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#075b 覚悟の確認

「――香田様☆ お飲み物のおかわりはいかがですか~♪」

「ん? ああ……」


 隣に座る(いぬい)さんに言われふと手元を見れば、確かに飲んでいたドリンクはいつの間にかもうほとんど氷しか残ってなかった。

 まあただこうして見知らぬ他人が歌ってるのを眺めているだけでは退屈過ぎて、ついつい暇つぶしに飲み物ばかり飲んでしまっているのだろう。


「はいっ、メニューこちらでーす☆」

「ありがとう」


 たぶんドリンクオーダーの入力ができる端末はカラオケの曲選択も兼ねているからだろう。紙に印刷されているメニュー表も別に存在していて、乾さんはそれを広げて持ってきてくれた。


「きゃあ☆ 美紀(みき)かんどーですっ!」

「何が?」

「香田様に感謝されちゃいました☆」

「だから乾さん。香田『様』って――」

「――美紀」

「ん?」

「美紀のこと美紀って呼んでくれるまでは、美紀も香田様って呼び続けまーすぅ」

「……」


 なんだろう。今、すごーく深山に謝罪したい気持ちになってしまった。

 あれだけ大切な深山のこと苗字で呼ぶのに――


「じゃあ美紀」


 ――こんな見ず知らずの子を下の名前で呼ぶのか、と。

 帰ったら深山に『玲佳』ってそろそろ呼んで良いか相談したいところだ。


「ひゃあっ……こ、香田様ぁ☆」

「……おい。変わってないぞ」

「てへぺろ~☆」


 だがしかし、有り難いのも確かだった。

 周囲の誰もが俺と距離を置いている中で、こんなにぐいぐいと距離を狭めてくれるのは色々と都合が良い。

 実際このグループ内で久保のような疎外をされずある程度馴染んでいる感じがするし、高井へも――


「ねえねえ、それで何にしますかーっ?」

「――ん? ああ、ドリンクか」


 乾さんと俺はそれぞれメニューの両端を持ってふたり並んで吟味した。

 周囲が薄暗いのでちょっと文字が見えづらい。

 ちなみに今現在は田中・阿部と名乗った男子ふたりがアニメっぽい暑苦しい曲を歌ってて、それが地味に盛り上がってる。

 たぶん元の曲とか誰も知らないだろうに、みんなで拳を突き上げたりして心底楽しんでいるようだ。

 こういうのを偏見なく楽しめてるこのグループって、割と良質というか……嫌いじゃない。みんな良いヤツなんだな。

 これからぶち壊すのが、心苦しい。

 なのでちょっとばかり様子見している俺だったわけだ。


「ほらほらぁ☆」

「っ!」


 ぴとっ。

 たぶん女の子だから俺より体温が低いのだろう。

 それがさらに肌と肌が触れ合う感触を際立たせ強調される。

 俺の着ている七分袖の先、左の手首辺りから伝わる乾さんの腹部の体温。

 恥ずかしい限りだが、やっぱり歳相応にドキドキしてしまう俺だった。

 ……ああ。なーんか今、深山辺りにすごーく睨まれている気がする。

 違うって。

 たぶん乾さんは気を遣ってくれているだけだって。

 こんなことぐらいで『もしかして俺に気があるのかも?』なんて想像してしまう自分の童貞脳が恥ずかしい。

 凛子や深山が特別なの!

 俺は奇妙なシマウマなの!

