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#076a 10年後(´・ω・`)

「――なあ和彦。これ貸しておくよ」

「これは……?」

「自転車だよ。折り畳みの」


 現在、午後10時50分過ぎ。

 場所は東トレーラーへと続く私道の前。

 電車で最寄り駅まで寄り、そこからタクシーでこの地へと来た。

 これでタクシー代は二~三千円ぐらい浮いたはずだ。

 終電の事情から予定よりずっと早いこんな中途半端な時間に到着となったけど、まあそれは仕方ない。

 幸いにも完全初心者の高井が今日はいっしょだから、引き続きEOEについてレクチャーでもしていようと思う。

 真面目に教えるならおそらくどんなに時間があっても足りないぐらいだ。


「夕飯の時に軽く説明した通り、俺はもうしばらくログアウトしない予定なんだ。つまり帰りは和彦ひとりでどうにかしてもらう必要がある」


 そう改めて伝えながら肩から下げている折り畳みの自転車をバッグごと手渡そうとするものの、それを高井は手で制する。


「ありがとう、熱い友情を感じるよ。だがその必要はない!」

「え?」

「明日の部活をサボることになったからね! 走り込みを兼ねて中平(なかだいら)駅まで走ろうと思うんだ!」


 奥歯をキラッと輝かせてそう言い切る高井。

 そりゃまあ、途中のコンビニまでなら過去に俺も走ったことあるから不可能とは思わないけどさ。でも自転車があるのにわざわざそんな苦労――


「――それに」

「ん?」

「失恋した時ぐらい、ちょっと郊外をゆっくり散歩するのも悪くなさそうだ」


 『いや、まだ失恋したとは決まってないよ!』みたいな上辺の言葉は口が裂けても言えない。それは決して本心じゃない。

 むしろ内心『情にほだされて深山が心変わりしたらどうしよう……』なんて心配しているのが俺の本音だ。

 たぶん客観的に考えて圧倒的に有利な俺だが、それでも最低限フェアで行こうと思う。

 高井へと先に約束した通り、俺は一切高井の告白について介入しないつもりだ。ふたりきりで深山と話してもらう。

 それが俺のできる精一杯の誠意。

 迷惑かもしれないが、深山にすべてを委ねよう。

 …………大丈夫だよな……??


「――ほおおぉ……ここがそのトレーラー、というヤツか!」


 タクシーを降りてから林の中へと続く私道を数分ほど歩き、すでに見慣れた風景となりつつある古い冷凍倉庫を利用したこのトレーラー前に出た。


「ずいぶんと賑やかなんだね!」

「……確かに」


 今日は金曜だからおそらく週で一番ログインする人が多い夜だろう。

 もう少し言えば夏休みというのも大きいかも知れない――が……しかしそれにしても少しばかり賑やか過ぎじゃないだろうか?

 なんとなく深山が魔法で大虐殺したあの夜のことを思い出す。


「あ! 来た来た!」

「へ?」

「おい、あのガキが三位かよ……」

「リアルKANAさんもここに来るとかマジ?」

「もう登録は消されたけど確かに見たっていう人が居てさ」


 ……マズイ。


「そういうことか」


 ちょっとばかり掲示板を放置し過ぎたようだった。

 具体的には俺が募集掛けたのが午前2時前で、掲示板をチェックして募集を中止し、『KANA』含めて申し込んだ全員を解除したのは午後3時過ぎぐらい。

 姉さんがどれぐらいのタイミングで申し込んだのか確認してないが……最大で13時間ばかり向こうからコンタクトしてきている状態を野ざらしにしてしまったわけだ。


「おいおい香田、何か僕ら注目を集めてないかい?」

「そうか? まあ和彦が美男子だからだろう」

「おいおいやめてくれよ! 参ったなぁ~」


 面白いヤツ。


「しかし本当に参ったな……あと一時間もこのままの状態か」


 周囲を遠巻きに眺められているだけで直接誰も話し掛けて来たりはしてないが、注目を集めているこの状況というのがそもそもあまりよろしくない。

 俺というより、姉さんに迷惑が掛かりそうだ。


「和彦……悪い。お前はあのプレハブ小屋に行ってさっき言った通りに銀行口座とかの登録を先に済ませておいてくれないか? 荷物も預けられる」

「オッケー、構わないよ。香田は?」

「まあ目立たないところでブラブラしてるよ。互いに時間を潰して午後11時50分になったらそのプレハブの裏側で落ち合おう。何かあったらメッセ飛ばしてくれ」

「了解了解! それじゃ!」


 もう待ちきれないのだろう。

 手短にそう言うと小走りにプレハブ小屋へと向かって行った。


「さぁてと……俺はどうしようか……」


 とりあえず皆の視線から逃れるように私道のほうへとUターンする。


「姉さんに連絡して、待ち合わせ場所を変更したほうが良さそうだな……いや。でもログアウトしてくる岡崎とは11時半に入り口前で待ち合わせることになってるか。どっちみちそれじゃ目立って――……」


