二十一 俺とお前と
「私は貴方に困っているのです。そう、………ミユキ」
キノーワ神の石像が立つ広場で、突然響いた謎の声。
なんだ? これがキノーワ神なのか?
もしもそれが本当なら、すごい奇跡。いつもガラガラの教会が大賑わいになるほどの…なんてね。
本能的に察知している。この声には何もありがたがるような要素がないことを。
いや、本能…なんてものじゃない。隣で殺気を放つ美由紀が、すべてを物語っているのだ。
俺に向けられたものではないのに、あの時のように胸が苦しくなるほどの殺気が。
「困っている? 私もそうよ」
「………」
「管理者、と呼べばいいかしら」
「ええ、貴方には本当に困ったものです。その身体で何をしたいのやら」
管理者? なんだそれ。美由紀は声の正体を知っているのか?
ふと気かつけば、一時は無人になった噴水の側に、子どもたちが戻り始めている。何も変わらない広場の景色が回復し始める。顔見知りの衛兵が向こうから歩いてくる。どうしたらいいか分からず、身体が硬直したまま黙っていると、その男は横を通り過ぎた。俺に気づいた様子もなく。
………これは?
あの時、イズミの事件と同じなのか?
ということは、やはりこの声が犯人だったのか? ということは神さまが?
「ミユキ。貴方のおかげで…、いえ、貴方の思惑通りにでしょうか。最後のイベントは散々でしたよ。もっとも、不満の声を聞く機会ももうありませんがね」
「終わらせるのね」
「終わらせる? 貴方のせいで続けられなくなった、それはよくご存じでしょう?」
「勝手な言い分よ。あんなものを始めたことを詫びるべきでしょう」
「な、何を言ってるんだ? 美由紀」
会話が続いている。というか、美由紀はこの相手を知っているのか?
イベント?
終わらせる? 何を?
「そこの方は…、なるほど、今の貴方はキノーワの良き働き手なのでしょう」
すると、謎の声は俺に語りかけてくる。
男なのか女なのか分からない。しかし、気味が悪いほどにはっきり伝わる声だ。
「か、会話できるのか? 誰なんだお前は?」
「ミユキが邪魔しなければ、この星はもっと良くなったことでしょう」
「バカなこと言わないで。貴方は許せないことをした!」
脳に流れ込んでくるような声に、意識が薄れかけたが、怒鳴り声で目が覚めた。
美由紀の表情は、今までに見たことのないもの。激高している。この何者かに対して。
「許せない? それは私もそう思っていますよ、ミユキ。もはや取り返しのつかないことになった責任は、貴方にあります」
「取り返しのつかないことをしたのはどっちかしら」
「フフフ…。今は争う気にはなれませんね。ただ、貴方にとって今の状況は悪いことなのですか? ミユキ」
「ふざけ…ないで…」
謎の声は、言いたいことが終わると消えた。もちろん、何の姿もないのだが、ここから去ったという感覚は確かにあった。
美由紀は…、青ざめた顔で荒く息を吐いている。
物理的に攻撃を受けたわけではない。ただ彼女は…、怒っていた。初めて見るその姿に、俺はただ立ち尽くすしかなかった。
屋敷に戻った俺たちは、そのままソファーに腰をおろす。
美由紀は、あれから一言も発していない。
無敵と思っていた世界に、同等以上の敵が現れた? そんな力の問題ではないだろう。
ヤツは美由紀を知っていた。美由紀も…、およそは分かっていた。
俺にはほぼ何も分からない。ただ、あれはそうだ。イズミの事件に関わると知っていながら、彼女が口をつぐんでいた部分なのだと、それだけは確信できる。
「弘一。私は嘘をついていた。そういうことよ」
「…………お前には嘘をつく理由があった。そういうことなんだろ?」
「…………………」
らしくない姿でうつむいている。
そんな姿は…、いつもより小さく見える。