 これにも何か特別な――


「――って……ああ。そういうことか」

「香田様?」

「ごめん、なかなか気が付かなくて」

「?」


 俺は盛り上がっているみんなの邪魔にならないように気を付けながら、中腰で静かに立ち上がると七分袖のリネンシャツを脱いで。


「寒いのに、無理しないで」


 へそが見えるような露出の高い乾さんの背中に、その上着を掛ける。

 そりゃガンガンにクーラー効いているこの部屋の中じゃ寒いよな。

 そりゃ思わず体温高い俺に触れたくもなるはずだ。


「こ、香田様ぁ……」

「女の子が身体を冷やしちゃダメだよ?」

「……っ」


 ずいぶんと大げさに顔を真っ赤にさせて喜んでくれる乾さん。

 つまりそれだけ寒かったってことだろう。

 ちょっと気が付くの遅すぎたが、しかし喜んでもらえたみたいでちょっとした充実感を覚える俺。うん、姉さんの花婿修行がまた役に立った。


「ごめん、コーラ頼んでおいてもらえる?」

「えっ、は、はいっ!」


 俺の七分袖のシャツの中へと嬉しそうに包まり暖まっててくれている乾さんにそう伝えると、立ったついでにトイレへと向かうべくカラオケルームを出た。


 ――……ガチャ……。


 防音性能の高いドアを閉めると、その静寂さに驚く。

 ……いや、普通にドアの向こうからは今も暑苦しい男ふたりの絶叫が耳に届くけどね。しかしこういう感覚ってのは相対的なのだ。

 太陽の下のロウソクより、暗闇の中のロウソクのほうがずっとまぶしいというアレだ。


「ふぅ……ちょっとガブ飲みし過ぎたかなぁ」


 そのまま目の前の男子トイレへと入った。

 飲めば排出される。

 その極々当たり前な生理現象に新鮮さを感じてしまう俺。

 もはやすっかりEOE中毒患者と称しても過言ではないだろう。


(がく)の言うことも……あながち間違いじゃない、かも……な、っと」


『アレはマジでヤバイ……癖になっちまうっ……心の麻薬みたいなもんだ』


 アイツはそう言っていた。

 心の麻薬……か。

 繰り返す度に、恋しくなる。依存する。

 平和で何も起こらない現実じゃ物足りなくなる。

 もっともっと刺激を、と心が求めて来る。

 確かにそれは本当に麻薬の中毒症状みたいだった。


「その例えでいくと……深山の置かれている状況がますますヤバイなぁ」


 監禁されて麻薬――いやいや。あまりにイメージがダーク過ぎる。

 想像を早々に強制終了させた。


「――深山さん、だって?」

「あ、ぐっ……高井」


 どうやら高井も俺を追うようにして男子トイレに来ていたらしい。

 間の悪いことこの上ない。

 というか(すみ)との本音トークから先、心の防波堤が低くなっているのか、独り言が多くなってしまっているように思う。

 もっと気を付けなければ。


「どういうことかな、それ……」

「ただの独り言だよ。じゃあ先に部屋に戻ってるぞ?」

「待ってくれ」

「……何だよ」

「僕は君と話がしたくて、ここに来たんだ」


 それはカラオケ全体のことか、それともトイレのことかわからないけど……まあ大差ないか。

 つまり俺とこうしてふたりきりで会う意図で、今、ここに居るということを彼は俺へと告げているわけだ。偶然じゃないってことだ。


「なあ……もしかして香田くんは深山さんのこと、何か知ってるんじゃないのかい?」

「……」


 さてはて、どうしたものか。

 ちょっと予定外の展開に戸惑う俺だった。

 まあ……確かに可能性のひとつとして高井は候補のひとりだったけど、正直全然違うアプローチを考えていた。

 もっと久保のこと――


「答えてくれよ、香田くんっ!!」

「っ!!」


 ――いや、路線変更だ。

 高井の真剣さがダイレクトに伝わってきて、主と副がこの瞬間に入れ替わった。


「深山さんのこと、誰も知らないんだ……こんなのおかしいだろ? なあ、こんなのあまりにも不自然じゃないかっ!? 香田くん、君は何か知っているのだろう?? 協力するって言ってくれたよなっ!?」

