二十五 神秘の滝の町タマス
悶々とした夜は明けた。
疲れと眠気は、美由紀の魔法のおかげで問題ない。むしろ昨日の朝より調子がいいぐらいだ。今さらだが、とんでもない能力だと実感する。
ただし、昨夜の会話は重すぎた。
「コマキ様、少々お疲れのようですが…」
「いえ、別に疲れてはいませんよ。それより、さっさと出発しましょう」
考えたってしょうがない。今は旅の途中。護衛の俺たちは、一応は四人の命をあずかる身なのだ。そう自分に言い聞かせて車に乗り込んだ。
「タマスまでは五時間ほどです。途中で馬を休ませますが、昼食は食べなくともよろしいですか?」
「私は構いません。皆さんもそれでよろしいですね?」
朝日を浴びて走る馬車。
昨日の朝には感じなかった、町とは違う空気。
性癖から何からいろいろあって、気がつけば立派な旅人になっていた、そんな気分。
「タマスには伝説がありますね。フーヤさん、ご存じですか?」
「その昔、聖者が立ち寄った山すそに、大きな滝が流れ落ちた、という話でしょうか」
唐突に始まった車内の会話。
そろそろ馬車の目的地も近いのか。
「そうそう、その滝の水を飲めば若返る、なんてお話もありましたわねぇ」
「瓶に詰めて売っている…と聞きましたが」
「まさかフーヤさんのお店でも?」
「ま、まさか。そんなことはありませんよ。私どもは、効能を証明できぬものなど扱いません」
「信用できるお店、ということですね」
老夫婦も加わって和やかに交わされる、タマスの名所談義。
初めて行く町の情報は、どんなものでもありがたい。俺たちの目的地は王都だし、滝を眺める時間はないかも知れないが。
「ありがとうございました、ヨコダイ様。道中の護衛においしい食事までいただいて」
「私もたびたび往復していますが、これほど快適な旅は初めてでした。お二人に感謝を」
「いえいえ…。こちらもいろいろなお話が聞けて良かったですから。それでは皆さん、この先も身体に気をつけて」
タマスに到着したのは午後一時頃。キノーワより小さな門をあっさり通過、解散となった。
なお、一応は同業なので、門番には挨拶をしておいた。キノーワの連中より真面目そうに見えたが、それは俺が本性を知っているかいないかの違いだと思う。いや、思いたい。
荷物の確認は簡単に済んだ。一応、例のカバンの口が開けられたが、普通のカバンとして処理された。衛兵の目を簡単にごまかせる魔道具の威力を見せられて、正直言えば複雑な気分だ。今さらだって? 今さらだろうが気になるものはなるんだよ。
「こんにちは。横代美由紀と申しますが」
「よくいらっしゃいましたヨコダイ様。一泊でよろしいですね。モリーク伯爵様よりうかがっております」
「はい。よろしくお願いしますね」
初めての町で最初に行く場所は、宿だった。伯爵が用立ててくれたのは、町で一番だろうと思われる立派な宿で、中では受付の男性に合わせて、数人の従業員が揃っておじぎをした。
何もこんな立派な宿にしなくとも…と思うのは浅はかなのか。五段の冒険職が王都に向かう、しかもそれを伯爵家が用立てするのだから、それぞれの面子を立てた結果なのだろう。
二階に案内されて、足を踏み入れた部屋は、正直それほど驚くようなものではなかった。
ただしそれは、あの屋敷と比較した場合の話。子爵の屋敷に居抜きで住み着いたという事実の異常さを感じずにはいられない。
「出発は明日の朝七時だから、今日は町でデートね。疲れてないでしょ?」
「え、あ…。疲れてはいないが」
「じゃあ決まりね。腕組んで行くわよー」
「それは…」
「何? お姫さまだっこ? してほしい?」
「されたら泣く」
「えー、そんなこと言われたら」
「やりたくなるんだろ? 分かったから少しだけ横にさせてくれ」
何がデートだと思いつつ、無駄に意識する自分に呆れる。