「俺をここに住ませたのは、あいつから護るためだった。そう考えていいんだな?」
「…そうよ」
「管理者というのは、もちろん本当の名前じゃないよな?」
「たぶんね。…でも、他の呼び名は知らないわ。会話できるなんて思わなかったから」
「じゃあ美由紀はどこまで知っていたんだ? あれを」
別に今さら責める気はない。美由紀は本当に俺を護ろうとしていたんだ。
そうは思いながらも、矢継ぎ早に疑問を投げかけ続ける自分。まるで責めているようじゃないか。
だが、美由紀は次第に元気を取り戻しているように見える。
問われれば答えてしまう性格。結局、口が達者なのは生まれつきなのだろう。
「この世界には外側がある。外側からは、私たちの姿が見えるけれど、こちらからは見えない。そんな関係で」
「あいつは、外側にいるのか?」
「あの声がどこに立っているのかは分からない。外側は…、別に神さまでもなんでもないから。外側からここが覗かれているのは、あいつの仕業でもある、というだけ」
「むむ…」
外側。そう言えば、前にも美由紀は何か言っていた気がする。
これまでなら、荒唐無稽で済んでいた話。しかし、思い当たる節がなかったか?
「たとえば、お前の言う外側から、俺たちに対して接触はありうるのか? もしかして、イズミの一件はそういうことなのか?」
「いい推理ね。さすが弘一、あいつも一目置く男だわ」
「ふざけるなよ。あれは俺のことなんて歯牙にもかけてなかっただろう?」
「嫌な話だけど、あいつは貴方が何者なのかは分かっていたわ。そしてたぶん、私が側にいる理由も知っている」
ようやく笑顔を見せたな。
何だろう。このわけの分からない状況の中で…、いや、今はそのことは考えない。きっと冷静な自分ではないはず。
でも仕方ないんだ。美由紀は笑っていてほしい、そう思うから。
「抽象的な言い方になるが――――、あれはお前より上なのか?」
「私は上だと思ってるけど、向こうはたぶん同格という扱いかな。私に攻撃はできないみたいだから」
「可能だったら、お前は攻撃対象になるってことか?」
「排除すべき対象なのは間違いないでしょうね。貴方も…」
俺も?
語尾を濁したが、どうもさっきから美由紀は俺も同類だと言いたげだ。
悪いが、俺には何の力もない。そもそも、それがあるなら保護される必要がないだろうに。
「ここからのつぶやきは独り言。弘一に話した、という事実ができるとまずい気がするから」
「………」
ああ、独り言をつぶやいただけなのに、誰かに盗み聞きされているわ。うかつなことをして、私は謝罪しなければ…などと、美由紀は文字通り独り言をつぶやいている。ものすごく不自然な演技で。
当然、釣られてものすごく声を出したくなったが、必死に抑える自分。俺を当事者にしない配慮だというし、とりあえずは我慢しておかなきゃ。
「イズミは、イベントのお手伝い役」
「はぁ!?」
「今、私は独り言をつぶやいているわ。きっと誰もここにはいないわ」
………白々しい台詞。要するに、反応して声を出すな、ということか。
しかし、声を出さずに耐えられるだろうか? 最初の一言で、既にツッコミを抑えられないというのに。
「こちらからは見えない外側の人たちは、イズミと仲良くなろうとする。条件を満たしてイズミがその人の元に来たら、情報を教えてもらう資格を得る」
「…………」
「そうして情報を教えてもらったら、イズミとの接触が終わって、その人たちは別の対象…イベントに移動する。その繰り返し」
「………………」
「それはイズミに、一定期間だけ与えられた役割。伯爵令嬢イベントが終了すれば、彼女は解放される」
何を言ってるんだ?
わけが分からないままに、腹は立つ。イズミは外側のヤツらのおもちゃなのか? それも、アレが仕組んだというのか?
