二十六 王都は魔境さ
ただ王都に行くだけの三日間。旅慣れた人にとってはどうってことのない日程だが、キノーワを出た記憶がほとんどない俺には未知の体験だ。
もっとも、体力的には何も問題はないし、盗賊やモンスターに襲われてもいない。粗末な食事も一度もない。普通の旅で問題とされる要素では、何一つ困ったことはない。
その代わりに、いろいろ精神的に追い詰められている。
せっかくの高級宿での一夜も、ロクに眠れずに朝を迎えた。
あーそうだよ!
偉そうなことをいろいろ言ってみたが、同じ部屋でネグリジェの美女がゆさゆさしながら寝てるんだよ! これで眠れるわけないだろう!?
……………。
ちなみに、ベッドは二つある。同じ部屋にいるだけである。ついでに、彼女のネグリジェ姿は毎日見せつけられている。どこに今さら緊張する要素があるのだと疑問に感じた諸君には、はっきり言わせてもらう。今さらだろうが緊張するものはする、と。
一応、情けない主張をしている自覚はある。
「今日は楽な日程だけど、体力は回復させておく?」
「頼む。いつも済まない」
「いい加減、その他人行儀はやめたらいいのよ」
他人行儀か。確かにそうかも知れない、とは思う。この旅に同行した時点で、認めたに等しいのに、未だに俺は他人のふりを続けている。冷静に考えれば、おかしな話だ。
もちろん、それは冷静に考えられない性質の問題だ。
美由紀も決して冷静ではない。むしろ、冷静でないと分かったから…。
「ヨコダイ様ですね。貸切で承っております」
「他の客を乗せても構いませんよ。荷物も少ないですから」
東西に長くのびたタマスの町。俺たちが着いた北門から、王都に通じる南門までは大した距離もなかった。
大掛かりな南門。跳ね上げ橋の幅も広く、その上には昨日荷物をあげていたようなレールが敷いてある。ただし綱はなく、代わりに大型の馬車が停まっていた。
車輌は前後二つの部屋に分かれ、それぞれに八人ずつ乗れるという。十六人と御者二人を馬二頭で運ぶなんて考えられない仕様だが、レールの上を走らせればそれほど負担は大きくないらしい。
「いずれキノーワにも通じると聞いてるわ。そもそもこれは伯爵家が資金を出した商会が造ったものだし」
「こんなものを、商会が勝手に造れるのか?」
「もちろん許可はもらっての話よ。伯爵家だけじゃなくて、王家などいろいろな所からお金を集めてるから」
ともあれ、伯爵の好意で貸切だったが、空いている部屋に順番待ちを八人乗せて、馬車…馬車鉄道は走り出した。
今度も美由紀は多少の金銭を受け取っていた。無料で運んでしまうと、そういう実績ができて業者が困るだろうと、客の一人がつぶやいていた。確かにそうだな。
「すごいな、全然揺れない」
「レールで運ぶってすごいでしょ。これで動力が馬でなければもっと速くなるだろうけど」
「馬より速いものがあるか?」
「そのうち実用化されるんじゃないかしら。早く馬糞もなくなってほしいわ」
「良家の御令嬢は落し物って言うらしいぞ」
「イズミはクソクソ言ってるわ」
「あれを基準にしない方がいいな」
なんで馬糞の話題で盛り上がってるんだよ。子どもか!
気を取りなおして―――、馬車鉄道の旅は快適だ。ばいんばいんもなく、ゆさゆさ程度だから、落ちついて景色を眺めることができる。え、物足りないだろうって? 失礼だな、性欲が服を着てるようなヤツと一緒にしないでもらいたい。
…………。
思い出しちゃったじゃないか、ばいんばいんを。
「美由紀は、王都もタマスも知ってるんだよな?」
「キノーワへの通り道だもの、当然でしょ」
「他にもいろいろ行ってるのか? 他の国とか」
「まぁ…、国なら五つぐらい周ったわ。もうだいたい忘れたけど」
暇つぶしに、見聞を深めることにする。
キノーワしか知らない俺にとって、まだ王都に着いてもいない現時点が、既に未知の領域ばかり。何というか、あれだ、知的好奇心が湧く。おお、自分で言って格好いいな。
「余所の国は…、やっぱりいろいろ違ってるのか?」
「相変わらず適当な質問するのね。まぁ、弘一らしいわ」
呆れた顔の美由紀は、それでも聞かれれば応えてくれる女だ。話し好きだし、そもそも相手を選ばない。
屋敷の庭で遊んでいる子どもたちに、最近は茶菓子を出してもてなしている。そのうち文字も教えるらしい。イズミのような貴族とも、衛兵たちとも、彼女の価値観はどこか違う。今の自分は、そのよく分からない親切に甘えているのは確かだ。
「この国が接してる三つの国は、そんなに違いはないわねー。強いて言えば、貴族や王族の立場には、それぞれ異なる部分もあると思うけど、そういう政治的な話も聞きたい?」
「いや…。今はいいかな」
「いずれ嫌でも知ることになるからね。貴方は私の伴侶だもの」
「か、覚悟してるさ」
表情は穏やかだが、あまり穏やかな話ではない。こちらとしては、飯がうまいとか景色がきれいとか、そんな話題で良かった。とはいえ、彼女は既にそんな物見遊山ができる身分ではないのだろう。
もちろん、政治からは距離をおきたいはず。と言うよりも、距離をおかないとイデワ王国が周辺諸国から非難されるわけで。
一方で、口から生まれた横代美由紀。評論家としてなら、いくらでも政治を語り出しそうだし、そこで我慢できるだろうか。たぶん、大半の王侯貴族より頭は切れるし、その上超常の力をもつ。うーむ、下手に刺激しない方がいいのか?
