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決意の帰還。

 折れそうな心をどうにか繋ぎ止めるまで、どれほどの時間が過ぎただろう? 獣油のランタンが今だ灯されている所を見ると、それほど経ってはいないらしかった。大きく深呼吸をし完全に自分を取り戻した私は、打ち捨てられたマリーさんの遺体の目に手を充てがい、開かれたままの目を閉じさせた。


 初めはグルだったマリーさん。しかし、彼女のお陰で不老不死の能力が露見する事は避けられたと言えなくもない。もしあの時、彼女が止めに入ってくれなかったら、私は未だ囚われの身で拷問を続けられていたかもしれない。この能力の所為で死して逃れる事も叶わず、永遠に。


 マリーさんの遺体に手を合わせ、目を閉じる。


「必ず、アイツに罪を償わせる。だから、もうちょっと待っててねマリーさん」


 そう言い残し、開かれたままの扉を潜った。




 暗い通路を手探りで進む。灯されていたであろうランタンは既に消えていて、微かに香る獣油の匂いが鼻腔を擽り、僅かに残った熱が皮膚に伝わる。


「明かり……? 出口かな」


 手探りで進むその先に僅かながらに見える光。そこまで辿り着くと、その光は外からの陽の光である事が分かった。四肢を踏ん張り、力一杯押し込む。ズズズ。と重そうな音を立て、僅かだった光が徐々に開けてゆく。


「ここは……?」


 目の前には大河が緩やかな流れを成していた。振り返って見上げれば、円筒状の建造物が山の稜線から顔を覗かせた陽の光を受けている。どうやら私が囚われていたのは、キュアノスの北西に建つ灯台の地下牢だった様だ。


「ああ、そうか……」


 陽の下に出た事で自分の格好に気付く。胸を中心に赤に染まる服では、胸の部分に空いた穴は兎も角、大騒ぎになる事間違いない。かといって裸で戻る訳にもいかないので、目の前の澄んだ川で水浴びをしてから戻ろうと思い立った。


 一応周りに誰も居ない事を確かめてから、着ているものを脱ぎ捨てる。一歩足を踏み出すと、冷たい感触が足から伝わり、ブルリ。と全身が震えた。


 赤に染まった服を洗い流しながら、それを使って身体も洗い流す。改めて刺された胸を見るも、キズどころかシミ一つ無く、白い肌が水を弾いている。痛みもしこりも無く完全に元通りになっていた。


 止めていた手を動かす。血に塗れた身体を洗い、赤に染まる服を揉みながら洗い流す。それらを終える頃には服についた血の色もそれ程気にならなくなっていた。ぱっと見、そういう染色に見えなくも無い。


「よし」


 キツく絞った服を着込み、肌に貼り付く感触に顔を顰めながら、私は街へと歩き出した。




 キュアノス北に設えた、下層へと続く城門に近付くと、そこで警備をしていたであろう衛兵さんが慌てた様子で駆けて来る。


「ど、どうかされたのですか?」


 立ち止まった衛兵さんが私の姿を見て、驚きの眼差しでそう言った。まあ、この時期に全身が濡れて服もヨレヨレ。髪もまだ乾いていないから、さぞかし奇妙に思ったのだろう。ところで、視線を胸で一旦止めるのは止めて貰えませんかね。


「監禁されていた所から逃げて来ました」

「かっ、監禁?! とっ兎も角、ここでは何ですので、詰所へお越し下さい」


 衛兵さんに案内されて詰所へと歩き出す。街へと近付くにつれ、祭りの活気が溢れて来ていた。


 門に設えた衛兵さん達の詰所。その一室に通される。そこはちょっとした休憩室なのだろう。木製の長机に長椅子が置かれただけの簡素な部屋だった。


「どうぞ、タオルとホットミルクです」


 新兵さんらしき、私よりも若い衛兵さんから手渡され、『有難う御座います』とニッコリ微笑んで礼をする。タオルで濡れた髪を拭き、冷めないうちにホットミルクを飲む。食道を通り胃に流れ込む温かい液体に、改めて生きている事を実感する。


