を形容させるなと言っているだろう?

 一応、教室で座って教師の話を聞いている。教科は数学のようだ。


(普通の学生だな)

(見た目はそのようね)

(何かあるのか?)

(少なくとも、数学は苦手よ)


 そう言いながら教室の後ろに戻ってきた美由紀は、大量の何かを抱えていた。


(ほら。これ、間違いだらけ)

(どこから持って来た?)

(机の下とカバンの中身よ)

(なんと哀れな男だ…)


 およそ潜入捜査の常識からかけ離れたやり方に、涙を禁じ得ない…ということはない。正直、あればその方が把握はしやすいわけで。

 しわくちゃなノート、思った以上に間違いだらけの答案。数学だけではなく、ほぼ全教科がダメっぽい。こんな立派な学校に通って、もしかして俺よりバカなのでは?


(これでは弘一よりずっとひどいわ)

(その比較はしなくていいから)


 同じことを考えても口にしないでくれ。急に同情がわいてくる。

 とはいえ、現時点では何も評価できる点はない。ただバカなだけでなく、整理整頓が全くできていないこともまずい。


(武芸は得意ってことかもな)

(じゃあ衛兵になるの?)

(できれば衛兵は目指さないでほしい)


 ただ、衛兵にバカが多いのは事実だ。そこで我が相棒の名を思い浮べた諸君、カワモはあれでも優秀な方だぞ。礼儀正しいし指示された作業はこなすし、身体は丈夫だ。

 ……………。

 ザイセン殿の体つきを見る限り、武芸も得意そうには見えない。まさか美由紀みたいに、予想を覆すことはあるまいし…。



 次の授業は、都合が良いことに武芸だった。まぁ、武芸の時間は固定らしいから、美由紀の予定通りなのかも知れないが…って、それどころじゃない!


「お、お、俺は死んだのか?」

「なぜそんな話になるのか理解できないけど」

「決まってるだろ!!」


 運動場の真上にあたる位置に、俺はいる。どう見ても空中。

 なぜ? 浮いてる? 死んでる?


「魂は、離れてしまったらおしまいなんだ!」

「あら貴方、物知りね」

「いや、そんなの常識だから!」

「離れても死んでもいないから黙ってて」


 今さら説明するまでもないが、それは魔法だった。美由紀は空を飛べるのか…と、そこでちょっと冷静になった。そして思い出した。

 恐竜をさばいたあの時、抜き出された内臓は、確か空中に浮いていた。骨格標本も、崩れなかったのはそういうことだ。つまり俺は、美由紀がものを浮かせたり、触れずに動かせることを知っていた。

 とはいえ、冷静になろうにも限度はある。落ち着かないので地面に降ろしてもらう。ドッドッドッドッドドッドー、大地を蹴って…って感じだな。え? 何言ってるんだ俺は。


「魔法使いなら空ぐらい飛べるものよ。弘一だってそう思うでしょ?」

「なぜそこで同意を求められるんだ。だいたい、俺には知り合いの魔法使いなんてお前しかいな…」

「伴侶です!」

「大声だすなよ…」


 名門貴族が通うだけあって、運動場も広くて立派だ。ちゃんと客席もついている。当然我々も観客として…ではなく、もっと近くで見物している。模擬戦ならともかく、型通りの稽古ぐらいなら、近づいても全く問題はない。姿を見えないようにできるなら、という前提だが。

 そして、さっきから声を出してしまっている。美由紀の例の叫びは、普通に学生に届いたようで、あちこちで不審な声の主を探していた。何というか、既に覗きと呼べるのかすら怪しい。

 というか、さっきの教室も、本当に心の声だったのか自信がない。


「ねぇ、もう結論出していい?」

「………一応、時間ぎりぎりまでは見ていようぜ」

「弘一の慎重なところは好きよ」

「…………………」


 木剣を持って、交互に打ち合うのは、ごくありふれた練習。午前中にやったばかりだし、イズミに待ち伏せされたことも思い出す。

 その上で、キノーワの衛兵の平均以下を誇る者の目線で評価してみよう。

 うむ。

 ザイセンはこのクラスで最低だ。木剣の持ち方も構えも何もかもが酷い。ウチの屋敷で遊んでいる子どもより酷いかも知れない。もう殿をつける価値もないな。

 もちろん、型は滅茶苦茶でも力で押すヤツはいる。しかし、あれは全然だ。力もない。イズミにも普通に負けそうだ。美由紀には一応慎重な態度で返してみたが、正直言って俺の結論ももうでている。