 そう言いながら携帯を取り出してメッセを送るためアプリを起動し……その手が止まる。


「――……うん?」


 一瞬、見間違いかと思った。

 また母さん辺りから怒りのスタンプ連発でも溜まっていたのかと思った。


『ごめんなさい(´・ω・`)』


 その一言だけ、今から30分も前に送信されていた。

 ちょうど電車から降りてタクシーを探す前後辺りだろう。

 ……やっぱり何度確認してもその可愛い顔文字は、見間違うはずもない。


「凛子っ!?」


 俺はメッセージも送らずに再び踵を返し、慌てて再びトレーラー前へと駆け出していた。

 頼んだの、岡崎なのに……なんで凛子?

 っていうか指定の待ち合わせよりなんで一時間も早いんだ?

 なぜ? なんで??

 俺は軽く混乱しながら――


「――あっ……!!」


 翌日の受付開始まで一時間近く早いからか、入り口前はまだ人が集まってなくて幸いだった。

 そこにはまるで捨てられた仔犬みたいな寂しそうな顔をした凛子が、携帯を大事そうに両手で持ちながらうつむいてたたずんでいた。


「凛子!」

「――……へっ……あ、あっ……!!」


 声に反応して弾かれるように顔を上げて、慌てて左右を確認し、そして俺を見つけたその途端。


「ごめっ……ごめ……香田ぁ……ごめんな、さぃ……っ……」


 ぽろぽろと大粒の涙を零し、自分の可愛いスカートをぐしゃっ……と握り潰しながら謝っていた。


「……」


 何だろうなぁ、この感覚。

 たまらない気持ちになる……それは凛子には申し訳ないが、決して俺にとって悪い気持ちじゃない。

 すごくすごく俺のこと想ってくれていることがひしと伝わってくる。

 俺が助けなきゃ、って心からそう思う。強烈な使命感を抱く。

 そばに居たいって、素直にそう思う。


「――迎えに来てくれたんだ? ありがとう」

「ほ、へ?」

「何? どうしたの?」

「こ……香田、怒んないの……っ?」

「うん?」


 それは演技じゃなくて、本当に素で理解できず俺は首を傾げていた。


「こ、香田の命令っ……私、ちゃん、と……守ってなくてぇ……!」

「いやいや。ちょっと待って? 命令?」

「きょ……今日、はぁ……えぐっ……ダンジョ、ン……えぐ……っ」

「あー」


 命令、かぁ。

 わかっちゃいるけど……ちょっと寂しいなぁ。

 俺はやっぱりまだ、凛子の隣には立たせてもらえてないんだなぁ。


「とりあえず、凛子」

「っ」


 泣いてる凛子へと手を伸ばすと、びくっ、と一瞬怖がられてしまう。

 それもやっぱり寂しい。

 絶対に凛子に痛いこととかしないのに。

 嫌がることなんかするはずがないのに。


「……触って、いい?」

「う、うんっ……」


 ――でも良かった。

 『私なんか』みたいなところまで(こじ)れてないみたいだ。

 ちょっと俺の顔色をうかがいつつだけど、応じてくれた。

 涙に濡れてる凛子の小さな頬を手で包むと……ちゅっ、と凛子が微かにその手のひらに唇を重ねてくれる。


「凛子の車に行きたいな」

「っ! う、うんっ……行きたいっ、私も行きたいよぅ……」


 うん、良い返事。最初の印象よりずっと悪くない。

 どうやら――正直非常に不本意だが、俺が怒ってないことが確認できて凛子的にはだいぶんと心に余裕が生まれてくれたらしい。

 俺の腕に力いっぱいにしがみついてくれる。

 まったく……怒るわけないのになぁ……!