「――高井、ちょっと落ち着け。とりあえずその手を離してくれ。そう自分のことだけ一方的に主張しても、相手は乗ってくれないぞ?」

「あ、ああ……すまない……つい……」


 これは俺を離すまいとする彼の気持ちの表れだろう。

 俺の両腕にしがみ付いて詰め寄ってくる高井をそう諭した。

 頼まれる側になってつくづく思う。

 メリットがないと、こんなの応じるはずもないって。

 ……いつも弱い立場あることが多い俺としては、これを教訓としたい。


「じゃあ情報の交換と行こう」

「交換……? つまり深山さんのことやっぱり知ってるのかいっ!?」

「だから落ち着けって。そんながっついて相手に嫌がられたらどうするんだよ」

「……すまない……っ……」


 本当に高井は、深山のことが好きなんだな。

 正直、ここまで本気だと思わなかった。

 ……そして後ろめたい気持ちにもなってしまう。

 ダメだよなぁ。

 詳しく知ってしまうと……変な情が湧いてしまう。

 こんな中途半端な同情、むしろ高井に失礼だろうに。


「鈴木の連絡先、知らないか?」

「えっ。鈴木……麻美(まみ)のことかい?」

「それ以外に、俺たちに共通する鈴木は居ないだろう」

「……知ってどうするんだい」

「それは高井に説明しなきゃいけないことなのか? まあ誤解されたくないから念のため言っておくが、恋愛関係の話じゃない」

「ああいや……これまたすまない。誤解を与えた……そうか、香田くんは知らなくて当然か」

「……?」

「鈴木麻美さんは、もう転校した。一学期の終わりと共にだ」

「へっ……!?」

「ちなみに彼女は持っていた携帯を変えてしまったらしい。突然の別れに女子たちが連絡を入れようとしたらしいが、繋がらないと嘆いていたよ」

「…………おい、おい」


 絶望的じゃないか。

 久保が誓約を消せないのはもう覚悟している。

 でも鈴木まで関係が完全に断たれるとは……もうこれで深山に課せられたどちらの酷い誓約も、60日間という時効を迎えるまで事実上一切消せないことを意味しているように感じた。


 ” じゃあな、香田 “


 あの雨の日、俺に背を向けたまま去って行く鈴木の小さな姿が頭に浮かんだ。たしかに『これでお別れだ』と言っていた――それは話し合いがもの別れに終わった、という意味で受け取っていた。

 でも違った。もっと明確で物理的な決別を意味していたのだ。

 あの雨の日は……そう。終業式の翌日の夜。

 つまりどこかに立ち去るその直前だった、ということだろうか?

 それなら特に話すこともないくせに俺に会うことを応じてくれた、あの鈴木の不思議な行動も理解することができそうだった。


「彼女は姿を消した……あの日から一度も顔を出さなかった……」


 高井は頭を抱えて唸るようにつぶやいている。


「そう、深山さんが教室に現れなくなった、あの日からだ……!! これは関係があると考えるのが自然だろう!? そして君が――同じようにあの日から学校に来ないことの多い香田くんが、その鈴木さんと連絡をしたいと言った……!! つまり君も、決して無関係ではないのだろう!?」

「――ああ、そうだ。関係者だ」

「香田くん……!!」

「等価交換だからな。言えることと言えないことはあるが、可能な限り今ここで答えるよ」


 俺は半分ぐらい、投げやりな気分だった。

 鈴木の引っ越し先を探して、追いかけて……なんてことも一応不可能ではないだろう。しかし同時にあまり現実的とも思えなかった。

 それなら本当に、大会で一位になるほうが遥かに確率が高いだろう。


「深山さんは――」


 高井は今すぐにでも泣きそうだった。


「――深山さんは……無事なのかっ!?」


 ああ……嫌だなぁ。

 そんな真剣に彼女の安否を心配されてしまうと……どうしてもコイツのこと、嫌いになれなくなっちゃうなぁ。

 もっと利用するだけ利用しようと考えていたのに。

 深山が俺のこと好きでいてくれているというこの事実が、むしろ卑怯な騙し討ちみたいに感じてくる。

 フェアじゃない……参った。


「いくつか確認したい」

「まどろっこしいな! 答えてくれないのかいっ!?」

「深山玲佳という人の個人的な情報が多く含まれている。せめてその秘密を口外しない約束ぐらいしてくれないと、話せることも話せないだろ?」

「そ、それはその通りだ……すまない。もちろん約束する!!」

「確認する。これは深山さんのご両親さえも知らない情報で……深山さん自身が周囲の人たちへ必要以上の心配を掛けさせないよう、口止めしていることなんだ。だからこれを口外することは、深山玲佳への裏切りを意味する。特に親に話したりしたら、彼女は絶対にその人を許さないだろう。……だから秘密を守る約束を今ここでしてくれるか?」