そんな俺の余計な心配をよそに、美由紀はいろいろ語ってくれた。
「私が最初にいた国は、奴隷がいたわ」
「奴隷? そんな昔話みたいなものが?」
「イデワ王国が完全に奴隷を廃止したのは、まだほんの数十年前だったはずだけど、弘一にとってはそんな最近も昔話なの?」
「生憎俺は二十三年しか生きてないからな。お前は実は…」
「その先を口にしたらただじゃ済まないわよ」
そう言って美由紀は笑う。
数十年前が最近という感覚がおかしいのか、自分が生まれる前のことはすべて昔話という認識に問題があるのか。そこは今ここで議論しても結論は出ないだろう。
ただ、一つだけ確信していることもある。
美由紀は婆さんではない。見た目が若いだけかも知れないって? それはない。どんなに若作りしたって、長生きしてる奴はだいたい分かる。それが門番の勘ってやつだ。
「人の価値観なんてそれぞれよ。まぁ、私にとってはこの国が一番マシかなって程度で」
「意外とその辺は辛辣なんだな」
「貴方もいずれそう思うはずよ」
「比較できるほど、余所の国に詳しくなりたいとは思わないが」
「私だって、そこまで知りたかったわけじゃないのよ。ここまでいろいろあったし、貴方はどこにいるのか分からないし、………まぁ、私にも思い出したくないことぐらいあるの」
「ふぅん」
俺を探していたという三年間。それを聞けば、探されていたという年月が重圧となって襲ってくるだろう。本人も語りたくないなら、渡りに船ともいえる。
―――――知らずに終われるなんて楽観的な未来は描けないけどな。
俺には、来訪者としての過去なんてのもある。きっと想像を絶する過去だろう。そうでなければ、美由紀がさっさとしゃべっていたはずだ。
お互い、話題にしたくないことはある。
それでも以前に比べれば、美由紀は謎の女ではなくなった気がする。そう、あれに話しかけられて以後の彼女は。
馬車鉄道は、途中に七箇所の休憩地点があった。距離のわりに多いように思えたが、それが馬のためというより、多くの馬車を通すための施設だということに気づく。
休憩地点は線路が二つかそれ以上に分岐している。そこで、王都から来た馬車とすれ違う。ついでに馬の休憩という感じのようだ。
「俺たちは別に楽じゃありませんぜ。馬は馬でさぁ」
「ご苦労さまです。これはちょっとした心付けです」
「あ、ありがとうございます、お客さま」
美由紀は紙に包んだ何かを渡していた。大した額ではないらしいが、包むと御者の態度が変わるらしい。ついでにこっそり、馬に回復魔法もかけている。タマス行きの馬車の時も似たようなことはやっていたが、馬車鉄道は速いだけに馬の負担も大きいようだ。
ちなみに、美由紀の魔法は何も唱えないしポーズも取らないから、見ただけでは分からない。なぜ俺が分かったかと言えば、単にこっそり教えてもらっただけだ。
「城門はタマスと変わらないな」
「あれは正門じゃないからね。馬車鉄道のための専用門よ」
最後の休憩地点を過ぎてしばらくすると、遠くに城壁が見え始めた。とうとう王都グローハだ。
名前しか知らない町。一生行くこともないと思っていた町に、二十三にして足を踏み入れるのか。二十三って言うと、大したことないな。早過ぎ?
