#075d 様はない
「そう……事故なの……あれは事故! 私たちも悪かったけど……み、深山さんにも過失はあったの……そう! お互いさまだったのよっ!! それを罪とか、犯すとか……酷いっ! そんなの香田くんのただの主観じゃないっ! そんなの主観の相違よぉ……!!!」
見るからに必死そうだった。
涙ながらに訴える久保のその神経質そうな金切り声は、この12人が集まれるカラオケの大部屋内に響き渡った。
たぶんもう、久保に切れる札がないのだろう。
まあその苦しい状況、理解はできるよ?
でもさ――
<――がっかりだよ……久保>
それは心の底から本当にそう思った。
何だよそれ? 『事故』とかそんなあからさまな撒き餌に何の捻りもなく即座に食いつくとか、馬鹿じゃないのか??
……何だよそれ!
お前は俺を封じる憎き魔物じゃなかったのかよ!?
事前の対抗策ぐらい用意してなかったのかよっ!!
手ぶらの無策でこの場に俺と対峙しに来てたのかよ!!
頭、お花畑かよっ!?
ああ……腹が立つ……『まあなんとかなるだろう』ぐらいに事態を軽く見られて――いや、こんなヤツを相手に、本気で考案していた自分にこそ腹が立つ!
ただの平和ボケかよ……。
俺はその底の浅さに心底嘆くしかない。
深山玲佳というひとりの人間を絶望の淵へと追い込んだくせに。
二ヶ月間も仮想空間に幽閉させて放置なんて、血も涙もないような卑劣な行為に及んだくせに。
俺の、世界で二番目ぐらいに憎いその人は、邪悪な魔物でも悪魔でもなく……ただの意地が悪くておのれのやらかしたことへの罪の意識もない、頭が悪いだけの自分勝手な女子高校生だった。
<……もう一度だけ言う。加害者がそんなことを言うな>
「私っ、加害者じゃないっ……! そう、ずっと黙ってたけど深山さんに酷いことされてたの……!!! あんなの……あんなの深山さんの自業自得じゃないのよぉ……!!!」
<深山玲佳が加害者だって……?>
「そうよっ!!! 全部ぜんぶ香田くんの勝手な主張でしょおっ!? 証拠あるのっ!? 証拠っ、証拠ぉ……っっ!!!!」
――虚しい。
戦法があまりに幼稚でペラすぎる。
つまり彼女の言葉を借りるなら『主観の相違』に持ち込みたいわけだ?
互いに証明できないだろって戦法で、有耶無耶にしよう……って?
悲しい。
そんなことへの対策もないままにこんな話をしているって、そう思われていることが深く悲しい。
俺って、そんなに馬鹿に見えるのだろうか……。
「酷いっ……!! 本当に香田くん酷いっ……!!!」
あの自信満々で勝ち誇っている久保と対峙したかった。
あの時は本当に勝てないと思ったのに。
白旗を揚げるしかなかったのに。
あの憎い魔物を相手に、今の俺が持つ全力を使い切り、捻り潰したかった。
<そろそろ黙れ>
まあ同情してやるよ。
鈴木が転校してしまったのは、確かに誤算だったな?
久保のアドバンテージは、鈴木と内通しているところだった。
鈴木からいくらでも有利な証言を引き出せる以上、俺はどうやっても不利だった。
手が出せなかった。
しかし今は違う。俺が鈴木をボコボコにして、それで学校に来れなくなった――とするあの脅迫内容は彼女が転校してしまった以上、何の抑制力もそこに発生しない。
本人が居なくなっちゃ、もう過ぎ去ったこととしてさほどの問題にもならないし、本人の証言が得られないならそれこそ証拠がないからな?
