金銭感覚の揺らぎ。
白くて魅力的な肢体の上を、弾かれた水滴が転げ落ちてゆく。シャワーから吐き出される温かな水は、緊張と恐怖の極限状態であった身体を解し溶かしてくれた。
ルレイルさんの話によると、事件の主犯であるボブ受付嬢は換金額を少なく見積もり、差額分を着服していたそうである。着服したお金は好意の男性に貢いでいた様だ。ホントにホスト通いのOLさんだったよ。
「ふう……」
バスタオルで残った水滴を丁寧に拭き取り、汚れた衣服の代わりにと渡された、通商ギルド『アルカイック』の制服に袖を通す。女性バーテンダーを彷彿とさせるこの制服。以前、倉庫を案内してくれた女性が、颯爽と着ている姿を見てカッコイイと思っていたが、こんな形で着る事になるとは思わなかった。
「うん。中々イイ感じね」
姿見の前に立ち、右へ左へと身体を捻らせる。スーツを着るのは人生二度目だが、リクルートスーツではない物を着たのは初めてだ。
「あのぅ、もう良いですかぁ?」
「うわっ!」
凛としていた受付嬢にも負けず劣らずの容姿に満足していると、何時降って湧いたのか制服を渡してくれた受付嬢がドアの前に立っていた。
「それではぁ、ご案内しますねぇ」
間延びした様な声の受付嬢が先行し、ルレイルさんの執務室へと案内される。ドアを開けて飛び込んできた光景は、私を唖然とさせるに十分なモノだった──
奥には重厚な執務机があり、その椅子にルレイルさんが満面のアルカイックスマイルを浮かべて座っている。その手前には同じく重厚感がある応接セットが置かれていて、ティーセットが一つ。ここまではいい。しかし、応接セットよりも手前。私から五メートル程離れた場所に、額を床に擦り付けて土下座をしている何者かが居れば、頬も引き攣るというモノだ。その土下座も実に見事なモノで、元の世界で見た事がある、黒服の人達に向かって土下座している男の人を彷彿とさせた。
「とても良く似合っておりますよ、アユザワ様」
ソコよりもまず先に説明すべき事があるでしょうっ!?
「彼でしたら、換金ギルド『ポーン』のマスターであるザンダさんです」
換金ギルドのマスターさん? 顔が床にベッタリと貼り付いている所為で分からん。
「アユザワ様っ! この度は、うちの従業員が大変ご迷惑をお掛けしましたっ!」
見事な土下座をしたままで、床に向かって謝罪の言葉を述べるザンダさん。結構な声量があるので、喧しいとまではいかなくても、そこそこに煩い。
困った顔をルレイルさんに向けると、それを決めるのは貴女です。と言わんばかりにアルカイックスマイルで迎え堕とした。
「い、いえ。別に貴方が悪い訳じゃ無いですから、そこまでする必要はありませんよ。それに、ルレイルさんのお陰で五体満足だった訳ですし」
「ですが、それでは──」
「ザンダさん。アユザワ様は貴方に罪は無い。と、仰ってくれたのです。これ以上はアユザワ様を煩わせる事は控えるべきでは無いですか?」
ルレイルさんからの言葉に土下座をしたままのザンダさんは、『分かりました』と言って立ち上がる。その顔は確かに『ポーン』のマスターさんだ。そのマスターさんが懐に手を入れると、厚みのある封筒を一つ取り出した。
「お金で解決するというのは大変失礼だと存じますが、せめてものお詫びにどうぞお受け取り下さい」
言ってツィッと差し出すザンダさん。その封筒の厚みは十センチ程。お金で解決って言うくらいだから中身はお金なんだろうけど、貰っていいものか……
「貰ってあげて下さい。それで彼の気も済みますから」
「分かりました。それでは頂きますね」
ザンダさんの意を汲み、差し出された封筒を受け取る。ズシっと確かな手応えを感じた。ほ、ホントに貰っちゃっていいのかな……
「有難う御座います。これからも『ポーン』をご贔屓に」
そう言い残し、ザンダさんは退出していった。
「さて、これで事件は全て片付きましたので、アユザワ様からのご依頼は完了となります。つきましては、掛かった経費のご相談を致したく思います」
「え……? け、経費?! お金なら払ったじゃないですか」
「頂いたのは調査の依頼料です。掛かった経費については別途請求する。と契約書にも書かれていますよ」
机に置いた契約書の一文をルレイルさんは指差した。そんなバカなっ、と駆け寄り、差された場所を確認する。……あったよ。確かに書いてあった。だけど、他の文字より二回りは小さい字で書かれている。詐欺やろ、コレ。
「これ、詐欺になりません?」
「いえ、魔術やなんらかの方法で文字を見えなくするのは違法ですが、これはちゃんと読める大きさで記載されていますので」
むむぅ。確かに小さいが読めない事は無い。
「ちなみに、どれくらい掛かったのですか?」
「そうですね。熟練ハンター二名で十万。と、いったところですか」
「じ、十万?!」
一年暮らせる額だとっ!? 高い。高過ぎるだろイケメン!
