誘惑
ぶにゃあ さま主催「カタユデ卵」企画参加作品。
清い水をたたえた大河の岸に、ぼろい木の桟橋を備えた船着があった。
小屋の扉には文字が記されているが、
―― ……YX ―― 掠れて読むことができない。
扉の奥は酒場になっていて、縮れた白髪の老人がカウンターの奥に立っている。手前のテーブルには、テンガロンハットの男がひとり。……装飾の施された灰皿にシガレットを擦りつけていた。……
白い服の女がひとり入ってきて、カウンターに銀貨を置いた。小ぶりのショットグラスを受け取り、テーブルへと向かう。
扉を見つめる男の視界に、琥珀色のグラスが置かれる。白い手が、目の前で揺れる。
視界を閉ざし、右の手であごひげを撫でる……そうして男は口を開いた。
「なにしに来た」
女の笑う唇が浮かぶ。
「お前もか」
そう言って男は、はじめて女を直視した。
「ええ、私も。……あなたと同じことに」
グラスの縁を指で撫で、赤い唇へ持っていった。その指が戻る前に、男はグラスをつかみ、一気に飲み干した。
……カウンターの男が、ふたりの様子を見つめている。……
「そろそろ、行きましょう」
女が男に言った。
「面倒くせえな」
男が答える。
「仕方ないでしょ」
女が言う。
「面倒くせえ」
男がつぶやく。
男は空のグラスを持って、席を立った。
「とんでもねえ女に手え出しちまった」
「おあいこよ。私も来る羽目になったんだから」
「お互い様か……」
女の唇が震えた。
「本気だった」
男も唇を震わせた。
「俺もだ」
コトリ……と、透明なグラスがカウンターに置かれた。
「さあ、行きましょう」
「ああ」
……男は微動だにしない。
それを見て、女が一歩、踏みだした。
硝煙とともに、白いドレスが舞った。……
―― 悪いな……、ひとりで逝け。……
* * *
女の誘いを蹴った男は、馬小屋で目覚めた。
―― あの女はまだ……?
―― いや、早かれ遅かれ、亭主の手で……。
後ろ手のロープはすぐに解けた。
男は馬を駆ってその場を去った。
FIN.
……普段、こういうの書かないのですよ。
ハードボイルドってことで、あえて女性キャラクターを非情に扱ってみたってだけなのですよ。