十五 誰の本性だって知りたくないのがお約束
いきなりの失踪を一瞬で解決して帰宅した三人は、そのまま夕食に臨む。もちろん着替えはしたが。
いくら女性とはいえ、皮鎧姿の人間がお姫さまだっこされるという非常識極まりない事態については、誰も何も口にしなかった。別に箝口令が敷かれているわけではない。当事者二人は何も疑問に感じていないし、目撃者は呆れて声が出ないというだけである。
そんなわけで、美由紀の手料理が並ぶテーブルを囲み、三人が座っている。
「今日もお姉様に助けていただきましたわ」
「結果としてはそうだけど…」
二日続けてお姫さまだっこ。イズミさんは何だか喜んでいるようにみえる。
しかし、起きたことを冷静に考えれば、それどころではない。
「ありがとう弘一。貴方が呼んでくださったのでしょう?」
「ま、まぁな。これも仕事だし」
「見た目よりは頼りになる人ですわね」
「そうよ。弘一は私の伴侶だもの」
イズミさんにはどうやら認めてもらったらしい。過剰に期待をかけられても困るが、平穏に今晩を送れる程度に関係が改善されるなら、その方がありがたい。相変らず、美由紀の評価はおかしいけど。
ともあれ、状況は把握できて、イズミさんは無事だ。そこまで確認したので、食べ始めることになった。美由紀の作った夕食は…、うまいに決まっている。例によって保温も完璧だから、待たされても苦にはならない。
「ずっとここに置いていただきたいですわ」
「それはお父上とご相談になってくださいね」
相談すれば可能性があるのかよ。
まぁ美由紀が決めることだし、そもそもが無茶な願いなんだから、俺がどうこう考える必要はないか。
「もちろん、弘一が許さなければ無理だけど」
「ええっ?」
「何を驚いてるの?」
いや、驚くだろ。目の前ではイズミさんも目を丸くして…いない? それどころか、深刻な表情でこちらを見つめている。何? 本気で俺が生殺与奪の権利を握ってると思うの? 冗談きついなぁ。
「失礼な態度をとってごめんなさい。あなたに認めてもらえるよう努力しますわ」
「俺にそんな権限ないから。美由紀の冗談だって」
「冗談を言ったつもりはないって知ってるでしょ、弘一」
だからそれが冗談としか思えないって。主張しても堂々巡りにしかならないから、口をつぐむしかない。
食事が終わった後は、伯爵待ちに。
もちろん、今は魔の時間のただ中にある。本当ならばお風呂なのだが、そこで何か起きたら対処できないから、とりあえず日付が変わるまではじっとするしかなさそう。
やることもないので…というか、美由紀が話を振ったのだが、イズミさんが伯爵令嬢の日常をいろいろ話してくれた。
それと、これを機に三者間での敬語はできるだけやめることになった。美由紀の小芝居も終わるので、正直ほっとする。
「この騒ぎのついでに、あの婚約は解消したいわ」
「…相手が好みじゃないのか? 前途有望なんだろ?」
「貴方ねぇ、私が知ってるのは子どもの頃の顔だけ。知らない人と結婚できますの?」
「おぅ…」
これはまた直球で突かれてしまったぞ。お前がどうにかしてくれ…と美由紀を見たが、目をそらして知らん顔だ。
仕方なく、こちらの現状も簡単に伝えた。たぶんイズミさんも、俺たちが「新婚」に程遠い関係なのは気づいているだろうし。
「全然理解できないわね」
「たぶん理解できてるのは美由紀だけだ」
「私だって分かってないの。ねぇ弘一、未だに別々に寝てるなんて」
……こんな感じで、口から生まれた女だから気をつけろと忠告したら、イズミさんはうなずくわけもなく、しかし怒りだしもしなかった。むしろ美由紀の方が、意外そうな表情。
「お父様が手も足も出ないほどの方。お姉様のおかげで、ここで一日を過ごせたのよ」
「どうせ脅したんだろ」
「失礼ね。きちんと説明しただけよ」
溺愛する娘を外に出すことに、伯爵は当然難色を示したらしい。まぁ美由紀の素性を知っていても、昨日が初対面の相手。しかもここは守衛もない、がら空きの屋敷なのだ。
とはいえ、理詰めで攻められればこうなるのも仕方ない。
大勢の守衛たちによって守られている伯爵邱。しかし、謎の事件の場合はその人数が全く役に立たないことが、昨夜で証明された。精神支配を受けなかったのは、美由紀…と俺。少なくとも、あれを防ぐには美由紀のそばにいるしかない。
……そういえば、昨夜の美由紀が俺の背中に肘を立ててグリグリしていたのは、精神支配への抵抗のためだったという。
接触して、美由紀と一体化するという言い分は、まぁ分かる。手をつないで瞬間移動するのと同じだからな。肘立てなくてもいいだろ、と思うが、あそこで手をつながれるのは困るよなぁ。
「イズミさん、まさか婚約解消の交渉も頼む気じゃ…」
「イズミでいいわ。そして、何がまさかって? 決まってるじゃない!」