 こういう時、誓約紙が欲しいなって心からそう思う。

 なんて薄っぺらくて不便なんだろう、リアルって。


「…………約束する。絶対に口外しないよ」

「頼む。深山さんに迷惑を掛けたくない」

「ああ、わかってる」

「じゃあ次に……深山さんの気持ちについてだ」

「ん?」


 正直……わからない。

 これをあらかじめ伝えるべきか、今でもわからない。迷ってしまう。

 でも――たぶん人として、そうするべきなんだろうと直感的に思う。

 不利になっても、思惑通りにならなくなるとしても、だ。


「深山さんには、好きな人が居る。すでにその人と付き合っている状態だ。だから高井の……その気持ちは届かないと思う」

「――――っっ……!!」


 目の前の高井の顔が、一気に蒼白となって。

 そして下を向き、その顔を隠す。


「それは誰――い、いや……そんなことはいい。そうじゃなくて、その話は本当なのかい……?」

「誓う。事実をそのまま言っている」

「…………ははは……参った、なぁ……キツイ、なぁ……」


 クレバーに行くなら高井の気持ちを利用するべきなんだろうな。

 それができない俺は、甘いんだろうな。

 こんな中途半端な同情をして……当初予定していた思惑から大きく外れて。愚かなのかもしれない。


「まあ……それは、わかってたんだけどさぁ……僕は見向きもされてないって、わかってたけど、さぁ……」


 でも。

 それでも俺は目の前のこの人に、可能な限りで誠実でありたいと思ってしまった。

 いっそ俺が付き合ってる本人だと言っても良かった。

 でもそれだと高井は俺の言葉をそのまま受け取らない気がした。

 これは俺や深山のためじゃなくて、高井のために告げる言葉。

 騙したまま、利用したくないと思ってしまった。

 必要のない心の傷を与えたくないと思ってしまった。

 ……果たして有利な俺の立場でそんな同情は、驕りじゃないのか?

 もっと傷つけることにならないか?

 その答えは出ないままの、見切りの決断だった。


「ははは………………それが、どうかしたのかい?」

「高井」

「それで? 何か関係あるのかい!? 僕はわかっていた! そんなことはもう半年前ぐらいからずーっとわかっていた!!」

「……そうなんだ」

「でも僕は、深山さんが好きなんだ……!! 僕の憧れの人が、ピンチなら……僕が立ち上がらないなんて……そんなの嘘だろう???」

「ああ……俺もそう思う」

「深山さんが大変なら、僕は助けたい……!!!」

「報われなくても?」

「彼女が報われるならっ……ほんの少しでも救いになれるなら、それで構わないさ……!!! いいさ、いいよ、盛大に玉砕してやるよ!!! 何もしないでうじうじしているより百万倍はマシさ!!! 僕は深山さんが好きなんだから……ただ、それを伝えるのみだ!!!」


 俺の両肩を掴み、目を真っ赤にさせて高井が吠えていた。

 ああ……嫌になる。

 結局誰もが嫌な部分と良い部分を持ち合わせているのだろうから、そいつのことを知れば知るほど絶対に俺は嫌いになりきれない。甘い。

 大事な何かを守るために鬼に徹することができない。

 なあ父さん……こんな中途半端なものを『中庸(ちゅうよう)』なんて都合良く呼んでいいのだろうか?


「そういや……約束してたっけ」

「あ?」

和彦(かずひこ)、だっけ?」

「え。あ、ああ……僕の名前かい? そうだけど」

「じゃあ和彦。いっちょ、盛大に玉砕してみるか?」

「…………え?」


 ほんと不思議だ。

 人の名前を知ると、途端に他人じゃないみたいに感じてしまうなぁ。

 実際の距離なんて何も変わりはしないというのに。


「深山のところに会いに行こうか」


 そういや俺は、高井と約束していたんだった。

 ――応援するって。



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