十四 衛兵と従者の二重生活には無理があるのがお約束
窓から差し込む柔らかな陽射し!
爽やかな目覚め!
花の独身生活を楽しむ日々が帰ってきた!
広く落ちついた雰囲気の部屋。そして、このあまりに寝心地のいいベッドが、彼女に贈られたものだという点までは、さすがに「なかったこと」にはできないけどな。
そう。美由紀には承認基準最大限の感謝をしつつ、戻ってきた独り身の気楽さを味わう。何の承認基準なのかはさておき、これならば非難されることはあるまい。
「いくら何でもコレはないですわ。お姉様にふさわしい方なら…」
「あらあら、どの口がそれを言うのかしら? この口?」
「いやぁん、お姉様、そこはまだ…」
階段を降りて―――、俺は何か夢を見ているに違いない。
テーブルには朝食が並び、なぜか見覚えのある伯爵令嬢がものすごい気合いの入った衣装で座っていて、そしてこの屋敷の主に責められている。
ああ、心配ない。悪魔のような微笑みの女が、人形のようなお嬢さんの唇や頬や耳を撫で回しているだけだ。良い子のみんなも安心だ…じゃない。
「えーと…、伯爵邱に泊まったんだよな。それで…」
「見れば分かるでしょ、弘一」
「ああ全く、なんて愚鈍な生物なんでしょう」
見れば分かるのは、伯爵邱にいるはずの二人が目の前に座って痴態を曝しつつ罵詈雑言をまき散らしているという事実でござるよ。
もちろん、伯爵邱からここまでは徒歩五分もかからない。目が覚めてから美由紀が帰宅するのは別におかしなことではないのだが。
「さっさと食べなさい、弘一。あ、衛兵スマイルは忘れないでね。キノーワの町にようこそって」
「お姉様、その掛け声は聞いたことがありますわ」
「…ご所望ならいつでもお聞かせしますよ。キノーワの町に、ようこそ!」
「うるさいわねぇ。これだから野蛮な生物は嫌ですわ」
どうしてこうなった。久々に訪れた花の独身生活はどこへ消えたんだ。
全く好意的ではない視線を浴びながら、用意してくれた食事をとる。スープは温かい。半熟の黄身も、やわらかいパンも素晴らしい。これが俺が逃げ出せない理由なのだ…と、しみじみ再確認する。
………。
どうにか、テーブルの反対側から意識をそらそうと頑張っている。察してくれ。
「ごちそうさまでした」
「お味はどうでしたか?」
幸か不幸か、飯はうまいのであっという間に食べ終わる。
すると、その味を確かめる声が聞こえる。聞くまでもないと思うが、ここで食べるようになってから毎日交わされる会話だ。
「そ、そりゃあうま…」
「お姉様が貴方みたいな生物のために御手を患わせてくださったのよ。それを貴方はまぁ…」
「イズミ、……弘一は私の伴侶よ。謝りなさい」
とはいえ、今は三人目がいるわけで。
生物呼ばわりは予想できたからいいが、美由紀の反応が怖い。甘やかしていた手がぴたっと止まり、そして部屋の温度が下がった。うむ、気のせいではなく下がった。
「す、すみません。わ、私が言いすぎましたわ」
「分かればいいのよイズミ。で、いいわね、弘一?」
「いや、別にいいも悪いも…」
「いいわね?」
「はい、よろしいです」
どんな相手でも、俺と結婚したという主張だけはぶれない。伯爵令嬢を脅してまで認めさせる問題なのかと思うが、もはやそんな疑念を口にできる状況は過ぎたのかも知れない。
正直、もう既に衣食住すべてを握られてしまっている。門番の仕事が続いているのが唯一の救いだ。
イズミさんの刺が少し減ったところで、改めて事情を聞かされる。
今日一日は、イズミさんをここで保護。まぁそんなことだろうと思った。
昨夜は一緒にベッドで眠ったという二人。友人を得る機会もなかった御令嬢は、頼りになる上に口がまわる女にすっかり騙され、朝になっても帰らないでほしいと袖にすがりだした。いや、もっと具体的な接触を聞かされているが口にしたくない。匂い匂いってうるさいんだよ!