「しかしあれだ、ダメな男がいいって言い出す可能性はあるだろう」

「イズミがそうだと思う?」

「思わないが、そこは蓋を開けてみなければ分からないからな」


 お前が俺を捕まえるように…と言外に匂わせてみたが、通じたかどうかは分からない。どっちにしろ、犯罪者ではないのだから、判断はイズミに任せればいいのだ。


「退屈な学校だけど、ここから衛兵の上層部も生まれるの」

「コーセンさんもチガラさんも、ここ出身?」

「もちろん。ただ、あの辺は卒業後にコリエの学校に留学したんだって」


 ふーむ。そう言えば、ワースさんも王都の学校に通っていたらしいことを思い出した。興味がない…というか縁がないから、名前は完全に忘れているけれど、もしかしてここだったんだろうか。

 そういう目で見渡せば、普通に俺よりできる奴が何人もいる。いくら王族の末とはいえ、彼らを押しのけてザイセンが幹部に就くのは無理だろう、とも思う。


「留学は…、向こうの方がいい学校なのか?」

「別に…。相互交流ってだけでしょ。イデワはいろいろ優秀なのよ」

「お前の諸国見聞の結論ってやつか」

「貴方がいる国が一番ってやつかもね」


 ちぇ。結局最後はそれか。午前中は、衛兵としての能力のなさ、午後は教養と基礎訓練のなさを感じた日に、そんなことを言われても慰めにもならないだろうに。




「ありがとうございます、お姉様、弘一」

「お礼は要らないわ」

「何というか、かける言葉もないな」


 その晩、またイズミを呼んで会議となった。

 二人で見たまま、思ったままを伝える。もちろん、そこには予断も入っているだろうから、明日はイズミも自分の目で確認するよう促した。


「まぁでも、これなら心おきなく破棄できますわ」

「そうは言っても、簡単に破棄なんてできないだろ? それこそ、向こうに重大な瑕疵でもなければ」

「それなら瑕疵を作ればいいでしょう。ねぇ、お姉様」

「ずいぶん恐ろしいことを言うわね」


 そこで笑うなよ美由紀。というか、瑕疵を作るってなんだよ、要するに罠にはめるってことだろ?

 ………まぁ、美由紀が協力すれば私生活も覗き放題だ。親のギケイ閣下は謀略家だから、表に出せない話も沢山あるだろう。向こうが地位を追われて、泣く泣くイズミとの婚約も解消…なんて猿芝居も演じられそうだ。なるほど、イズミがお姉様と呼ぶはずだ。


「ところでイズミ。一つ聞きたいんだけど」

「お姉様、何ですの?」

「仮にうまく解消されたとして、王宮との関係を一つ失うのは事実だと思うわ。その辺、貴方のお父様はどうお考えになるかしら」

「……それは、別の相手を探してくるという話ですね?」


 しかし、イズミの計画は簡単ではないのだな。一つの政略結婚が潰されたら、次の政略結婚となるわけか。それは厳しい話だ。


「お父様は、次はもう探さないと思うの。もう上の三人で十分だし、そもそもギケイ閣下にはあまり期待していないから」

「それは希望的観測が過ぎないか?」

「なら弘一の側室にでもなろうかしら」

「いい加減にしなさいよ、イズミ」

「冗談ですから」


 二人とも笑っているからいいが、冗談でも危険すぎるからやめてくれ。

 ただ、美由紀をイズミの後ろ楯にすることには、伯爵も乗り気らしい。下手な貴族と結ぶよりも実利があるのでは、と皮算用しているという。

 もちろん今は、友人としてイズミの厄介事に手を貸しているだけ…と俺は考えている。美由紀もそうだろう。イズミと関わらないことにまで頼られるのは、話が違う。

 まぁ、公に関係を結ぼうとは、まさか伯爵も考えていないはず。腫れ物に触れるような、王都での扱い。そういう立場だと知らないはずはないからな。


「では明日。いつでも構いませんわ」

「こっちもいろいろ予定があるから、置いていくかも知れないけど、しっかり覗きなさいね」

「ま、まさか一人で覗けと言うのですか?」

「大丈夫よ、見つかったりしないから」


 打ち合わせも終わって…というところで、まさかの予定を聞かされたイズミは、分かりやすく動揺している。ふっ、まだまだ甘いな。

 美由紀は絶対にそんなことはしない。

 この場合、俺が割を食うことはあっても、イズミを一人で取り残すことはないと断言していい。というか、本気で取り残すなら、その時まで秘密にするだろう。こいつはそういう女だ。

 ……………。

 二人の中でどちらが暇かと言われれば、俺に決まっている。本当なら、俺とイズミという組み合わせが妥当な気がする…けど、それはきっと美由紀が許さないだろうからなぁ。

 イズミへのその反応は、もう要らない…と、思うんだけどな。


※いろいろあって長くなってしまいました。ブックマークありがとうございます。感想欄のログイン必須を外してみました。広告だらけになる?

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