二十 安易な神頼み
「弘一。休日は何をする日?」
「はぁ? 休日は休むから休日だろ?」
美由紀とイズミが悪巧みを始めてから数日。
五段の冒険職がキノーワに自宅を構えたという事実は、アラカ所長を通じて各方面に伝わったというが、王宮方面には直接報告する必要もあるらしい。そう、これが彼女の言っていた、王都に行く用だった。
今さらながら、美由紀の身分に驚かされるし、用件がそれならば、俺が留守番することも不可能だと腹をくくるしかなさそうだ。
ちなみに冒険職の五段は、扱いとしては公爵相当。だからイズミの家より上、さらにギケイ閣下も侯爵相当だから、美由紀の方が上になってしまう。伯爵が様呼ばわりしたのは、そのためのようだ。
まぁあくまで「相当」であって、公爵ではない。結局は、扱いに困っているということだし、だから現住所を教えて、悪さをしていないと証明するわけだな。
「衛兵任務はしばらくお休みか」
「ごめんなさいね、弘一」
「仕方ない…と思っている」
「私と結婚したことは認めているのね?」
「それとこれとは話が別だ。美由紀の近況報告に俺が必要なのは理解したというだけだ」
「あらそう」
適当に軽口を叩きながら、円月殺法に向かう。なぜか美由紀はあの店が気に入ったらしい。いや、味は確かなんだが、主人は気難しいし、変な名前だしなぁ。
ともかく、王都には俺も同行する。するしかない。
別に王都で有力者の家をまわったりする予定はなく、基本的には用件を伝えるだけと美由紀は言っている。その辺は正直全く信用していない。俺が逃げないよう適当にごまかしているだけだと思う。
あの五段が定住先を決めた。ただそれだけで、イデワ王国どころか周辺諸国にも波紋が広がったらしい。そこの説明をするには、定住する理由、つまり俺という生物も連れて行かざるを得ない、というわけだ。
まぁどうせ、俺を見て唖然とした連中を、美由紀が脅す展開だろう。あまりに予想がつきすぎて嫌になる。
「何か準備はいるのか?」
「貴方は着替えさえあればいいわ。それに、いつでも帰れるから」
「……無茶苦茶な計画だよな、全く」
要するに、美由紀の能力なら王都にも一瞬で移動できる。しかし、それを公にするわけにはいかないので、往復の旅はそれぞれ三日間の馬車移動。現地では宿に滞在することになるが、用があれば部屋から屋敷にいつでも戻れる、という感じだ。
留守のはずの屋敷に突然人影が現れて、騒ぎになりそうな気がするぞ。
それ以前に、キノーワに戻っているのに仕事場に行けない状態になるのが悲しい。屋敷の外には出られないから、会えるとしても共犯のイズミだけだ。
「イズミも呼び出すんだよな?」
「もちろん。自分の目で見なきゃいけないわ」
ザイセン殿の近況見聞については、無報酬で引き受けた。
そもそも、イズミの策謀をこなすだけなら、瞬間移動と認識阻害だけで済む。こっそり覗くだけならの話だが。
面倒な日程の大半は美由紀自身に起因するのだし、困っている友人を助けるという名分なのだから、報酬などもらえるはずはない。
――――まぁ、仮に契約を交わすとしても、依頼して払うのはイズミ個人。伯爵家の依頼なんてことになったら、それこそどんな禍根を残すか分からないわけで。いや、事務所を通せばイズミ個人でも大事になるか。
「そう言えば…、向こうはイズミを探ってないのかな?」
「探ってるでしょ、当然。なぜ結婚を遅らせてるのかも、分かってるはずよ」
密偵を入れて相手の様子を探るぐらい、向こうだってやっているか。
ならば今回の騒動は? あの認識阻害から逃れられるほどの密偵はいないと、美由紀は断言しているが。
「そういうのって、冒険職を雇うのか?」
「貴方はまさか、事務所でふんぞり返って酒飲んでしゃべってる人たちにそんな仕事ができると思うの?」
「お前の格好を見て鼻の下をのばしている人たちには無理そうだ、とは思う」
美由紀には呆れられるが、俺だってまさかゴーシ辺りに任務が果たせるとは思わない。なんでも屋と言ったって、本当に何でもできるはずはないのだ。
