二十四 揺れる旅路
王都へ旅立つ当日。
相変らず無駄に晴れたキノーワの町。南の城門に停まった乗り合い馬車を、衛兵がチェックしている。
「まさか貴様の積荷を確認する日が来るとはな」
「お前の仕事ぶり、とくと見せてもらおう」
カワモにただのカバンを確認させながら、ふんぞり返ってみる。なんだろう、この優越感。
荷物検査なんて嫌なだけと思っていたが、下僕を従えるような気分にもなる。だから普段も、俺たちはぞんざいな扱いなのだろう。
「ふふふ、帰ってくる時は、この中に我々への貢ぎ物が入っているのだな」
「何だよカワモ、カバンに女を入れたら誘拐って言うんだぞ」
「誰がそんな話をしてるんだ!」
お土産なんて、貴族の文化を持ち込むのはやめてほしい。まぁでも、飯屋のおばちゃんも配ってたな。憧れの王都に行ったなら、証拠を配れと言われるのも仕方ない気がする。
もっとも、俺たちは別に旅行するわけじゃない。いや、ただの付属物の俺は、物見遊山の旅行者か。
「ヨコダイ様、どうぞお気をつけて。コーイチも元気でな」
「ありがとうございますワイト様。帰ったらまた弘一をよろしくお願いします」
「は、はい! よ、喜んで」
どうせ短い旅だから、挨拶はあっさり済ませる。
しかし、対面している姿を初めて見たが、びっくりするほど挙動不審だな、ワイトさんは。美由紀の方が大きく見えるほどだ。
なお、実際の背丈はワイトさんの方が遙かにある。衛兵の中でもかなりの大男だからな。美由紀が大きいのはアレだけだ。え? その情報は要らない?
要らないというのは素人の浅知恵。世の中は大変なのだ。
俺たちが乗り込んで、馬車が動き出す。六人乗りに乗客は五人。美由紀と俺が隣同士、対面に乗っているのはタマスの商人一人と、タマスにいる息子に会いに行くという老夫婦。その狭い空間の中で、馬車が揺れるとどうなるか。
そう。
ばいんばいん揺れるのだ。
もう何というか、魂が飛んで行きそうな勢いで揺れる。ばいんばいん、ばいんばいん揺れる。商人の目はばいんばいんに釘付け。それどころか、老夫婦のご婦人の目までばいんばいんに釘付け。そして俺は―――。
「きれいな景色だなー」
「砂ぼこりがひどいわね」
できるだけ外を見て落ちつくしかない。頼むよ美由紀…と言っても、こればかりは不可抗力なんだよな。そうだ明鏡止水、あんなものはただ身体の一部が上下運動を強いられているに過ぎない…って、ますます意識するじゃねーか。
「タマスはいい町ですよ。川魚がおいしいですし」
「キノーワより水が豊かですよ、ヨコダイ様。うちの店も川沿いにございます」
「そうなんですね。帰りに寄ってみようかしら」
二時間ほど馬車に揺られ、馬も人も休憩をとる。
ばいんばいんは二時間途切れなかったが、さすがに一時間を過ぎると慣れた。美人は三日というから、これからはばいんばいんは一時間で飽きる、と宣言しておく。いや、誰に。
相席の面々とも、ポツポツ会話を交わす。
車内の格でいえば、美由紀が一番の賓客で、二番目はその伴侶という扱いの俺になる。とはいえ、商人のフーヤさんは、ひたすら美由紀に話しかけている。さっきの城門でのやり取りを見れば当然だし、そもそも以前から俺を見知っていたという。門番は隠し事ができないな。
休憩地は、小屋が二つと水場がある。小屋は無人で、旅人用ではないので閉まっているが、外のテーブルや水場は開放されている。
木立に囲まれているから、暑い季節でも問題なさそうだ。悪い連中が隠れるにも良さそうだが。
「一応、私が護衛も兼ねていますが、この辺は安全ですよね」
「月に一度は往復していますが、盗賊の類に遭ったことはありませんね。ヨコダイ様」
「二年前に出たっきりだな。俺が知ってる範囲では」
「衛兵のコマキ様もそうおっしゃるなら安心です」