「言っておくけどイズミ、破談に同意なんてしてないからね。だいたい、伯爵家の事情に口を出す気はないわ」
「ふふっ。お姉様に最後のひと押しをしていただけるよう頑張りますわ」
なんかイズミさ…イズミも怖いんだけど。たぶん、本質的に美由紀の同類だよな。てっきり、深窓の御令嬢過ぎたから美由紀に溺れたのだと思っていたが、もっとしたたかな人間だったようだ。
こうなると、勝てる気がしない。呼び捨て許可がこのタイミングなのも、何か意図が隠れているんだろうか…。
それはないか。
イズミ…は友だちを求めていた。それも事実。
俺がふさわしいとは思えないが、美由紀に対する信用の一部だろう。何せ、美由紀の伴侶と紹介される男だからなぁ。
「ところでイズミ。伯爵家は皆家庭教師に学んでいるの? 確か貴方のお祖父様が…」
「お姉様なら気づくと思ってましたわ」
「何の話だよ、ちゃんと話してくれ。あ、別に愚鈍な生物でいいからな、美由紀」
「はいはい」
「…貴方が愚鈍だとは思っていませんわ」
そして美由紀が学校問題を持ち出したので、そちらも確認した。
イズミの祖父は、キノーワにあるキノーワアラシ学園の創立者だという。そういえばそんな話を聞いたような気もするし、変な名前だとも思ったが、縁のない学校の話だから記憶に残っていなかった。とにかく、その孫娘がなぜ学校に通わないのか、という疑問だった。
対するイズミの返答は、なかなか複雑な家庭環境って感じだ。
祖父が作った学校は、モリーク一族が必ずしも評価するものではなかったらしい。そのため、一族は誰一人入学せず、男子は王都の学校に通い、女子は家庭教師なのだという。
「お祖父様は入婿で、家庭のことでは発言力がなかったのよ。外では滅茶苦茶する人だったけど」
「だけどイズミという名前はつけてくれたのね」
「次女で跡継ぎじゃなかったから、やっとつけられたんだって」
元々モリーク家において、新生児の名づけは祖父が中心にすることになっていた。それ自体は特別なものではなく、貴族ではよくあることらしい。一族の長が命名するってわけだ。
ところが外から入った祖父は、孫にも名前を付けられず、男女合わせて四人目でようやく一人だけ名付けることが許された。そして、自分が作った学校に入れることはできなかった…と。婿入りはしんどいって聞くけど、貴族の場合は想像以上に大変なのだな。
「じゃあ、今から学校に行くことは難しいのか」
「強硬に反対していた親族は亡くなったけど、お祖父様も亡くなったから…」
諦め気味に笑うイズミ。
貴族の女性の十七歳は、もう学校に通う年齢ではないという。同じく通っていない俺が同情してもしょうがないけど、籠の鳥ってここまで徹底しているんだな。
やがて扉が開いた。伯爵が到着したようだ。
イズミを見つけた伯爵は、ギャラリーがいるのも忘れて愛娘に抱きつき泣いていた。とりあえず、溺愛しているのは間違いないようだ。
その父親からの脱出を画策している娘も、抱きつかれている間は素直だった。仲違いしているわけじゃない。それがはっきりするだけでも良かったんだろうな。
「お二方には重ね重ねご迷惑をおかけした」
「いえ…。私もまさか、あそこまで執拗な支配だとは思いませんでした」
伯爵を交えて、今晩の対策会議を進める。
美由紀の推論はこうだ。
姿を見せない何者かは、今日もイズミを必要としていた。そしてそれは、イズミが伯爵邱を夜中に抜け出して、城門近くで誰かに会って何かを伝える形になっている。だからイズミは伯爵邱に向かい、恐らくは一度部屋に戻って、そして外に出るのではないか、と。
無茶苦茶な推測だと思う。たぶん誰も納得していない。
ただ、イズミが部屋を出てから戻るまでの一連の動きを、一つ一つ制御するのはかなり大変だ。大変というか、そもそもできない俺たちには想像もつかないが、伝える命令が多岐にわたりすぎるのは確かだろう。だからひとまとめにするという主張には一理ある。
「今は…私が妨害している形です。この屋敷は弘一のために用意したものですが、魔術への備えだけはしてありますから」
「なぜ弘一はそこまでされるのかしら。それだけは全く分かりませんわね」
「いずれ貴方も知ることになるでしょう。弘一の本当の姿に」
「いや…、今の話は忘れてください。本筋と何も関係ありませんから、ね?」
しかし、なぜ俺の話題にずれるんだよ。相変らず意味不明な「本当の姿」発言に、伯爵は明らかに困っている。イズミは…、なぜか平然としている。そこは困惑して、ついでに否定して、笑ってくれよ。
まぁ今は本当にどうでもいいんだ。
ただ……。
この屋敷は、美由紀が俺を「保護」する場所だった。そして、今はイズミを保護している。
俺に何かをする、あるいは過去にした相手と、イズミを今操っている相手は、まさか同じ?