ただし上級の冒険職なら、貴族の依頼を受けるというのも事実だからな。
じゃあどうするのか…と聞くと、使用人に息のかかった者が入っている、と。怖っ…と思うのは、俺が貴族じゃないからだろう。婚約にあたって、互いに人員を送るのは当たり前で、伯爵家からも向こうに送り込んでいるそうだ。
「つまり、相手が目に見えて素行不良だとかいう話はないわけか」
「イズミのお祖父さんの素行は伝わっていたでしょうね」
それって、こちらがかなり不利な条件なのでは、と思うが、イズミの祖父は若い頃から奇人だったらしいから今さらか。むしろ、結婚引き延ばしを奇行のせいにしていたのなら、策士といえる。
実際、太郎兵衛さんは学校創立の事実で分かるように、奇人ではあるが頭は切れる人だったらしい。伯爵家は幾つかの大きな商会の資本を持っているが、その大半も太郎兵衛さんが始めたものだという。辺境の貴族が大金を動かすまでに成長した立役者なのだ。
「さぁ、弘一は限定メニューの恐竜ソテーでいいわね?」
「良くない!」
「おいしいのに。肉質は貴方も保証できるはずよ」
「頼むからアレを思い出させないでくれ」
ということで円月殺法。入口の黒板に思いっきり宣伝が書いてある。他の料理に比べてかなり高いが、またやってるということは人気があるのだろう。
高いのは当たり前だ。今回は一頭分しかないし、ほとんど上の方で消費されるはずだからな。
結局、謎の肉ソテーをいつも通りに頼む。美由紀もアレは頼まなかった。意外だったが、限定メニューだから他の人に譲るということらしい。理由はさておき、目にしないで済むのは嬉しい。
「ところで弘一。一つ、とっておきの情報を教えてあげようか」
「何だよ。まさかここのオヤジの趣味とかじゃないよな?」
「このお店はね、イズミのお祖父さんが名付け親なのよ」
「えぇ………」
この声に出したくない店名が…と、暗澹とした気分になった。いや、そこまで落ち込む義理はないが、まぁなんだ、イズミも苦労していたのかも知れない。
あえて口にしなかったが、なぜ二人で外に出て食事をしているかと言うと、デートをしたいという要望に応えているのでござる。
あえて口にしなかったが、今日の美由紀は白っぽいシャツにカーディガンを羽織って、ピンクのスカートの姿で、やたら若く見える。いや、元から若いか。もう分かってるだろうが、俺は女性の服装を語る資格のない男なのだから勘弁してほしい。
何が言いたいかといえば、つまりものすんごく可愛いのだ。すれ違う女性まで、目を奪われているのだ。できるだけ意識しないで済むよう、イズミの話題でごまかしているのだ。
そして……。
あえて口にしなかったが、シャツのボタンが留まっていない…というか留められないのだ。ものすんごい谷間がゆっさゆっさなのだ。誰か俺を助けてくれ。
「この町の男女は、どこを歩くのが定番なの? 衛兵さん」
「衛兵はそういう案内はしないんだ。健全な職業だからな」
「町を歩くだけで不健全なのね、へー」
「…………」
もはやお前は歩く不健全なんだよ、と言いたいが、口にすれば思う壺だから我慢。なるべくまっすぐ前だけを見ているのに、すぐ横でゆっさゆっさ揺れるアレが気になって仕方ない。何の拷問だよ。
とりあえず、互いに行き先はない。しかし、ある程度の時間をつぶさない限り、この凶悪ゆっさゆっさ女は満足しない。せめて、なるべく健全な方向と考えた俺は、東へ向かうことにする。
町の中央、やがて行政機関が並ぶエリアが近づいてくる。どうだ、役所を見て興奮するバカはいない。これで勝利は確実…とはいかないよな。
「イズミのお父さんに会いに行くの?」
「間違いなく会わせてくれないと思うぞ」
「交渉しようか?」
「何も用はないので結構だ」
キノーワの行政は、貴族たちと平民代表の合議制をとっている。今は平民代表の方が数は多いが、貴族の力はもちろん強い。なんたって金を握っているからな。
モリーク伯爵も、もちろんその最有力な一員だ。そして仕事中なのだから、ぶらぶら用もなく歩いている俺たちは邪魔者にしかならない。
