二十三 おかしな旅行者
※第4章、旅に出ます。いっぱい登場人物が増えます。憶えなくていいと思いますが。
「おはよう、弘一」
「あ、ああおはよう。美由紀」
「明日には旅に出るから、そのつもりでいてね」
俺は来訪者だった?
昨夜の自分は悶々としていた。眠れるはずもなく、いつまでも意味のない問いを繰り返すしかなかった。
「安らかな眠りには…つかなかったようね」
「それじゃ死ぬだろ」
「減らず口を返せるなら大丈夫ね」
「お前も…な」
寝不足で体調は最悪。そのわりに意識はしっかりしているし、頭も今は働いている。彼女の言うように、軽口を叩くことだってできる。たいした奴だな。
……そりゃまぁ。
独りじゃないからな。
「来訪者、か」
「実感はない?」
「あるわけないだろ。ただ…、いろいろ腑に落ちるのは確かだ」
昨夜、イズミが並べた俺の過去。孤児院にいたという記憶がうっすらあるだけで、それ以前が何もないことを示している。
両親の記憶がない。だから孤児院だと理屈で分かっていても、いつどうやって孤児院に拾われ、そして中でどんな生活をしたのか、何一つ覚えていない。
そこで来訪者だったという条件を与えられれば、どうだ。
記憶がないのは、そもそもこの世界にいなかったからだ、となる。絶望的な形で説明がつく。
「美由紀は…、昔の俺を知っているんだな」
「最初からそう言ってる」
「あの時と今じゃ状況が違う。まさかそんな過去が自分にあるなんて、思うわけないだろ?」
「そうね。それが、あの管理者のやり方なんだって分かったわ」
二人で向かい合って食事をして、のんびり茶を飲む。
管理者という響きで、あの時の激高する様子を思い出すけれど、目の前の女性は穏やかな表情でカップに口をつけ、そして向かいの視線を感じてそっと微笑む。
…………。
女神の微笑みに晒されれば、今だって平静ではいられない。
だけど、そんな自分たちの土台が、そもそも違っていたのなら―――。
「要するに、どこか別の世界にいた俺たちは、あの管理者のせいでここに連れて来られたってことか?」
「弘一はそう。太郎平さんも」
「お前は違うのか?」
「私は違う。自分の意志で来た。管理者が望まなかった来訪者…だから、記憶も残ってる」
「何のために?」
「決まってるでしょ。弘一を取り戻すために」
寂しそうに笑う美由紀を眺めながら、俺は呆然とする。
無茶苦茶だ。
俺を取り戻す? 確かに美由紀は初対面でそう言った。あの正気とは思えない出逢いに、お前はどれだけの覚悟を抱いていたんだ。無茶苦茶だろ…。
「すみません、結局わがままを通すことになってしまって。カワモも済まない」
「別にいいさ。新婚なんだろ」
「書類が多いのがなければ何とかなる。いずれは復帰するんだな?」
「絶対します。何がなんでも戻りますから、よろしくお願いします!」
「そ、そこまで愛される職場だったとは…、なぁ?」
「お、俺も待ってるぜ、コーイチ」
旅の準備は、例によって何もやることはない。強いて言うなら、門番に自分の留守を伝えるのが仕事だ。
俺にとって、今やるべき悲壮な覚悟とは、職場復帰。
半月の休みは、その間にどんな形で横やりが入るか分からない。これまでなら鼻で笑っていたような話だが、今は冗談ではなくなっている気がする。
もちろん、例えば伯爵家で雇われるのが嫌ということではない。イズミに顎で使われるかも知れないけれど、あの家に特別悪い感情はないし、恐らく衛兵より金はもらえるだろう。
ただ、俺は衛兵に拾われて今がある。大したことではないが、任される仕事もある。誰か代わりが入って、自分が不要になった時に、次の行き先を考えればいい。
