一 知らない人に声をかけられたら事案です
「お疲れさまです。キノーワの町にようこそ。どのような御用ですか?」
俺の名はコーイチ。イデワ王国の東の小さな町、キノーワの衛兵だ。
今日も朝から、南の入口の城門に詰めている。仕事は身分証明の確認、荷物のチェック、そして町での注意事項の説明。それほど難しいことじゃない。
「エソーズに行きたいのですが、どちらの方へ…」
「ああそれなら、まっすぐ進んで、噴水の広場から右へ向かってください。あとは案内がありますから」
「ありがとうございます。この町の方は親切ですね」
「いや…、これも任務ですから。あ、でもそうです、キノーワは良い町です」
馬車でやってきた老夫婦に、自称「爽やかな成年の笑顔」で応対する。
これが任務なのは事実。笑顔も仕事のうち、しかも無料。
実は、キノーワの衛兵には訓練がある。そう、地獄の特訓こと「爽やかな笑顔」訓練だ。いくら上官の命令とはいえ、バカじゃないかと思ったが、こうやって友好的に対処できるのだから、あの暗黒の日々も無駄ではなかった。
ああ大袈裟だ。
こんなどうでもいいことを思い出すのは、悪夢の特訓の元凶…ではなく提案者が近づいてきたからだった。
「よおコーイチ、今日は不審者はいたか? 襲われたか?」
「襲われたら今ごろ霊安室ですよ、ワイトさん」
「は、そりゃちげーねぇな」
「いえ、そこは否定して欲しかったんですが…」
軽口を叩きながら肩をバンバン叩くヒゲ面のワイトさんは、俺たちの頼れる上官だ。時々、いやけっこう毎日に近いぐらい、門番を激励にやってくる。どちらかと言えば、激励と称してサボりに来る。おかげで俺の両肩は鍛えられている…というのは門番ジョークだ。笑え。
けっこう腕は立つそうで、いろんな貴族から、私兵の誘いもあるという噂。
腕の方はたぶん噂ではないが、あいにく俺には他人の実力を測れない。恥ずかしながら、ここに詰めている衛兵たちの中でも、実力は最低クラスという自信がある。まったく、なんの自信だ。
もっとも、この国はだいたい平和だ。たまにモンスター出現の報告は上がるが、竜のような大型獣でもなければ、数人の討伐隊で処理されている。そして討伐隊の人材は足りているから、俺が呼ばれることはないというのも安心できる。
昼飯のおにぎりを食べて、午後の仕事。
よく晴れた昼下り。西の山地の様子も遠く見渡せる。あの山のせいで、キノーワの町は雨雲が少なく、年中水不足の心配をしている。今年はまぁ…、何とかなりそうだが。
今日は出入りする人数も少ないので、暇な時間が続いている。同僚とトランプでもして遊びたいぐらいだ。しかし、以前にそれをやって大目玉を食らったので、今は我慢するしかない。
そうだ。
俺たちは隠れてうまくやった。ワイトさんはもちろん、直接の上司のワースさんにも見つからないように。作戦は完璧だった…のに、予想外の所からばれてしまった。
町に入った融通の利かない爺さんが、俺たちの勤務態度が悪いと騒ぎ出したのだ。
衛兵としての仕事はやっているのだからいいだろうと主張するわけにもいかず、俺たちは正座させられ、ワースさんの長説教を食らう羽目になったのだ。
「お兄さん、これ」
「え? ああ」
―――っと。また余計なことを思い出していた。
目の前では、厚手のコートを着込んだ女性が、身分証明を俺に向かって差し出している。フードを深く被っているので顔は見えないが、たぶん若いな。そして、いい声だ。
まぁいいや、仕事仕事。
「ヨコダイミユキさん…ですね。はい、キノーワの町にようこそ。これから荷物検査をし…」
「助けに来たよ」
「えっ?」
いつも通りの段取りをこなそうと、詰所の建物から出ようとした時、そのヨコダイという女性は、よく分からないことをつぶやいた。
助けに来た…と聞こえたよな?
誰を?
「やっと逢えた…。コーイチ、あなたを助けに来たわ」
「えぇ?」
「私は…元気よ」
なぜ俺の名前を知っている? しかも呼び捨て? 何が元気?
ぽかんとしたその目の前で、ヨコダイという女性はゆっくりとフードを外した。
……………。
声が出なかった。出せなくなっていた。
「…どうしたの? 門番の仕事は?」
「…………い、いや、その…、どうしたと聞きたいのは俺の方で」
「そう…」
一言でいえば、知らない人だった。全く見覚えはない。
西日を受けて輝く長い黒髪。潤んだ表情でこちらを見つめる大きな瞳。その瞳は…潤んで、それどころかはっきり涙の筋ができている。
俺が生まれて、今年で二十年。こんなに意味不明な事態に巻き込まれたことはない。
そして―――――。
こんなに…、こんなに美しいと思った女性はいない。
「貴方は元気そう。何も変わってないのね」
「…ま、まぁその、元気です」
だから絶対に初対面だと断言できる。
忘れるはずがない、あるものか。
「私は少しだけ変わった。分かる?」
「いや、だから俺はあの…」
「荷物はこれだけ。お仕事ご苦労さま、コーイチ。またね」
「は…、はい。…………キノーワは良い町、です」
このどうしようもなく魅力的で、そして何を言ってるのか理解不能な女性。
なぜ俺の名前を知っているのか、何を助けるというか――――。遠ざかる彼女の姿に向かって、無意識のうちに俺はお決まりの台詞を口にしていた。