#075c 邪悪な魔物退治
「本当に大丈夫か?」
「任せろ! 費用が一万円ほど必要で、今夜すぐに向かわなければならない……ただけそれだけの話なんだろ!?」
「ああ、そうだけど」
メラメラと心に火がついている高井は見たこともないような覇気溢れる瞳で俺を見つめていた。何だか頼もしいなぁ。
そして高井もなんだかんだいって体育会系なんだなと感じる。
「俺は連れて行くだけ。そこから先は何もしない……深山とふたりきりでじっくり話し合ってくれ」
「ありがとう……香田くん! それで充分だっ!!」
「いや、俺の手を取らなくていいから」
暑苦しいし、やはり罪悪感は拭えないから俺は彼の感謝を素直に受け取れきれない。
というかたぶん、どうやっても構図的に無理なんだ。
いずれ高井は俺を憎む。恨めしく思うことになるだろう。
それをどんなに予知できても、俺は回避も否定もすることができない。
……だって高井が心の底から欲しいと思う愛しい存在を、すでに俺が奪ってしまっているのだから。
「香田、でいい。『くん』はつけるな」
「ああわかった! 改めてこれからよろしくな、香田!」
「……何だそれは」
「香田はグータッチを知らないのかい?」
「えー……パス」
「ハハハ、断られちゃうなんて僕初めてだよ!」
そう言いながら奥歯を見せて嬉しそうに笑ってる。
……お調子者だけど、悪いヤツじゃないんだろうなぁ。
たぶん俺なんかより素直で真っすぐな好ましい人間なのだろう。
ちなみに『孝人と呼んでくれ』と言わなかったのは、将来存分に俺を憎みやすいようにするため、変な愛着をこれ以上湧かせない意図だった。
「それで僕は、これから具体的にどうすれば良いんだい?」
「そうだな……改めて確認だ。和彦は深山のことが好きなんだよな」
「ああ。しかし皆にはないしょにしてくれよ?」
「それは約束するよ」
むしろないしょにするべき相手が見当たらないほど周囲にバレバレな気がするんだが……もしかして本人、素でそのことに気が付いてないのだろうか?
「……なあ。つまりそれは、久保サンと付き合う気はないってことで大丈夫か?」
「あぁ? そこでどうして久保さんが出てくるんだい……?」
あらあら、まあまあ。
久保の涙ぐましい努力はすべて空振りだと知って内心ほくそ笑む、性格の悪い俺だった。
「付きまとわれている自覚はないのか?」
「…………いや。その、なんだ」
「あるのか」
「嫌われていないのだろうから……無碍にはできないが。しかし」
「ぶっちゃけ迷惑か」
「い、いや……それほどではぁ……!」
久保のやり口から想像するに、たぶん絶対に『嫌』とはいえないシチュエーションに持ち込んで絡め捕られているのだろう。
気の毒なことにハメられ続けているわけだ。
たぶんこの2Aなんたらの会に紹介を頼まれたのも、その手口によるものに違いない。
それで夏休み期間中に会う口実を作りだそうとしているとか、魔物なりに涙ぐましいというか何というか。
ダイレクトに高井に特攻しないのは……ま、現状では勝ち目なしと本人も自覚しているってことなんだろう。
長期戦を覚悟しているのはある意味で正しい状況判断なのだろうが、しかし残念だったな。
ライバルはたしかに排斥できたが、それはとんだ愚策。
バカめ。自爆だそれは。
実はあんな『ひょうきん』な可愛らしいライバルより遥かに悪質な敵を彼女は自ら作り出したのだ。
――香田孝人は、悪質だぞ? これから覚悟しておけ。
「ど……どうしたんだい、香田? 何か物凄い顔をしているが……」
「ああ、悪い。これからのことを考えてちょっと奮起していたところだ」
「?」
「とりあえず高井はそのままニュートラルに構えててくれ。決して悪いようにはしない」
「わかったよ……僕には失うものは何もない。だから香田を全面的に信頼しよう!」
「頼むよ」
よし、これで前準備としては充分だ。
あとは正面から対決するだけである。
「ほんと、失うものがないって……最強だなぁ」
俺はしみじみとそう感じながら、トイレを出て足早にあの部屋へと向かう。
――ガチャ……。
気密性の高そうなドアを開けて部屋に入ると、ちょうど曲が終わったタイミングだったのか、全員がこちらへと振り返った。
「ああ、香田、高井! ふたりしてどこ行ってたのさぁ!」
「ごめんごめん、ちょっと外気吸ってた」
「ははは、すまないね!」
「ふたりがホモなんじゃないかって盛り上がってたところだぞっ?」
「……勘弁してくれ」
俺は苦笑いしながら、岡安と乾の間に空いている俺の席へと戻った。
ふと見れば乾さんは俺の上着をちゃんと袖を通して着てくれている。
男臭いだろうから申し訳ないけど、身体のことちゃんと心配してくれているみたいでちょっと安心した。
「香田様ぁ、お飲み物届いてまぁすっ☆」
「ああ、うん。わざわざありがとう、美紀」
「ひゃう! 香田様に呼ばれてしまうと美紀、ドキドキします☆」
「こらこら、まだ『様』をつける気か」
「だってぇ~」
「参ったなぁ」
さすがに『様』はないだろ、『様』は。
「…………」
「うん?」
周囲の数人の男女から若干冷たい視線を感じなくもない。
「……つまり香田は両方アリってことぉ?」
「バイか、バイ!!」
それでまたドッと笑い声が溢れていた。