そうだよ。俺も門番だから、よく用もないヤツに話しかけられる。酔っ払いのオッサンに人の道を説かれたりして、迷惑してるんだ。自分がオッサン側にまわるのは絶対に嫌だ。
「楽しいデートですね、弘一くん」
「そ、そりゃ良かったな」
気のせいか、寒くなった気がする。もしかしなくとも、美由紀の機嫌が悪くなってきたようだ。
一流の剣士は周囲の気を操るなんて聞いた気がするけど、こんなどうでもいいことで気を発散しないでほしい。というか、コイツが戦ったら雪が降りそうだ。
剣の腕の方は、イズミが褒めていた以上の話は知らないけど。まぁこの非常識な女が、そこらの剣士並みなんてことはないはず。
中央通りには、衛兵を管轄する施設もある。一応は俺の職場の一つなのだが、顔を出すのは年に一度、仕事の評価を受ける時ぐらい。久々に建物を見た気がする。
もちろん今日の俺は休み。何となくこそこそと、前を通り過ぎた。
あくまで事務処理の場なので、特に守衛も立っていない。何も悪いことはしていないのだから、堂々と通り過ぎたいところだが、知っている顔に会ったら気まずい。
仕方ないだろ、隣の女の話はいろいろ複雑過ぎて、立ち話じゃすまないんだ。済むのは、アレがすごいですね、そうですねーだけだ。
…………。
幸い、誰にも会うことはなかった。
うむ。あんな会話をする自分は見たくない。これでも俺は、カワモのような「知らない女に手を出す」人種とは違うのだ。たぶん。
衛兵の施設から数分。通りは広がって、そのまま広場になる。
ここは市内に数ヶ所ある噴水広場の中で、一番大きな場所だ。中央の噴水施設には、小さな石像も建っている。良かった。ここなら美由紀の機嫌もなおりそうだ。
美由紀はまっすぐに噴水へ歩いて行く。
そばにベンチがあるから、そこに座るのか…と思ったが、彼女は立ったまま、中央の石像を見つめた。
「神さまの名前は知ってる?」
「まさか忘れないだろ、キノーワ神なんて名前を」
「簡単すぎるわね」
この町の守護神、その名もキノーワ。どこかからやって来た神さまは、ここに自身の名をつけて、人が住む地を与えた。その祝福を受けた者たちが今に至る…と、よくある神話が伝わっている。
何も信仰するような対象ではないが、年の初めには食べ物を捧げて平穏な日々を願う。
「弘一が私に心を開きますように」
「そういうのは声出さないでやってくれ」
「早く弘一と深い仲になれますように。弘一と毎晩一緒に抱き合って眠れますように、組んずほぐれつできますように」
「……俺が悪かった。ちゃんと耳ふさぐよ」
そもそも、噴水に手を合わせるヤツなんていない。ここは宗教施設ではないし、キノーワ神像も、せいぜい破産した貴族が収集していたような美術品の類に過ぎない。
実際、近くにいた子どもが不思議そうな顔で美由紀を見つめている。別の近くの大人は…、まぁ……、その、あれだ。俺の同類だった。飛び散るしぶきで濡れて反省しやがれ!
「神さまって、何者なの?」
「何者? 神は神…じゃないのか」
そんな時に不意に投げかけられた、答えようのない疑問。
…………。
彼女はもう笑ってはいなかった。
近くにいた子どもたちが、異変を察知したのか走り去っていく。オッサンも急に明後日の方向に歩き出した。
まさか?
まさかお前は、最初からここに来るつもりだったのか?
「私は弘一が大好きよ。天地神明に誓って」
「な、何もそんなものに誓わなくとも…」
「だから闘うしかないなら、覚悟を決めるわ」
…………。
意味不明な宣戦布告。
噴水の水が一瞬彼方に吹き飛ぶほどの気。正直、俺の身体もぐらぐらする。
「もしも貴方に悪意がないならば、私はそれを伝えましょう。貴方は人類を護り、感謝されている者なのでしょう?」
無茶な、と思う。
信仰している。だが存在するとは思っていない。
そして、誰かが作った苔生した石像。
「私は貴方に困っているのです。そう、………ミユキ」
聞こえるはずのない声は、なぜか俺にまではっきり伝わったのだ。
※当初はここまで第2章でした。