………。
伯爵もきっと、こんな気分だったんだろう。心から同情する。
ともかく途方に暮れた父親に、美由紀は一つの妥協案を提示した。目に見えない敵は、伯爵邱にいるイズミさんを精神支配して呼び出している。ならば、その構図を一度崩してみてはどうか、と。
つまり伯爵邱にいなければ、前提が崩れてしまう。その場合にどうなるか、実験してみようという提案だ。そこで保護する先は、当然ここになるわけだ。
美由紀と一緒にいたいイズミさんは二つ返事で了承。伯爵も、昨夜の事件で支配を逃れたのが美由紀だけだった以上、屋敷に留めるよりむしろ安全ではないかと考え、最終的に提案を受け入れた。
なお、一応はこの屋敷の住人である俺の意志は、最初から考慮されていない。正確に言えば、美由紀が了承すれば俺も了承した扱いになる、だそうだ。
「まぁいいさ。俺は出掛けるから後はよろしく」
「行ってらっしゃい、あ、な、た」
「ええっ…」
「悪ノリはほどほどにしてくれよ」
お姉様のあり得ない姿に衝撃を受ける伯爵令嬢。うん、一日も経てば、からかわれていることに気づくはずだ。むしろ怒って帰ってもいいぐらいだ。
そんな願いがかなえられる? 俺はそこまで楽観的ではないぜ。
「おはようございます、ワイトさん」
「おう、おはようコーイチ。当直でおかしなことしなかったか?」
「するわけないでしょ。誰だって命は大事ですよ」
「そ、そうだな」
どうにか屋敷を脱出。仕事場が一番落ちつくってのは良いのか悪いのか。
ワイトさんとは、無茶な会話が通じてしまうようになった。最初はうらやましいと言っていた上司でも、あの本性を知ればこうなる。きれいなバラには刺があるとはよく言ったものだ。
まぁ今は刺と刺が絡まり合って、踏みいる隙もないけどな。
「ちなみに、どう呼んだらいいんだ? 上からは様付けしろと伝えられたが、当人は呼び捨てでいいと言ってたぞ」
「俺は呼び捨てです」
「お前なぁ」
「……さん、ぐらいでいいと思いますよ」
呼び方の確認が必要なのか…と思うが、例によって美由紀の身分は分かりにくいらしい。
恐らくワイトさんに、五段という位階は正確には伝わっていない。上位の冒険職で、アラカ所長がへりくだるような特別な地位、貴族が様付けする存在…と聞いているようだ。
そもそも、段位の認定根拠は曖昧なものらしい。四段でも六段でもなく五段になった理由は、誰にも説明できないと美由紀は言っていた。
曖昧な根拠の身分だし、貴族も衛兵も普段から冒険職を低く見ているし、まして結婚相手というのが自分の部下だし…と。ワイトさんの困惑は分からなくもない。
互いに苦笑いで城門の扉を開けに向かう。そこには見知った顔もいた。
「おや、そこにいるのはヤボ用で仕事を休んだカワモじゃないか。しばらくだな」
「やかましい。職場に女を連れ込んだ貴様が何を言う」
「俺はただ、てめぇがヤボ用であったと指摘しただけだ。その首尾はまだ知らないんだぜ」
「くそ…」
扉を開けながらカワモをからかう。互いにスネに傷を持った状況ではあるが、コイツとなら対等に低レベルの争いができる。何というか、心が安まるぜ。
「俺もカワモの結果は知りてぇなぁ。尻ぬぐいした上司っていい響きだな」
「うげ、ワイトさんまで」
「さっさとしゃべってしまえ。減るもんじゃなし」
「コーイチ、覚えてろよ」
「カワモ大先生の武勇談なら、覚えるどころか未来永劫語り続けることだろう」
なお、そのカワモ大先生がどうだったのかは、渋っている時点でほぼ分かっている。食事に誘った女には相手にもされなかった。まぁ、騙されてひどい目に遭わなかっただけマシだろう。
下っ端の衛兵、それも門番なんてそんなものだ。武芸に秀でているとか、そういう売りもない。金もない。イズミさんのあの視線を思い出せば分かる話。
その代わり、立ち直りも早いけどな。衛兵にとって、百戦錬磨とは百回ふられることを意味するのだよ。
「ところでコーイチ。話せることはあるか?」
「ああ、あの…」
急にひそひそ声になった上司と、詰所から離れた所に歩いていく。