 まだまだ全然信用されてないことを改めて思い知らされる。

 きっと凛子からすると、今すぐにでも1ミスしたら即お別れ……みたいな酷い緊張状態が続いちゃってるんだろうなぁ。


「ひうっ、ど、どしたのっ……香田っ……?」


 もどかしいこの気持ちを込めて少し乱暴に凛子のボリューム感のある髪を撫でると、びっくりしたように目を丸くして俺を見上げていた。


「可愛いなって」

「う、嘘だぁ……」

「嘘じゃないってば!」

「ひゃうっ!?」


 ダメだ、全然このもどかしさが消えない。

 俺はたまらなくなって凛子の小さな身体を抱きかかえると、背後の視線を感じながらもそのままトレーラー裏側にある駐車場へと小走りに駆け出した。

 さながら誘拐犯である。


「香田っ……香田ぁ……っ」


 あ。いや、大丈夫か。

 むぎゅーって凛子も俺の首にしがみついてくれている。

 こんなに嬉しそうに誘拐される人はいないだろう。


「早く、車行きたいよぅ……香田と車の中でいっしょにいたいよぅ……!」

「わかってるって。任せて」

「あ、わっ……!」


 俺は凛子の膝の裏に腕を回す感じで、まるで人形でも抱えているような形で精一杯に駆け出す。

 ……珍しくリアル側の利点を感じた。

 ステータス最低のEOE内とちょっと違い、これぐらいじゃそう簡単には息が切れない俺だった。



   ◇



「――ううぅーっ……ごめっ……ごめ、なさいっ……」


 ちょっと懐かしい凛子カーの助手席。

 昼間乗った神奈枝姉さんのスポーツカーとは比べることもできないぐらいにチープな内装だけど……でもこっちのほうが遥かに落ち着けた。

 たぶん俺にはこれぐらいが、ほどほど良い感じの中庸(ちゅうよう)なんだろう。


「気にしないで」


 エンジンも掛けず室内の電灯も点けず、真っ暗なちょっと蒸し暑い車内でずーっと凛子と抱きしめ合っていた。

 せめて窓ぐらい開けるべきなのかも知れないけど……それで外に声が聞こえたら嫌だなってそう思って思い止まる。


「香田っ……香田ぁ……」


 凛子はずっとずっと、俺の首元に顔を埋めたまま、1ミリも隙間を作りたくないという感じでぴったり俺に密着して頬ずりを繰り返していた。


「えぐっ……さ、寂し、かった、よぅ…………っ……死んじゃうよぅ……」


 やっと本音、言ってくれた気がする。

 ようやく甘えてくれた。


「ごめんね。ここ数日、ちょっと凛子には我慢してもらってたね?」

「うーっ……ごめっ……」

「いやいや、俺が悪いの。ごめん、凛子」

「香田ぁぁ……っ……」


 むぎゅーって凛子が可能な最大限の力で俺の首を抱きしめてくれる。

 さすがにちょっと痛いぐらい。でもそれがむしろ嬉しくて心地良い。


「はむっ……」


 俺の耳を甘噛みしてる。それから首元に何度もキスしてくれる。

 凛子のいつもの愛情表現が嬉しい。

 それじゃ俺も俺で凛子を満喫しよう。


「――あ、やぁ……っ」

「嫌?」

「き、嫌われ……ちゃ……」

「俺が触りたくて触ってるんだけど……凛子に嫌われちゃう?」

「うーっ……そ、そんなことないよぅ! そんなわけないようっ……!」

「良かった」


 少しだけ身体の密着を解いて、そのかわりに可愛い凛子の胸に手のひらをそっと当てる。

 それでおしまい。指先ひとつ動かさない。ただそれだけのことなのに――


「うー……嬉しぃ……よぅ……嬉しー……よぅ……」


 ぽろぽろ涙を落としながら、凛子が心から喜んでくれる。

 愛しさが溢れそうで、それをキスという形で補う。

 決して舌が絡み合うような情熱的なものじゃなくて可愛らしく唇同士を重ね合うだけの優しいキスだけど、それで充分だった。


「っ……!」


 おっと。前言撤回。

 珍しく凛子の唇が少し開かれ、俺の唇を舌先でちょっと舐めるようなことをしてくれた。それが嬉しくて俺もお返しにその舌先を――


「――っ!?」

「ひあっ!?!? こ、香田ごめっっ……ごめんなさいぃ……っっ!!」


 びっくりしたらしい凛子が、慌てて口を閉じるものだからガリッと俺の舌先が少し噛まれてしまった。