俺の発言はただの確率論だから価値はない。
まぁあれだ。美由紀がいる以上、現れたら盗賊の身がどうなるか心配だ。盗賊肉のソテーなんて出されたら、一年は肉断ちする自信があるぞ。いや、一年では済まないか。
「皆さんもいかがですか? 大したものではありませんが」
「よろしいのですか、ヨコダイ様?」
「どうぞどうぞ。沢山ありますから」
そして、どこからともなく美由紀は食べ物を取り出して、みんなにふるまった。上等なパンに燻製肉や卵を挟んである。俺が彼女から逃げられない理由の一つだ。
三人の客と御者は、目を丸くしながら食べていた。
そもそも野宿を含む二日間の日程。馬車には重量制限もあるから、そんなに重い荷物は持てないし、普通は干した米や肉などの携帯食でしのぐものだ。
まぁ今回はアラカ所長の斡旋なので、俺たちとその荷物を先に載せている。荷物籠の中は見られていないから、多少の無茶は通るかも知れない。
というか、本当は俺たち二人だけに用立ててくれたのだが、せっかく空いているからと、美由紀が他の客を募ったわけだ。御者の側も、貸切の料金を前払いで受け取っていたので、特に反対はしなかった。
その代わり、彼女が三人から「気持ちだけ」お金を受け取っている。ただほど怖いものはないでしょうと彼女が言うと、フーヤさんが笑っていた。なんだかんだと、商人と冒険職は似ているようだ。
ああ、しかし余計な話ばかりしているが、美由紀の作る飯は本当にうまいんだよ。最初は遠慮していたみんなが、ガツガツ食べてしまったから、ほんの少ししか食えなかったぞ。
まぁいいけどさ。
馬車はその後も、タマスに向かって走り続けた。
イデワ王国は近年、街道の整備に力を入れている。戦乱がなくなった以上、都市間の交易を増やす施策をとるのは当然のことだ。キノーワとタマスの間も、こことは別のルートを建設中らしい。
昔からあるこの道も、馬車用の溝のついた石が敷かれている。それほど揺れることもなく快適だ。いや、快適というのは言い過ぎだな。思ったほどではなくとも揺れるし、お尻が痛くなるし。
美由紀とフーヤさんは割と平気のようだが、老夫婦は疲れた様子。慣れの問題もあるのだろう。
「今夜はここで一夜を過ごします。一応、簡易な天幕は用意してありますが、くれぐれもご注意ください」
「天幕は私も持参しました。二つあればゆっくり休めるでしょう」
「そ、それは助かります。ヨコダイ様」
宿泊地は通称ナカツミと呼ぶ場所。門番の仕事でもよく聞く地名だが、実際に訪れるのは初めてだ。
地形はさっきの休憩地と大差がない。そもそも、キノーワとタマスの間は、だいたい平地が続いているから、木々が多いか少ないかぐらいの違いになる。野営地は木々の多い場所で、水が確保されていることが条件になる。
ナカツミには、数軒の小屋も建っている。猟師や山仕事用のものの他に、衛兵の詰所が一つ。
衛兵は普段はいないが、秋の収穫期など人が多い時期には、キノーワとタマスから派遣されている。ただし、ここに詰めるのは腕が立つヤツだから、俺は対象外だ。
詰所の前にある野営用の広場には、先客の天幕が数張り。空いている場所に、御者が積んであった天幕を張り、隣には美由紀が例のカバンから取り出したものを並べて立てる。
どう考えても、あのカバンに入るはずがないサイズだが、荷物籠は直接見えないし、そもそも美由紀が主客なので誰もツッコミは入れなかった。
「皆さんもいかがですか? たっぷりありますから」
「…ほ、本当によろしいのですか?」
ただし、大きな鍋に肉や野菜を放り込み始めると、さすがにざわついた。
夕食は、めいめいが持参の携帯食と、美由紀が作った具沢山の鍋料理。というか、鍋には小麦の麺も入っているから、それだけで十分な食事になる。匂いに釣られた他の天幕の人たちも集まって、宴会が始まったような騒ぎになった。いや、酒を飲んでる人もいるから宴会だ。
