二十八 バンババンの孫
「お姉様! お逢いしたかったですわ」
「いらっしゃい。イズミは相変わらず可愛い子ね」
「あぁん、お姉様ぁ」
「そういうのは後でやってくれ」
ハンライ殿下の屋敷の一室。深夜の明かりもない空間にゲートが作られ、イズミが通り抜けてきた。
ゲート自体はもう何度も体験済みのはずだが、それでも顔を見せた瞬間だけは、何かに脅えたような表情に見えた。その瞬間だけだったが。
「……で、ここは王都なのですか?」
「そうよ」
「こんな簡単に来れるなら、あの旅路は何だったんだって思うなぁ」
美由紀の瞬間移動による転送能力は、何度見せられても理解を超える。
距離はこの星であればほぼ無制限、移動させる対象は任意で、視認する必要もない。事実上、何でも自由に動かせることになる。
「イズミは知らないだろうが、この力だけでモンスターでも倒せるからな」
「知ってるけど」
「えっ?」
「お姉様に聞きました。それに、少し考えれば分かることでしょう? これだから弘一は…、お、お仕事ご苦労さまなのよ」
「続きを言っても良かったのに、イズミ」
「それぐらい言わせとけよ。俺たちは口が悪いのが取柄だろうに」
例によって部屋の温度が下がったので、うやむやになった。まぁ今はうやむやでいいんだ。謎の神の存在もある現在、美由紀の能力が人類の希望ってところもあるし。
大袈裟か? その通りだろう? あの精神支配は、美由紀の転送能力と同じで、こちらが認識できないところからなされている。その上、国が用意できるような最高レベルの呪具が役に立たない。さっき一緒に馬鹿騒ぎした一流の冒険職たちにも回避はできないだろう。
「それで、王都は楽しい? 弘一」
「今のところ、人と会ってばかりでそんなことを考える余裕がないな」
「さっきもずいぶん盛り上がってたように見えたけど。冒険職は敵じゃなかったっけ?」
「お前と一緒にいる時点で、そんな前提はもうないだろ」
イズミは、しっかり夜会服を着込んでいる。まぁ俺たちも寝間着ではないけどな。
それにしてもあれだな、王都では本当に沢山の人に会った。それも上流階級の立派な格好の人たちばかりだったが、見た目だけならイズミも全く遜色ないことを再確認する。
美由紀と並んでも大丈夫っていうのは、ものすごいハードルだったんだな。
「明日は少し時間もあるから、潜入捜査してみるわ。イズミも参加できそうならしなさい」
「潜入…っというのは、目の前に行くのですか?」
「間近で確認しなければ分からないでしょ?」
「それはそうですが…」
イズミは明らかに躊躇している。
それは美由紀の能力を疑うというより、覗き行為そのものへの違和感だろう。
「最初は俺たち二人で確認する。その首尾を聞いてから参加でどうだ?」
「貴方にしてはいい提案ですわ。そうしていただけると嬉しいです」
「まぁそれでもいいけど」
仮にも婚約者だ。破棄するというのは、あくまで相手を知らない彼女の意向であって、蓋を開ければどうなるか分からない。その辺は、不本意ながら俺自身が肌で感じている。
慎重の上にも慎重を期す。ということで、今夜はお開き…ではなかった。
さっきのお祭騒ぎのなかで、さりげなく婚約者情報を集めていたのだ。もちろん、美由紀の場合は特定の誰かの名前を口にするだけで大騒ぎになるから無理。キノーワのおのぼりさんが、王都のことを知りたいという体で、一通り教えてもらった。冒険職にとって、王族は優良な依頼主だからな。
で、ギケイ閣下の評判は予想通り悪い。ケチ。用件を終えた後にいろいろ難癖をつけるから、最近は引き受け手がないという。
次男ザイセン殿は…といえば、さすがに冒険職では縁がなかった。まだ学生で、自ら依頼を出す機会はないから仕方ない…が。
「ただ、ザイセンと名が書かれた依頼はあるらしい。荷物運びとか清掃とか」
「名前だけはね」
「はぁ…」
どんどんイズミの表情が暗くなっていく。要するに、親の名前では依頼を受けてもらえないから名義貸しというわけだ。ギケイ氏の程度が知れる。
これだけの状況があっても、婚約解消は簡単にはいかない。双方の家に大きな傷がつくのだから当然だ。ザイセン殿に何か大きな瑕疵でもあれば別だが、それを望むのもどうかと思うし。