前方の門は、美由紀の言う通りで馬車鉄道専用だった。というより、本当の門ではなく、馬車鉄道の乗降場を囲むもの。くぐった先でレールは枝分かれして、沢山の馬車が並んでいる。何というか、想像を絶する設備が造られていた。
「すごいな…。キノーワって田舎だったんだな」
「言っておくけど、キノーワにもじきに通じるそうよ。西門の方らしいけど」
「それは知ってるが、見たことなかったからな」
馬車を降りて歩くと、衛兵のチェックを受ける。なんだかほっとするが、衛兵に挨拶する気にはなれない。どうにも服装が立派過ぎて、気後れするのだ。
「ヨコダイ様、こちらへお越しください。馬車を用意してございます」
「ありがとうございます。……ちなみに、どちらからですか?」
「ここでは申し上げられません、とだけ申しておきます」
「なるほど、よく分かりました」
やたらに装飾の凝った、立派な馬車が待機していた。どう見ても俺が乗るようなものではないが、王都での美由紀の扱いはこれほどということか。
というか、言えない名前って何だよ。とても嫌な予感しかしない。
馬車に揺られて十五分ほど。王都の街並みをぼんやり眺めていた。
何というか、道も建物も、基本的にでかい。おのぼりさんを威圧するかのような景色だ。どうにも落ち着かないなぁ。
落ち着かない理由はもう一つある。隣の席だ。
長くなるが回想しておこう。
王都に入ってすぐ、城門のそばにあった建物に連れて行かれた二人。そう、着替えである。
ここまでは旅の軽装だったのだが、もうそれではダメらしい。まぁ俺は、伯爵家に行く時に着たスーツだから、誰かが手伝ってくれればすぐ終わる。一人で着替えられないのが悲しいが。
問題は美由紀だった。
スーツに着替え終わって通された待ち合い部屋は、テーブルが中央に置かれ、周囲にはいくつかソファーが設置されている。そして、似たような格好の男性が一人座っていた。年齢はまぁ、五十ぐらいだろうか。白髪交じりの立派なヒゲ面だ。
仕方なく会釈をするが、向こうはじろりとみまわしただけで無言。きっちり品定めされたようだ。
それから数十分。
二人っきりの部屋で無言で待つ。
たぶんこの人はどこかの貴族なんだろうな、と思うが、あいにくキノーワに縁のない顔は分からない。いや、ここにいるということは、どこかの地方から同じようにやって来た可能性が高いから、なおさら知る由もない。
地獄のような時間だ。
なぜ女性の着替えは長いんだよ…と思う間に、ようやく廊下から音が聞こえた。たぶん向こうの連れだろうな…と思ったら、両方やって来たから大変だった。
そこに現れた美由紀を見て、ヒゲオヤジは俺よりもびっくりしていた。他人だろうに…と言いたくもなるが、それこそイズミのように完全武装した姿は、つい先日見たばかりの俺ですら三度見するぐらいだったからな。
日傘を履いてるように大きく広がったドレス。薄紫色のイズミとは違い、赤い。まさに鮮血のように赤い…って、嫌な記憶が蘇ってきたぞ。
上半身は…、たぶん珍しい服じゃないんだろうが、何せアレがすごい。もう何というか、大砲が二つ発射されそうな勢いで。隣の貴婦人がものすごく不機嫌そうなのも合わせて、ますます居心地が悪くなった。
そう。そんな大砲が隣で揺れているのだよ。街中の馬車はゆっくりだから、ばいんばいんではないが、どっぷん、どっぷんだ。そうだよ、こんなゲスな表現しかできない男が、隣に座っているのはおかしいんだよ。
「疲れてるの? 今日はこれから挨拶回りだからね」
「疲れないわけないだろう。着いた瞬間から針の筵を歩かされてるんだ」
「大丈夫よ。この先は剣の山を歩くようなものだから」
「…逃げてもいいか」
そのまま宿に…行くはずもない。やがてキノーワの伯爵邱より大きな屋敷に着いた。守衛にはそれぞれ二度見される。美由紀と俺とで、理由が全く違うのは言うまでもない。
ウチより何もかも大きな庭を通り抜け、屋敷の巨大な扉の近くで馬車は停まった。
「ようこそいらっしゃいました。ヨコダイ様、コマキ殿」
「お久しぶりです公爵。おかわりなさそうで何よりです」
公爵だぁ?