まして俺がこうして先手で『共犯者のグループ』と皆にその認識を持たせた以上、今さらそれに対抗して『実は香田が鈴木を……』なんて言っても、せいぜい苦し紛れの水掛け論をしているようにしか映らないだろう。
<証拠……だって?>
――いや、今の俺には水掛け論にすらならない。
<あるよ、証拠。いや、『証明』と言うべきかな? お前たち三人によって深山玲佳が閉じ込められ、酷い状況に追い込まれたという事実が存在することを、俺は証明することができる>
そう。今ならその方法を見つけ出しているのだから。
それが成立できるよう、こうして丁寧に状況を整えたのだから。
「ふ、へ……っ?」
変な声を出して呆ける久保。
その涙ながらの演技には悪いが、失笑してしまいそうだった。
「香田くん……それ、証明してもらえるってことでいいのかい……? 正直、久保さんの主張も決して間違ってない。全部がキミから告げられているだけの一方的な情報で、誰もキミの話を心からは信じられないでいる」
結果的にはこの高井和彦に、俺は心からの感謝と謝罪をするべきだろう。
お前はベストだった。甘く見ていた。
もっとお調子者で自己中心的なヤツだと勝手に見誤っていた。本当にすまない。
こんなにも的確なサポートが得られるなんて、思いもしなかった。
<知りたいか?>
「もちろん」
「――待って……ふざけないでっ!!!」
久保が鬼の形相で立ち上がる。
「さっき深山のプライバシーがどうとか綺麗事言ってたばかりでしょ!? 何その二枚舌!!! 守りなさいよ、プライバシー!!!」
さて、と。
そろそろチェックメイトだな。
<ああ、その通りだね。勝手に俺から話すことはできない>
「なら――」
<だから、クラスのみんなを代表して……高井。お前に来て欲しい>
「……どこに?」
こらこら。顔に出てるぞ、高井。
頼むからそんな嬉しそうな顔をしないでくれ。
<もちろん、深山玲佳のところに。今すぐこれから>
久保敦子の最大の敗因は、たぶんEOEの自分のキャラを削除したこと。
「ま、待って!! どうしてそこで高井くんに――」
<もはや総意だろ? そこを反対するヤツが誰か居るのか??>
居るはずがない。
高井和彦が深山玲佳のことを好きなのは、もはや周知の事実だ。
そして誰よりも心配しているこの会のリーダーだ。
今の会話の流れも含めて、彼よりふさわしい代表者が他に誰か居るというのだろうか?
……せっかくだから、もうちょっと虐めてやるか。
<じゃあさ。反論している本人の久保サンも、特別に良いよ?>
「……え?」
まあこれも、大切な確認だ。
<高井と共に、深山玲佳のところにいっしょに行こうか?>
そんなの、行けるわけがない。なあ、そうだろ?
――もし行けるというのなら。
もし本当は自分のキャラを削除していないというのなら、俺はどんな卑劣な手を使ってでも絶対にお前をEOEの中で今度こそ追い込む。
どんな残虐非道な手段を使ってでも、絶対に深山の誓約を消させる。
ああ……そっか。どうやら――
「わ、わた……し……はぁ……っ……」
「そうだよ、久保さん。いっしょに深山さんのところに行こう! 僕は両方の話を公平に聞くよ? それでちゃんと自分の目と耳と心を使って、皆を代表して客観的に正しく判断するよ?」
「………………き、きょ……う……は予定、ある、から……」
――邪悪な魔物は、俺のほうみたいだ。
<じゃあ明日にしようか?>
「……」
しばし沈黙が続いた。
そして――
「――私……帰る」
突然そう言い残し、久保は愚かにもこの部屋から飛び出してしまった。
「うっわ……マジで?」
「……もう久保が犯人で確定ってこと?」
そう。もはやそれは高井に確認してもらうまでもなく、自ら罪を認めたに等しい行為だった。
「ふぅ……じゃあ高井。さっそくで悪いけど来てくれるか? すぐ出発したい」
「ああ、もちろんだよ!」
奥歯を見せながらサムズアップを両手でしている高井を確認し、自分たちの料金分をテーブルに置くと俺たちはその場からすぐに立ち上がる。
「みんな、僕が代表して深山さんから事情を聞いてくるよ! ちょっと待っててくれ!!」
「へいへい、お好きにぃ~」
「いってらー!」
「深山姫によろしくぅ」
「なあなあ、久保ってさ……最後のアレが素なんかなぁ?」
「さあ? 単にキレただけなんじゃネ?」
「久保怖ぇ~……深山を怪我させておいてあんなこと言ってたのかよっ?」
これでお開きと理解した各々が好き勝手にその場で雑談を始めた。
「あの……香田様」
「うん?」
俺の足元で座ったまま小さくなってモジモジしている乾さん。
『様』はまだついていた。
同じ歳のクラスメイト相手に『様』は本当にないと思うんだが……果たしてどんな心境だとそうなってしまうのか、ある意味で興味深い。
「とってもとってもステキでしたぁ☆」
「ははは……ありがとう」
ほんとこの人はどうして俺をこんなに評価してくれているんだろうか。
今の久保とのやり取りも、悪役とまではいかないけど決して善人面もしてなかったと思うんだけどな? 普通は『性格悪そう』って多少なり引いちゃう場面じゃないのか?
