十七 永遠と思われた時もあっさり終わるのがお約束
その夜、当然のように伯爵邱は大騒ぎになった。
誰も知らない間に、娘が自室に戻っていた――――。言葉だけなら家出娘の帰還という感動話のようにも聞こえる。しかし自分の了承の元に、近くの屋敷に滞在しているはずの娘が、守衛も気づかぬうちに部屋に戻っていたらどうだろうか。文字通りの怪奇現象ではないか。
「……ということですわ、お父様」
「ま、ま、まぁ……、無事で良かったぞ」
なお、大騒ぎというのは精神的に、という意味であって、大声で走り回る者はいない。箝口令の敷かれた事件なのだから当たり前だ。
事情を知った伯爵は、何とも複雑な表情で娘を抱きしめた。素人目にも無謀としか言えない作戦を立てたのが娘本人で、その遂行後に知らされた気分は想像がつかないな。
「私に伝えなかったのはなぜだね、横代様」
「それは…」
「私が答えますわお父様。伯爵の娘が深夜にこっそり町に消える時、屋敷の者は誰もそれに気づかない。お父様はそのお芝居の登場人物ですのよ」
「お芝居…なのか」
伯爵の深刻そうな声でどうにか我慢できたが、イズミの口調には思わず噴き出しそうになる。こうやって本性を隠せるのが伯爵令嬢という生物なんだろう。
それはさておき、伯爵には操られてもらう必要があった。あえて向こうの意図通りにさせた上で、登場人物に含まれない美由紀と俺が目撃する。そういう意図だった。
結果として、伯爵家の人間は予定通り気づかず、イズミも方々を巡って謎の作業をこなした。五箇所もまわるとは思わなかったが。
「どうやら行き先は複数あって、必ず同じ場所に行くわけではなさそうです」
「城門の扉を開けられたらどうしようかと思っ…思いました」
「町の外に連れ出されはしなかったのだな?」
「ええ。ただ、城門にいた弘一の同僚たちも操られていましたから、その気なら門を開けさせることができたと思います」
「そう考えると、やはり恐ろしい話ですわ」
…恐ろしい話って、他人事みたいに言わないでくれよ。
もっとも―――。イズミはお芝居の主役。演じている最中の出来事は、他人事としか言いようがないのか。
ともかく、作戦は無事に遂行された。
根拠と言えるほどの何かはなかったが、謎の相手には、少なくともイズミに危害を加える意志はないだろうと判断していた。そして実際、彼女には何もなかった。
その一方で、敵は無差別に人を操れる上に、門を守る衛兵すらも役に立たないことが証明されてしまったのだ。事態は深刻だった。
「今回は仕方がないと認めよう。しかし二度はやらないでくれ」
「ごめんなさいお父様。悲しませてしまって」
「おおイズミよ。お前がいなくなったら私は何を希望とすれば良いのだ」
………………。
そういうのは余所でやってくれ、と思ったが、ここが余所だった。そもそも、俺たちが余所者じゃないか、てへ。
ともかく、実験は一度で十分だ。その上で、イズミを確実に護れるのは美由紀しかいないとはっきり分かったから、当面はあずかる形になった。
あの謎の存在に対抗できるほど、美由紀が超常の存在だということも分かってしまったが、その辺は今は考えたくない。
「横代様、誠に申し訳ない。報酬は上乗せするので、希望の額を伝えてくれたまえ」
「お気になさらず。私たちは友人の世話をするだけですから」
「ありがとうございます、お姉様!」
友人…か。伯爵令嬢を友人と呼ぶ感覚には慣れそうもないが、いつか自然な関係になるんだろうか。
その後しばらく、打ち合わせを続けた。
元々、期限の定まっていない依頼で、何をもって達成とするかも曖昧だ。たった今の作戦で、その辺の混迷は深まった。その一方で、特に美由紀とイズミはしっかり親しくなった。
頃合いを見て正規の依頼は終わらせ、その後の経過観察は必要に応じて伯爵家から頼む方向にする。今日のところはそんな感じの話になった。
あとはイズミの保護に関する取り決めを、伯爵との間でいくつか交わしておく。
自宅に戻れるに越したことはないから、イズミは昼食を必ず伯爵邱でとる。どうやら操られるのは夜間に限られるようだから、日中は自宅で過ごしてもらうわけだ。その方が親も安心だろうし。
夕方までに美由紀の保護下に入り、夜になったら、彼女の立ち合いの元で門の外に一度は出てみる。これは、向こうがいつまで操るつもりなのかを確認する目的がある。
精神支配、あるいは催眠によって多くの人間を操る…、それがかなりの程度は自動化されていることが判明している。できれば装置を発見したいが、それ以前に自動化された支配が永遠に続くのかという疑問もある。
もしも発動したら美由紀が解除し、発動しなければそのまま伯爵邱に帰る。毎晩これだけは実験を繰り返すことにした。
そして――――――――。
「もうおしまいですの? お姉様と一緒にいたかったのに」
「遊びに来るのは構わないわよ。無断じゃなければ」
「まさか御令嬢がほいほいやっては来れないだろうなぁ」
「見てなさいよ弘一。私はやる時はやる女ですわ!」
あっけなく終了。翌日の夜、門の外に出てもイズミはイズミのままで悪態をついている。
昨日の五箇所で、謎の存在も満足したのだろうか。
いや、謎の存在は相変らず謎だし、「暗号」も分からないまま。漠然とした町の危機、あるいは世界そのものの危機は去っていない。俺たちの戦いはこれからだー。
え?
続くよ? 打ち切りじゃないよ?
※イズミの怪事件は一段落ですが、まだ2章は続きます。毎度ですが、ブックマークありがとうございます。