「中堅のハンターならもっと安かったのですが、なにせ場所が場所ですからね。彼等では貴女をお救い出来るかどうか不安でした」
確かに、ミイラ取りがミイラになったのでは話にならないな。それにしても十万か……
「貴女様の命に比べれば安いとお思いますが?」
そうだな。生きてさえいればそれ以上に富を得る事も出来るし、ついさっき臨時収入もあった事だしそこから払うか。
「分かりました。お支払い致します」
「有難う御座います」
「そういえば、これって幾ら入っているんだろう……」
封筒の厚さは約十センチでそれなりの重量感がある。中身が大陸最大通貨の一万ドロップ札だとしたら……。手に持つ封筒に視線を落とし、ギョグッと唾を飲み込む。
「良ければお調べ致しましょうか?」
「え……まさかそれも有料とか?」
「いえいえ、流石にそこまでは致しません。では、機材をお持ちしますので、お掛けになってお待ち下さい」
言って部屋を出たルレイルさんを待つ事暫し、手に鑑定機とは別の機械を持って戻って来た。クッキングスケールと似通った所までは同じだが、鑑定物を乗せる天板の代わりに別な装置が乗っている。
「その機械は……?」
「これはお金を数える機械でして、名を『ゼニかぞエール君七号』と言います」
だからネーミングセンスッ! しかもエールって何を励ますんだよっ!
「それでは確認させて頂きますね」
手渡した封筒の中身を取り出したルレイルさんは、慣れた手付きで札束をトントンと揃えて装置にセットする。そしてスイッチを押すと、ジャバババと音を立てて動き出す。電気も使わずに動いているのが不思議でならない。
「終わりました」
装置の表示部を私に向ける。そこには金額が示されていた。ええっと、一、十、百……いっぱい。
「百万ですね」
「ひゃっ?! えふっ、うえふっ!」
思いがけない金額に、唾が変な所に入り込んでむせ返る。
「大丈夫ですか?」
咳き込む私にテーブルに置かれた冷めた紅茶を差し出すルレイルさん。これでも飲んで落ち着いてくれ。と言いたいのだろうが、私はそれを断った。そもそもそれはザンダさんの飲み掛けだろうがっ!
「まさか百万とは……」
一ヶ月八千ドロップとしても、十年は遊んで暮らせる程の額になる。そして、大金を目の当たりにすると、今までにない欲が湧き上がるのは人の性か。
「あのぅ、ちょっとご相談なんですけどぉ」
「これ以上お安くは出来ませんよ」
クッ、見透かされていたか。美少女の猫撫で声と上目遣いのコンボ攻撃を凌ぐとは、出来るな此奴っ!
「……でもそうですね。今後、アユザワ様が仕入れてくる鉱物を八千でお売り頂けるのでしたら、考えなくもありません」
「……え? えっと、本来一万五千である銀鉱を、八千で売ってくれたら掛かった経費は請求しないよ。って事ですか?」
「はい。左様です」
ルレイルさんはアルカイックスマイルを浮かべて頷いた。その話はとても良い話に思える。元々は傍迷惑な鉱物を処分したいだけ。別に問題は無さそうに思える。いや、寧ろ理想なのでは無いだろうか?
一個八千でも、月最低三個。つまりは二万四千ドロップは収入がある計算。これは余程の大家族か、どっかの受付嬢の様に男に貢ぎさえしなければ、何ら問題ない額だ。十分だ。これ以上の優良物件はあろう筈もない。
「あのぅ、それでお願いして良いですか?」
私に言葉に、ルレイルさんのアルカイックスマイルが輝きを放つ。
「そうですか、有難う御座います。では、お気が変わらぬ内に契約書を作成致します。少々お待ち下さい」
執務机に戻ったルレイルさんは引き出しから一枚の紙を取り出すと、立て掛けてある羽ペンでスラスラと書き始めた──