「ごめっ、ごめ――、んんんっ……」


 いちいち『大丈夫だよ、怒ってないよ』と答えるのも芸がないので、唇で唇を塞ぎ、再び凛子としばしキスを愉しんだ。

 ……今度はその可愛い唇が開くことはない。くそっ。


「っ……ど、どうしよ……香田ぁ……」

「うん?」

「こ、こんなにちゅー……しちゃったら……もうしばらく我慢しないと」

「そうなの?」

「ふぎゃっ、だ、だめぇ……っ……!!」


 そう言いながらも俺からのキスを決して拒まない凛子だった。


「うーっ……も、もぅだめだよぅ……っ……もったいないよぅ……」

「またそれか! 飽きちゃうって?」

「ちゅーするの……飽きられちゃったら、私、もう死ぬしかないよぅ!?」

「はははっ、大げさな!」

「ぜ、ぜんぜん大げさじゃないっ!! 死んじゃうっ! 死んじゃうぅっ!!」


 もうこれ以上俺からキスさせまいと、ぎゅーっと俺の首に抱き付いて頬ずりへと愛情表現の方法を転換している凛子だった。

 ……ああ。なんかちょっと久しぶりだなぁ。この感じ。

 この狭い空間と、凛子のオレンジみたいな柑橘系の香りと、甘えた凛子の可愛らしい言葉と仕草。

 妙なことを言う自覚あるが……こう、俺の『原点』みたいな感じ。

 『これがないと始まらない!』みたいな感じ。

 正直これは飽きるとか飽きないとか、そんなレベルじゃない。

 もはや地球に飽きるとか、呼吸することに飽きるとか、それぐらいにあり得ないものに感じた。


「ね……香田……本当にどうしよ……」

「うん?」


 俺の耳元で小さく小さくささやいている凛子。


「香田にもう、迷惑かけちゃだめなのにぃ……」

「? 迷惑なんかじゃないぞ?」


 小さく何度も首を横に振って。


「ほんとに香田なしじゃ……生きて行けなくなりそう…………どうしよ」


 よっぽど大きな問題なのだろう。

 また似たようなことで真剣に悩む様子の凛子だった。


「大丈夫だよ。凛子こそ、その内俺に飽きちゃうんじゃないのか?」

「ちょっ!? ふ、ふざけないでよおおっっ!!!!」

「うおっと!?」


 俺の顔を両手でがしっと捕まえて、目の前で凛子が怒鳴る。


「そんなわけないじゃんっ!?!?」

「そうか? 例えば10年後も凛子は今と同じままだって言うのか?」

「うん」


 不思議なほど自然体にそうあっさりと即答する凛子だった。


「10年後っていうと……私、28歳でしょ? ぜったいに私、10年後も今と何も変わらず香田のこと好きでいる自信、あるよ……?」


 そこには気負いや不安、あるいはそれを払拭するための否定のような感情はまったく見て取れなかった。ごくごく自然な声。

 ――さっきの俺の例えを使おうか。

 まるで10年後、地球に飽きてるとか、呼吸するのに飽きてるとか、それを不安に思うことなんかあるはずがないと言いたい風だった。

 『何をあり得ないバカなこと言ってんの???』って感じ。

 それには物凄い説得力があった。


「だから、ね?」

「うん?」

「香田が飽きるまでは……いっしょに、居させてくださぃ……」


 ぺこっ、と小さく頭まで下げられてしまった。

 もう完全に俺から飽きるの前提の話になっている。


「う……うん。もちろん」


 ――悔しいけど、完全敗北に思えた。

 さっき、あんな質問をしてしまった俺はつまり、どこかでその内に飽きてしまうかも?という疑念を無意識に抱いてしまっていたわけだ。

 それを凛子が感じ取っていないわけがない。

 だから今さら『俺も当然飽きるはずがないさ!』みたいなことを無責任に言える立場じゃなくなってしまった。

 ……気まずい。


「28歳の凛子かぁ。どんな感じなんだろう」


 敗北感と――あと、正直を言うとちょっとテレ臭いのも手伝ってそんな風に会話を少し逸らす俺。


「お、おっぱいもきっと大きくなってるよっ!? まだ可能性あるからっ!」

「……いやそこはいいんだけど」

「よくないよぉ!?!?」

「だって俺……()()が好きだし」

「ひゃうっ!?」


 ずいぶんとさり気なく触れられるようになったと思う。

 これも『飽きる』なのだろうか?