例の依頼には俺も巻き込まれているので、ワイトさんらに無断とはいかない。なので、冒険職事務所から連絡は届いている。ただし、美由紀の業務の補助で借り出されたというだけで、詳細は伝わっていない。
ワイトさんには、改めて伝えておく。俺は美由紀の補助というかオマケで、門番の合間に顔を出す程度の拘束しかない。だから用件の重要な部分はよく分からない…と。
最後の部分は嘘だ。
ただ、問題の根が深そうな状況を考えると、今は何もしゃべりたくない。
ワイトさんはさておき、今回の事件を誰かがかぎつけた場合、関係者のなかでもっとも立場が弱い俺に接触するのが当然だ。少しでも何かを知っている素振りを見せれば、ろくな結果にならないだろう。
「まぁいい。危険はないな?」
「全く問題ないです」
正直、今ここを追われたら精神的にきつい。守りたい、楽しい職場。そうだよ、もてなくたっていいから、門番を続けたいよなぁ、カワモ。
「それと、この間のキワコー子爵の件なんだが」
「…何かミスがありましたか?」
「逆だ。書類の手際が良いと褒められたぞ。あれはお前の手柄だな」
「いや、誰でもできる作業だと思いますよ、あれ。面倒くさいだけで」
うーむ、あの時の書類か。いつもより枚数がかなり多かったのは確かだが、きちんと説明が書かれてあったから何も問題はなかったはずだ。
まぁ、衛兵が起こすトラブルの上位に、書類の不手際があるのは事実。
そもそも、衛兵募集の条件に文字の読み書きは入っているが、腕が立てばある程度は合格するらしい。そのせいで、新人衛兵用の教室まであるんだよな。さすがに、そういう連中は門番にはまわってこないわけだが…。
「次も頼むぞ、コーイチはうちの看板選手だからな」
「安い看板ですね」
「全くだな」
「そこは否定するところでしょう…」
夕方に仕事は終わり、家路につく。
高級住宅街のシラハタ地区に帰宅するという異常事態には、そろそろ慣れてきた。その上、いつも前を通過する伯爵邱にも、まさかの関係をもってしまったからな。
「お疲れさまです」
「おう、貴方は昨日の…」
守衛に軽く挨拶を交わすが、反応は薄い。まぁそれでも顔を憶えている辺り、さすが大貴族の家を守る者だろう。
それほどの手練れが、何もできないどころか操られて開門してしまった。その気になれば、城門なんて簡単に突破されそう…と考えると、問題は深刻だ。
対策は…、正直、美由紀に頼る以外に何も思いつかないのがなぁ。
「小牧弘一さんだったかしら。貴方は衛兵なのでしょう? 少しおつき合いなさい」
そうして屋敷に戻るなり、俺は絡まれた。
目の前に立っているのは、ドレスではなく皮鎧を着込んだ伯爵令嬢。まさか俺の名前を覚えるとは思わなかったな。
「さきほどまで、お姉様に手解きしていただいたのよ。もう、あの美しいお姿、思い出すだけで胸が熱くなりますわ」
「それは…、良い運動になりましたね」
身体の凹凸が浮き出る皮鎧に、本能的に危険を察知して。視線を反らす。とはいえ話しかけられている状況だから、どうにか顔だけは見ようと頑張ると、恍惚とした表情にこれまた戸惑う。
原因を作った女がいないだけに、どう言葉をかけていいか分からず、適当に思いついた台詞を吐いてみたが、御令嬢の顔色がさっと変わってしまった。どうやらお気に召さなかったようだ。
「あの強く美しいお方に、貴方がふさわしいとは思えませんわ。その剣をお取りなさい」
「結局こうなるのかよ…」
今さら言うまでもなく、腕に自信はない。その上で、傷つけるなど許されない相手と向き合わなければならない。うーむ、この場合は負けた方が気楽だよなぁ。
いや、それはダメだな。
無様に負ければ衛兵の名に泥を塗る。俺一人の問題では済まないかも知れない。困ったぞ。
「女の剣だと侮らないことですわ」
「死にたくないので頑張りますよ」
仕方なく、イズミさんと対峙した。
剣と言っても、もちろん木剣だが、打ち所が悪ければ死ぬ可能性はあるだろう。門番は、衛兵の制服の上に簡単な皮鎧を羽織っているから、そのままで打ち合いを始めることになる。