よくわからない。
……俺の中には、こんな邪悪な魔物が住んでいるというのに。
「あ。脱がなくていいよ」
「え」
「夜は身体、冷やすぞ?」
まあ何であれ、こんな可愛い子に慕われてそりゃ悪い気はしない。
グループ内で疎外されないよう守ってもくれた。
だからたぶんこれはお礼の形。
ちょうど良い高さにあるもんだから、ついいつもの癖で乾さんの頭にポンポンと軽く手を置くと、上着は回収せずにそのまま焦れている高井と共に部屋を出た。
「ん……?」
『きゃーっ』。
背後の部屋の中からそんな黄色い声が微かに耳に届いて来て思わず振り返ると、残っている女子の数人が部屋の中から手を振ってくれていた。
「?」
「さあさあ香田! 早く行こうかっ。僕は全力で走る覚悟だよ!!」
「いやいや。どんなに急いで行っても午前0時までは無理だから」
「そうなのか?」
「ああ。それまで、必要最低限のルールなんかをざっと説明す――」
――ピコン。
そこで不意にメッセージが届いた。
神奈枝姉さんから『今日無理でした!』とかの連絡じゃないかと心配してすぐに携帯を確認すると。
「――ぷっ……」
「ああ? どうしたんだい?」
「いや……ごめん。ちょっと数分だけメッセやっていい?」
「ああ、わかったよ! じゃあその間に今度こそ我慢していたトイレに行ってくるっ!!」
「……我慢してたのかよ!?」
高井が慌ててトイレに向かうのを見届けてから、改めてさっきの携帯の画面を見直した。
――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
気持ち良いほどの呪いの言葉の羅列。
もちろん久保からである。
画面いっぱいにその二文字が埋まっていた。
小学生か、お前は。
『お前さぁ……バカ?』
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
『この画面、高井に見せてもいいんだ?』
即、沈黙。
馬鹿過ぎる……完封負けでもう何もできないにしても、こんな証拠を相手に差し上げるなんて愚か過ぎるだろう。
『大丈夫だって。高井には悪いけど、別にお前の恋路の邪魔はしないよ』
返事はないけど、『既読』の表示は入る。
どうやら律儀にちゃんと見てくれているらしい。
『事故にしてやっただろ? 感謝しろよな?』
もちろん返事はない。ただ、既読のみが付く。
――そう、これが久保と俺の違い。
『気持ちいい』からってトコトン追い込まない。
ほどほど良い感じにセーブする。それが中庸の極意。
久保はそれを見誤り、最後の最後まで追い込んでしまった。
……それはきっと快感だったことだろう。
実際、俺の心を折り再起不能なほど絶望させ、深山を封じることに成功した。
しかし同時に、その快楽に溺れた愚行により我が身を滅ぼしたのだが……果たして彼女はそのことに自覚はあるのだろうか?
「やあ、ごめんごめん。お待たせ!」
「むしろ早すぎだろっ!?」
久保の敗因は、自分のキャラを消したこと。
やり過ぎたこと。
「さあ行こうか!」
「元気だなぁ……これから失恋しに行くってのに」
「ハハハ、もちろんさ! 失うモノがなくなったボクはもう無敵さ!!」
「…………まったくもって、その通りだな」
そう、失うモノがあると、人は臆病になる。
つまりそれは『弱点』となり得るわけだ。
その弱点がある限り、絶えずプレッシャーに晒される。
それを守るためなら、どんな卑劣な命令も従わなければならなくなる。
俺にとっては、深山を救うことがまさに弱点だった。
その機会を失った今の俺は、もう無敵だ。
「これからも頼むよ」
「は? あ、ああ。もちろんだけども……?」
それに対して久保には露骨なほどの弱点がある。
俺はこのカードを決して手放さない。
そのために、逃げ道としてあえて『事故』を用意してあげたわけだ。
あれが故意による『虐め』だったなんてことになれば、久保はそれこそ教室内で再起不能に陥るだろう。高井に心の底から軽蔑されることだろう。
これからはその恐怖に震えながら大人しくしているがいい。
まったく――
「――あ、ごめん。もう一言だけメッセージ送ってもいい?」
「早くしてくれ香田! もう待ちきれないんだっ!」
「へいへい」
俺は万感の思いで、ゆっくりと文字を入力する。
……久保、ごめんな?
『ざまぁwwww』
これで俺も悪意ある言葉の語尾に『w』とかつけちゃうような人間になっちゃったから、もうこの点についてはお前のことを何も言えそうにないよ。
あの時は悪く言ってごめんな?
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
「はははははっ!!!」
ただただもう、痛快だった。
こんなの無意味か? 非建設的か?
……いや、そんなことはない。
俺はむしろ胸を張って大声で伝えたい。
「――よし」
一矢報いてやったぞ、深山……!!