それに、職場の仲間も気に入ってるんだ。
なかなか決まらないワイトさんの結婚相手も、撃沈続きのカワモの行く末も、見届けずに死ねようか。いや、それは見届けなくていいか。
既に今日から休暇だが、結局夕方まで働いた。一応、いない間の仕事の割り振りもあるし、引き継ぎもぎりぎりまでしたい。
交代でやってる任務は別として、押しつけられがちな書類整理は、ワースさんのつてで事務職を臨時に送ってもらうことになった。そこまですることか、とも思うが、みんな思ったより不安を覚えているらしい。俺の存在意義って、少しはあったんだろうか。
休暇の挨拶を最後にして、城門を離れた後は、屋台街を素通りして、すぐに屋敷に戻る。無人の屋敷に荷物を置いて、なんでも屋のエリアに向かった。
ラヒータ地区は、そこに集まる人種の都合上、旅に必要なものが売られている。間違いなく旅に出るのだから、一応は店をのぞいてみた。
王都までは乗り合い馬車を使う。アラカ所長が信頼できる車を用意してくれるらしいのはありがたいが、残念ながら一度は野宿が必要らしい。二日目の昼過ぎにタマスという町に着き、そこからは新しい乗り物があるという。鉄の上を走る馬車だと言っていた。
それが往復で、王都にもそれなりに滞在するのだから、けっこうな長旅だ。しっかり準備するのが当たり前だ。
なのに「一応」なのは、必要なものは揃っているから何も要らないと、美由紀に言われているからだ。
正直、美由紀の方が旅は本職なのだから、任せるのが一番だ。野宿といっても、あの怪人と一緒ならモンスターが逃げ出すに違いない。眠りながら解体しそうで怖い。
まぁそれは冗談だが、馬車については彼女が護衛を兼ねる形で、多少の便宜が図られるそうだ。
結局、何を用意していいのか分からず、手ぶらで帰宅した。
ちなみに、美由紀はまだ外出中。玄関には鍵がかかっているが、扉の前に立っただけで開くようになっている。彼女が言うには、鍵を使うより安全だという。まぁ、こんな真似ができるならそうだろう。
なお、開くのは俺たちとイズミの三人だそうだ。いくら何でも、伯爵令嬢が住居侵入するとは思えないが、イズミのあの性格ではやりそうな気もする。
「ただいま。ちゃんと別れの挨拶はしてきた?」
「少々休みを取るという挨拶ならしたぞ」
「…別に私は貴方の仕事に口出さないわよ。私は」
「へいへい」
やがて帰って来た美由紀は、やはり手ぶらに見える。
付き添いでほぼ何も知らない俺はともかく、当事者なんだから準備しないわけないだろ、と思うのだが。
「で、荷物はどこだ? 俺も運ばなきゃならないだろ?」
「別に。私一人で大丈夫だけど」
「いや、その、どうか持たせてください」
美由紀があれなのは知っているが、隣で手ぶらで歩くなんてみっともないだろう。衛兵の面子というものもある、と食い下がった。
すると彼女は、カバンを一つ差し出した。一応新品のようだが、ラヒータの雑貨屋で売られていたものと同じに見える。新人冒険職にはこれ一つ、とか宣伝されていた。こんなものを持ち歩くのか。
そして持ち物は、これと小さな手提げが一つだけ。だけ?
「他はどうするんだ? これじゃ、着替えも入らないぞ」
「入ってるわよ。ねぇ弘一、最初にごはん食べた時のことは覚えてる?」
「えっ?」
いきなり昔の話をされても…とうろたえたが、考えてみたら一ヶ月も経っていない。美由紀と出会ってから、時間の感覚がおかしくなっている。
で、あの地獄の食事会が………って。もしかして?