美由紀があくまで、勝手な独り言をつぶやいただけ。だけどそれが嘘だと思えるほど、今の俺は無知ではない。勝手な独り言は、起こっている事象を無理なく説明できている。
「以上、独り言終わり。あー、いい独り言だったわ」
「声出していいのか?」
「いいわ」
一仕事終えた顔で、息をつく美由紀。
これを知った上で、一人で抱えていた。そういうことになるのか。
「なぁ美由紀。今の話は…」
「弘一は衛兵の訓練でやらなかった? どこかに隠された指令を発見して、お宝を見つけ出せ、とか」
「…………………」
もやもやした部分をどう聞こうかと思ったが、見事な補足説明だ。
今さら言うことじゃないが、口から生まれた女だな。
「それって、ゲーム、だよな」
「そうね」
「見えない人は…、ゲームをしてるってことだよな」
「そうね」
俺たちの世界の外側で、誰かがゲームをしている。そのゲームは、この世界の人間を巻き込んで行われている。
無茶苦茶だ。
だが辻褄は合う。
イズミと話していた謎の声が求めていた「暗号」。それは伯爵家に関わるものではなく、イズミが答えた形跡もなかった。
だが、「暗号」が外側のゲームに必要というなら話は別だ。イズミは何かを伝えるが、その対象は俺たちの世界ではないから、声は聞こえなくとも良い。そして「暗号」も、当人が意味を知っている必要はないだろう。
いや、そもそもイズミはただ伝達の役を与えられ操られただけ。彼女に「暗号」を聞くという作業が、指令の一つだったのかも知れない。
「イズミに伝えるべきじゃないか」
「…伝えてもいいと思う?」
知らないままではかわいそうだ。
だが、彼女に伝われば、あれの敵になってしまうだろうか。それよりも…。
「イズミが危険な目に遭わないなら、教えてやりたい。それはお前次第だが」
「あの子のこととなると熱心なのね、弘一は」
「か、からかうなよ」
「冗談よ。弘一は私の伴侶だから」
拗ねたりごねたりしながらも、イズミに伝えることで見解は一致した。
一応、知ればトラブルに巻き込まれる可能性があると警告した上で、彼女が望めばという条件をつけておく。恐らくイズミは望むだろう。操られたことを知っているだけでなく、俺たちを使って抵抗しようとしたほどの者なのだから。
「本当のことを言えば、最初からイズミには伝えるつもりだったわ」
「信用しているのか?」
「それはもちろんだけど、もっと重要なことがある。彼女の名前は…、お祖父様につけてもらったそうよ」
「はぁ…」
そこに何の意味があるのか、さっぱり分からない。
ただ…。
「もしかして、同類なのか?」
「かも知れない、というだけ」
これほど重大な事案を、曖昧な推測だけで話しはしないだろう。
正直、俺には自分と美由紀が同類という前提すら理解できないから、何も判断はできない。そして今は確かめる気にもなれない。
「それで…、弘一」
用件は済んだ気がしたが、美由紀の表情はまた曇っている。
ああ、今日は大変な一日だ。
「私の正体は聞かないの?」
「いずれ話してもらう。でも今日は疲れた。もう頭が回らない」
「出て行きたかったら、止めないわ」
「なぜそんな話になる?」
「得体の知れない女でしょ?」
「得体なんか、元から知れなかっただろ」
ワイトさんやカワモと、くだらない話をしていた毎日。
そんな日常にいた自分が、どうしてこんな頭のいい女といい争えるのだろう。
「お前が怒っていた。その理由の一部が俺なんだと分かった。それで十分だ」
「それは別に…」
「それに俺は、胸の大きな女が好きなんだ」
「今それを言うのね。卑怯な…、私の大切な人なのよ、貴方は」
別に日常が失われたわけじゃない。くだらない話をしている毎日には、俺とお前の毎日も含まれるようになった。それだけのことだ。
自慢の性癖だって、もちろん何も変わっていないさ。




