十六 勝手な潜入捜査はおてんば娘のお約束
伯爵令嬢謎の失踪事件に関わって三日目の朝。
交わるはずのない正真正銘の御令嬢と、当たり前のように朝食をとっている自分がいる。人生何があるか分からないものだな…って、オッサンか!
「弘一、今日は何時まで仕事ですの?」
「遅番だから九時まで…って、それを聞いてどうするんだ?」
「お姉様との予定を組む上で、支障となる事項を確認するのは当然よ」
「支障って言うなよ」
昨晩は二人で抱き合って…というか、イズミが一方的にしがみついて眠ったらしい。女二人、仲がよろしくて何よりですな。うむ、考えたら負けだ。
この二人の身長差だと、美由紀が男役になるのは仕方ないのか。しかし、アレはどう考えても美由紀が圧倒しているような…。
「イズミ。弘一は人畜無害だけど、一つだけ気をつけた方がいいわよ」
「あら、もしかしてここですか?」
「そう。弘一は昔から大きな胸を見ると視線が…」
「私が悪うございました!」
ぐへぇ。性癖を大声で解説するのはやめてほしいと言ったのに、聞く耳持ってないよな。むしろ、より生き生きとしゃべるようになったよな。
汚物を眺めるような視線に耐えきれず、席を立つと、笑い声がした。
「男の人って、こういうものなのね。勉強になるわ」
「そんな勉強すると、お父上が嘆き悲しむぞ」
「仕方ないの。大人になるって、こういうことなのよ」
何それ。いいこと言ったみたいな顔。メスを見て性的な興奮を覚えるとか、人間のレベルじゃないから。種の生存本能だから。
もうそんな目で見ないから勘弁してくれ…とは言えない。生存本能なんだ、抗えるわけがないだろう。言ってて情けなくなるぞ。
うむ…。
天の声がしたので、つぶやいておこう。イズミも結構でかい。美由紀の目の毒レベルが百だとしたら、イズミは八十ぐらいはある。よし、合格! …じゃないって。
今日も俺は普通に仕事。美由紀とイズミは、夕方までは一緒にいるという。
ただし、その先の計画は非常に危うい。イズミ自身が言い出して、美由紀が保証するというので、俺には拒否しようがなかったが。
しかもその計画、なんと伯爵には内緒なのだ。
そこまでやる価値があるのか。自分だったら……、案外やるかも知れないな。
門番の仕事はいつも通り。出入りする人数も、特に変わりはない。
だから何も問題はなかった。が。
「キノーワの町に…ようこそ」
「なんだぁ、声が小せぇぞ」
遊びに来たワイトさんに叱られてしまう。確かに今の声は小さかった。
うむ。あれだけ真似されると、何だか急に恥ずかしくなってしまう。
挨拶は衛兵の誇り! みんな感謝して、笑顔で町に入って行く! そうさそうだよ世界は友だち!
はぁ…。
とはいえ、俺の声が小さくなった程度で平和な町に異変が起きるわけでもなく。
夕方になったところで、意を決して早退を申し出た。
「なんだぁ? 声が小さいのを恥じたのか?」
「何をどうすれば、そんな発想になるんですか」
ワイトさんは渋々了承してくれた。今日は人数はいるし、人通りはもう少ない。それに、大きな仕事に噛まされているらしいとは知っているから、拒否することはできないだろう。
もっとも、大きな仕事と表現してはみるが、少なくとも俺の役割なんて、あってないようなものだ。どう考えても、美由紀が俺を引きずり回しているから、伯爵もイズミも仕方なく関係者に含めているに過ぎない。
ただし、今日は別だ。二人だけに任せてしまうと、きっと問題が残る。
そう。あの二人は被害者本人と怪人。目撃者は怪人だけ? それじゃダメだろ、なぁ。
あ、怪人が誰を指すかはノーコメントで。
「ただいま。…まだいるよな?」
「あれ? 今日は九時まででしょ」
「早退した」
走って帰宅する。すると屋敷にいた二人の女性は、今にも出掛けそうな格好で、息を切らした青年に、不審者でも見るような視線を向けている。
いや、知らない人が見れば、不審者が侵入したとしか見えないだろうが、そこはこの際問題ではないので無視してもらいたい。
ともかく、間に合った。
「ついていくの? 弘一も」
「当然だ。目撃者になるためにな」
「私が目撃するわよ」
「俺という一般人が必要なんだ。イズミもそう思うだろ?」
「え? えぇ、そう…かしら」
俺の主張を二人が認めたかどうか? それは正直どうでもいい。
理由がどうであれ、残念ながら俺は立派な一般人の関係者だ。早退するとは思っていなかったようなのが気になるけどさ。
「弘一。貴方の主張は分かったけど、一つだけ訂正させて」
「何だよ、また本当の俺とか言うのか?」
「分かってるじゃない」
「人間は学習する生物だからな」
本当の姿になれば…と、ありもしない自分に期待をかけてもしょうがない。そもそも、ただの衛兵だから意味がある。恐らく、今日のこれからに関しては。
「ではお姉様、あとはお願いします」
「大丈夫よイズミ。私が護ってあげるから」
例によってパンツルック――覗き衣装ともいう――の美由紀と、またもや薄紫色の夜会服を着込んだイズミ。そんな二人の小芝居を黙って眺めるのは、衛兵の格好のままの俺。
なお、女性二人の衣装は、どちらも以前とは違うらしい。残念ながら、衛兵身分には同じ服にしか見えない。え? それは衛兵の問題ではないだろうって? ほっとけ。