「キミが監禁されていた女性か?」


 ドアを開けて入って来たのは、六十くらいであろう男性。白髪頭に鼻の下のお髭まで白いロマンスグレーのおじさんで、シワが刻まれたその顔は中々に渋い。


「はい、そうです」

「それは何処なのか分かるかね?」

「北西の灯台。その地下の牢に閉じ込められていました」

「灯台の地下……?」


 おじさんは、背後に控えていた男に視線を向けると、その男は首を横に振った。


「灯台の地下にそんなモノが在るなどと聞いた事が無いが?」

「本当です。崖下の河原にある大岩、そこが入り口です」

「ふむ、そうか。確認させよう」


 背後の男に視線を送ると、男は黙って頷いた。


「それで、監禁されていたのはキミだけか?」

「いいえ、もう一人。でも、殺されました」

「何?! 殺された、だと? それは本当か!?」


 ロマンスグレーのおじさんの目が大きく開かれる。地下牢の確認をしに行こうとしていた男までもが動きを止めて私を見る。


「はい、本当です」

「……分かった。調査をしよう。おい、ウォルハイマー卿に連絡を」

「はっ!」


 おじさんからの命令に、控えの男は慌てて部屋を出て行った。


「それで、その殺された人物というのは、貴女の知っている人物か?」

「はい、元職場の同僚でした。名前はマリー」


 おじさんは取り出した羽ペンで紙に書いてゆく。


 その後、おじさんから様々な事を聞かれ、話すべき事を話す。勿論、能力に関わる事は黙ったままで。そうした受け答えを繰り返していると、休憩室のドアが開かれておじさんの背後に控えていた男の人が姿勢を正す。そして、おじさんも立ち上がって直立不動になった。


 ガチャリ。と鎧の音を立てて入室して来たのは、ぱっと見三十位の男性。韓流ドラマの様な細やかな細工が施された甲冑を身に纏う黒髪で短髪の人だ。心なしかその顔まで韓流俳優に見える。


「貴女が情報を提供して下さった方ですか? 私はフレッド=アクラブ=ウォルハイマーと申します」


 肩口に指先をコツリと当て、礼をするウォルハイマーさん。ミドルネームがある事からこの人も冠十二位(ナンバーズ)の一員らしい。『アクラブ』とは何位の方なのだろう?


「ウォルハイマー卿、こちらが提供頂いた情報になります」


 今までの話を書き記していた紙を渡すおじさん。ウォルハイマーさんは目だけを動かしてそれを読み、渡された紙をおじさんへと返す。


「お嬢さん。出来れば案内をして欲しいのですが、頼めますか?」

「私が、ですか?」

「はい。囚われていた場所に戻る。というのは大変心苦しいと存じますが、貴女の身の安全はこの私、フレッド=アクラブ=ウォルハイマーが責任を持って果たします。如何でしょうか? 勿論、強制は致しません」


 初対面である彼の力がどれ程のものかは知らない。だけど、真っ直ぐに私を見つめる眼差しからは、この言葉が嘘偽りではないだろう事が分かる。本当に私の身に危険が迫った時、この人は身を挺して守ってくれる。そんな気にさせられた。


「分かりました。ご案内致します」

「そうですか、有難う御座います。もし、ご気分に変調をきたす様であるならば、離れてお待ち頂いても構いません。護衛を数名お付け致します」

「多分、大丈夫かと思います」

「では、早速で申し訳ありませんが、ご案内をお願い致します」


 分かりました。と席を立ち、再び灯台の地下牢へと向かった──



 キュアノスの西側には、大河に沿って三つの灯台が建てられている。北西、西、南西。そのいずれも、船が座礁しない様にと建てられているのは元の世界と変わらない。


 その灯台へと続く道を外れ、河原に至る道を下る。西灯台の南側に広がる細かな砂が敷き詰められたビーチとは違い、こちらは大きな石や岩がゴロゴロとしていて非常に歩きにくく、転ばない様にバランスを取りながら地下牢の入り口へと進んでゆく。途中で堪えきれなかった衛兵の数人が、派手にブッ転んでその鎧をへこませていた。


「こ、こんな所に入り口が……」


 崖が突き出たその真下。崖と大岩の隙間にポッカリと空いた洞窟。それを見た衛兵の一人が呟いた。


「どうやらここは昔の盗賊のアジトだったようですね。ここで間違いはありませんか?」

「はい。暗くて良く分かりませんでしたが、多分一本道です」

「分かりました。それではアユザワさんはここでお待ち下さい。私達が中を確認して参ります」

「え、でも……」


 一緒に行った方が良いのではないか? その言葉を発するのが分かっていたかのように、ウォルハイマーさんは首を横に振る。


「いいえ。これ以上無理をする事はありません。ここから先は我等で調査します」


 無理……。彼にはそう見えるのだろうか? ……そうかもしれない。たった一日で色々な事があり過ぎた。元の職場の先輩が私を拉致して拷問し、そしてマリーさんを殺した。目の前で人が殺されたのだ。その上、決して公言が許されない秘密を抱えているのだから精神が崩壊してもおかしくない。


「では、お前達三名はここに残り、何があっても彼女を守り抜け。残りは私と共に内部を調査する」

「はっ!」


 ガシャリ。と、音を立て、ウォルハイマーさんの命令に敬礼で応える衛兵さん達。洞窟内から漏れ出た白い光が徐々に遠ざかり、やがて元の暗さを取り戻した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公、刺されたマリーさんのことは報告したが、犯人のローザの方が重要ではないだろうか?
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