#075a タノシイカラオケ
「――あ、姉さん。ここまでで良いよ」
夕暮れ海岸沿いのドライブ牛丼デートも終わり、予定している待ち合わせの18時まであと15分少々。
駅前のロータリーを周って反対車線へと反転しようとしていた神奈枝姉さんにそう声を掛けて車を停めさせた。
「あら。ここでいいの?」
「うん、ありがとう」
名残惜しい様子の神奈枝姉さん。
……いや、それは俺も同じか。もっと色々なことを話したかった。
行方不明になってから先、どうしてたとか。
昔とは全然違うその見た目のこととか。
でも語り始めたらキリがない感じだし……今はこの再会を純粋に幸せな空気の中で浸りたい。
きっと俺の家から逃げ出して失踪した先の姉さんの生活は波乱万丈だったと思う。たぶんつらい思いもたくさんしていたように思う。
だからそれはまた……ゆっくりと腰を据えて話せる時にふたりきりで話したいと思った。
少なくとも――
「おっと」
――こんな人目の多いところでは論外だった。
ある意味で必然だが、駅前のロータリーに停まる宝石のような高級車の見た目と豪快なエンジン音に呼び寄せられ、次々と人が集まっていた。
「それじゃ午後11半に、東トレーラー前で」
「あら……もちろん孝人くんを迎えに行くわよ?」
「ううん。ひとり連れて行きたい人が居るんだ。2シーターのこの車じゃ乗り切れないよ」
「あら。それじゃ急いでセダンでも買ってこなくちゃ!」
「いやいやいやいや! 俺たちは電車で行くからっ」
「え~っ」
「そいつともふたりきりで話したいんだ。ごめん」
「それって……女の子ぉ?」
ジト目で俺を見やる姉さん。
「そういうの関係ないからっ!」
「はぁい……孝人くんにありがとうって言われたいだけの人生なのにぃ」
「何度でも言うから」
「ほんと?」
「ほんとだよ……いつも助けてくれてありがとう、神奈枝姉さん」
「ん~!」
「はい?」
「お礼のしるし……んーっ……!」
目をつぶってぷるんとした唇を俺へと差し出す困ったお姉さんだった。
「……ありがと」
――ちゅっ……。
俺はまわりからの視線に耐えながら、両手を合わせて待ちわびている姉さんのおでこに軽く唇を重ねた。
「あぁんっ……キザッぽくて、それもステキ♪」
「ははは。本当にありがとう。また夜に」
「はぁーい、夜も楽しみにしてるからぁ!」
……視線が痛い。
俺は車から降りて周囲に集まった野次馬をかき分けるように車道から歩道へと入る。
振り返ると人垣で姉さんの姿は見えないが、軽くクラクションを鳴らして俺より先に出発してくれたらしい。
カシャカシャと周囲から疑似的なシャッター音に見送られるようにして、イタリアンレッドのオープンカーはメイン通りの向こうへと消えて行った。
「やれやれ……」
まだ若干、俺へと突き刺さるような視線を感じるけど、とりあえずはこれで収束。見る見る間に野次馬は散って行く。
「――あれ、香田くんじゃないか」
「っ……!!」
一瞬、凍りつく俺の身体。
そして油の足りない錆び付いた機械のような動作で振り返ると――
「やあっ」
「あ、ほんとだ香田だ」
「やっほー!」
「きゃあっ、香田様ぁ☆」
「おー、ほんとだ!」
「こんにちは~」
高井を筆頭に、今日集まる2Aの面々がおそらく半数以上そこに集まっていた。もちろん集合場所はカラオケの店の前で、ここではない。
「や、やあ……奇遇だなぁ」
つまり彼ら彼女らは中平市に住んでいない電車組なのだろう。
集合20分前着という丁度良い電車で偶然乗り合わせるのは、そこまで便数が多くないこの路線ではむしろ必然に近いと思う。
しかしそれにしても間が悪い。
……さっきの姉さんとの姿、見られてないだろうな……?