美由紀がイズミを抱きしめて、まっすぐな髪を撫でる。イズミは美由紀の胸に埋もれながら、その匂いを確かめている。それが…どれだけ続いただろう。たぶん大した時間じゃなかったが、ものすごく長く感じた。
とても正視できるものではなかったが、イズミが相当な覚悟を決めているのは事実だから、茶化しはしない。
やがて二人は離れ、一人で歩き出したイズミ。美由紀と俺は、少しだけ離れて後ろを歩く。
門を出て道路に出ると、まもなくイズミは…、無言のままで自宅、つまり伯爵邱の方へと進んで行った。
これから三人は、実験をする。
イズミを連れ出そうという力がまだ残っていれば、どうなるのか。美由紀の仮説通り、イズミは自分の部屋に戻ってから、例のルートに誘導されるのか。
操られると分かって臨むのだが、イズミは自ら確認したいと提案した。それは、自分を操る者に対する、ある種の復讐だという。お前がどんなに操ってみせても、そのすべてを自分は知っている、と。
「声は出さない方がいいのか?」
「出してもいいわ。イズミには聞こえないし」
既にイズミは敵の手中に堕ちている。その上で、俺たちはイズミの行動の邪魔をせず、ただひたすら傍観する。もしもイズミの身に何か起きれば対処するが、そうでなければ今日は最後まで眺めるだけ。
伯爵邱に着くと、すぐに門が開いた。
もちろん守衛たちは、イズミを認識していない。一昨日と同じ光景だった。
俺たちは、美由紀の能力で気配を消して、後を追う。声を出しても分からないっていうから、ずいぶん高性能だ。言いたくないが、この能力は悪用できすぎだ。
イズミは伯爵邱に堂々と入っていく。廊下で父親とすれ違ったが、互いに全く反応はない。あの親バカが娘を無視するなんて、とても当人には伝えられないな。
そして彼女は自室に入った。なお、廊下に護衛の私兵はいない。まぁ当人が留守なんだから当たり前か。
さすがに女性の私室には…と思ったが、美由紀は何の躊躇もなく後をついて入ってしまった。仕方なく、俺は廊下で待つことにする。
イズミはすぐに自室を出てきた。その格好にも何も変化はない。
「ただ椅子に座っただけよ」
「出発地に戻ったってわけか」
美由紀の予想通りに進んでいる。
明かり一つない部屋で、イズミは数秒だけ椅子に座ったらしい。とてもバカらしく無駄な手続き。しかし、少なくともこの精神支配が自動化されていることは間違いない。
自動化というなら、呪具の類を使う方法もあるか? しかし、イズミが何も持っていないことは美由紀が確認しているし、そもそも屋敷を移るという予定外の事態に、わずかな日数で新たな呪具を用意できるものだろうか。どうにも考えがまとまらない。
イズミは再び守衛に門を開けさせ、一昨日と同じ方向に歩いていく。やがて屋台街に到着すると、その屋台の一つの裏に回り込んだ。
一昨日とは違う動き。そこは…、当直の時に詰所から見えた場所だった。
「何か声はするか?」
「うん。男の声…かな? 目の前なのにノイズがひどいわ」
そこにはベンチはなく、イズミはただ黙って立っている。
男の声は…、やはり「暗号」と聞こえたらしい。対してイズミが口を開いた形跡はなく、何の答えも言ってはいないようだ。
時間にして十分ほど。やがてイズミは歩き出す。しかし、屋敷の方向ではないから、まだ帰宅ではないらしい。後をつけると、今度は一昨日の木の下のベンチに到着。一人で座った。
ここでも、男の声が「暗号」を求め、彼女は返事をしなかった。
数分後に席を立つと、三度目はまさかの場所へ向かう。
「お、俺は隠れてるんだよな?」
「大丈夫よ、ついでに同僚の仕事っぷりも確認したらいいわ」
三つ目の目的地は、我が職場の城門だった。
目の前の詰所にはまだカワモが残っている。何度か目が合った気がするが、向こうは気づいていないようで、ほっとする。
もちろん、イズミには誰も気づいていない。彼女は閉じられた扉にもたれかかり、しばらく経って歩き出した。聞こえる声も同じ、返事がないのも同じだ。
「何トランプやってんだよ、バカ!」
「弘一こそ何やってんの?」
「俺がいるって分からないんだろ?」
詰所で遊んでいる同僚に、愛の鉄槌を贈ってやった。
突然鈍い痛みに襲われたカワモは、ものすごい表情できょろきょろ辺りを見回している。これはもしかしたら、新たな怪談話の誕生かも知れない。すまんな。
結局、イズミは五箇所を巡っては同じ動作を繰り返した。そのたびに「暗号」を求める声が響き、返事がないまま移動。五箇所目の儀式が終わると、伯爵邱に戻った。
門が開いて中に入った彼女は、さっきと同じように自室に入り、扉を閉めて椅子に座る。
「………お姉様」
「終わったわ。今日は疲れたでしょ」
「何だかとても…」
自然に目を覚ましたイズミが、目の前に美由紀がいるのを確認して、ゆっくりともたれかかる。抱きしめて背中をさする姿は―――、本当に姉のようだな。
やがて、イズミの視線がさまよい、もう一人もいることに気づく。仕方ないので苦笑いで応えてみた。
無謀と勇気。
彼女の復讐は果たせただろうか。
キノーワの町を放浪した御令嬢。その記憶は、もちろん抜け落ちている。
しかし、その間の行動は、二人がだいたい目撃した。伯爵にも知らせなければならないが、俺たち三人がここにいることを、まだ知らないだろう。騒ぎにならなきゃいいけど…って、なるに決まってるよな。
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