「本人は好青年ってことはありうるから」
「お姉様がうらやましいですわ」
「大丈夫よイズミ。ちゃんと護ってあげるから、ね」
「はい…」
結局、女性二人が抱き合って、俺はまた傍観者。いや、割って入る気はない。自分がイズミをなぐさめるのは不可能だし、それ以前に何というか、この二人の組み合わせは凄すぎて、気後れするんだよな。
ザイセン殿の件は明日の夜ということで、深夜のお茶会になった。道具一式は、美由紀がいつも使ってるものを転送している。この家のものは使えないから仕方ない。
この部屋自体、外からは真っ暗にしか見えないように、いろいろ気を使っている。まぁ元々窓には厚いカーテンがかかっているから、美由紀の能力を使わなくとも、音さえ気をつければ問題ないようだ。
「イズミは本当に可愛いのよ。王都にもこれほどの娘はいないわ」
「もう…、お姉様ったら」
「私がもらっちゃいたいくらいだけど…」
「………」
「そこで俺を見てどうするんだよ」
女性二人はしばらく旧交を温めていた。おう、こう表現すれば済むな。これからも同じ表現で…とはいかないだろうな。
まぁいいんだ。仲が良くて困るわけじゃない。なんだかんだと、俺もイズミは嫌いじゃないからな。この微妙な言い回しに注目してくれ。
「ところでお姉様」
「なあに? 来訪者のこと?」
「…はい。さすがはお姉様ですね」
「気にならないはずがないもの」
………そうくるか。
まぁ俺たちの共通点みたいなものだと考えれば仕方ない。
いや、仕方なくはないか。何も分かっていないのに、分かってる側の言葉を吐く自分に呆れる。
「イズミのお祖父様、弘一、私の順でやってきた。それは確かね。お祖父様がなぜ七十年以上前なのかはよく分からないけれど」
「何かおかしな点があるのですか?」
「そう…。たぶんバンババンは遡っても五十年にならない。明らかに時間がずれてるわ」
「バンババン?」
そこで分かった驚愕の事実。なんと、バンババンは人の名前だった! あり得ないだろ!?
いや、その辺は偶然の一致というか、美由紀の勘違いの可能性がないとは言えない。ただ、バンババンの相方はタロヘイだったという。あの日記にあった謎の名前だ。
「お祖父様は、本当は太郎平だった?」
「それはないと思うわ。単に好きだったんじゃないかしら」
「好きになれそうな名前じゃないが…」
いずれにせよ、その二人が出てくる架空のお話は、美由紀が生まれるより三十年近く前に作られたらしいが、七十年前には遡れないという。
そもそも、来訪者を生み出したもの、つまり「ゲーム」が稼働していたのは、せいぜい三年ほど。七十年前には、そのような「ゲーム」を動かす環境がなかったらしい。
「私の予想では、弘一と太郎兵衛さんは似たような年齢だったはず。それが、何かの原因で七十年も離れてしまった」
「……前提から信じられないが、もしもそうなら災難な話だな」
「弘一だって十分災難だと思うわよ。それに…」
同じ世代の人間が、片方は過去に飛ばされて、既に亡くなっている? 自分が過去の側だったとしたら……、そう思うとぞっとする。
もちろん、美由紀のような存在に無理矢理教え込まれない限り、ただその時代に生きただけ。現に、繰り返し教え込まれている俺ですら、何の実感もない。
「お祖父様は、ここで暮らしたことが嫌だったとはおっしゃっていなかったわ」
「そうね。こんな可愛い孫までできて」
「そうか。お前は生まれていなかったことになるのか。それは困るな」
「……お姉様がうらやましいですわ」
イズミが恥ずかしそうに笑うのを見て、俺は間違いなく失言したと気づいたが、今さら訂正するわけにもいかず曖昧に笑う。
この話題はいろいろ辛い。当事者意識なんて、外から押しつけられるものじゃない。太郎兵衛さんがそれを意識できたことの方が異常なのだ。
美由紀は俺の記憶を取り戻すと言っている。仮にそんなことが実現すれば、嫌でも俺は当事者になれる。
しかし、それはあくまで仮定の話。
そもそも、どうやって記憶を戻すつもりなのだろうか? 叩くと直ったりは…、しないよな? したら困る…というか、たぶん直る前に死ぬだろう。
※まさかの侍ジャイアンツ。ネタが全体的に古いですねぇ(他人事のように)。