二人で歩くことなんていくらでもあった。ラヒータではなんでも屋連中に冷やかされた。今さらじゃないか。今さらじゃないか。
タマスは坂だらけの町らしい。最初に入った門から少し上った所に宿があり、その宿の前の道は、東側に長く続く上り坂だった。
そんな坂道を、住人たちは厭いもせず歩いている。談笑している。きっと知らないうちに鍛えられて、町中に鉄人が溢れている展開だと思う。
「弘一、あれが何か分かる?」
「え? ………な、なんで昇ってるんだ?」
「そんな田舎のおのぼりさんみたいな反応しなくとも」
れっきとしたおのぼりさんだ、俺は。
というか、そんなことより目の前で動くものだ。
大量の荷物を積んだ細長い台車が、坂をゆっくり昇っている。そう、馬もいない。もちろん、人が引っ張ってもいない…が、近づいて見ると、太い綱がピンと張られている。そうか、これで引っ張っているのか。
「何の力で引っ張るんだ? 馬か牛か?」
「弘一は本当に知らないのね。さっき、馬車で聞いた話を思い出して」
「馬車の中…」
必死に記憶を辿る。こんなものの話は聞いたはずがない…と、目の前を流れる水が目に入った。
「水か」
「そう。水が沢山あって坂があれば、こんなものも動かせるわ。十年ほど前に造られたそうよ」
「なるほど。キノーワでは無理ってことか」
原理を知ってしまえば、それほど難しい話ではない。流れ落ちる水の力を使って、レール上の台車を引きあげる。巨大な水車を、こんな風に使おうと考えた人の知恵には感心するけどな。
そして、豊富な水と流れが必要な以上、キノーワには設置できそうにない。そもそもキノーワには坂があまりないから、馬車や人車で事足りている。必要は発明の母って誰かが言っていた通りだな。
「どう? これなら緊張しないでしょ」
「え?」
油断していた俺は、何気なく横を見て―――、柔らかな陽射しに照らされて微笑む女神。記憶が飛びかける。
ずるいだろ、美由紀。
思わずよろめいた俺の手をガッチリ握った彼女は、そのまま坂を上っていく。
今さら離せとも言えず、そのまま上っていく。
彼女の体温が伝わってくる。息づかいも聞こえてくる。
「お手々をつないで滝を見た恋人は、きっと結ばれるんだって」
「………………」
「嘘よ。そんな話ないから」
「お前の主張なら、そもそも恋人じゃないだろ」
「やっと目が覚めた? 相変らず口が減らない人ね」
「お前にだけは言われたくないぞ」
坂の頂上にあった、話に聞く滝。思ったより高くはないが、辺りに飛び散る水しぶきが光っていて、素直にきれいだと思う。
広場には、手をつないだ男女は一組しかいない。だから美由紀がデタラメを言っていることぐらい分かる。
ただ、その一組はつないだまま、しばらく立ち尽くしていた。
「ここもそうだと思ったけど、違うの?」
「な、何を突然…」
不意に美由紀がつぶやく不穏な台詞。
はっとして見直した滝壺には、キノーワの噴水と同じ像があった。え? キノーワ神?
「用もないのに顔を見せる必要はないでしょう、ミユキ」
「確かにそうね。ただ確認したかっただけ。どこでも祀られている神は、すべて貴方だと」
「それは人間が勝手にやったことです。いろいろな名前で呼ばれていますよ」
どこかで聞いた声。そして交わされる会話。
タマスの神はキノーワの神、そして管理者。
結局、俺たちは神と話しているのか? 神?
「ありがとう。今はそれが分かればいいわ」
「貴方に感謝されるいわれはありません。私は貴方を敵視しています」
「それは私も同じよ」
彼女は俺の手を引いた。
そして、滝と石像に背を向けて歩き出す。
「小牧弘一。貴方はいずれ思い出す。いや、そのように強制されるだろう。果たしてそれは幸せなことだろうか」
手をつないで坂を下りる二人に、神はつまらない呪いの言葉をささやいた。
※玉簾の滝ですな。いよいよ次から王都編。