いや、それなら――――。
俺自身が、過去にイズミのように操られていた? まさかまさかと繰り返してしまうが、操られた記憶が何も残らないなら、誰でも同じ目に遭う可能性はある。うむむ、何だか急に当事者になった気分だ。
とりあえず、日付が変わるまでは様子見に決まる。
イズミと美由紀は手をつないだままだ。どうせなら肘でグリグリやれよ。
ともかく、相変らず頬を染めてうっとりしている伯爵令嬢に、なぜか戦慄を覚えた俺は、どうせ役にも立たないので伯爵の案内役を務める。伯爵も暇そうだし、同じく戦慄を覚えていそうな気がするからな。
もっとも、自分に案内できるのは「物置」部屋と美由紀の寝室への侵入を防ぐ程度。飾られた品の知識もないので、伯爵の後をついてまわるだけだ。
伯爵は、この屋敷の以前の持ち主を知っていた。ウミーヤ子爵という、代々キノーワに住んで、鉱山の権益で暮らしていた貴族。俺は名前しか知らなかったが、資産家で美術品収集が趣味だったそうだ。
「破産するほど趣味に…」
「そんな男ではなかったはずだがな」
「そ、そうですか」
所有する鉱山に何かがあったと、以前に本人は話していたという。実際に、他の町の貴族に所有権が渡った山もあるらしい。ただ、その程度で破産につながるのはおかしい、とも。
子爵が町を追われるように去って行ったのは、今から一ヶ月前。こんな広大な屋敷に買い手がつくはずもなく、かといって空家のままでも物騒だから、伯爵自身が買い取ることも検討したらしい。そこに突然現れた女が、現金一括払いで購入した、という経過になる。
今さら考えたくもないが、いったいいくらで買ったんだろうか。つくづく非常識な女だ。同居人の自分に、それを他人事のようにつぶやく権利はなさそうだが。
「それにしても、お前がこうも懐くとは驚いた」
「お父様もお分かりでしょう。お姉様ほど頼りになって、しかも美しい方が世の中におられますか?」
さて。こちらは関わらないようにしよう。
イズミはまず父に美由紀を認めさせて、次に婚約破棄作戦にとりかかる。そのどす黒い策略を知ってしまった以上、全力で逃げなければならない。
俺に出番なんてないだろうって?
甘いな。こいつらは立っているなら親でも使う謀略家。そして手駒は多いに越したことはない。きっとろくな目に遭わないのだ。
結局、何も起こらないままに夜は過ぎた。
日付が変わって、伯爵が帰宅する。親の目がなくなったイズミは、美由紀に今まで以上に甘えだす。二人でお風呂に入って、同じベッドで眠った…ようだ。
その間、俺はただ見張りをしただけ。
元子爵邱は、最低でも数人で見張る設計になっている。正直言って、自分が外を眺めたところで気休め程度の価値しかないのは言うまでもない。
しかし、俺は没頭した。
なぜかって? 分かるだろう? キノーワを代表すると言っても過言ではない美女二人が、裸で縺れ合った挙句、ベッドでキャッキャウフフしてるんだぞ。いくら中身が怪物だろうと、想像したらいろいろ危険なんだよ。
…………。
むしろ今は、何か事件が起きてほしい。そんな思考に染まりつつある自分が恐ろしい。