知らない相手とやり合う瞬間は、ものすごく緊張する。つくづく実戦向きの性格じゃないと、我ながら思う。
「お姉様のために、私は戦うのよ」
「それはそれは勇ましいですね」
その上、お姉様連呼はきつい。思わず棒読みで答えてしまう。これも精神的攻撃ってやつだろうか。
……………
それからしばらくの間、ともかく打ち合い――向こうに言わせれば「果し合い」――のお相手を務めた。
結論から言えば、命の危険は遠のいた。
イズミさんは、護身のための剣術を習っているようだ。なので打ち合いの型は様になっているが、何しろ非力なので軽いし遅い。衛兵の平均以下の俺でも、たやすく対応できてしまう。
その事実には当然気づくだろうから、また不機嫌になるのか…と思ったが、大人しく打ち合いを続けている。
要するに彼女は、練習相手が欲しかったのだろう。
この「果し合い」に、絶対に気づいているはずの美由紀が介入しなかったのも、そういう事情だったに違いない。
「貴方も一応は訓練なさっているのね」
「衛兵は街を護る仕事ですから」
「この程度で護れるかしらね」
「できそうもない時は、できる人に伝える。そのための訓練ですよ」
御令嬢の言葉の刺がまた少し減った気がする。
所詮は今だけのつき合い。とはいえ、意味もなく険悪な関係を保ちたいわけではない。衛兵の名誉も守らなきゃならないし。
「あら、コーデンだわ。何か用かしら」
ようやく「果し合い」という名の稽古が終わった頃に、イズミさんが人影を見つけた。門の前の道路に立っているのは、伯爵家の使用人らしい。そう言えば、昨日も見かけた顔だ。
この屋敷は、伯爵邱のように門番がいるわけではないし、そもそも閉じてすらいないから、気にせず入ってくればいいのだが、律儀な人だ。だから伯爵家の使用人が務まるのだろうな。
見知った相手とあって、イズミさんも皮鎧のまま向かって行く。
不審者というわけじゃないし、伯爵家の用に俺が口出しするわけにもいかないから、一応遠くから見守ってみる。
すぐにコーデンさんと接触したイズミさんは、しばらく話し込んでいる。別に険悪な様子でもないし、問題はなさそうだ…と、俺は木剣を片づけた。
そして、今度こそ必要がなくなった皮鎧を外して、肩をぐるぐるまわしてからふと門の方を見ると――――、いない?
えっ?
慌てて走り出して道路に出ると、前方をイズミさんが歩いていた。
「どうしたんですか? 今日は確か、うちで一晩過ごすと聞きましたが?」
何か事情が変わったのだろうが、それならそれで断わりの一つは入れてほしい。美由紀はきっと夕食を用意しているだろうし…と、イズミさんに追いついて、異変に気づいた。
イズミさんは、俺に気づいていない。
いや、彼女を迎えに来たコーデンさんも、俺の妨害行為に何も言わず、しかし道を塞げばひらりと避けて行く。
ああ、これはそうなんだな。
屋敷に戻って…と踵を返しながら、もしかしたら…と念じて呼んでみる。
「呼んだでしょ?」
「おぅっ!?」
本当に来た。エプロンをつけたままの美由紀が瞬間移動で現れ、そしてすぐに事態を把握する。なんて頼れる兄貴だ。エプロン越しに胸がものすごい上下運動してる兄貴だけどな。
「イズミ、目を覚ますのよ」
「あ…、お、お姉様」
相変らず原理は不明だが、手のひらをあてただけでイズミさんの催眠は解除された。美由紀はそばにいたコーデンさんの目も覚まして、そしてイズミさんの身を引き取って言う。
「伯爵に言づてを。今晩、私の屋敷でお待ちしています。時間はいつでも構いませんから、急ぐ必要はないともお伝えください」
「は、はい。かしこまりました」
そうして美由紀は―――、またもやお姫さまだっこで屋敷に帰還した。
帰還というほどの距離じゃないし、たぶん誰も目撃者はなかっただろうけど、そんなことはイズミさんにはどうでもいいはず。
というか、歩けよ。
もうお姉様ごっこは要らないんだよ、なぁ?
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