 ――いや、きっとそれは違う。緊張感が薄らいだ分だけ、愛しさは大きく膨らんでいる。

 こうして心身共にもっともデリケートな部分を触れることを許してくれている……その特別扱いをしてくれている事実がとても嬉しい。


「うーっ……大きく、なるもんっ……!」


 涙目で口を尖らせているけど……たぶんそれは偽装。

 内心では凄く嬉しそうに見えた。


「凛子は10年後、何をしているんだろうな……?」

「え……ううん、わかんない」

「目指す職業は?」

「……まだわかんない」


 高校三年だからもう進路は決まっているだろうけど、それは進学先とかだけでその先の明確なビジョンまでは決まってないってことなのだろうか。


「ね……香田、私って……どんなお仕事が合うと思う?」

「え? それ俺に聞く?」

「ん……どう見えますかっ」

「どう、って――」


 食い入るように真剣に俺の瞳を見つめる凛子。


「凛子って真面目だし、器用だし、記憶力バツグンだし、性格良いし、可愛いし――」

「――ちょ、ちょーっ!? な、なに突然っ!?」

「なにって言われても俺からどう見えるか、の話だろ?」

「そ、そおだけどっ……!」

「話の腰を折るなっ!」

「うーっ」


 顔を真っ赤にして唸ってる凛子。


「凛子は可愛いし、性格も素直で努力家で、記憶力も良く頭の回転も速い。だから接客業や営業なんて向いているかもなぁ」

「にゃ、にゃひひっ、しょ、しょんなぁ~!」


 変な笑い方をしながらニヤニヤして手を左右に振っている。


「いやいや、営業ではもったいないか。それだけ可愛いんだからアイドルとか目指そうか?」

「ちょっ、こ、香田っ……私、歌下手だしっ!」

「…………あれはあれで可愛いと思うけど。少なくとも作詞の才能はあるんじゃないのか? ちゅっちゅちゅーん、とか――」

「――ぎゃあああああっ!?!?!?」


 聞きたくないっ、と両手で耳を塞いで叫んでる凛子。

 なんだかすっかり元気になってくれたみたいで自然と顔が緩んでしまう。

 だからこれはちょっとした勢い。

 気の緩みからくる無責任な発言だった。


「――いやいや。料理が上手いし、とっても家庭的だし……10年後は良いお嫁さんになってるかもな?」

「っ……!!」


 くりくりと目を丸くして俺を真っすぐに見詰める凛子。

 すぐにその反応で、自分がどういう類の言葉を口にしたのか理解した。


「――……私、ヤだ……それっ」


 凛子を自宅に連れて行った時のことを思い出す。


『私、香田の恋人じゃないですっ……将来のお嫁さんなんかじゃないっ……!!』


 母さんのからかい半分な言葉へと真剣にそう叫んでいたことを思い出す。

 それは凛子の本意じゃないらしい。

 俺の横に立ってくれないらしい。


「……じゃあ、どういうのが良い?」

「迷惑、かも……だけどっ……きっと迷惑、だけど……」

「たぶん迷惑じゃないと思うよ?」

「…………」


 凛子は少しずつ背中を丸めてうつむいて行く。


「……香田、のぉ……お世話、したぃ……っ……」

「うん、ぜひ!!!」


 俺は即答した。

 頑張った。今、凛子は頑張って踏み込んでくれた。

 この手を離したらすぐにでもどこかに逃げて行きそうな凛子が、10年後にも変わらず俺の近くで世話をしたいなんて言ってくれた。

 それは決して100点満点じゃないけど、でも、充分。

 だから俺は即答で、もろ手を上げるようにそれを受け入れた。


「――……っっ……っ……!!」


 俺に一切の迷いがなかったのが、きっと良かった。

 これ以上ないほど明確な返答は不安な凛子の心の中へと素早く浸透していって、彼女から遠慮や否定のような言葉を摘み取った。


「ご、ごめっ……」

「どうして謝る?」

「……迷惑、かけないようにぃ……気を付ける、からぁ」

「こらこら。だから迷惑じゃないってば!」


 また泣き始めてしまいそうで、あわてて俺は不安そうな凛子を胸の中にしまい込んだ。


「うーっ……香田ぁ……っ……」


 俺のシャツをきつくきつく握って、離したくないと仕草で伝えて来る。

 そんなのお願いされるまでもない。

 俺は凛子が飽きるまで――いや。

 俺が満足するまで、このまましばし抱きしめ合うことにした。



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