どうも笑いのツボがちょっと違うみたいでさっきから戸惑ってしまうな。
「もう許してくれっ」
なんとなくその空気に乗って多少大げさに嫌な顔をしたら、期待通りにまたドッと受けてくれてちょっと安心する。
まあなんとか……ギリギリこのノリに合わせられている俺だった。
「ほいよ。じゃあ罰として次、香田の番な!」
「へ?」
その答えがわりに、マイクをぽんと手渡される。
「「「こ・う・だ! こ・う・だ!」」」
途端に始まる香田コール。
どうやら遠巻きに聞いているだけでは許してくれないらしい。
<えーと……ここで泣き出せば良いのか?>
マイク越しにそう嫌味をひとつ。
当然のように久保からは鋭い眼光が飛んできて俺に突き刺さる。
空気をちょっと悪くするその発言に周囲の香田コールは鳴りやみ、非難めいたささやき声もいくつか耳に届いた。
頃合いだな。
よし、そろそろ邪悪な魔物退治と行こうか……!
<すまない。突然だけど質問。転校した鈴木の連絡先を知っているヤツって誰かここに居ないか?>
「ヤメロよそんな下がること言うのぉ!」
名前は忘れたけど、誰か男子がそう言い放つ。
<悪いが、とある人を助けたいから止めない>
「ちょっと香田くん……!! せっかくの楽しい場の空気壊すようなこと言い出して、どうしたんですか……!? やめましょうよ!?」
それは女子のリーダー格の内村から……ではない。
今までトコトン影の薄かった久保からの突然の発言である。
不自然極まりないときっと本人自身も思っていることだろうが、しかしそれでも防ぎたい気持ちのほうが強いのだろう。
<止めないよ?>
さて、開戦だ。
<深山玲佳のことを助けるまで、止めるつもりはない>
その一言は、予想通りに強烈なインパクトを与えたようだった。
皆の目の色が途端に変わる。
今までひそひそと非難していたはずの一部の女子まで食い入るように俺を凝視していた。
<今日ここに来たのは、歌うためじゃない。この件でみんなと話したいから……俺はここに来たんだ>
マイクのエコーが若干邪魔だけど、やはり効果はてき面。
誰もが俺の話を聞き逃さず耳を傾けていた。
「ちょっと香田! 深山のこと、なんか知ってるのっ!?」
それは今度こそ内村。
立ち上がりながらそう叫んでいた。
<知ってる>
「話して……!」
<情報交換がしたい。誰か鈴木の連絡先を知らないか? 住所でも電話番号でもいい……もちろん新しいほうの、だけど。教えてくれるなら、俺も深山玲佳のことを教えるよ>
「…………」
誰もそれに返事をしてこない。
互いに目くばせをして『お前知ってる?』って確認し合っているようだった。
……まあ念のための確認って感じだったんでわかっていたことだけど、やはり有力な情報は得られないようだった。
<――久保サンは、知らない?>
「えっ……私……?」
<そう、久保サン。だって実は仲良かったんだよね? 週末の夜中にいっしょに遊びに行くぐらいは>
「……っっ……!!」
もちろん俺の言いたいことは充分に通じたことだろう。
現にそういう顔をしていた。
「うっそ、意外っ! 久保さんって鈴木とつるんでたんだ……?」
「共通点みつからねぇ!!」
「……た、たまたま……です。その……一度だけ……」
<ああそうなんだ? それをたまたま俺が見ていただけなんだ?>
「何ですかそれ…………何が言いたいんですか?」
<言って欲しいの? それ、自爆じゃないの?>
「…………」
真っ青な顔をして急に押し黙る久保。
代わりに周囲では『どういうこと?』とか『意味わかんねぇんだけど』とかそんな会話が各人で交わされている。
「えっと……つまりそれ……鈴木さんと久保さんが……深山さんの件と何か関係あるって解釈でいいのかな……?」
手を上げ、そう言ったのは高井だった。
そう、それでいい。
俺は怪しいヤツで、高井が皆の代弁者であるべきなんだ。
台本のないナチュラルな反応が欲しい。
下手に演技なんてされたら俺と裏側で繋がっていると勘ぐられてしまう。
<――そういうことだ。深山玲佳を助けるため、鈴木の情報が欲しい>
「待って! さっきから香田、助ける助けるって……深山どうなっちゃってるんだよっ!?」
「そうだ!」「そうよっ」
「クラスメイトには説明責任があるじゃんっ!?」
ねぇよ、そんなの。
<深山玲佳本人のプライバシーに関わることだから……詳しいことは俺の口から勝手には言えない>
「ふざけんなよっ!? そこまで言っておいで何だよそれっ!?」
<でも鈴木のこと、誰も知らないんだろ? なら深山玲佳に恨まれる可能性があるのに、わざわざ口を軽くして教える必要性は俺にはない>
「そ、そうですよ……!」
釣れた。
「香田くんの言う通りだと思います……よくわからないけど、深山さんのプライバシーに関わることなら……無断でべらべらしゃべらない香田くんのほうが正しいと思います……」
まあ、乗るよなぁ。ここは。
「いや待って! さっき高井言ってたじゃん!? 久保、お前も関係者だって!! 何、都合良いこといってんだよコラ!?」
「……っ……そ、それはっ……」
「なぁ香田!! そうなんだろ! 久保は関係者なんだろ!?」
不意に久保と視線がぶつかる。
……何? その期待しているような目は?