これでも美由紀にしては、ものすごく控え目にしている。ギリギリ持てるかもしれない程度の範囲に収まっているからな。
やがて静寂に包まれた夜。
御者と三人の客には眠ってもらい、俺たちは空になった鍋の近くにいる。一応、護衛を兼ねているから、寝ずの番をする…ふりだ。
実際には、美由紀が結界を張っているから、番をする必要はない。がら空きでも泥棒一人現れない屋敷で、その威力は経験済みなので、俺自身は全く心配していない。とはいえ、それを天幕の面々に伝えるわけにもいかないからな。
「弘一は眠ってもいいわよ。それとも、魔法で疲れをとってあげようか?」
「今回は仕事とは言えないから、疲れをとってもらえれば嬉しい」
「相変らず他人行儀なのね。そろそろ諦めて、朝まで寝かさないとか言ってくれたらいいのに」
「そ、そ、そういうのはだな…」
油断してるとこれだ。
そりゃ、こんな場所で二人きり、しかもおあつらえ向きに二人専用の天幕まである。旅をして昂揚した二人がついに…なんて、あぁ、そうだ、これはカワモの妄想話の定番だった。
萎えたぞ。どうしてくれる。
いや、最初から俺にそんな気はないけどさ。そんな勇気ある男に見えるかって。
「こういう野宿は経験豊富なんだろうな、冒険職ともなれば」
「そうでもないわ。だって、来訪者なのよ、私は」
「………………」
「聞こえないようにしてるから大丈夫」
「そうか。ならいい」
いきなり危うい話題に入ったので、さすがに緊張した。まぁ、彼女がそんな発言をうっかりするはずはない、それぐらいの信用はしているけど。
そうか。
今はいくらでも話ができる、か。
「お前には来訪者になる以前の記憶がある。ということは、いつ来訪して、どれぐらいここにいるかも分かるんだな?」
「もちろん。…もう三年になるわ」
「三年…か。まさか、最初から俺を探してたわけじゃないだろ?」
「探してたわ。貴方を。それ以外にここにいる理由があると思う?」
それは怒りに震えた声ではなく、ただ遠くを思い出すような響きだった。
俺には重すぎて、何を言っていいのか分からない。
「くだらない質問をした。悪かった」
「別に構わない。今は貴方と一緒にいるから」
「しかし…」
そんな一言で済ませないでほしい、と心から願う。
こんな…、掃いて捨てるほどありふれた衛兵には、お前を受け止めるような力なんてあるはずがない。お前は、イズミだって比べ物にならないほど特別な存在なんだ。伴侶にふさわしいのは、少なくとも今の俺じゃないんだ。
「なぁ美由紀」
「なあに?」
「俺は自分が来訪者なのかも知らないし、過去の記憶もないが、ただ…」
「ただ?」
知りもしない自分を語ろうとする滑稽さ。
だけど、ここにいる違和感が消えない限り、それは聞いてみるしかない。
「優柔不断で頼りにならない今の自分と、その過去の自分は違うのか? たとえばその…、昔の俺はもっと」
「もっと頼りない男だった。ずっとずっと優柔不断で」
「ならなぜ…」
「誰かを好きになるのに、理由は必要ですか? 弘一にあの頃の記憶がなくとも、何も変わってないわ。文句は多いけどやさしいところも、女性に免疫がないことも、それから……」
「……………………」
それ以上の会話はなかった。いや、できなかった。
すべてが美由紀の嘘かも知れない。
管理者にしても、都合よく俺には聞こえる形で姿を見せた。彼女なら、あれぐらい大掛かりな真似だって可能だろう。
それ以外の話は、すべて彼女からの伝聞でしかない。
だが―――――――。
優柔不断で頼りにならない自分は、そろそろ少しだけ前へ進む時なのかも知れない。いつまでも必要のない言い訳を重ねている自分は。