「開けてみる?」
「おぅ………………………………。な、なるほど」
渡されたカバンを開けて、文字通り絶句した。
一言で言えば、異空間だった。
市販の初心者用の外観なのに、開けてみれば、この屋敷より広い空間が見える。冗談としか思えない。
「これは…、噂に聞く魔道具ってやつなのか?」
「この世界で呼ぶとしたら、魔道具なのかもね。噂に聞くほど存在しないと思うけど」
「つまり、お前専用と」
「本当は、貴方も持っているはず」
一応説明しておくと、新人冒険職用のカバンの中に、魔道具のカバンを隠している。空間の大きさは、美由紀にもよく分からないらしい。
五段の冒険職という肩書きで、ギリギリ納得するレベルのトンデモアイテム。そんなものを、俺が持っているはずはない。いや、今は持っていないと言っているのか。
そういえば、あの金貨のやつも…。
「来訪者の持ち物と考えていいのか?」
あの時、美由紀が見せた「手品」の意味を、今ごろになって知る。
なるほど。確かにああすれば、俺がどういう状態でここにいるのか分かるわけだ。
「そう。ただし来訪時に没収されてる」
「誰に…って、あれか、管理者か?」
「もちろんそうよ。貴方も物知りになったわ」
「誰かさんのおかげでな」
どっちにしろ、今の俺は持っていない。取り返す? そりゃあ、このカバンがあれば便利だろうが、衛兵の仕事を続ける限りはあまり必要を感じないな。
分不相応の「お宝」を手に入れて、それに合わせた仕事を始めるとか、なんでも屋方面で聞く話だ。あいつらの中には、それを夢見てるヤツもいるが、俺には死に急いでるようにしか思えない。
まぁいい。そもそも、美由紀にこのカバンはふさわしいものだ。俺の荷物も入れてもらえば…、ああ、これを世にヒモと呼ぶのだ。
「お前の過去もいろいろ分かるんだろうな」
「王都で知ることなんて、つまらないものよ」
「つまらなくはないさ。お前のヴェールが剥がれていくなら」
「それは実力行使されると考えていいの?」
「絶対に違う」
「あら」
一応、今回の日程は美由紀の都合。そこにイズミの無理難題を加えた形だから、俺はオマケでしかない。なので、主体的に動かなかったとしても非難される筋合いはないはず。
動かなければ動かないだけ、ヒモ濃度が上がっていくけどな。
王都での宿も、モリーク伯爵家が手配してくれた。もちろん娘の婚約破談のためではなく、世話になった冒険職のためだ。なんだか騙しているみたいで申し訳ないが、娘の願いが祖父の遺志なら仕方ないと思い込むことにする。
その上で、我々の旅には、圧倒的に他と違う点がある。そう、瞬間移動でいつでも帰れるということだ。
異空間のカバンはあるが、持ち歩くより戻った方が都合がいいのは当たり前。ただ、それを旅と呼ぶのかが問題だな。
「で、後学のために聞いておくが、イズミの婚約者とはどうやって会うんだ? 面識はないよな?」
「それは決まってるじゃない。私たちは覗きのプロよ」
「そこは「私」にしてくれ」
「なあに? 男じゃ気乗りがしないの? イズミは可愛いよね?」
「いちいち脅すなよ。乗りかかった船だ。俺だって覚悟はできてるさ」
男を覗くことに気乗りがしないのは否定しないが、女だから覗きたいとも思わない。嫌な緊張感と罪悪感が萎えさせると、イズミの一件でよく分かった。
まぁ正直、一緒に覗いてるヤツが、覗く対象より魅力的だという問題が、諸悪の根源だ。え、悪じゃないだろうって?
旅の打ち合わせは終了。戻れるという前提だから、移動中に不自然に思われない程度の荷物と、ふさわしい服装さえ用意できればいい。で、それは元から彼女任せ。
手持ち無沙汰だから―――、破談の方法でも考えるか?
全く想像もつかないな。むしろ、それが想像できるぐらいなら、美由紀のあの攻勢にだってうまく立ち回れただろうな。
だいいち、イズミの爺さんの目的は破談だったのか? 仮に首尾よく関係が切れたとして、それで終わりなのか? あのバンババン爺さんが、後継者と呼んだ孫にその程度のことしか考えていなかったとは思えない。
なんだか厄介事の香りがするなぁ…って、最初から厄介事のただ中じゃないか。