バカじゃねぇの、お前。
<――そうだ、久保はまさに関係者も関係者>
あー……ずいぶん溜めていたなぁ。
ようやくこれを言えるのか。
<深山が今、学校に来られない原因を作ったその張本人だからな?>
皆の視線が一斉に久保へと集まる。
「酷いっっ……!! そんな……香田くん、酷いっ……!!」
わっ……と突然声を張り上げて両手で顔を覆い、久保が泣き始める。
ほんと上手だね。感心するよ、それ。
<酷い? 何が酷いんだ……? なあ、教えてくれないか久保サン?>
「今さっき……深山さんのプライバシーを守るって言ってたじゃないっ……そんな軽々しく――」
<加害者のお前が、それ言うなよ>
「か、加害者だなんてっ……そんなっ……!!」
<詳しいことは深山玲佳のプライバシーに関わるから言えない。でも、お前が加害者のひとりであることは別に漏らしても何も問題ないだろう? なんでお前まで守らなきゃいけないんだよ?>
今まで固唾を飲むようにこのやり取りを聞き入っていたみんなだが、そこで高井が小さく手を上げた。
「加害者のひとり……? つまり鈴木さんも……?」
<そうだ。そこの久保と、鈴木…………そして岡崎の三人が加害者だ>
「ふざけんなぁ!! 逢のこと陰で悪く言うなよ香田ァ!!」
俺の右隣の岡安が吠えた。
……良かったな、岡崎。
お前のこと、こんなに本気で怒って守ろうとしてくれるヤツ、居たぞ?
<事実だから仕方ないだろ。実際……今、岡崎は深山玲佳のところに行って自分の犯したことを謝罪し、罪滅ぼしとして彼女を助けようとしている。だから最近、岡安と付き合いが悪いんだよ>
「証拠あんのかよぉ、証拠ぉ!!」
「……証拠、ねぇ」
そろそろ総決算なのだろうか?
いや……まだ早いか?
ちらりと見ると、また高井が皆を代表するように手を上げていた。
『どうぞ』と手のひらでジェスチャーを送る。
「待ってくれ……状況を整理させてくれ……つまりその三人が深山さんへと『何か』罪深いことをし、今現在の自由を奪っている……と考えて良いのだろうか? それはいったい何なんだい?」
伝えるべきことと隠すべきことの選別を頭の中でする俺。
打ち合わせも台本もない展開だから、即答はできない。
リスクあるが、たぶんこれは……リアリティーになってくれているだろう。
<確かに何もかもがうやむやのままじゃ、みんな釈然としないよな>
しばしこの先の展開を想像してから。
<事故だよ……事故。その三人がやっちまった事故に巻き込まれて、深山玲佳はしばらく外に出られないような酷い状況となった>
「うっそ……事故って……嘘っ……!!」
――あえてそう伝えた。
きっと皆の頭の中では、倒木とか落石とか滑落とか……まあそんなイメージが広がっていることだろう。
深山が大怪我をして、そして岡崎はその付き添いの看病をしている。たぶんそんな感じか。
<岡崎は謝罪しに行き、鈴木はおそらく罪の重さに耐えきれず教室から去った。じゃあ久保……お前はどうなんだ? こんなところで楽しくカラオケなんかしている場合か?>
「ま……待って……さっき、から……好き勝手……一方的にっ……!」
そこまで問われてようやく声を出した久保だった。
「そう……事故なの……あれは事故! 私たちも悪かったけど……み、深山さんにも過失はあったの……そう! お互いさまだったのよっ!! それを罪とか、犯すとか……酷いっ! そんなの香田くんのただの主観じゃないっ! そんなの主観の相違よ……!!!」
必死だった。
たぶんもう、久保に切れる札がないのだろう。
そりゃそうだ。突然だもんな?
ゆっくり考えられる暇、ないもんな?
でもさ――
<――がっかりだよ……久保>
それは心の底から本当にそう思った。





