十 奇跡の邂逅はだいたい望まれないのがお約束
衛兵としては「何事もなく」当直を終えて、二人で屋敷に戻った朝。
軽く朝食をとり、すぐに仮眠をとろうとしたのだが、屋敷に侵入者……ではなく来客があった。フードで隠した顔にマスクまで装着した、見るからに怪しい男だった。
「すみませんヨコダイ様。突然おしかけまして」
「いえ…。引っ越したばかりで何もできませんけど」
「いやいや、それはお構いなく」
美由紀と親しげ…とは言えないが、会話する怪しい男。
何のことはない、冒険職事務所のアラカ所長だった。あんな格好では逆に目立つと思うが、大丈夫なのだろうか。
「コマキ君もご苦労。こんな時におしかけてすまないな」
「いえ…、それだけの用…なんですよね?」
「まぁ、そうだな」
なお、この屋敷には相変らず美由紀と俺しかいない。立派な門はあるけれど、守衛も当然いないから、基本的に開け放たれている。貴族の邸宅と考えれば、非常識極まりない状態だ。
もっとも、屋敷のセキュリティは美由紀の能力に依存している。門が開いても閉まっても、恐竜殺しの怪人の前では大した違いはない。
最近は夕方になると、隣の地区の子どもたちがやって来て、庭で遊んでいる。美由紀は歓迎しているし、そのうち遊具でも置き始めそうだ。
食事の間のテーブルを囲んで、三人が座る。考えてみれば、初の来客だった。
冒険職事務所の所長が、現役冒険職の元を訪ねてきた案件。当然、密談の相手は冒険職、つまり美由紀だろうから…と、俺は二階に戻って眠ろうと思ったのだが、美由紀に阻止された。
アラカさんも、それには何も言わなかった。そろそろ彼女の性格を把握し始めたのかも知れない。悲しい心境の変化だ。
なお、部屋には盗聴除けの呪具の類は何も設置されていない。その代わり、外と遮断する魔法を美由紀がかけているらしい。そこまでするような話なのか? 所長が来る時点で、そこまでの話なんだろうな。
「普通の紅茶ですけど、どうぞ」
「いや、ヨコダイ様手ずからとは申し訳ない」
「他に淹れる人はいませんよ。それと、仕事の話なら「様」はやめてくださいね」
「す、すみません」
いかついオッサンが若い女に説教される光景を、部外者として眺める俺。アラカ所長は、かつては英雄扱いされるほどの凄腕だったというし、あの行儀の悪い連中がキノーワで大人しくしてるのも、その睨みがきいているからだが、美由紀相手では分が悪そうだ。
もっとも、美由紀の本当の力を知ったら、こんな程度では済まないだろうな。
いや、俺がその本当の力を知っているのかも怪しいが。人智を超えてると分かったけれど、どこまで超えるのかなんて理解しようがない。
「まずは突然の訪問をおわびしたい。しかし、我々はそれほど困っている。ぜひヨコダイさ…さんのお力をお借りしたいのだ」
「そこは「二人の」と言っていただければ」
「ごほん…、すまぬ、そう、お二人のお力をお借りしたい」
所長さん、そこで俺の顔を見られても困るんだが。
どう考えても俺に出番があるわけないし、そもそも俺に知られていいのかという気すらするし。
「話は伯爵家のことですか?」
「そ、それをどこで…」
だから所長さん、スイミングアイしながら俺の顔を見ないでくれ。本職が分からないものを、一介の衛兵が分かるわけないだろう。
まぁ人間、理不尽な事態に巻き込まれたら、誰かに縋りたくなるのは分かるけどさ。
それからしばらく、所長が知っているだけの情報を教えてくれた。
モリーク伯爵の娘三人のうち、次女のイズミさんは、二週間前から夜な夜などこかへ出掛けるようになった。伯爵家には守衛も私兵もいるのだが、毎回気がつくと彼女を見失っている。守衛に問題があると考えた伯爵は、三度にわたって交代させたが、誰をつけても見失うらしい。
そしてイズミさんは、平均すると一時間程度で帰ってくる。手ぶらで、何事もなく部屋に戻っているのを発見されるという。
どこで誰と逢っているのかと、伯爵は娘に問いただしたが、娘は何も答えない。というより、何も覚えていない…と、だいたいこんな感じだ。
「じゃあ昨夜のあれは…」
「記憶がない時間の話でしょうね」
俺たちも、所長にあの屋台裏の話を伝えた。伝えたのは美由紀であって、俺はそもそもあれがイズミさんだと認識すらできていないが。
「ヨコダイさんにも、相手は分からなかったのですか」
「分からなかった…というより、いなかったと思います」
「いなかった?」
あのぐらいの距離なら、その場に何人いるか探知できると付け加える美由紀。冒険職の常識を知らない俺は黙って聞いているが、所長はけっこう驚いている。誰でも使えるわけではなさそうだ。
しかしあれだよな、要するに、美由紀に隠れて家を抜け出すことはできないってことだよな。わりと絶望的な状況になってきたぞ。
その後、所長はいったん屋敷を離れた。伯爵家に打ち合わせに向かったようだ。
美由紀と俺は、その間は自宅待機。俺は役に立たないんだから待機する必要ないだろ…と思うが、元から徹夜明けの休養日なので、黙って休ませてもらう。
美由紀は…、全く疲れていないらしい。さすが五段というところか。
叩き起されたのは、それから二時間後のことだった。
ぼさぼさの髪のまま、引きずられるように階段を降りると――――、そこには所長ではない誰かが立っていた。何? 新手の羞恥プレイ?