「あれ」
「!」
そして。
「……香田くん、お久しぶり。元気にしてました?」
「ああ……久保サンも元気そうだな」
高井の影からヌッ……と姿を現すメガネを掛けた地味な女の子――の皮を被った魔物と挨拶を仕方なく交わす俺。
さっそく反吐が出そうな気分だった。
◇
「――はいはい、詰めて詰めてぇ~!」
「あ、ああ……」
駅から徒歩5分ほどにあるカラオケ店の中で残りと合流した俺たちは、そのままその店で一番大きそうな奥の部屋へと案内された。
ぞろぞろと列をなすようにドアから室内へと入る2Aの面々。
「レアキャラの香田は真ん中に座りなよ?」
「え? でも」
「はーい香田こっち~!」
「きゃーっ、香田様のお隣とか美紀緊張しちゃうーっ☆」
「ははは……」
「ほら、初参加の久保さんも真ん中座りなよ?」
「っ!?」
「あ、いえ私は……ここで……」
うつむいて萎縮したまますぐに座り込む久保とかいう人。
もちろんそこは先に座っていたお誕生日席の高井の隣。内心舌打ちしている女子が何人か居そうな雰囲気だった。
まあさっきの誘導は余り者同士くっつけようって魂胆だったのだろうな……不本意ではあるが、今だけは久保のその行動に感謝しておこうか。
「よっしゃ、さっそく歌うー!」
「次あたし! あたし!」
「その前にドリンクだろ?」
「私ちょっと腹減ってるかもぉ」
「ねえねえしぇり、いっしょに歌お?」
「――あの、ごめん」
長細い席の中央で、見知らぬ女子ふたりに挟まれている俺が小さく手を上げてそう言った途端、全体が不自然なぐらいに動作を止める。
たぶん彼ら彼女らにとってよっぽどの異物なのだろう。びっくりするぐらいみんな、俺に注目してくれていた。
「悪い。まだみんなの名前と顔が一致してない……軽く自己紹介してもらっても良いか?」
「はは、そうだね。久保さんもいるしそうしよう! じゃあ僕から――」
そう言うとお誕生日席に座る彼がカラオケ用のマイクを持って。
<――僕は、高井和彦! 部活でサッカーをしてるよっ>
スピーカー越しの大音量でそう自己紹介を始めた。
「キャハハハッ、全員知ってる知ってる!」
「キャップテーン!」
<参ったね、まだ副キャプテンだよ!>
「じゃあ時計回りで行こうかっ」
次にショートカットで気の強そうな女の子が右隣の高井からマイクを奪い取るように受け取った。
<わたしは内村詩絵里。香田くんよろしく!>
「……あ、ああ」
<はぁーい、オレ、阿部ぽよーっすぅ>
「阿部真面目にやれーっ!!」
そんな感じで馴染みの薄い俺向けに皆の自己紹介が続く。
ちなみに誰も久保のことをナチュラルに話題にしてない。
まあ俺が狙った展開通りとはいえ、それにしても露骨なものである。
<岡安円架でぇーす! いぇい!>
「おーい、今日はオカオカコンビの相棒どした~?」
<はぁん? 逢? しらねーよ、あいつ最近付き合い悪いしぃ>
オカオカコンビの、逢――ああ、岡崎か。
そういやどこかで見覚えあると思ったら、俺のこと『オタク』だって若干引いてたヤツがこの岡安か。
それに対して岡崎が怒ってたのも含めて思い出す。
「ほい次、香田」
「あ、ああ……」
マイクを受け取る。
自分で言い出したとはいえ、なかなかこういうのは気が重い。
<香田孝人です。普段は特に交流もないのに今日はありがとう。みんなと会えて良かったと思ってるよ。よろしく>
「真面目かーっ!?」
「もっと面白いこと言えーっ!!」
男子勢からヤジが飛ぶ。
<それはトリの久保サンに任せるよ。きっと面白いこと言ってくれると思うから>
「香田ドS過ぎぃ」
「久保さん可哀想~っ!」
そんな非難轟々の中、俺は左隣の個性あふれる人にマイクを渡した。
するとおもむろに立ち上がり――
<香田様っ、美紀のこともぜひ虐めてくださいっ……!>
――そうマイク越しに堂々とドM宣言してしまう彼女だった。熱視線まで送ってきて全体が一気に盛り上がる。
「きゃーっ、まさかの変態宣言ーっ!!」
「美紀のMはドMのMかーっ!?」