そういえば、王都で誰に会うのかほとんど聞いていなかったことに、今さらのように気づく。もっとも、聞いたところで役には立たないだろうが。
「……は、はじめまして、小牧弘一と申します」
「貴方がコマキ殿か。なるほど、ヨコダイ様が選ばれるだけのことはあるな」
「はい。私が求めていた伴侶です」
わざわざ出迎えてくれたキジョー公爵は、白髪の老人だ。一見すると好々爺だが、公爵となれば歴戦の強者なのだろうな。
というか、公爵がへりくだるのか。確かに今の美由紀には、それでも不思議ではないほどの気品と威厳があるけれど。
公爵夫人にも型どおりの挨拶をして、応接に通される。
そこからは、ひたすら公爵と美由紀の打ち合わせが続いた。最初の目的地は、どうやら滞在中の日程を組むための場所だったらしい。公爵がそれを取り仕切るのには驚かされるけど、事務的な打ち合わせの場は、衛兵でも慣れているから、むしろ心が安らぐ。
その時点で異常な事態だという自覚はあるぞ。
「ヨコダイ様にも都合がありましょうから、できるだけ一つの場で済むよう考えてあります」
「ご配慮いただきありがとうございます。相変わらずの手際、感服しました」
「貴方ならもっとできるでしょう。中枢にお迎えできないのが残念ですよ」
王都にいる間に、誰にどの順で面会するか。
美由紀は公爵相当だけど冒険職。なので、すべての貴族に顔合わせする必要はない。めぼしい王族と、大臣クラス――公爵のいう「中枢」だ――が対象となる。ああ、もうこの時点で胃が痛い。
それだけならまだいいが、全人類でただ一人の特別な存在だから、その動向を気にかける方面には挨拶する必要がある。どういう方面なのかは、二人とも口にしなかった。国内の非主流派なのか、国外なのか。たぶん、両方ともだろうな。だんだん推測するのも面倒になってきた。
政治的な意味合いの予定とは別に、もちろん冒険職と衛兵の本部にも挨拶する。衛兵のトップの名前も知らない俺が本部を訪問して、いったいどんな目に遭うのかは想像つかないが、正直言って王族や貴族と面会するよりはマシな気がする。
それらを管轄する大臣にも、当然挨拶をしなければならない。ちなみに、どちらも同じ人物らしい。犬猿の仲なのに、武力に関わるということで一緒にされているというから、結構な衝撃だ。
「たぶん弘一は知らないだろうから教えてあげるけど、キジョー公爵が大臣よ」
「ええっ! そ、それは失礼しました。キノーワ所属の衛兵をやっております」
「存じておる。キノーワの兵は評判も良いぞ」
「そ、それはありがとうございます」
そういうことは先に言ってくれよ…と思うが、どうせわざとだろう。
もっとも、最初にここに来た理由も、公爵と打ち合わせする理由もよく分かった。王都で、美由紀にもっとも関係の深い存在ということになるからな。
「明日の朝、王宮にお越しください。内々に話はしてありますので」
「ありがとうございます。公爵もお忙しいでしょうに」
「なぁに、他ならぬヨコダイ様のことですからな」
ちなみに、キジョー公爵は美由紀が五段になる前から彼女を知っているらしい。そして、五段認定のきっかけになった事件で、世話になったということのようだ。
それがどんな事件なのかは謎だ。イズミの事件もそうだが、貴族が絡むような事件は表に出ない。それに、他国にまでその実力が知れ渡ったという以上、複数の国にまたがる大掛かりな事件だったと想像される。
美由紀に聞けば教えてくれそうな気もするが、彼女が自分で言わない限り、知らないふりをしておきたい。というか、そんな過去より明日の予定! 王宮だ!?
いや、予期していなかったわけではない。ないが、具体的に日時を決められてしまうと、逃げ場もない。明日の朝。もう今日は夕方。心の準備は…、ない方がマシなのかもなぁ。今だって、人生でもっともハードルの高い相手を前にしているわけで。
「この先は弟君がご用意なさったそうです。明日、またお目にかかりましょう」
「そうですか、ではまた明日、よろしくお願いします」
慌ただしく外に出ると、もう次の馬車が停まっている。
弟君って誰?
いや、普通は弟に「君」なんてつけないよな? もう今さら何が来ても驚くまい。
「ようこそいらっしゃいました。ヨコダイ様、コマキ殿」
「お久しぶりです。おかわりなさそうで何よりです」
そうして、言葉にしてみればさっきとほぼ同じ挨拶を交わす。
はっはっは。
予想通りでしたよ奥さん。国王の弟、ハンライ殿下に出迎えられている。もう驚かないぜ。そして俺が奥さんと言った場合、対外的には美由紀のことになっちまうぜ。なんてこった。
 