「す、す、すみません! 出なおして来ます!」
「構わぬ。当直の後だと聞いている」
そこにいたのは、立派な背広に山高帽のいかつい紳士。他でもないモリーク伯爵その人だった。
伯爵の隣では所長が唖然として、そして俺の隣では…、首謀者が笑っていた。なんだよ、自分の恥だろうに笑うなよお前…。
「ご、護衛ですか?」
「左様。横代様と………………、貴殿にお願いしたい。何が起きているのか知るためにな」
微妙な空気が残ったまま、用件が伝えられる。というか、今の長い間は何だよ。お前は要らないって、はっきり言えよ。
しかし、美由紀が隣にいる手前、こちらからそれは言えない。そもそも伯爵に話しかけるなんてできるかって。
まぁ伯爵には、どうやら俺を数に加えないと話が進まないという知識があるようだ。弁当に挟まってるバランのようなものだと諦めているような雰囲気。なぜそこまで事情通なのかは分からないが、所長の入れ知恵だろうか。
「お嬢さまをご心配なさる気持ちはよく分かります。喜んでお引き受けはいたしましょう。ただ…、私たちでもどうにもならないかも知れません」
「横代様で対応できなければ、こちらも手のうちようがない。それが分かるだけでも良い」
「守衛の皆さんが罰されずに済むよう、こちらも努力いたしますわ」
「……かたじけない」
言葉遣いは丁寧だが、堂々と渡り合う美由紀。伯爵は五段を知る一人のようだから、遠慮する必要はないということか。
まぁ、こういう会話の時は蚊帳の外だ…と、所長と目が合った。なんだろう、急に親近感が湧いた。これが恋におちるってヤツだろうか。ああ、冗談だから心配しないでくれ。
「横代様と小牧殿…か」
「ど、どうかされましたか? 伯爵」
「…いや何でもない。アラカ殿、当然だが他言無用で頼むぞ」
「もちろんですよ。…我々も信用第一ですので」
俺たちを品定めするような視線の後、伯爵は立ち上がった。
信用第一か。そこで得体の知れない俺たちを使うのはどうなんだと思うが。まぁ、五段はそれほどに大きな位階ということか。
伯爵が屋敷を去ると、今さらのように着替え。言いたくはないが、別にあの場に同席しなくても同じなんだから、先に着替えさせてほしかった。向こうだって、俺には何も期待してないんだし。
……………。
えーと。
「入るわよ」
「ちょ、まだ着替え…」
「新妻が入れない部屋があると思う?」
パンツルックに着替え終わった彼女がドカドカ入ってくる。ああ、ドカドカは心の中に響いた音だ。
忘れかけていた設定を持ち出すなよ。下着姿の羞恥心より、そっちの方がきつい。
とはいえ、彼女は覗きに来たわけではないし、こちらとしても、本音を言えば来てもらうしかなかった。
「まったく、スーツの着方も忘れたなんて」
「忘れたわけじゃない。着たことがないだけだ」
「はいはい、良い子は黙ってばんざいしましょうねー」
「赤ん坊か!」
「赤ん坊でしょ!」
着せ替え人形のように扱われていく。目の前で動いているのは、どう見ても新妻ではなくカーチャンだ。
でも…。
母親ってこんなもんなのか。
「できた。これなら伯爵家の跡取りでもおかしくない」
「絶対におかしいから心配するな」
無事に着付けが終わって、美由紀は満足そうに笑う。その笑顔は確かに…、その、あれだ、カーチャンじゃなくアレだった。初めて見る男装みたいな格好も、いつもと違って心臓に悪い。
落ちつこう。
というか、これから伯爵家なんだよな。まぁ既に伯爵本人とは不本意な形で面会を済ませたから、ハードルの一つはクリア済みだけど、これから会うのは渦中の人イズミさんだ。
伯爵令嬢なんて、知らない世界の生き物。そして俺は、せいぜいそれにたかる悪い虫だ。勘弁してほしいなぁ、本当に。
「ちなみに、浮気したら死ぬわよ。主に社会的な意味で」
「物理的にも死ぬよな?」
「そうでしょうね」
そもそも結婚を認めてないのに、浮気と断言しないでもらいたい。しかし、それを目の前の麗人に主張しても無駄だろう。いずれにせよ、現段階で予定はない。
仮にイズミさんが「俺の理想そのもの」の定義を更新したとしても、伯爵家と美由紀の両方から制裁を加えられると思えば、その気になれそうもない。誰だって命は惜しいだろう? それに門番稼業も、それなりに気に入ってるんだ。
まぁしかし、あれだ。
どっちがより恐ろしいかと問われれば、迷うことなく美由紀と答えるだろう。なんてこった。