『§2A放課後会§』発足当時に初めてもらったメッセージの時から感じてたけど、ある意味ですごくユニークだな、この子。実際に会うと見た目のインパクトもなかなかのモンだ。
こうして目の前で立ち上がられてしまうと目のやり場に困るような際どいミニスカートに、上半身も真夏とはいえ心配してしまいそうなおへそ丸出しの露出高い服装。
髪はサイドのポニーテールにしてて、大きな花までついている。
メイクもキラキラな感じでバッチリ入ってて――……まあ言ってしまえば俺の真逆の生命体。
たぶんこんな機会でもなければ一生接点を持たない感じの、見るからに陽気そうな明るい女の子だった。
ちなみに念のため言っておくが、完全に初対面である。
なぜ俺のことを様付けで呼ぶのかまったくの不明だ。
「……自己紹介になってないぞ?」
返事に困った俺は、そうお茶を濁す。
<あ、はいっ! 乾美紀です☆ 香田様、ぜひ美紀って呼んでくださいねーっ♪>
「俺のことは普通に『香田』でいいから」
<えーっ!!!!>
そのやり取りのどこらへんがツボだったのかさっぱりわからないけど、とにかくそれでドッと笑いが久保を除く全員に伝播していた。
<はぁい続いて俺様、みんなのネットアイドル田中源治でぇーすぅ!>
温まってる場の空気に乗っかって丸刈り坊主の男子が立ち上がる。
「……ねえ。ネットアイドル、って……何?」
「さあ? 絵でパクパクしているのに声当ててる動画のアレじゃネ?」
「うっわ田中キモッ!!!」
<阿部にだけは言われたくねぇぇ……!!!>
それでまたドッと笑いが広がっていた。
まったくこのノリについていけてないぞ。うん。
正直…………つらい。
「ほいどっぞーん」
「え、あ、はい……」
「よっ、ラスト待ってました~!」
突然左隣の田中からマイクを渡されて恐縮している風な久保。
「「「くーぼ、くーぼっ!!」」」
そもそも俺がそう仕向けたわけだが、皆も悪乗りして久保へと軽くプレッシャーを掛けて弄っていた。
<……え、えっと……>
もじもじとしているその姿を見るだけで……イラッとしてくる。
果たしてそれは俺だけだろうか?
<久保、敦子、ですっ……よ、よろしくお願い、します……っ……>
結局彼女は、あえて愚策を選んだようだ。
つまり場の空気に馴染んだり皆から受け入れられるよりも――
「えーっ、何それぇ……下がるんですけどぉ」
「うわっ」
「ここで泣くとか……普通にあり得なくネ?」
「まあまあみんな。久保さんをそんなに困らせちゃダメだろっ?」
――高井へのアプローチを選んだわけだ。
それでなくてもリーダーシップを発揮したがっている上に、高井が仲介してこの会へと久保を紹介した。
今こうしてタイミング良く泣きながらマイクまで高井に渡されては、彼も動かないわけにはいかないだろう。
……うーむ。手ごわい。
結局は敵に塩を送ってしまったというか、勝手に塩として利用されてしまったというか。
「久保サン。困らせるようなこと言ってごめん」
「…………いえ。こちらこそすみません……ぐすっ……」
高井がこれ以上活躍する展開も不満なので、そう俺から先に久保が欲しくない助け船を送り、早急にこの場を納めることにした。
<お、おっしゃーっ!! わたしから歌うワ!!>
「おーっ! しぇり行ったーっ!!」
「しぇり! しぇり!!」
気の強そうな内村は、きっと女子のリーダーなのだろう。
この下がりまくった室内の空気を無理やりにそうひっくり返してマイクで叫んでいる。
内村の入力した軽快な曲がすみやかにBGMとして室内に大音量で流れ、それからはもう日常的なカラオケを楽しむ光景が広がっていた。
「……やっぱ下手だな、こういうの」
「香田様……?」
まどろっこしい手段より、俺はやはり真っ向勝負か。
さっき久保がやって見せた嘘泣き演技なんか遥かに凌駕するドン引きの茶番劇をこれから披露してやろう。
「ある意味、楽しみだ」
「?」
せっかく内村が立て直してくれたところ悪いが……この楽し気な空気をぶち壊すその覚悟を密かに内側で決める俺だった。





